第95話 リックバード領主 天鎧
眩い光が、冬華達を包み込んだ。
瞼越しにも強い輝きは、やがて引いていき、その耳に僅かな人の声が聞こえた。
静かに瞼を開き、冬華は目の前の光景に驚く。
「うわーっ! こ、ここって……」
人が行き交う道の真ん中に、冬華達は立っていた。行き交う人々は訝しげな目を向け、僅かながら人が集まりつつあった。
赤紫の髪を揺らすレッドは、目の前の光景に苦笑する。まさか、こんな場所に転移するとはレッド自身思っていなかった。
「あ、アレ? おかしいですね……。もう少し、人目につかない場所を指定した……つもりなんですけど……」
右手で頭を掻き困り顔のレッドに、クリスは目を伏せ額に青筋を浮かべる。
「ここの何処が、人目につかない場所なんだ?」
僅かに声を震わせるクリスに対し、レッドはただただ苦笑する。
ワープクリスタルによる空間転移で、冬華達はリックバードまで戻ってきた。移動を円滑にする為の道具なのだが、まだ試作段階の為、この様に意図しない場所に飛ばされる事も多々ある。しかも、一回のみの使いきりの為、今回の様に目的の場所に着ければ良いが、そうじゃない場合は大変な事になる。これが、便利な道具なのに、未だ出回っていない理由だった。
それを何故レッドが持っているのか、クリスは疑問に思う。しかし、すぐそう考えるのをやめた。何故なら、過去にイリーナ王国では試作品のワープクリスタルを大量に買い付けていたのを思い出したからだ。
そして、その不完全な道具を高値で冒険者やその他大勢の者に売りさばいていた。
最低な事だが、当時その王に仕えていた為、結局自分も同罪なのだと、クリスは口を噤んだ。
リックバードはいつもと変らぬ平和な光景だった。桜色の花びらを散らす紅桜が、風に揺れる。
人々も変らず活気に溢れ、町は賑わっていた。
穏やかに時が流れ、町の中央にそびえる大きな紅桜の前に佇むレッドは渋い表情を浮かべる。自分の考えが間違っていたんだろうか、と。
木の根の上で胡坐を掻くシオは、木の幹へと体を預け空を見上げていた。金色の髪が揺れ、やがて深く息を吐く。
「なぁ、いつになったら魔族は現れるんだ? オイラには、すっげー穏やかに見えるぞ」
眉間にシワを寄せるシオが横目でレッドを睨む。
町の空気は穏やかで、行き交う人々の様子はいつもと変らない。すでに、緑の雨に侵された魔族が動き出しているなら、なんらかの騒ぎがあってもおかしく無いはずだが、それすら感じさせない。
冬華もクリスもそれを疑問に思い落ち着かない様子だった。
腕を組むレッドは考える。自分の考え方は間違っていないはずだと、右手を口元にあて少ない情報を繋ぎ合わせ、思考を張り巡らせる。
考え込むレッドの横で、小さく吐息を漏らす冬華は、肩を落とし地面へと視線を落とす。
「ねぇ。こうしててもしょうがないし、この島の領主に知らせといた方がいいんじゃないかな?」
ため息交じりの冬華の提案に、考え込んでいたレッドも、クリスも目を丸くする。
「そ、そうですね! 確かに! こうして、手を拱いているよりも、まずは、天鎧さんに連絡するのが第一ですよね!」
冬華の言葉に名案だと言わんばかりに、レッドが大声を上げる。すると、シオは呆れ顔でため息を吐く。
「こんなの常識だろ? 何で今まで思いつかないんだよ」
静かにシオは呟いた。その声に、レッドは恥ずかしそうに右手で頭を掻き笑い、冬華は困った様に苦笑し肩を落とす。
少しだけだが、冬華は不安になった。このままレッドに任せて大丈夫なんだろうか、と。
「君は行かないんですか?」
天鎧の屋敷に向かおうとしたレッドが、紅桜の根の上に腰を据えるシオへと尋ねた。しかし、シオは頭の後ろで手を組んだまま、小さく首を振る。
「いかねぇー。面倒臭いし、幾ら魔族と共存を望んでいるって言っても、天鎧って奴は人間だからな。
それに、オイラにはそいつ等と一緒に行動する理由も無いしな」
興味無いと言いたげにそう宣言するシオに、レッドは「そうですか」と静かに息を吐き、背を向ける。そして、去り際に小声で告げる。
「いつまでも、自分を偽る事なんて出来ませんよ」
誰にも聞こえない程の小さな声に、シオの獣耳が僅かに動く。その小さな声が、シオには聞こえた。だから、シオは不満そうに眉間にシワを寄せ、ゆっくりと俯いた。
レッドは先を行く冬華とクリスに合流し、小さく首を振る。
「やっぱり、シオは残るって?」
「えぇ。やはり、一緒には来ないとの事です」
冬華の言葉に、レッドが苦笑し答えた。その言葉に冬華は「そっか」と沈んだ声で答え、肩を落とす。あからさまな落胆に、クリスは深刻そうに表情を曇らせる。
シオが記憶を失った事が相当ショックだったのだと、クリスも分かっていた。
重い空気の中で、レッドは困った様に笑みを浮かべた。
大きな紅桜の木から北へと歩みを進める事、小一時間。三人はようやく、この島の領主天鎧の屋敷の前に到着していた。
「ほわーっ……おっきぃー」
冬華が感嘆の声を上げる。見上げるのは、四メートル程ある大きな赤い門。その柱の前には二人の兵が槍を携え佇んでいた。
屋敷を囲う様に高い塀が何処までも連なる。小高い丘の上にある為、この塀の向こうがどうなっているのかは定かではない。だが、間違いなく大きな屋敷である事は確かだった。
呆然と立ち尽くす三人に、柱の前に立っていた兵士が気付き、槍を向ける。
「貴様ら! 何用だ!」
「え、えっと……私達、天――」
「冬華さん。ここは、僕に任せてください!」
声を遮る様に、レッドが冬華の前へと強引に割り込む。
「わわっ!」
突然の事に冬華は驚き、よろめいた。
「だ、大丈夫ですか?」
よろめいた冬華の体を、素早くクリスは受け止め、心配そうに尋ねる。
「だ、大丈夫。ちょ、ちょっと驚いただけだから」
苦笑し、そう答えた冬華に、クリスはホッと胸を撫で下ろした。
まさか、レッドが強引に割り込んでくるとは思わなかった。その為、冬華は不思議そうな顔でレッドの背を見据える。まるで何かを隠そうとしている様に感じたのだ。
冬華が訝しげに首を傾げていると、兵士と話を済ませたレッドが振り返る。
「謁見してくれるみたいですよ」
にこやかにそう告げるレッドに、冬華は苦笑する。
「そ、そっか。じゃあ、行こうか」
思ったのだ。きっと、レッドにも言いたくない何かがあるのだと。彼が良い人で、信頼出来る人物だと冬華は判断していた為、何も言わないなら何も聞かない、そう決めた。だから、冬華はニコリと微笑み歩みを進めた。
屋敷内へと案内された三人は、広々とした謁見の間にいた。口型に置かれた八つの長方形のテーブルの前に腰掛け、冬華は部屋を見回す。
広々としているが、無駄な物など置かず妙に殺風景だった。とてもじゃないが、ここが領主の屋敷とは思えない程だった。
「なんだか、質素って感じだね」
思わず冬華がそう呟くと、その左隣に座るレッドが笑う。
「そうですね……。屋敷は大きくて豪邸に見えますが、基本的にこの場所はもしもの時に民を避難させる場所なので……」
「それで、無駄に大きいって事か……」
納得した様に冬華が頷く。すると、何処からともなく、大らかな笑い声が部屋へと響く。
「はっはっはっ。無駄に大きいですか」
大らかな笑い声と共に、部屋の奥の扉が開き、一人の男が姿を見せた。羽織袴姿の三十代程に見える大柄な男。この男がこの島の領主である天鎧だった。
白髪交じりの黒髪を揺らし、大きく肩を上下させる。威圧感と言うモノは感じず、妙に安心感のある雰囲気に、冬華はホッと息を吐く。
クリスも、初めて目にする天鎧の姿に、今まで見てきた国王の姿とはどこか違うのだと感じていた。