第94話 仮説と王位継承
エルドの屋敷のエントランスに、冬華、クリス、シオの三人が集められていた。
集めたのはもちろんレッド。彼は穏やかに微笑み、三人の顔を順に見据える。
真剣な顔立ちの冬華は、肩口で黒髪を揺らし、考えていた。以前、レッドが話した事を。誰かが故意であの緑の雨を降らしている。その理由を、冬華なりに考え続けていた。答えは出ない。まだ謎が多く、何かが裏でうごめいているのだけは理解していた。
白銀の髪を頭の後ろでまとめたクリスは、腕を組みジッとレッドの目を見る。まだ彼を完全に信頼したわけではなかった。
その隣りに並ぶシオは、不服そうな表情を浮かべていた。自分が何故、この場所に呼ばれたのか、分かっていない。それに、レッドの存在をあからさまに怪しんでいた。
「誰だ? お前」
シオの声が静寂を破る。開かれた扉から入り込んだ風で金色の髪が揺れる。
そんなシオへとレッドは顔を向け、赤紫色の髪を掻き、困った様に眉を八の字に曲げた。
「え、えっと……君は……」
苦笑しそう告げると、
「オイラが聞いてるんだろ!」
と、シオが声を荒げた。その金色の髪の合間に見え隠れする獣耳に、レッドはシオが獣魔族だと気付いた。
「あぁーっ! そうかそうか! 君が、シオ君だね!」
「はぁ? な、何だよ? 急に?」
突如大声を上げるレッドに、シオは半歩退く。間違いなくシオの中でレッドが不審者である事が認識された。
警戒し、身構えるシオの疑いの眼差しに、レッドは苦笑する。
「あ、アレ? ぼ、僕、何か気に障る様な事……言った?」
シオの態度にレッドも流石に違和感を感じていた。だが、何故、シオが急に警戒したのかはレッドは分からず、表情は不思議そうだった。
それから、冬華がシオにレッドの事を説明し、レッドにシオの事を説明した。約十分程の作業が終わり、話は進む。
「実は、深刻な話で、君達に力を貸して欲しいんだ」
出会って初めて見る様な真剣な表情で、レッドは頭を下げる。
唐突な事に驚き冬華とクリスは顔をあわせた。シオも訝しげに眉間にシワを寄せ、鼻から息を吐く。
「どう言う事だ? 第一、初見の相手に頼む事じゃないだろ?」
「いや。君達の話はある人から聞いてる。異世界から呼ばれた英雄冬華と、獣王の息子シオ。君達は信頼出来ると、聞いている」
訝しげな表情を一層険しくするシオは、冬華へと目を向ける。
その眼差しに苦笑する冬華は、右手で頭を掻いた。
「す、すみません。シオは記憶を失ってて……」
「記憶を……失って?」
冬華の発言にレッドが怪訝そうな表情を浮かべ、シオへと目を向けた。とてもじゃないが、記憶を失っている様に見えず、レッドは首を傾げる。
だが、何も言わず、何も聞かない。核心が無かった為、口を出さない事にしたのだ。
話が少々途切れたが、すぐにレッドは話を再開する。
「緑の雨の事は話しましたね?」
「ああ。確か、ここ以外にも魔族の治める島で降り注いだって話だったな」
腕を組むクリスがそう答えると、レッドは小さく頷く。
「はい。すでに、島には誰も居ませんでした。
これは、僕の勘ですが、これから、この大陸では大変な事が起きるかもしれません」
「大変な事?」
冬華が疑問を抱き尋ねると、レッドは冬華へと視線を向ける。複雑そうな表情で、右手で口元を覆うレッドは、鼻から息を吐き唇を噛み締めた。
「すみません。あくまで、これは仮説で確証は何にもありません。ですので、話半分に聞いてください」
レッドは前置きとしてそう告げ、静かに語りだす。
「三つの魔族が納める島に緑の雨が降った。そして、緑の雨に感染した魔族が集団で消えた。
この事から、僕が導き出した答えは――戦争です。この大陸の人間と魔族による大規模な」
「ちょ、ちょっと待って! 幾らなんでも、突拍子過ぎじゃない?」
慌てて冬華がその話を区切る。だが、レッドは渋い表情で俯き瞼を静かに閉じる。
「確かに突拍子の無い事かも知れません。
しかし、すでに南のゼバーリック大陸では、人間と魔族の争いが少しずつ開戦しています」
「ちょっと待て! 一体、何処と何処の争いだ? 獣魔族は、王である親父が死んだ後だろ?
まだ、次の王も決まっていない状態で、何で人間と争いになってんだ?」
シオが訝しげな表情で大声を上げる。その言葉に冬華とクリスは違和感を覚え、首をかしげた。だが、話は止まらず進む。
「獣王の死から、一月ほど。すでに、王位は継承されている」
「待て! 王位が継承されたってどう言う事だ! オイラは何も聞いてない!
獣王の血を引く、オイラが次期王になるのが当然だろ! 一体、何が起きてるって言うだ!」
シオが興奮気味に声を荒げる。その身振り手振りから、彼が一番困惑しているのだと、周囲の皆が理解する。当然、冬華もクリスも、困惑していた。王族のシオが居るのに、すでに王位が継承されていると言う点が、どうにも腑に落ちない。
シオの名前は人間達にも知れ渡る程、有名だ。彼を置いて次期獣王を名乗る資格がある者が今の獣魔族の間に居るわけが無い。そう、冬華もクリスも思っていた。
訝しげな表情の三人に対し、レッドは険しい表情を浮かべ息を吐く。
「いいや。シオ君以外にも居る。王位に相応しい人が。人望があり、統率力があり、もちろん、力のある者」
「人望があり、統率力があり……まさか!」
シオが声をあげた。その頭に浮かぶ一人の男の顔。それは、シオの師であり、獣王の右腕だった男――。
「バロン! でも、アイツが、王位を継承なんて……するわけ――」
「無い。と、僕も思っていたよ。いや、多分、彼の事を知っている者は皆、そう思っていた。
だが、彼は王位を継承した。獣王ロゼの死後すぐの事だ。そして、彼の片腕として働くのは、フリードとガーディンの二人」
轟音が轟き、シオの拳が壁へと減り込む。土煙が舞い、砕石が散る。そして、拳から零れ落ちる血が、床で弾けた。
言葉を呑んだレッドの視線はシオへと向く。二人の視線が交錯し、シオの拳が壁から離れる。
「適当な事言ってんじゃねぇよ! バロンが、そんな事するわけ――」
「さっきも言っただろ。僕もそう思ってた。だが、事実なんだ! いい加減、現実を見ろ!」
レッドが声を荒げる。初めて、レッドが感情をあらわにし、冬華もクリスも驚いた。
拳を震わせ、奥歯を噛み締めるレッドが、シオを睨み静かに告げる。
「何が起きているのか何て、僕にも分からない。だが、世界は刻々と変化し、動き出している。
君達も知っているだろ。すでに三人の王が死に、新たな王が国を動かしている事を」
「三人? イリーナ王国国王ザビットと獣王ロゼの他に誰か亡くなってるの?」
怪訝そうに冬華が尋ねると、レッドは眉間にシワを寄せる。
「知らなかったんですか? ミラージュ王国の国王もまた、殺されたんですよ」
当然と言う口振りでそう言うレッドに、三人は険しい表情を浮かべる。そんな三人に、レッドは深く息を吐き頭を掻く。
まさか、三人がミラージュ王国の事件を知らないとは、思ってもいなかった。国の王が変ると言う事はとても大きな事で、大々的に世界各地に広がる。それを、三人が知らないと言う事は、この事件が他の大陸には伝わっていないと言う事を表しているからだ。
何故、その様な事が起きているのか分からず、レッドは深刻そうな表情を浮かべていた。
「本当に、知らないんですか?」
確認の為にもう一度尋ねると、冬華とクリスは顔を見合わせ頷く。
「えぇ。私達は、その事は知らない。一体、どう言う事だ?」
クリスが答えると、レッドは小さく喉を鳴らす。
「そう……でしたか。実は、詳しく僕も知らないんですが、知人の情報では、すでに息子さんが王位を継承したらしいです。
そして、彼は、中立都市である大商業都市ローグスタウン、港町ノーブルーを手中に収め、それを咎め様と動いたイリーナ王国に対し、獣王軍が攻め入ったとの事です」
レッドの説明を聞き、シオが拳を震わせた。
「ふざけんなよ。中立都市のローグスタウンとノーブルーがミラージュ王国に取られて困んのは、獣魔族の方だろ!
何で、咎め様としたイリーナ王国に侵攻すんだよ!」
声を荒げ、シオがレッドを睨む。確かにその通りだった。ローグスタウンも、ノーブルーもミラージュ王国と獣魔族の暮らす森の境目に存在する。そこが落ちて困るのは、間違いなく獣魔族側なのに、どうしてその行為を止め様としたイリーナ王国を攻められなければならない。
明らかな矛盾に、レッドも小さく頷く。
「分かってる。僕だって、おかしいと思ってる。でも、事実だ」
「でも、どうして、ミラージュ王国は中立都市を……」
右手を口元へと当て冬華は眉間にシワを寄せる。国王が変り、王制が変ったとしても、何故突然中立都市を襲ったのか分からなかった。それに、国王が変ってすぐの命に兵士達がそこまで従順に従うだろうかと、冬華は疑問に思っていた。
もちろん、レッドもクリスもシオもそれを疑問に抱き、押し黙る。皆が考え込む中で、レッドは静かに息を吐き口を開く。
「今は、考えても仕方ありません。話を戻しましょう」
「えっと……戦争……でしたっけ?」
レッドの言葉に、冬華が静かに尋ねると、彼は静かに頷く。
「えぇ。僕の考えが正しければ、緑の雨を浴びた魔族は現在、人間の統括する島へと向かっている。
目的は八会団のメンバーで、最も力のある男――」
「天鎧か?」
腕を組むクリスが、静かに口を開くと、レッドはその目を真っ直ぐに見た。
「そうです。今、この大陸で最も信頼され、頼られているのは、天鎧さんです。
その要を失えば、八会団は崩壊、この大陸は実質終わりです」
レッドの言う通り、八会団をまとめるのは天鎧。彼が居なければ、八会団は間違いなくバラバラになる。元々、八会団に三人もの魔族を入れる事に、他の代表は反対しているのだ。本当に、魔族が天鎧を襲撃したとすれば、八会団の残りメンバーは魔族を許さない。そして、戦争は起こるべくして起きる事になる。
それが、現実になるかは五分五分。故に、冬華もクリスも複雑そうな表情を浮かべていた。
「でも、どうするの? ここには、船も無いんだよ? リックバードに戻ろうにも、手段が……」
冬華が思い出した様にそう尋ねると、レッドはニコッと笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。これがありますから」
レッドはポケットから一つのクリスタルを取り出す。それが何か分からず、冬華とクリスは目を細めた。