第9話 光の鱗
『全く! 何考えてるんですか? また、私が寝ている間に!』
冬華の体に両手をかざしながら、セルフィーユは今日もそう怒鳴っていた。
「だって、セルフィーユってば、凄く気持ちよさそうに寝てるから、起こすのかわいそうだと思って」
苦笑しながら、セルフィーユの治療を受ける。今日もまた、わき腹に一撃浴びてしまった。
かれこれ、一週間になる。冬華がクリス達と鍛錬を始めて。セルフィーユは朝が弱いのか、毎度寝過ごし、起きるのはクリスの声でだった。
基本的な鍛錬の後に必ずクリスとの本気の手合わせをしているのだが、毎回同じようなパターンで敗北する。その際、クリスも一応手を抜くのだが、それでも冬華の骨にヒビが入り、クリスが冬華を連れて慌てて部屋に戻ってくるのだ。その時のクリスの声が、セルフィーユの目覚ましとなっている。
『はぁ……』
小さくため息をこぼしたセルフィーユは、かざしていた手を下ろすと、少しだけ心配そうな表情を冬華に向けた。
『これで、大丈夫ですよ。でも、本当に、気をつけてください。冬華様に何かあっては……』
「大丈夫よ。クリスだって、最後は手を抜いて打ち込んでくれてるんだし」
『そう言う問題じゃありません!』
「それにさぁ、これが、実践だったら私すでに死んでる事になるんだよ? こんなんで、ここで生きていけるのかな?」
『そ、それは……』
冬華の言葉に口ごもる。冬華の言う通り、鍛錬でなく実践だったなら、冬華はもうすでに死んでいる事になる。幾ら英雄と呼ばれていても、人は人。命は一つしかないのだ。
ここゲートに来て、冬華も気付いていた。自分がやらなければならないのだと。英雄と呼ばれるその重圧も、その意味も。自分が強くならないと、何も始まらない。そんな思いがあった。セルフィーユが感じた強大な力を秘めた男。そいつとも、いずれ戦うかもしれない。だとしたら、悠長に時を過ごしている場合じゃない。そう焦りすら感じていた。
『でも、そんな焦らなくて……戦いになれば、私だってサポートに回れますし、冬華様一人で戦うわけじゃ――』
「分かってる。でも、誰かに守ってもらうだけじゃダメ。それに、私の所為で誰かが傷つくのは、もう嫌だから……」
冬華の言葉に、セルフィーユは首をかしげた。だが、セルフィーユが質問しようとする前に、冬華は立ち上がり笑顔を向けると、
「さっ! 午後の鍛錬も頑張るぞ!」
と、拳を天井へと突き上げた。呆然とするセルフィーユは、小さくため息を吐くと、
『分かりました。もう止めません。でも、ホント、危険な事はやめてくださいよ?』
「分かってるって。私だって、少しずつ成長してんだから」
ニコッと笑みを浮かべた冬華に、セルフィーユもニコッと笑いかけた。
治療を終え、部屋を出ると、外ではクリスが待っていた。申し訳なさそうに顔を伏せ、落ち込んだ様子のクリスが、冬華が出てくると同時に、深々と頭を下げる。
「も、申し訳ありませんでした!」
「へっ?」
思わず、声が裏返る。突然の事に驚いたのだ。
「な、何? ど、どうしたのよ? 急に?」
「今日は、少しやりすぎました」
深々と頭を下げたままそう告げるクリスに、冬華は「へっ? へっ?」と、オドオドとする。何故、クリスが謝っているのか、いまいち理解出来ていなかった。
いつもだったら、「申し訳ありません」と、軽く謝る程度なのに、何故こんなにも深々と、と疑問を抱く冬華だが、その横ではセルフィーユが胸を張りながら、
『そうです! もっと謝ってください! 冬華様に何かあったらどうするつもりなんですか!』
と、クリスには届かないのに、そう言い聞かせていた。そんなセルフィーユに苦笑しながら、
「か、顔上げてよ。別に、いつもの鍛錬じゃない。そんな謝る事無いって」
「で、ですが、今回は……加減もせず、思いっきり……」
「えっ?」
『はいっ?』
驚き声を上げた冬華とセルフィーユ。
加減していなかったと、言う事は本気で打ち込まれて骨にヒビが入っただけで済んだ。その現状に驚いていた。クリスほどの力を持った者の一撃を、模擬刀とは言え本気で食らったのなら、普通ヒビだけではすまないはずなのだ。
驚き顔を見合す冬華とセルフィーユ。実際、冬華以外にセルフィーユの姿は見えない為、冬華はただ廊下の向こうを見据えている事になる。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
不安そうにそう言うクリスに、冬華は我に返り、
「だ、大丈夫! 全然、大丈夫よ!」
と、笑った。不思議そうな表情を浮かべるセルフィーユは、顎に右手を添えると、『うーん』と唸り声を上げた。
一方、クリスは全く大丈夫そうな冬華に、ほっと胸を撫で下ろし、ニコッと笑う。
「しかし、聖霊様は凄い再生力があるのですね? あの一撃は骨が完全に折れたと思ったのですが――」
「えっ、いや……その……実はヒビ入っただけなんだよね?」
「は、はぁ?」
唖然とするクリスに、冬華は困った様に頬を掻いた。暫しの間が空き、クリスは驚きの声を上げた。
「えぇぇっ! で、でも、私、今回は本気で……それなのに、ヒビですか?」
「そうらしいけど?」
冬華が隣りで浮遊するセルフィーユに目を向けると、セルフィーユも困ったように笑った。
「そんなバカな……確かにあの時の手ごたえは……」
首を傾げるクリスに、冬華も首を傾げた。そんな時、セルフィーユが思い出した様にポンと手を叩くと、
『もしかして!』
突如叫んだセルフィーユに、冬華は耳を塞いだ。その行動に更に首を傾げるクリスは、「どうしました?」と、問う。その問いに、苦笑した冬華は、「な、何でもないよ」と、言うと、セルフィーユに目を向けた。
申し訳なさそうに両手を合わせるセルフィーユが軽く頭を下げると、すぐに顔を上げ、冬華の方へと顔を寄せた。
『それより、分かったんですよ!』
「な、何が? 急に大きな声あげないでよ?」
「大きな声ですか?」
「そうなのよ。今、セルフィーユがね」
笑いながらそう言うと、クリスも「またですか?」と少し呆れた様に呟くと、セルフィーユは『申し訳ありません』と、小さく頭を下げた。
クリスも大分見えないセルフィーユと言う存在に慣れてきていた。でも、それ以外の人は時折独り言を話す冬華を不思議そうな顔をして見ている事がある。
『それより、それって、きっと“光鱗”って、言う術なんじゃないかって思うんですよ!』
「こう……りん?」
「光鱗ですか? ……確かに、その様な術を前の英雄様も使っていた様な……」
冬華の呟きに、クリスが思い出した様にそう言うと、「そうなの?」と冬華がクリスの顔を見た。顎に手を添え、僅かに頷きながら、
「はい。確か、光の鱗で相手の攻撃を防ぐモノだと、聞かされました」
「へぇー」
『私よりも詳しいですねぇ。ちょっと嫉妬です』
クリスに対しそんな小さな嫉妬をするセルフィーユに、冬華は苦笑した。