第86話 クリス・シオ対獣魔族
驚愕する冬華。
目の前の光景にただただ驚きを隠せなかった。
あのクリスとシオが、片膝を着き血を流していると言う光景。それが信じられなかった。
戦闘力、知略において、クリスは間違いなくこの中で断トツ。シオも左膝を精神力でカバーし、能力全開で戦える。それなのに、二人は今、片膝を着いている。
目の前に佇む。十人の魔族に。
土煙が晴れ、砕けた地面に拳を減り込ませる三人の獣魔族が視界に入る。遅れて、息を吐き切った三人の龍魔族。最後に四人の魔人族の姿が浮かぶ。皆、肌の所々を緑色に染め、目は虚ろ。言葉にならない声を、その口から発していた。
右拳を地面へと着き、俯くシオ。その左膝が震える。幾ら、精神力で強化しているとは言え、今の龍魔族のブレスは効いた。体の芯を貫くそんな一撃。それを二度も受けている。体には相当のダメージが残されていた。
剣を突き立て、呼吸を乱すクリス。彼女もまた、その膝が震えていた。剣で防いだが、それでもその衝撃を防ぎきれなかった。無理に地面に踏みとどまったのも、裏目に出た。それが影響でダメージは足にきていたのだ。
口角から血を流し、深く呼吸を繰り返す二人。その背を見据え、冬華は覚悟を決める。ここはもう、あの力を使うしかないと。その手を組む。
だが、すぐに声が響く。シオの怒声が。
「やめろ! 冬華!」
その声に冬華の肩は跳ねる。背を向けているはずなのに、シオには分かった。彼女が今、何をしようとしているのか。冬華がどう言う性格なのか、これでも分かっているつもりだった。
クリスもそうだ。冬華が自分よりも周りを、大切にする人だと言う事を理解している。だから、背を向けたまま静かに告げる。
「私達を信じてください。必ず、何とかしますから」
膝を震わせ、ゆっくりと立ち上がる。地面に突き立てた剣を支えにして。それに遅れて、シオもゆっくりと立ち上がる。左膝に手を置き、表情を歪めて。
二人の姿に冬華は俯く。唇を噛み締め、拳を握る。クリスが居る。シオが居る。水蓮も。なのに、自分一人で悩み、一人で何とかしようと考えていた。もっと、二人を頼っていいんだ。そう思い、瞼を堅く閉じる。
握られた拳の力が抜ける。強張っていた肩が和らぐ。口から漏れる吐息が、白く染まる。突然、冷気が漂う。空気が凍り、霧が足元に揺らぐ。そして、その手に姿を見せる。冬華の背丈程の白い柄が。
それを冬華は地面へと突き立てる。重々しい音と共に地面が砕け、砕石が舞う。その音にクリスとシオの視線が冬華へと向く。その手に握られた槍。その蒼く透き通る様な刃が空へと向けられ、光を浴び美しく輝く。
氷河石から生まれた槍。それを、冬華はゆっくりと構え、目の前の魔族を見据える。
「私も、戦う。二人と一緒に」
「これは、鍛錬じゃねぇーぞ。分かってるな」
「うん。大丈夫」
「私達も出来るだけサポートしますが、気をつけてください」
クリスの言葉に冬華は小さく頷き、槍の先を獣魔族へと向ける。
静寂。波の音だけが響く。見据える。目の前の敵を。
静かに地面に突き立てた剣を抜くクリス。
左膝から手を離すシオ。
漂う冷気が二人の足元まで届く。この冷気は氷河石から生まれたあの槍が発生源。恐らく、氷の属性を持つ槍。クリスの使う火の属性を持つ剣とは対照的な武器。
数秒。静寂が続いた。すでに動き出す魔族側。地を蹴るのは三人の獣魔族。両端の二人が左右に散り、クリスとシオへと駆ける。そして、中央に佇む赤い髪の青年。彼が、冬華へと走り出す。その指から鋭利な爪を剥き。
加速。それは、足の爪を地面に突き立て行う行動。獣魔族だからこそ出来る芸当。初速から一気にスピードに乗る。
同じ獣魔族であるシオは、それを迎え撃つ。同種だから分かる。その加速の秘密も、その欠点も。故に、彼は右拳に精神力を集め、腰を低くする。左足が一歩踏み出され、自然と左肩が前に出る。腰の位置に構えた右拳が引かれ、上体が捻られた。
それからは、一瞬。迫り、牙を剥く獣魔族へと、彼は放つ。その拳を。
「獅子爪撃」
踏み出された左足に全体重を乗せる。上半身が自然と前方へと倒れ、同時に捻られた体が解き放たれる。左肩が後ろ引かれ、右肩が前へ。そして、打ち抜く。精神力を纏ったその拳が獣魔族の腹を。
激しい衝撃。鈍い音。獣魔族の体が宙を舞う。鮮血と共に。地面に刻まれた深い爪跡。シオの背後に薄らと見える獅子の残像。
微量の砕石が舞い、足元に漂う霧すらも切り裂く。その一撃。名の通り、獅子の爪。精神力によって生み出された獅子の残像。まるでその獅子が爪を振り下ろしたかの様に爪痕が、獣魔族の体にも刻まれていた。赤く三本の線が。腹と背中の両方に。
別に、体を貫いたわけではない。腹に出来たのは打ち込む時に。背中に出来たのはその衝撃が突き抜けた時に。
獅子爪撃。アレは、元々直接体内に打ち込む技。拳にまとった精神力。それを鋭利な爪の様にして。その衝撃は体内を破壊し、背中を突き抜ける。それが背中にも傷跡を残す理由。
衣服は裂け、肌がむき出し。その体はすでに緑色に変色していた。二度、三度と獣魔族の体がバウンド。そして、仰向けに倒れたまま、動きを止める。僅かな埃だけが舞い、血が広がる。赤黒い濁った血が。
薄らと開いた口から静かに息が吐き出される。左膝が小刻みに震え、そこを覆っていた精神力の光が点滅。やがて消滅。同時にシオは地面へと倒れた。
時間切れ。二度のブレス。獅子爪撃の衝撃。素早い動き。これにより、左膝を覆っていた精神力が切れた。効果時間約五分。今はこれが限界だった。
膝を押さえ、顔を上げる。見据えるのは倒れる獣魔族。会心の一撃だった。手応えも。だから、確信はある。アイツはもう立てないと。だが、何故か胸騒ぎがし、眉間にシワを寄せる。
轟音が大地を揺るがし、激しく土煙が舞う。土煙の中から飛び出す影。束ねていた銀髪が解け、大きくなびく。
額から流れ出る血。それが、僅かに宙を舞う。
端整なその顔が苦痛に歪む。手にしていた剣が消え、再び両手に一本ずつ剣が召喚される。それを、体の前で交錯させ、両足で着地する。両足が地面を滑り、激しく土煙が舞う。顔を上げたまま、正面を見据えるクリスは、交差させた二つの剣を大きく振り抜く。
「クロスブレード!」
刃同士が擦れ合い、火花が散る。疾風が駆け、鋭い風の刃が交錯し飛ぶ。
クロスブレード。双剣の基本的な技。しかし、クリスはこれを苦手としていた。その理由は――。
土煙の中から遅れて飛び出す獣魔族。彼に迫る疾風の刃。だが、それは突如揺らぎ、獣魔族に直撃する前に消滅する。地面を僅かに抉って。
クロスブレードは両方の剣に同等の力を込め放つ。彼女は左右の腕力が極端に違う。故に、同等の力を込めたつもりでも、微妙なズレを生じ上手く発動できないのだ。
「チッ!」
舌打ち。そして、彼女へと獣魔族が鋭い爪を振り抜く。鋭く素早い連続攻撃。それに対し、彼女も両手の剣で交互に捌く。一撃一撃が速くそれで居て重々しい。体はジワジワと押される。爪と刃がぶつかり合い、幾重にも重なる金属音。澄んだ音を奏で、火花は宙を彩る。
一方的な獣魔族の攻撃。凌ぐクリス。額から流れていた血が凝血し、代わりに汗が流れ出す。白銀の髪が何度も散る。彼の爪が、何度も髪を掠めていた。それだけ、ギリギリの状態。それでも、クリスの視線は真っ直ぐ獣魔族を見据える。
隙を狙っていた。幾ら、獣魔族と言っても無尽蔵に体力があるわけじゃない。攻撃を続けていればいつか。だが、攻撃は続く。疲れなど一切見せず。
このままでは先に体力が尽きる。そう考えたクリスは、勝負に出る。
獣魔族の爪を弾き、後方へと跳ぶ。距離を置く為に。もちろん、獣魔族は離されまいと距離を詰める。刹那――
「紅蓮二刀!」
クリスが叫ぶ。大手を広げ。
二本の刃を炎が包む。螺旋を描く炎が。火の粉が舞い、静かな視線が獣魔族へと向く。その静かな眼差しに、距離を詰めようとした獣魔族は反射的に後方へと跳ぶ。自我を失っても尚、野生の勘がそうさせたのだ。
それに遅れ、クリスの上半身が捻られる。
「炎陣!」
叫ぶと同時に、彼女は回る。左足を軸にして。紅蓮の刃が大きな螺旋を描き、やがて、空へと登る。紅蓮の渦が。
その炎の渦に更に距離を取る獣魔族。そして、その炎の渦がそれ以上大きくならないと言う場所で待機する。
渦の中。クリスは静かに息を吐く。高熱に包まれ、意識はもうろうとする。それでも、彼女は気力で耐える。
炎陣は回転を利用し、炎の渦を生み出し周囲全体へと攻撃を仕掛けるモノ。よって、多勢を相手にする時に効果を発揮する。一対一の戦いでは殆ど意味の無い技。そんな技をクリスが使用した理由。それは、間を置く為。そして、決着を着ける為。
熱を含んだ息を吐き出し、彼女は両手に握った剣を消す。天を見上げる。炎の円の合間に覗く青い空を。ゆっくりと瞼を閉じ、その手に一本の剣を再召喚。それを両手に握り、頭上に掲げる。
紅蓮の炎がその刃を包み、炎の渦は徐々に弱まる。深く息を吐き出すクリスは静かに唇を動かす。
「紅蓮一刀――」
刃を包む炎の火力が上がり、やがて消える。その刃を朱色に染めて。高熱を宿す刃が白煙を噴く。
炎の渦が完全に消える。それと同時に駆ける。獣魔族が。その爪を地面へと突き立て、加速する。迫る獣魔族。その爪に精神力が込められ、薄く輝く。
両者の距離が縮まる。獣魔族の鋭い爪が振り抜かれ、遅れて、クリスの剣が振り下ろされる。
「――火斬!」
交差した爪が振り下ろされた刃と触れる。刹那、爪は切断される。高熱を帯びたその刃で。体ごと。
止まる事無く一直線に剣は地面を叩く。赤い線が獣魔族の体へと刻まれ、鮮血が炎と化し噴出す。そして、炎が彼の体を包む。足元の地面を砕き噴き上がった火柱によって。
炎に包まれる獣魔族。衣服が燃え、髪が燃え、皮膚がただれる。腕を伸ばす。だが、その手がクリスまで届く事はなかった。体は朽ちる。炎に焼かれ。崩れ行く。
それを見届けクリスは静かに息を吐いた。白銀の髪は美しく輝き、熱風で揺れる。
しかし、彼女はよろめく。ブレスのダメージがまだ残っていた。それに加え、精神力を消耗し疲れが出たのだ。眉間にシワを寄せ、表情をしかめる。膝が落ち、俯く。それでも、すぐに視線は上がった。まだ自我を失った魔族は居る。ここで力尽きるわけにはいかないと。