第82話 バラバラ遺体
翌朝。
宿の一階で珍しく三人揃い朝食を食べていた。
この宿の一階は食堂になっている。宿泊している者は皆、無料で食事が出来る場所だ。もちろん、冬華達も利用しているが、三人で揃ってと言うのはこれが始めてだった。
冬華を挟む様にシオとクリスが対面に座る。テーブルに並ぶのは、二つの握り飯に焼き魚。そして、味噌汁に漬物と、素朴なモノ。この大陸ではお米が主食。その為、朝食もこうして和風なモノとなっていた。
寝癖でボサボサの金色の髪。それが、ウツラウツラと前後に揺れる。虚ろな眼のシオ。朝から、水蓮の道場で教わった精神統一を行い、疲れ切っていた。
一方、その対面に座るクリスは、全てが整っていた。白銀の長い髪はキチッと頭の後ろで留め、目も冴え凛とする。今日も朝早くに外に出ていたが、全く疲れなど見せていない。
対照的な二人の間に挟まれる冬華。十分に睡眠はとった為、血色も良く体調は優れていた。セミロングの黒髪も寝癖一本立っていない。今日は完璧な状態だった。
静かな食事が進む。テーブルの端に本とメガネが置いてあった。クリスが持ってきたモノだ。本の大分後ろの方に栞が差してあり、料理が運ばれるまでにそこまで読み進めたのだ。
その読む早さに冬華はただただ驚いた。料理が運ばれてくるまでものの数分。それで、分厚い本の三分の二を読み終えている。自分には絶対に無理な芸当だと、驚き苦笑していた。
もちろん、読み飛ばしているわけではない。全てのページに目を通し文字を追っていた。だが、気になる点が無く、その手が止まる事は一度も無かった。それが、短い間にあそこまで読めた理由だった。
握り飯を一つ食べ終えたクリスが静かに息を漏らす。情報が少ない。この大陸で何があったのかは、おおよそ理解した。しかし、本に書かれてあった事が全て事実とは限らない。大陸が海に沈んだと言う点は事実だが、それを魔族がやったと書かれても信憑性に欠ける。
その本の内容を全て信じているわけでは無い。だが、クリスは気になっていた。その後の事が。魔王はどうなったのか。倒されたとするなら、一体誰が倒したのか。謎だけが残り、胸の奥がモヤモヤとしていた。
複雑そうな表情のクリスを冬華は横目で見据える。
「どうかしたの?」
静かに尋ねる。すると、クリスは一瞬慌てた表情を見せたが、すぐに笑みを作った。
「いえ。何でもありませんよ。昨夜読んだこの大陸の歴史書を思い出していたんです」
「へぇー。歴史書……。何か分かったの?」
「まぁ、真実かは分かりませんが、大陸が沈んだ理由が書かれていました」
困り顔でクリスは告げる。ギルドに保管されている本だけあって、内容は下手に口外出来ない。もちろん、それが信頼出来る親しい人でも。
困った表情を見せる彼女に、冬華も気付く。これは、聞いちゃいけない事なのだと。だから、「そっか」と素っ気無く答え、微笑んだ。
そんな静かな食堂に、二人組みの男が入ってきた。一人は細身で黒髪。もう一人はぽちゃとした茶髪。二人共和服に刀をぶら下げていた。
「しっかし、酷い有様だったな」
細身の男が席に着くなり低い声で呟く。その声に、冬華もクリスも耳を澄ませる。そして、シオも本能的に獣耳をピクッと動かし、聞き耳を立てる。
そんな事とは知らず、ぽちゃっとした男は対面に座り答えた。
「正体不明の獣に続いて、バラバラ遺体……おっそろしい世の中になったな」
「だな」
小さく相槌を打つ細身の男。そして、二人は笑う。
訝しげな表情を浮かべる冬華とクリス。そんな騒ぎが起こっているとは知らなかった。今朝、クリスは町を散策していた。だが、その様な騒ぎは耳にしていない。散策していない場所で起こった事件だろう。
腕を組み考え込むクリスは、静かに鼻から息を吐く。まだ情報が少なく、考えてもしょうがないと。
「どう思う?」
突然、冬華が尋ねる。すると、クリスはテーブルへと肘を置き、顔の前で手を組む。
「詳しくは分かりませんが、何かがあったと言うのは」
小声で答えた。小さく頷く冬華は腕を組み天井を見上げる。
「とりあえず、一度、見に行きますか? 気になりますし、情報も集めておきたいですし」
「うーん……。あんまり、血生臭いのは……でも、クリスが行くなら私も行こうかな」
「私は別に一人でも……」
複雑そうな表情でクリスは呟く。しかし、その声は冬華には届かず、ニコニコと笑みを浮かべていた。そして、シオは――テーブルに突っ伏す。皿に残っていた握り飯を顔に押し付けながら。
「何で、オイラまで……」
面倒臭そうに頭の後ろで手を組むシオが、目を細め大きな欠伸を一つ。すると、その隣りを歩く冬華が「えへへ」と笑い告げる。
「まぁまぁ。シオも気になるでしょ? 何があったのかって?」
「べーつにっ」
視線を外しそう言うと、冬華は苦笑する。
冬華達は町を散策していた。情報収集と今朝聞いた事件の確認をする為に。
いつも通りの制服姿の冬華。軽装で動きやすい服装のクリスとシオ。冬華を挟み、横並びで足を進める。右に居るクリスへと冬華は目を向けた。真剣な表情で考え込むクリスの横顔。凛とし美しいその顔に冬華は見とれる。女でも見とれてしまう程、彼女の考え込む姿は様になっていた。
考え込むクリスはその視線に気付き、冬華へと目を向ける。二人の視線が交錯し、冬華は慌てて視線を逸らし苦笑した。
「どうかしたんですか?」
「う、ううん。べ、別に」
「そ、そうですか?」
慌てて返答する冬華へと訝しげな表情を浮かべる。しかし、またすぐに考え事へと戻った。
そんなクリスを横目で見据える冬華は、小さく吐息を漏らす。全てにおいて負けている。顔も、スタイルも、その強さも。だから、自然とため息が零れた。何をとっても完璧な人が世の中には居るんだと言う事を感じて。
深くため息を吐き、冬華は肩を落とす。その左隣りを歩むシオは耳をせわしなく動かしていた。周囲の人の声。それを聞き取っていた。獣魔族のシオは耳がよく、周りの音が人よりも良く聞こえる。その為、色々な情報を得ていた。
この国の近衛兵が数十人殺された。しかも、鋭利なモノで全身を切り刻まれて。この大陸でも優秀な部類に入る彼らを切り刻む程の者。それが、この町に居ると言う恐怖に町の人々は不安を口にしていた。おまけにこの大陸の象徴である紅桜の木も、幾つか切り倒されていたと言う。
耳を動かし渋い表情を浮かべるシオ。何か、妙な感じがしていた。あの魔術師や遅れる弾丸を使う者。彼らと同じ感覚。それが、町中至る所から渦巻いていた。その為、シオは周囲を警戒し耳を澄ませていたのだ。
両端の二人が黙り込み、冬華は困っていた。妙に空気が重い。そう感じていた。クリスも深刻な顔で考え込み、シオも何処か怖い顔をする。
落ち着かない様子の冬華。彼女は、二人の顔を交互に見ながら足を進める。しかし、程なくして肩を落とす。もう自分ではこの空気は変えられないと。そして、静かにその身を縮めた。
暫く歩き続ける三人は、ようやく目的の場所へと辿り着く。すでに多くの兵が集まっていた。僅かに漂う異臭。血の臭いと腐敗臭が混ざり合う強烈な臭い。その臭いに集まった野次馬も皆、嫌な顔をしていた。
「あそこで切り裂き事件があったのかな?」
冬華の視線が兵達の後方へと向く。そこはワラが山積みにされていた。そして、その下からは血が染み出ている。鼻を摘むシオは訝しげな表情で呟く。
「マジだったみたいだな。あの話」
「人が切られたってやつ?」
彼の言葉に冬華が顔を向け尋ねる。すると、彼は小さく頷く。
「ああ。しっかりと血の臭いがする。しかも、大量の血の臭いが」
「じゃあ、あの山積みのワラは……」
唾を呑み込み冬華は表情を引きつらせる。あのワラの下には切り裂かれた肉体が――。そう思うと気持ち悪くなり右手で口を覆う。
腕を組み、右手を顎へと添えるクリスは殺気立っていた。以前にもこの様な光景を目の当たりにした事を思い出す。それは、南の大陸ゼバーリック大陸、大商業都市ローグスタウン。そこで目にした光景。それが思い出される。切り裂かれた一人の少女の姿を。
「…………」
「クリス? 大丈夫?」
怖い表情を浮かべるクリスに冬華は恐る恐る尋ねる。何を考えているのか分からないが、その顔は怖かった。冬華の声で我に返ったクリスは、瞼を閉じ小さく息を吐く。自らの心を静める様に。そして、ゆっくりと瞼を開き、いつもの様に笑みを浮かべる。
「すみません。ちょっと考え事を……」
無理に作った様な笑顔。そんな彼女に冬華は不安を感じる。嫌な予感、胸騒ぎ。唐突にそれらが冬華を襲った。何か大変な事が起こる。そんな気がしてならなかった。
胸の前で手を組み俯く冬華。その視線の端に僅かに映る。和服姿の者達に混ざる一人の男。結った長い黒髪が揺れ、下駄が鳴る。その下駄の音が冬華には鮮明に聞こえた。
視界の端に僅かに見えた足。冬華の視線は彼の足を追い、自然と視線が上がる。僅かに見えるその後姿。以前に冬華はその姿を目撃している。自分が召喚されてすぐ、イリーナ城の廊下ですれ違った男。セルフィーユがその恐怖におびえた。その姿を冬華は思い出す。
しかし、冬華は見失う。男の姿を。和服の人が多いからと言うわけではない。完全に消えていた。冬華の目の前から。その姿も気配も。まるで初めから居なかった様に。