第76話 一撃
大刀を包む紅蓮の炎。溢れ出す精神力は光となり散り、夜空を彩る。
頭上に構えた紅蓮の炎に照らされ、クリスの白銀の髪が赤く色づき顔に影が浮かぶ。険しい鋭い眼差しを目の前に佇む屍の武者へと向ける。一帯を明るく照らすその炎。火の粉が僅かに散り、炎が揺らぐ。
精神力を練る間、武者は静かにクリスの姿を見据えていた。まるでどんな攻撃をされようが問題ないと言う様に、不適にジッと微動だにしない。
恐ろしく静かで恐ろしく長く感じる数分が過ぎ、クリスは右足を踏み出す。
「紅蓮大刀――」
クリスの声が静かに響き、振り上げた大刀を取り囲む炎の火力が爆発的に上がる。迸る火の粉。町を照らす炎。その炎が対峙する武者の顔をも照らす。
奥歯を噛み締め、全体重を踏み込んだ右足へと乗せ、クリスは叫ぶ。
「――極炎!」
大刀が振り下ろされる。切っ先が地面を打ち砕き、刃を包んでいた炎は一直線に放たれる。渦を巻き空気中の酸素を吸収し、更に火力を上げながら。煌く紅蓮の炎が地面を抉り一気に武者の体を飲み込み、そのまま突き抜ける。夜の街に紅蓮の線が描かれ、やがて凄まじい衝撃が壁へと激突した。
地面へと切っ先を減り込ませ呼吸を乱すクリスは、肩を大きく揺らし額から溢れる汗を拭う。精神力を大量に消費し、疲労からその場を動く事が出来ず、口を大きく開いたまま苦しそうな表情で正面を見据える。
炎が突き抜けたその場所。抉られた地面には僅かに炎が揺れ、黒煙が立ち昇る。目の前に人影は無く、クリスは安堵した様に肩の力を抜く。
だが、次の瞬間、クリスは目を疑う。地面が突如盛り上がり、地中から細い腕が飛び出したのだ。そして、ゆっくりと地中から這い出る。屍の武者が。確かに極炎は直撃した。なのに何故――。そう思うクリスへと、カタカタと歯と歯をぶつけ笑う武者がその手に持った刀を振り抜く。
鈍い金属音が響き、地面に突き刺さっていた大刀が土を巻き上げ弾かれる。僅かに散る火花。奥歯を噛み締め、表情を歪めるクリス。そして、不適に歯をぶつけて笑う武者。
二人の間に生まれる静寂。時が止まった様に静まり返り、眩い光が視線の隅に感じる。一瞬、時が止まる。そんな錯覚の中、クリスの視界から突如として武者の姿が消える。目の前を通過した光と共に。
何が起こったのか分からぬまま、全ての時が動き出す。轟音が静けさを裂き、隣の建物が崩壊し激しく土煙を巻き上げた事によって。驚くクリスは息を呑み、視線をゆっくりと光が放たれたであろう場所へと向ける。それは、あの中央広場。美しく薄紅色の花を咲かせる大木。その影に薄らと見える。小さな少女の姿。体を覆う薄い光が消え、彼女の体がゆっくりと倒れる。
「冬華!」
クリスは叫ぶ。脳裏に浮かぶ。あの時の光景。イリーナ王国で、冬華が行った神の力を使用した時の光景。あの力を使わせない為に、自分はここに居るはずなのに。何をやっているんだと。自分を責める。胸を裂く様に大きな心音が体内を駆け巡り、クリスは駆け出す。
崩壊した建物。その土煙の中輝く一本の槍。頭を貫き、槍と共に地面に串刺しにされた武者の体から黒い霧が静かに消え、その肉体は朽ちた。そして、突き刺さっていた槍も光となり消える。何も無かった様に。
翌日、町は騒然としていた。度重なる爆音。抉られ深い爪跡の残された地面。崩壊した建物。そして、紅桜の大木に刻まれた深い亀裂。何かの襲撃を受けたのではないかと言う噂が流れた。
宿のベッドに横たわる冬華。あの後、クリスに抱きかかえられ、ここまで辿り着いた。シオは何とか自力で部屋まで辿り着いたが、その後はソファーに倒れこみ深い眠りに就いた。クリスも同じくベッドに倒れこみすぐに眠りに就き、目を覚ましたのは騒ぎ起つ人々の声でだった。
「んんっ……。こ、ここは……」
霞む視界の中でクリスはそう静かに呟いた。記憶が曖昧だった。あの後どうなったのか、あの武者は。色々と考え、クリスは小さく息を吐き瞼をもう一度閉じる。擦れるシーツの音だけが部屋の中に響く。
金色の髪の合間から覗く獣耳をピクリと動かしたシオは、ゆっくりと体を起こす。体を動かすと左膝に激痛が走り、シオは表情を歪め声を押し殺す。
「――っ……」
表情を歪めたままシオは左膝を抱え唇を噛み締める。戦う度にこの激痛を耐えなければならないと考えると、悔しくて仕方なかった。
そんなシオの呻き声が僅かに耳に届き、冬華は静かに瞼を開く。ボンヤリとする意識の中、天井をジッと見据える。あの時、冬華は神の力を使用した。蹲るシオの姿、弾かれるクリスの姿を見て。咄嗟にその力を使用した。数秒――いや、零コンマ何秒かの一瞬だけ。だから、体への負担は少なく、腕も足も動く。それに、痛みも無かった。
小さく息を漏らす冬華は瞼を閉じ鼻から静かに息を吐く。静かな部屋の中、聞こえるのは三人の呼吸音だけ。そんな中で、突如として響く。冬華のお腹の音が。
静けさ漂う中に響いたその音に、クリスもシオも思わず笑いを噴出した。左膝の痛みなど忘れ――、疲労感を忘れて。
「むーっ。笑う事ないじゃない!」
ベッドから体を起こし頬を膨らし怒鳴ると、クリスは笑いながら体を起こす。
「ふふっ……それじゃあ、何か食べに行きましょうか?」
「も、もうっ! だから、笑わないでって」
両拳を振り上げ子供の様に怒鳴る冬華にクリスは「す、すみません」と口元を押さえ肩を震わせ言う。更に頬を膨らし、恥ずかしそうに顔を赤くし俯く冬華は唇を尖らせ「生き物は皆お腹が空くモノなんだよ」と小声で呟く。
左膝を抱えるシオは静かに体を起こすと、幼い子供の様に無邪気な笑みを浮かべる。
「しっかし、あんがい大食いだな。昨日も大分団子食べてたみたいだし」
「し、シオ!」
口元へと人差し指を当て慌てる冬華だったが、時すでに遅し。「ほーっ」と静かなクリスの声が響き、部屋の体感温度が僅かに下がった。引きつった表情を浮かべる冬華は静かにクリスの方へと顔を向け、シオもしまったと目を細めクリスを見据える。二人の視線の中で、クリスは胸を持ち上げる様に腕を組むと、静かな口調で尋ねる。
「私が一生懸命、ギルドでの仕事をしている間に、二人は楽しく団子を食べていたと?」
「い、いや、ちょっと迷子になって……」
「迷子になって団子を食べていたと?」
「え、えっと……」
クリスの静かな問いかけに冬華はシドロモドロに返答すると、シオが耳を掻く。
「まぁまぁ。冬華だって反省してるんだし――」
「いや! あんたも同罪だから!」
シオの言葉に対し、冬華が即座に突っ込むとシオは面倒臭そうな表情で冬華を見据え、
「同罪も何も、最初に団子を奢ってもらったのはお前だろ?」
「わわっ! し、しぃーっ!」
慌てる冬華がもう一度口元に人差し指をあてる。青筋を浮かべるクリスは、笑顔を作りながらも静かに怒りの込められた声を発する。
「へぇーっ。私が一生懸命働いている最中に、二人は人のお金で楽しく団子を食べていたと?」
「い、いや、その……」
視線を逸らし口ごもる冬華は天を仰ぐ。もうダメだと。
口を噤み表情を歪めるシオ。またやってしまったと、眉間にシワを寄せる。
静寂の中で、クリスは静かに吐息を漏らすと、肩の力を抜く。
「まぁ、終わった事は流すとして……今度からは人に迷惑をかけないでくださいね」
腰に手をあてもう一度深くため息を吐くと、冬華は「ごめんなさい」と小声で謝った。一方でシオは悪びれた様子も無く鼻を掻き遠い目をして窓の外を見ていた。
ムスッとした顔でそんなシオを睨む冬華は「全く」と誰にも聞こえない声で呟き息を吐いた。
「では、早速団子屋に行きましょうか!」
「えっ? で、でも……」
「何ですか? 二人は美味しい団子を召し上がったのに、私は食べてはいけないのですか?」
「そうじゃねぇーけど、朝食に団子って……」
冬華とシオは顔を見合わせ苦笑する。朝から食べるモノではないだろうと二人は思っていたのだ。訝しげな表情を浮かべるクリスはそんな二人の顔を交互に見据える。
「……嫌なのか?」
「い、いえ……」
「喜んで……」
クリスの静かな口調。爽やかな笑顔に冬華とシオは静かにそう返答し、今朝から団子を食べるはめになってしまった。