第74話 夜を彩る紅桜(こうおう)
水蓮に団子をご馳走になり宿へと戻った冬華とシオ。
時刻はすでに夕刻。陽が陰り、空を星が彩っていた。
暗がりの部屋へと入った冬華はすぐに部屋の明かりを点け、それと同時に「うわっ!」と悲鳴の様な声を上げた。その声に驚いたシオは慌てて部屋へと駆け込む。
「ど、どうした?」
部屋へと駆け込んだシオも、その光景に「うおっ!」と声を上げた。
二人の視線の先に映るのはベッドへと腰掛け両肩を落とすクリスの姿だった。下ろした白銀の髪が、開かれた窓から入り込む風で揺れる。呆然とし唇が小さく動き何かをブツブツと口ずさんでいた。不のオーラをその背中から放つクリスの姿に二人は顔を見合わせる。
あまりの落ち込み様に冬華もシオも声を掛ける事が出来ず、暫く部屋には重苦しい空気が漂っていた。ギルドで一体何があったのか分からないが、よっぽどショックな事があったのだと二人は悟った。
静寂の中でベッドに腰掛ける冬華は、そこに居づらそうにキョロキョロと視線を動かす。挙動不審な行動を取る冬華をソファーから見据えるシオは呆れた様に笑っていた。それ程、冬華の動きが面白かったのだ。
そんなシオに気付いた冬華は頬を膨らせると、口をパクパクと開閉し、ジェスチャーを交え何かを伝えようとしていた。わけの分からない行動を取る冬華へと目を細めるシオは、口をあんぐりと開け首を傾げる。全くシオには通じていなかったが、冬華が口パクとジェスチャーで伝えようとしたのは『クリスの事なんとかしてよ』だった。
シオに全く伝わっていないとその表情から汲み取った冬華は俯き両肩を落とした。疲れ切った表情を浮かべる冬華は身を投げ出す様にベッドへと倒れ込んだ。ぽふっとベッドが音を起て、僅かな埃が舞う。天井を見上げる冬華は「ふぅーっ」と息を吐き瞼を閉じた。
静かな時の中で、時計が時を刻む音だけが部屋に響く。その音に耳を傾ける冬華の小さな胸が呼吸する度に僅かに上下に動く。静かな呼吸音にシオは獣耳をピクッと動かし、視線を冬華の方に向ける。ジト目を向けるシオは呆れた様に首を傾げ小さくため息を吐いた。
(あいつ……寝たな……)
ムスッとした表情を冬華へと向けシオは渋々と頭の後ろで手を組みソファーに横になった。この空気に耐え切れず冬華の様に寝て時間を過ごす事にしたのだ。だが、いざ寝ようとすると中々寝る事が出来ない。気になってしょうがなかった。
体がウズウズし、何度も寝返りをうつ。それも、眠れず、やがて大きく体を跳ね上げる様に起こすと、クリスの方へと目を向ける。未だに不のオーラを出すクリスの唇は静かに動きブツブツと言葉を紡ぐ。苛立つシオはソファーから立ち上がると、声を上げた。
「だぁーっ!」
「ふぇっ! な、な、何?」
シオの叫び声にベッドから飛び起きた冬華は慌てて周囲を見回す。落ち込んでいたクリスも顔を上げジッとシオの姿を見据える。二人の視線を浴びるシオは、ソファーへと仁王立ちし、大声で怒鳴る。
「なんなんだよ! さっきから! 不のオーラ全開で!」
クリスの顔を指差し怒鳴るシオに、クリスは不満そうな表情を浮かべ眉間へとシワを寄せる。
「何で、私がお前にそんな事言われないといけないんだ!」
「うっせぇっ! ウジウジと何があったかしんねぇーけど、鬱陶しいんだ!」
「し、シオ! もう少し、オブラートに包んで――」
「オブラート? 何だそれ?」
冬華がシオとクリスの間に慌てて割ってはいると、シオが不思議そうな顔でそう聞き返す。ここで冬華は思い出す。ここは異世界で、元々自分が居た世界とは別の世界だったと言う事を。表情を引きつらせ、硬直する冬華は、ぎこちなくゆっくりとクリスの方へと体を向ける。まるでシオの質問を無視する様に。
背を向けられ不快そうな表情を一瞬見せたシオだったが、すぐに小さく息を吐き肩を竦め首を左右に振った。
冬華と視線を交錯させるクリス。その瞳が僅かに揺らぎ、視線を逸らす様に俯く。違和感たっぷりのその動きに冬華は目を細めると、ムッとした表情で問う。
「何かあった? ギルドで?」
「い、いえ……」
「本当に?」
問い詰める様にクリスににじり寄ると、クリスの表情が歪む。その表情に冬華が目を細めジッとクリスの顔を見据える。
疑いの眼差しを向ける冬華に、耐え切れずクリスは小さく吐息を漏らし両肩を落とすと、伏せ目がちな眼差しで遠くを見据え、静かに口を開く。
「資金を集める為とは言え、あの様な格好で接客をするはめになるとは……」
「接客? あのような格好?」
首を傾げる冬華に、クリスは静かに自分が行った今回の仕事を語った。
「なははははっ!」
話を聞き終えたシオは腹を抱え、ソファーの上をのたうち回る。一方で、冬華は「何だ……」と呆れた様な安心した様な表情を浮かべ、ホッと胸を撫で下ろす。だが、その言葉に対し、クリスは「な、何だとは何ですか!」と僅かにその目に涙を浮かべ怒鳴った。
そんなクリスへと苦笑する冬華は「ごめんごめん」と謝り、ベッドへと腰を下ろす。
「着物で猫耳付けて接客なんて、楽しそうなのに」
「楽しい事なんてありません! 私は、騎士なんです! 何で、接客なんて……」
涙ながらに抗議するクリスに、冬華は一人苦笑した。
今回、クリスが行った仕事。それは、この町にある猫耳喫茶と呼ばれる店で着物を着て、猫耳を付けての接客をさせられたのだ。それは、騎士として育ってきたクリスにとっては初めての事で、これ以上無い屈辱だった。それしか仕事が無かった為に引き受けたが、終わった後に残ったのは羞恥心だけだった。部屋に戻って我に返ったクリスの心は折れ、呆然としていたのだ。
顔を赤く染め珍しく可愛らしく頬を膨らせるクリスは、ベッドに腰掛け窓の外へと視線を向けた。不貞腐れた様子のクリスの背中を見据え、冬華はクスクスと笑う。一方で、ソファーで馬鹿笑いを続けるシオは「ひぃーっ! ひぃーっ!」と苦しそうに胸を押さえ呼吸を繰り返す。よっぽど想像出来なかったのだろう。クリスが着物で猫耳を付けて接客する姿が。
それから暫く、シオの笑い声が鳴り止む事は無かった。
「はぁ……はぁ……」
ソファーにうな垂れる様に横たわるシオ。笑いすぎて、腹が痛く胸が苦しかった。金色の髪は激しく乱れ、天井を見上げたまま微動だにしない。
静まり返ったその一室。相変わらずクリスの機嫌は直っておらず、窓の外をジッと見据えたまま。ベッドに座り二人の様子を窺う冬華は小さく鼻から息を吐くとベッドに横たわる。とりあえず、このまま寝てしまおうと。
沈黙が漂う中でクリスは気持ちを吹っ切る様に深く息を吐くと、ゆっくりと立ち上がる。その動きに冬華も静かに体を起こしクリスの方へと視線を向けた。
「どうかしたの?」
「いえ。これから、ギルドの仕事が……」
「えっ? ギルドの? でも、こんな時間だよ?」
「えぇ。町を巡回する仕事があったので、それも受けたんです」
苦笑しながらそう言うクリスに、冬華は一瞬困った表情を浮かべるがすぐに笑みを浮かべ、パンと胸の前で手を叩く。その行動にソファーでうな垂れていたシオが冬華の方へと顔を向けた。
「んんーっ? どうかしたのかぁ?」
「クリスが巡回の仕事があるんだって」
「それが?」
訝しげな表情を浮かべるシオとクリスに対し、冬華は嬉しそうに笑みを浮かべベッドから跳ねる様に立ち上がると、「えへへ」と笑う。その笑顔にシオはジト目を向け、クリスは小さく首を傾げた。
深夜の街道を三つの影が小さな足音を響かせながら進む。頭の後ろで手を組み面倒臭そうに背を仰け反らせるシオは、薄い街灯の光に目を凝らす。
「何で、オイラも一緒に……」
ぼやくシオに対し、ランプを右手に持つ冬華は「まぁまぁ」と微笑む。そんな冬華と並んで歩むクリスは、頭の後ろで綺麗に留めた銀髪を煌かせ、いつもの様に凛とした風貌で周囲を警戒していた。
夜の街。昼間見る時とは大分変って見える町並み。夜の闇を彩る薄紅色の花びら。それは、昼間見る時よりも美しく見えた。不意に足を止めた冬華は、そんな薄紅色の花びらを満開にした木を見据え、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「どうかしたのか?」
足を止めた冬華へとシオがジト目を向け、小さく息を吐くと、冬華は懐かしそうにその木を見据え小さく首を振る。
「ううん。なんでもない。この木は元の世界にも似た木があるから、ちょっと懐かしいなぁって……」
「そうなのですか? この木は紅桜と言う木らしいですよ」
「こうおう? そうなんだぁ」
クリスの言葉に小さく二度頷く。その瞳に映る紅桜。その木に見入り、自分の世界を思い出していた。きっと元の世界に帰れる日が来るだろうと思いながら。