第72話 迷子の冬華と小さな侍
朝早くクリスは出掛けて行った。
この島にあるギルドを探すと言って。
そして、部屋に残された冬華は、寝癖でボサボサの髪を眠気眼で整えていた。
現在、早朝五時。まだ陽は海の向こうから少しだけ顔を覗かせている状態。そんな朝早くからクリスは出掛けていったのだ。ギルドの場所が分からない為、人の少ない内に歩き回って探すと。冬華はクリスが出した物音で目を覚まし、今に至る。朝からシャワーを浴びようと考えたが、流石に寝ているシオに迷惑だろうかと、それは止め髪をクシで静かに梳いていた。
眠そうに大きく欠伸をする冬華は、左手で口を覆い小さく息を吐く。これからどうするかを考え、鏡に映る自分の顔を見据える。暫くジッと自分の顔を見据えた冬華は、両手で顔を叩き「よしっ!」と声を上げ気合を入れる。
部屋に戻るとソファーの横に転がるシオの姿を発見した。寝ている最中に落っこちたのだろうと、冬華は口を押さえ笑い、ベッドから布団を持ってきてシオへとかぶせ、冬華は一人外に出る。昨日はあの大きな木に目を奪われ気付かなかったが、ここクレリンス大陸は何処か日本に似ていた。木造建築、瓦屋根の建物、そして、和風の着物を着た人々。何処か昔の日本の様に感じる。
ボンヤリとその光景を見ながら冬華は歩みを進めていた。見知らぬ地だが、懐かしく思いながら足を進める冬華はやがて、気付く。
「アレ? ここ……」
迷子になった事に。呆然と立ち尽くし「アレ?」と小首を傾げる冬華。こんなはずではと、思うが間違いなく迷子だった。キョロキョロと辺りを見回し、腕を組む。自分が迷子になったなどと信じたくなかったが、紛れも無い事実を受け入れ、冬華は両肩を落とし深く息を吐く。
「ま、迷った……」
目を細め、今にも泣き出しそうな冬華は、右を見て左を見てから正面を見据える。確かにブラブラと歩いていたが、自分が歩いてきた道はちゃんと記憶している自信はあるが、何処を見ても同じ様な建物の為、わけが分からなくなっていた。
十字路で暫し立ち往生する冬華は、あっちにウロウロこっちにウロウロと行ったり来たりを繰り返していた。
「お、おかしい……私はどうして迷子に……」
方向音痴だと言う自覚の無い冬華はボソリと呟くと、右肘を左手で押さえ、右手を口元へ持って行き、俯き考える。何故自分が迷子になったのかを。そして、記憶を辿る。通ってきた道筋を思い出す為に。
「えっと……たしか、団子屋があった!」
記憶の中から、団子屋と言うキーワードを導き出した冬華は、十字路の全ての道を見据える。不幸な事に、全ての道に団子屋があり、冬華は「うっ!」と声を漏らし目を細めた。何と言う不幸だと、冬華は自分自身の運の無さを呪い、大きくため息を吐き、空を見上げる。あの時、空はまだ暗かったのに、今ではもうすっかり明るくなっていた。しかも、人の数も多くなり、行き交う人は奇怪な行動を取る冬華へと白い目を向ける。その視線がまた居た堪れなく、心が折れそうになった。
とりあえず、人通りの邪魔にならない様、十字路の隅へと移動した冬華は、膝を抱え座り込む。このまま歩いても道に迷うだけだろうと、考えたのだ。お金を持ち歩いているわけでも無いし、まさか身包みはがされるなんて事、街中では無いだろうと、思いながら。
膝を抱える冬華は、空を見上げ不意に思う。この世界でも空は青いんだなぁと。世界は繋がっていると誰かが言っていた事を思い出し、この世界はもしかすると自分の住んでいる世界に――と考えた後に冬華は呆れた様な笑みを浮かべ、頭を左右に振った。当然、繋がってるから今、自分はここに居るんだと思ったからだ。
膝を抱えて座っていると、不意に冬華の前で一人の少年が足を止める。腰に刀をぶら下げ、短い黒髪を逆立てた少年は、小さく首を傾げ、静かに冬華に尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「えっ?」
突然の事に、冬華が顔を上げる。大人しげなその表情に笑みを浮かべる少年。純粋そうな黒い瞳を輝かせる少年に、冬華は怪訝そうな表情を見せる。身長は冬華よりも遥かに低く、歳は随分と幼く見えるその少年の顔をジッと見据えていると、少年は照れ臭そうに笑みを浮かべる。
「な、なんですか? 私の顔に何かついてますか?」
「ううん。ついてないけど……」
怪訝そうな眼差し。身長は百五十いくかいかない位だろうか。絶対に自分よりも年下だろうと確信した冬華は静かに立ち上がると、少年の頭を右手で撫で笑顔で告げる。
「えへへー。実は、私、迷子に――って、違う違う。あの、宿を探してるんだけどー」
「や、やめてください! こ、これでも、私は十七なんです。子供扱いはやめてください!」
「えっ?」
少年の言葉に冬華は頭を撫でる手を止め、硬直する。驚いていた。この身長で十七だと言う少年の顔を真っ直ぐに見据えて。驚きのあまり言葉を失う冬華は、目をパチクリさせる。ムスッと頬を膨らす少年は、冬華によってボサボサにされた髪を両手で不慣れな手つきで直し、鼻から静かに息を吐き、着物の襟を掴みそれをただし、ゆっくりと口を開く。
「私は水蓮と申します。あなた様は?」
「私は冬華。冬の華って書いて冬華」
「冬の華……。それは、美しい名前ですね」
水蓮がそう言うと、冬華はキョトンとした表情を浮かべた。この言葉をセルフィーユに言った時は意味が分からないと言う風な顔をされたのにどうしてだろうと、考えていると、不意に正面の店の看板へと目が向く。そこには間違いなく漢字で飯屋と書かれていた。この世界の言葉を勉強し、読める様になっていた為、あんまり違和感なく見ていたが、間違いなくそれは漢字だった。
水蓮が自分よりも年上だったと言う驚きよりも一層驚く冬華は「えぇーっ!」と大声を上げる。その声で驚く水蓮は「ど、どうかしましたか?」と辺りを見回し返答する中で、冬華は看板を指差す。
「か、漢字……」
「漢字がどうかしましたか?」
「こ、この世界に漢字って……」
「あぁーっ。そうですか。漢字を見るのは……あれ? 初めてじゃないですよね? 先ほど、自分の名前は冬の華と書くと言ってましたし……」
困惑する水蓮は小首を傾げる。彼にとって、漢字とは極当たり前の事なのだろうが、冬華にとってこの世界で見る初めての漢字。驚いても当然だった。
数分後、冬華はようやく落ち着きを取り戻し、団子屋の赤い長椅子に座り団子を食べていた。混乱する冬華を冷静にさせる為に水蓮が取った苦肉の策だった。皿に盛られた十本のみたらし団子。その一本を口に運び、満面の笑みを浮かべる冬華。優しい甘さが口の中へと広がり、冬華は「んんーっ」と声を漏らす。久しぶりに味わうその甘さ、その食感。懐かしく思う。
みたらし団子を味わう冬華の姿に水蓮は困った様に笑っていた。
「よ、よく食べますね?」
「考えたら、朝食食べてなかったから……」
「そ、そうですか……」
表情を引きつらせる水蓮に、冬華は竹串を皿へと戻し、「そうだよぉー」と満面の笑みを浮かべた。
その後、更に数本のみたらし団子を平らげた冬華は、静かに水蓮と並んで道を歩いていた。
「それで、道に迷われたんですか?」
水蓮の一言で冬華は自分が道に迷った事を思い出し、渋い表情を浮かべる。現実に戻され、唇を尖らせる冬華は、小声で「ま、迷子じゃないもん」と呟くが、水蓮は失笑し「迷ったわけですね」と呆れた様子で呟く。その言葉に「迷子じゃないもん」と何度も呟き頬を膨らせる。よっぽど自分が迷った事を認めたくない様子の冬華。流石の水蓮もこれには笑うしかなかった。
困った様子で冬華と並んで歩く水蓮は、大きく開かれた袖口から右手を出し頬を掻く。そんな困った表情を見せる水蓮の横顔を見つめる冬華は申し訳なく思い静かに謝る。
「ご、ごめん」
「えっ? あっ、いいえ。謝らなくても大丈夫ですよ。はい」
優しく笑顔を見せ答える水蓮。その笑顔に水蓮の優しさが滲み出ていた。そんな水蓮の優しさに冬華も自然と笑みを浮かべる。
静かに二人は歩みを進め、冬華は道筋を思い出していた。しかし、どうやらこの道は通っていない様だった。
「この道ではありませんでしたか?」
「うん。ここは通ってないかな」
「なら、多分、宿は洋風の――」
「そう! 洋風の宿だった!」
水蓮の言葉に冬華が声をあげ、水蓮はニコリと笑みを浮かべる。
「それなら、あそこしかありませんね。では、私が案内しますね」
「うん。お願いするね」
冬華が満面の笑みでお願いすると、水蓮も「はい。分かりました」と清々しい声で答える。肩口で黒髪を揺らす冬華。二人で並んでいるとまるで兄弟の様に見えるが、間違いなく水蓮が弟だと思われるだろう。それだけ身長差があった。
ゆっくりと足を進めていると、水蓮が不意に足を止める。その動きに冬華も自然と足を止め、水蓮の方に顔を向ける。険しい表情を浮かべる水蓮は、震える左手で腰の柄を握っていた。その強い眼差しを向けるその場所へと冬華も視線を向けた。
そこに居たのは和服を着崩した妙に悪党面の四人組。先頭を歩く一人は頬に十字傷を付け、この集団のボスだと一目で分かる。しかも、人々はその四人組を避ける様に道を開ける。皆この四人組を恐れているのだ。もちろん、水蓮も。
何とか力になりたいと思う冬華だが、ここで騒ぎを起こすわけにも行かないと、そこは素通りする事にした。だが、その四人組の下っ端らしき一人が冬華の存在に気付き、声を上げる。
「お頭! あれ、いい女じゃねぇーっすか?」
「あぁ? おうおう。いいじゃねぇーか!」
「…………」
その声が聞こえた冬華はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。思っていた。もろ悪党じゃん、と。冷めた眼差しを向け、唖然とする冬華に四人組は歩み寄るが、その前に水蓮が立ちはだかる。冬華を自分の背中へと隠す様に立ち、右手で柄を握り締め、四人組を睨む。
「冬華殿。お下がりください」
「何だ? ガキが、いっちょまえに刀なんてぶら下げやがって」
ふてぶてしく笑みを浮かべる悪党の頭の顔をキッと睨みつける水蓮。だが、その瞬間、水蓮の腹部へとその男の右足が突き刺さる。
「ぐがっ!」
「舐めてんじゃねぇぞ! クソガキが!」
「水蓮! だ、大丈夫?」
冬華はすぐに蹲る水蓮の肩に手を置き声を掛ける。しかし、そんな冬華の腕をその悪党の手下の一人が掴み体を引く。
「うへへ。おめぇは、こっちだ」
「ちょ、ちょっと! な、何す――」
「お止めなさい。嫌がってるじゃありませんか?」
唐突に響く。しゃがれた渋い声が。その声に「あぁ?」とドスの利いた声を上げる悪党の頭。冬華も、その声の方へと顔を向ける。そこに居たのは渋い表情をした老人だった。杖を突きよろよろとしたその老人の姿に、冬華は一瞬だが妙な違和感を感じ、首を傾げた。だが、その悪党達は全くそれを感じなかったのか、馬鹿笑いするとその老人へと足を進める。
「おいおい。爺さん。何のマネだ? 死にた――がはっ!」
男が突然血を吐き、崩れ落ちる。そのミゾオチへと突き刺さる杖の先。老人の目にも止まらぬ突き。それが、男のミゾオチを貫いたのだ。鋭い眼差しを向ける老人は「ほっほっほっ」と大らかに笑うと、その口元へと薄らと笑みを見せる。
そして、この時、冬華は初めて目にした時に感じた違和感の正体に気付く。老人のその足。杖をついて歩いているわりに確りとした肉付けをしていたのだ。




