第65話 動き出す時
数日が過ぎ、冬華はようやく体が動かせる程回復していた。
その為、この日は朝から一人兵士達に交じって鍛錬を行っている。シオにセルフィーユが消えた事を告げられ、自分に覚悟が足りなかった事を改めて気付かされた冬華は、これ以上誰かを失わない為の力をつける事を考えたのだ。
真剣な顔で兵士に交じり模擬刀で打ち合う冬華の姿を、部屋から見据えるクリス。クリスもまた悩んでいた。ゼノアに対してなんと返答をするかと。未だ答えは出ず、クリスは静かに椅子に座り机に突っ伏す。
そんな部屋をノックする音が聞こえ、そのドアの向こうでジェスの声が響く。
「入っていいか?」
「……」
クリスは返答せず、机に突っ伏したまま動かない。その為、もう一度ジェスがドアをノックし、尋ねる。
「入るぞ?」
「……」
やはり、クリスは返答せず、「入るからな」とジェスの念を押す声が聞こえ、ドアノブが回る。留め金が軋む音が響き、ドアが開かれる。明かりの消えた部屋へと、廊下から差し込む光。そして、ジェスがゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
「暗い部屋だな」
「うるさい……。出てけ」
「ああ。俺は今日出発する。冬華とシオをノーブルーへ連れて行かないといけないしな」
ジェスのその言葉にクリスは机を叩き立ち上がる。その音が静かな部屋に響き、ジェスは腕を組んだままそのクリスの背中を見据える。長い銀髪を揺らし振り向くクリスは、鋭い眼差しをジェスへと向けた。
二人の視線が交錯し、数秒程の時間が過ぎ、クリスはゆっくりと唇を動かす。
「どう言う事だ? 私は何を聞いてないぞ」
「そんなに悩んでるお前に言えるわけないだろ」
「なっ!」
そんなはずないと、言いたかったがジェスの言う通りだった為、クリスはそのまま言葉を呑み込み唇を噛み締める。悔しげなそのクリスの表情にジェスは小さく息を吐き穏やかな眼差しを向ける。
「お前、それでいいのか?」
「いいわけないだろ……」
「なら、答えは出たのか?」
「くっ」
ジェスの問いにクリスの表情が歪む。答えは出ていなかった。いや、出せなかった。その為、何も言えずただ俯く。
静まり返った部屋で、ジェスの吐き出した吐息の音だけが聞こえ、呆れた様な眼差しがクリスに向けられ、ゆっくりと口を開く。
「お前が何に悩んでいるか分からないが、すでに皆動き出している。自分がすべき事、やるべき事の為に。待ってくれないぞ。時の流れって言うのは」
静かにそう告げたジェスは、真紅の髪を揺らしクリスへと背を向けると、右手を軽く上げ振る。
「じゃあ、教える事は教えたから、俺は行く。昼過ぎには出発する予定だ。それまでに、答えを出すんだな」
「ああ……。分かった。すまなかった」
クリスが静かに答え、その答えを聞きジェスは部屋を後にした。部屋に残されたクリスは、小さく息を吐くと天井を見上げ、拳を握る。何をやっているんだと、自分に言い聞かせ唇を噛み締める。
一方、部屋を出たジェスはドアの前で深く息を吐くと、ゆっくりとした口調で尋ねる。
「これでよかったのか?」
と、廊下に佇むゼノアに対して。その問いに対し、ゼノアは穏やかに笑う。そして、静かに答える。
「ああ。すまない。君にこんな役割をさせてしまって」
「いや、別に構わないさ」
深く頭を下げるゼノアに対し、ジェスは静かにそう告げ右手を上げる。すでに国王となったゼノアが、小さなギルドのマスターごときにそんな風に頭を下げるなんてあってはならないと。それでも、ゼノアは深く頭を下げ続け、静かに顔を上げる。
ゼノアは知っていた。クリスがこうなるであろう事を。なのに、何故あんな事を言ってしまったのかと、後になって後悔した。だから、ゼノアはジェスに頼んだのだ。クリスがすぐ答えが出せる様にと。今日、ここを立つ様にと。
訝しげな表情を浮かべるジェスは、小さく息を吐くとその視線をドアの横に立つアースへと向ける。短い青髪を掻き欠伸をするアースはジェスの視線に気付くとすぐに背筋を伸ばす。先日、スターライト卿の頼みで預かったが、未だアースとは話せていない。何を話せばいいのか、何から話せばいいのか分からなかったからだ。
疲れた表情で肩を落とし吐息を漏らすと、その様子にゼノアが苦笑する。
「お互い、部下の事で苦労しそうですな」
「そうだな……」
ゼノアの言葉にジェスも苦笑し答える。クリスにしろアースにしろ、何とも上司泣かせの部下をもってしまったと。
何となく、ゼノアに親近感を覚えながらも、ジェスは静かに表情を引き締めた。
「じゃあ、俺は俺でやる事があるんで」
「ああ。すまないな。いつか、この礼はしよう」
「それじゃあ、期待しないで待ってるよ」
ジェスはそう言いゼノアへと背を向け歩き出すと、アースは深くゼノアに一礼しジェスの後へと続いた。ゼノアはその二人の背中を見据え、静かに笑う。二人の姿がまるで本当の兄弟の様に見えたからだ。兄を慕う弟。アースの姿がゼノアにはそんな風に映った。
二人の姿が見えなくなると、ゼノアは静かに息を吐き、クリスの部屋のドアを見据える。彼女がどんな答えを出すのか、ゼノアはすでに分かっていた。だから、暖かい笑みを浮かべ静かに呟く。
「お前は、お前の道を行け。私はそれまで待っているぞ」
と。
激しい鍛錬を続ける冬華。何度兵士にやられても立ち上がり、向かっていくその気迫に、若手の兵士達は圧倒されていた。その相手を務めるのはこの国の二極と言われた男リゼットだった。大剣型の模擬刀を振るい、幾度と無く向かい来る冬華をなぎ払う。それも尚立ち向かう冬華。とても、この二人が怪我明けとは思えなかった。
訓練用の槍を振るう冬華。額から溢れる汗。その肩口まで伸ばした黒髪は汗を吸い冬華の肌にぺったりと張り付く。それでも、そんな事を気にする様子は無く、冬華は激しく槍でリゼットを攻め立てる。
「くっ!」
リゼットもその気迫に僅かながら押されていた。何がそうさせるのか分からないが、彼女が英雄としての片鱗を見せ始めているのはその場にいた誰もが確信する。一突きする度に切っ先から迸る金色の輝き。そして、その身を薄らとした光のベールが包む。それが、英雄に許された鉄壁の守り。光鱗。
「す、すげぇ……」
一人の兵士がそう呟く。
「リゼットさんが、圧倒される」
また一人の兵士が呟き、それが、徐々に全体に広がる。
そんな中でも集中力を切らせる事無く、冬華の攻撃は続く。互いの武器がぶつかり合い火花が散り、激しく衝撃が広がる。そのミニスカートを揺らし、そのか細い足に力を込め、幾度と無く突き出す。
すでに防戦一方となるリゼット。大剣型の模擬刀の平を盾代わりにしてその攻撃を凌ぐのがやっとの状況だった。突き出す度にその精度と重さが増し、リゼットの手はすでに痺れていた。それ程冬華の放つ突きの威力は凄まじかった。
幾重にも重なる突きが終わり、冬華が距離を取る。真剣な顔つきで、腰を落とす冬華の姿にリゼットはすぐに声を上げる。
「止めだ! これ以上は、私の体が持たん!」
「えっ? あっ! ご、ごめんなさい!」
リゼットの声で我に返った冬華は、槍の構えを解き背筋を伸ばし深く頭を下げた。打ち合っている内に忘れていた。リゼットが病み上がりだと言う事を。息を切らせるリゼットに対し、冬華も膝に手を置き汗を滴らせ息を乱す。
それだけ二人が全力だったと言う証拠だった。兵士達が息を呑む中で、リゼットは静かに冬華へと歩み寄る。
「いやはや。流石、英雄殿。呑み込みが早い。それに、回を重ねる毎に一撃一撃の重みが増していましたよ」
「はぁ…はぁ……」
呼吸を乱す冬華は返答せず、軽く頭を振る。
「ま、まだまだ……」
小さく呟く冬華。その目に見据えるのは、高く険しい己の道。もう誰も失わない、失わせない力を手に入れる事。