第59話 英雄召喚の儀式
その日、イリーナ城に呻き声が響き渡った。
英雄として呼ばれた一人の少女の呻き声が。時折聞こえる甲高い悲鳴の様な声は、痛々しく聞くに堪えないモノだった。
割れる様な激しい頭痛。吐き気、節々の軋み、もう何処かどう痛いのかすら分からなくなってしまう程、冬華の体は痛む。その声は途切れる事なく一晩中続いた。
冬華の治療を行っていたのはセルフィーユだった。サファイア色の瞳を涙で潤ませ、唇を噛み締め両手を冬華へとかざす。半透明だった体は更に薄くなり、足先は半分消えていた。すでに大量の聖力を消費していた。シオの治療、冬華を守る為に使った『絶対障壁』。回復していたはずの聖力は全て使い果たし、今セルフィーユは自らの身を削り治療を続けていた。それでもその治療は難航していた。
元々、冬華を襲う痛みは、体の痛みではなく、精神を蝕む痛み。故に、セルフィーユに出来る事は痛みを和らげる事だけ。レオナの様なヒーラーが居れば、セルフィーユの負担も軽減されるが、今この城に冬華の痛みを和らげる事が出来るのはセルフィーユしかいないかった。その為、セルフィーユは自分の持てる全ての聖力を冬華へと注ぎ込んでいた。
ベッドに寝かされた冬華の体が弓なりに反り返り、肩口まで伸ばした黒髪を振り乱し激痛に声を荒げる。両手で頭を抱えその表情は前回の時とは比べ物にならない程苦しそうだった。数万と言う数の光の剣を生み出したのだ。それだけ、精神を蝕まれたのだろう。
苦しむ冬華の記憶。それが、一つ。また一つと消滅する。大切だった人の――好きだった人の――その顔が記憶の中に現れては食われていく。虫が葉を食い尽くしていく様に、それはゆっくりと確実に起きていた。
冬華の処置が続く部屋の前で、シオは立ち尽くしていた。唇を噛み締め、握った拳をドアへと突き立てて。赤黒く凝固した血が付着した金髪の髪が揺れ、体に巻かれた包帯からは血が滲んでいた。特に左膝の包帯は赤黒く凝血しているが、その下から未だに激しく血が滲み出ている。その証拠に左足の下には血が溜まっていた。
シオ自身、相当の痛みを伴っているはずなのに、その痛みすら表情に出さずただ悔しそうに下唇を噛み締め、部屋から聞こえる冬華の呻き声を聞いていた。
「くっそ……オイラは……」
声を漏らす。小さな震えた声を。
何も出来なかった。冬華に守ってやると言ったのに、ただ壁になる事しか出来ず、結局冬華はあの力を使い傷付いた。二度とあの力を使わせないつもりだったのに、二度とあんな苦しい想いをさせないつもりだったのに。
握った拳から血を滲ませるシオに、兵士達は近づけず誰一人として冬華の処置が行われる部屋へと近付かなかった。
冬華の呻き声が城内に響く中、クリスは資料室に居た。頭の後ろで束ねていた白銀の長い髪を下ろし、メガネを掛けたクリスは本棚から埃を被った本や資料を次々に手に取り机へと運ぶ。どれも儀式についての物だった。
苦しむ冬華の姿を見ていられず、クリスは今自分に出来る事をしようとこうして資料室にやってきたのだ。だが、冬華の呻き声はその資料室まで届き、資料を握るクリスの手に力が入る。
話には聞いていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。その苦しみ様を見て初めて分かる。シオがどうしてあの様に冬華を元の世界に帰したいと言ったのかを。
神の力。あんな危険な力を、異世界から来た女の子である冬華に使わせるわけには行かない。英雄と言っても彼女はただの女の子。最初からこんな危険な場所に召喚するべきではなかったのだ。
この国の人間が行った不手際。それを制裁するのがクリスの役割だと、一人懸命に冬華を帰す方法を探していた。それが、今のクリスに出来る事。
「くっ! どう言う事だ!」
数時間が過ぎ、クリスは拳で机を殴りつけ勢いよく立ち上がる。資料室にある儀式についての資料、本、全てに目を通したが、英雄召喚の儀式について詳しく書かれたモノはなかったのだ。怪訝そうな表情を浮かべ、その目に怒りを滲ませるクリスは、奥歯を噛み締めると突然部屋を飛び出す。
「おう。クリス。俺も――」
部屋を出てすぐジェスがクリスへと声を掛ける。資料探しを手伝おうと言うジェスの僅かながらの親切心だったが、そのジェスを無視しクリスは早足で横を通り過ぎる。
右手を上げたまま硬直するジェスは、すぐに振り返りクリスへと叫ぶ。
「おい! 何処へ行くんだ? 冬華を帰す方法は見つかったのか?」
その言葉にクリスは足を止め振り返る。怖い顔を向けるクリスは、掛けていたメガネを外し、静かに答える。
「ここの資料室に、英雄召喚の儀式について書かれたモノは無い」
「は、はぁ? それって、どう言う事だよ!」
驚くジェスはその短髪の髪を掻きながら首を傾げ、クリスの方へと足を進めた。
「それで、どこに行くつもりなんだ? 資料室以外に何か心当たりでも?」
「ああ。一人だけな。今、牢獄に居る――」
クリスとジェスの二人は牢獄に来ていた。流石に地下と言うだけあり、冬華の声は聞こえず静かでヒンヤリとしていた。
かび臭く埃っぽいその通路を歩く二人の足音が壁へと反響する中で、クリスは静かに足を止める。それに遅れて不快そうな表情を浮かべるジェスがゆっくりと足を止め、頭の後ろに手を組んだままその左側へと体を向ける。
大き目の牢屋に、一人の男の影があった。王冠を奪われ、玉座から下ろされたこの国の王だった男、ザビットだった。灰色に染まった長いヒゲに、埃を被った白髪。そして、その顔から覇気が消え、妙に老け込んでいた。
ザビットはクリスとジェスの姿をゆっくりと顔を挙げ見据えると、小さく鼻で笑う。私をあざ笑いに来たのかと言いたげに。だが、クリスは真剣な表情でジッとザビットを見据え、強い口調で問う。
「英雄召喚の儀式。その資料は何処にあるのですか?」
「さぁのぅ」
「ふざけるな! お前、ここの王様だったんだろ!」
鉄格子を両手で掴み、ジェスが怒声を響かせる。激しく鉄格子が軋み通路内にジェスの声と一緒に響き渡る。鋭く殺気だった視線を向けるジェスに対し、ザビットはただ肩を小刻みに揺らし笑う。
「何処の誰かと思えば、義賊気取りの薄汚い盗賊ギルドのマスターじゃないか」
「何だと! テメェ!」
「止せ。ジェス」
今にも剣を抜きそうな体勢のジェスを左手で制すると、クリスは真っ直ぐにザビットを見据え、次なる問いをぶつける。
「なら、儀式を行った魔術師は誰ですか? 私の聞いた話だと、十名の魔術師で儀式を行ったとの事ですが?」
「知らぬ」
「はぁ? 知らないだと? テメェ! ふざけるのも――」
「儀式を行った者の消息は不明じゃと言ってるんじゃ」
鉄格子を揺らすジェスに対し、睨みを利かせザビットがそう答えた。その目は嘘を言っていないと、すぐにジェスは理解し、鉄格子から静かに手を話しクリスへと顔を向ける。
「どうする? 嘘じゃないみたいだぞ」
「そうみたいだな。しかし、何故、儀式を行った者達が?」
「知られちゃマズイ事がある……とか?」
「知られちゃ行けない事……まさか、あの――」
ザビットがそう言い掛けた時、唐突にそれは起きた。何も無いその空間に一発の銃弾が現れ、それは音も無くザビットの額を貫く。ザビットの頭部が撃ち抜かれた衝撃で壁へと激突し、迸った鮮血は壁に放射線状に広がった。
何が起こったのか分からず、呆然とその場に立ち尽くすクリスとジェス。そして、ザビットの頭を貫き壁へと減り込んでいた弾丸が静かに床へと落ち、乾いた音だけを周囲へと広げた。