第58話 神の息吹
魔動車から出た冬華。
その体を包む淡い光に全ての者が目を奪われる。だが、すぐに全てが動き出す。胸の位置で黒いモヤを漂わせる兵士達が冬華へ向かって走り出す。武器を持ち、恐ろしい殺気を放ちながら。
冬華はすぐに理解する。彼らはケルベロス同様、何かの力で操られているのだと。だから、冬華は意識を更に集中させ、天空に十字架を象った剣を生み出す。
すでに空には数千と言う剣が切っ先を地上へと向けていた。だが、まだ足りない。ここに居る数万、数十万とと言う兵士達を救う為には、もっと多くの刃が必要だった。その為、冬華は更に念じる。
(もっと力を――皆を救う力を――)
冬華の思いに鼓動する様に体を包む光は強まる。だが、それと引き換えに冬華は体に異常をきたしていた。体が重く、意識が揺らぐ。向かってくる兵士達の姿がスローに見えるが、体が動かない。そして、すでに激しい頭痛が起きていた。割れる様な激しい頭痛が。それ程、冬華の体にその力は負担を掛けていた。
静かに鼻から血が流れ、冬華はよろめく。
『冬華様!』
セルフィーユが叫び、両手をかざす。目の前に迫る兵士達が刃を冬華へと振り下ろす。その刹那、セルフィーユは叫ぶ。
『絶対障壁!』
セルフィーユの前方へと広がる透明な壁が全ての刃を弾く。だが、次々と兵士達の刃は代わる代わるにセルフィーユの絶対障壁を叩く。幾ら鉄壁の守りでも、ずっと攻撃を防げるわけではない。セルフィーユの聖力にも限界がある。すでに、シオを治療するので聖力をかなり消費している為、何度も攻撃を防ぐ程聖力も残っていなかった。
何度も攻撃を受けるセルフィーユに、冬華は静かに呟く。
「ごめん……セルフィーユ……」
『い、いえ……わ、私は……冬華様を――!』
壁が砕ける音が響き、ついにセルフィーユの絶対障壁が砕けた。光の粒子が周囲へと飛び散り、一斉に兵士達の武器が冬華へと襲い掛かる。
鈍い音が響き渡り、鮮血が宙を彩った。静寂がその場を包み、静かな時が流れる。
「うぐっ……」
声を漏らすシオ。冬華の前に背を向け、その体で全ての刃を受け止める。包帯の巻かれた左膝に血が滲み、僅かに震える。痛みを堪えここまで全力で駆け抜けてきたのだ。
シオの背中を見据える冬華は、その目に涙を浮かべる。だが、シオは僅かに肩を揺らし笑う。
「オイラが……守る……そう言ったろ」
掠れた声でそう言うシオの口元から血が零れる。流石のシオも全ての攻撃を体で受け、その場に立っているのがやっとだった。だが、シオは鋭い目で相手を威圧すると、深く息を吐きながら告げる。
「じゃ、邪魔をする……なら、て、てめぇら……ぜ、全員……」
途切れ途切れの声だが、その殺気の込められた威圧的な眼光に、全ての兵士が臆し後退する。奥歯を噛み締める冬華は更に強く念じ、額に青筋が浮かぶ。
空に浮かぶ光の十字架。いつしか、それは空を覆い地上を明るく照らす。その輝きに皆の視線が空へと向く。
深く息をする冬華は、右手で鼻血を拭うと天を見上げ、薄らと笑みを浮かべる。全てが整ったと。ようやく、この場に居る全ての兵士を救うだけの剣がそろったのだ。
そして、ゆっくりと目の前に佇むシオの下へと歩み寄り、その体を引き寄せ囁く。
「ありがとう……それから、ごめん。私の所為でこんなに傷付いて……でも、後は私に任せて……」
すでにシオの意識はなかった。全ての兵士を威圧したその時からシオは意識を失っていたのだ。ゆっくりとシオの体を地面へと寝かせると、冬華は静かに息を吐き呼吸を整える。
クリスとジェスは冬華の下へと急いでいた。だが、自我を失った兵士達に道を塞がれ、全く前に進めずにいた。
「くっ! 邪魔だ! 退け!」
「クリス! 焦るな」
「だが、冬華が!」
焦るクリス。その一方でジェスは見たいと思っていた。冬華が英雄となるその姿を。その為、この状況に焦りはなく、上空に浮かぶ十字の剣を気にしていた。
静かに息を吐いた冬華はゆっくりと立ち上がり、周りを見回す。全ての兵士の居る場所を見る事は出来ないが、それでも感じていた。その黒い禍々しいモヤを。その為、冬華は瞼を閉じ意識だけを集中し、息を吐く。
「これで、皆を救う」
意を決し、瞼を開き強い眼差しを向ける。そして、叫ぶ。澄んだ透き通る様な声で。空高く舞うあの十字の剣に向かって。
「ゴッドブレス!」
振り上げた右腕を一気に振り下ろすと、それが合図だった様に十字の光の剣が地上へと降り注ぐ。一斉に。それは神の吐息と言うよりも、地上へと降り注ぐ流星の如く。衝撃が地上を襲い、激しい地響きと土煙が周囲を包み込む。的確に兵士一人一人に向かって降り注ぐ光の剣が、幾重にも重なる激しい衝撃を生み、舞い上がる土煙が地上を覆う。
その衝撃の中、クリスもジェスも身を屈めその衝撃に耐えていた。何が起きているのか、どう言う状況なのか分からず、激しい轟音の中で表情を歪めながら。
数分間に及ぶ光の剣の雨。それがようやく終わり、周囲は静寂が包み込んでいた。地上を覆う土煙。その中で輝く無数の光。それは、空から降り注いだ十字を象った光の剣だった。その一つ一つが、自我を失っていた兵士一人一人の胸を貫き、地面へと切っ先を突きたてて輝きを放つ。
ボンヤリ立ち尽くしその光景を薄らとした視界で見据える冬華は静かに息を吐くと、そのまま膝から崩れ落ちる。それを合図に輝く光の剣は次々と弾ける様に消滅し、光の粒子だけが空へと舞い上がった。
天空に浮かぶ小さな島。
その中心に佇む古城の薄暗い一室に、その魔術師は居た。床に描かれた魔法陣の真ん中でアグラを掻く真紅のローブを着た魔術師は、袖から懐中時計を取り出し時間を確認する。時を刻むその懐中時計を見据え、口元に薄らと笑みを浮かべた魔術師は、ゆっくりと懐中時計をしまう。
深く被ったフードから僅かに覗く黒髪の合間から赤い瞳が見え隠れする。
そんな静かな一室に一つの足音が響き、黒衣を纏った者がドアをすり抜け魔術師の前へと姿を現す。その者の姿を見るや、魔術師は不快な表情を浮かべる。
「勝手に入ってくるなって言ってあるはずだが?」
魔術師の声に、黒衣を纏った者は深く被ったフードの奥に覗く鋭い眼差しを向ける。その冷ややかな眼差しに魔術師は鼻で息を吐くと、呆れた様な表情を見せた。
「まさか、殺し損ねたのか?」
「いや……。運命が奴を生かした。それだけだ」
静かな声で淡々と答えると、魔術師は小さく息を吐き首を振る。
「相変わらず、お前は運命だ何だって言ってるのか?」
「そもそも、アレはお前の獲物だ。私は仕事を終えたついでにその力量を見てきたに過ぎん」
「仕事?」
「ああ。獣王ロゼの暗殺……」
「おいおい。マジかよ」
魔術師は驚いたがすぐに呆れた様にそう口にすると、大きく肩を落とす。獣王ロゼ。彼を殺したとなるとどれ程の箔がつくか考え、魔術師は悔しそうな表情を浮かべる。だが、そんな魔術師へと黒衣の者は静かに口を開く。
「まぁ、殺せはしなかったが、暫くは動けないだろう」
「それを先に言えよ。マジでビビッただろ。ったく……」
「それより、彼がまた刀を持って地上に降りた様だったが……」
「ああ。時期に起きる面白いモノを見に行くんだとさ。何でも自分の力を少し分け与えたとか言ってたけど……まっ、俺には興味が無いね」
両手を肩の位置まで挙げ大きく首を左右に振る魔術師に、黒衣の者は「そうか」と、小さく呟き部屋を後にした。