第57話 守るべき者と守りたい人
ジェスは驚愕していた。
ゼノアと言う男に対し。
グランドスマッシュ。精神力を刃へと集め地面に突き立てる事により地面を揺らし、前方への広範囲に渡る波状攻撃を行う技。もちろん、その技自体をジェスは知っており、見た事もある。だが、あれは打ち込む角度とタイミング、そして精神力よりも純粋な腕力が威力へと繋がる。
ゼノアの放った一撃は数百メートル先まで揺らぐ一撃。これ程の破壊力を伴う一撃を放つゼノアの腕力も自ずと導き出される。それを考えると、ゼノアがこの国の二極と呼ばれる意味を理解した。
地面へと突き立てた大剣を引き抜いたゼノアは、額から溢れる汗を左腕で拭いクリスへと視線を向ける。
「クリス。無事だったか」
「はい。ゼノア隊長もご無事で……。ですが、何故反乱を?」
訝しげな表情を浮かべるクリスに対し、ゼノアは渋い表情を浮かべると、周囲を見回し告げる。
「私が反乱を起こしたわけではない。見ろ。クリス。あの連中を」
ゼノアの視線の先へとクリスは目を向け、ジェスもそれに釣られる様に視線を向けた。そこに広がる光景、その光景に二人は驚愕する。
グランドスマッシュによって土の波に呑み込まれたはずの兵士達が続々と地面から這い出てきていた。まるでダメージを受けていない様だが、その身にまとう鎧は砕け、皮膚は裂け、血にまみれている。その光景はまさに異様で気味が悪かった。
呆然とする二人に、ゼノアは深く息を吐き告げる。
「反乱を起こしたのは私ではない。全ての元凶は国王ザビット。奴が持ち込んだ薬物を投与し、彼らは狂いだした」
険しい表情でゼノアは事の次第を簡潔に告げる。
全ての元凶。それはザビットが持ち込んだ薬物。獣魔族の身体能力と互角にやりあう為に、この大陸を自らのモノにする為に持ち込んだ薬物。ザビットは魔術師から買ったモノで、それを飲んだ兵士達は次々と呻き声を上げ、暴動を起こしたのだ。その中に二極の一人リゼットもいた。それが原因で多くの兵士が薬物を飲みこの状況に陥っていたのだ。リゼット様が飲むならと。
もっと自分が強く止めていればと後悔するゼノアの目が伏せ気味になる。地面から這い出て体から血を流すリゼットを見据え、ゼノアの表情は曇る。親友でありライバルであるリゼットのその様な姿を見たくはなかった。
唇を噛み締めるゼノアはクリスとジェスへと視線を向ける。
「ここは私がやる。お前達は別の場所を頼む」
「分かりました。行くぞ。ジェス」
「あ、ああ……」
ゼノアは二人が立ち去ったのを確認し、静かに息を吐きリゼットへと視線を向ける。二人の視線が交錯し、ゼノアは意を決す。親友であるその男を殺す決断をしたのだ。
静かな車内。そこで一人膝を抱える冬華はボンヤリとフロントガラスの向こうへと目を向ける。その向こうに見えるのは血を流し戦う兵士達の姿。英雄として呼ばれたのに自分はこんな所に隠れていていいのだろうかと。
未だ体の震えは止まらない冬華の肩に静かに手が置かれ、その耳元で荒い呼吸が聞こえる。
「シオ!」
振り向いた冬華が声を上げる。そこに居たのはシオだった。いつ意識を取り戻したのか、苦しそうに呼吸を乱し表情をしかめるシオは、途切れ途切れの声で冬華へと告げる。
「あん、しん……しろ。おい、らが……なんとか、する……」
「だ、ダメよ! あ、あんたは寝てなきゃ――」
「オイラが……お、前を……守る、って、はぁ…はぁ……言った、だろ?」
ニッと笑みを浮かべるシオだが、その表情は険しくすぐに無理しているのは分かる。こんな状況で戦えるわけが無いと冬華は分かっていたが、止める事が出来なかった。いや、出来るわけが無かった。その眼差しは強く、すでに覚悟を決めていたから。
ただ怖くて震える事しか出来ない自分を、傷つき戦える状態じゃないのに守ると言ったシオの姿に、冬華は涙を浮かべ拳を握る。どうすればいいかなんて、すでに答えは出ているのに、それを実行できずただ握った拳を震わせる冬華の頭をシオは撫でた。何も言わず自然と。
その行動に思い出す。自分の幼い頃を。その時、何も出来ず泣いていた冬華の頭を、彼は優しく撫でてくれた。今のシオと同じ様に自分は傷だらけになりながら、元気付けようと無理に笑いながら。
そんな彼の顔が一瞬シオとダブって見え、冬華は唇を噛み締める。自分はあの頃と何も変わっていないのだと。
俯く冬華の前を左足を引き摺りながら通り過ぎたシオは、ドアを静かに開け外へと出る。冬華に笑みを見せ、左手の親指を立てて、
「いっ、て……くる。大人しく……待ってろ」
と、告げドアを閉めた。車内に残った冬華とセルフィーユ。
俯き膝を抱え動かない冬華の姿に、セルフィーユは心配そうな表情を浮かべ、小声で問い掛ける。
『冬華様……いいんですか? シオさんを行かせて?』
セルフィーユの声に冬華は無言で静かに首を振る。冬華も分かっている。いいわけが無いと。それでも、体が震えて動く事が出来ない。あの時の痛みが脳裏を過ぎり、冬華は奥歯を噛み締める。
魔動車を降りてすぐ、シオは自我を失った兵士に囲まれていた。いや、正確に言うとすでに魔動車の周りには自我を失った兵士達によって包囲されていた。
強がり冬華にああは言ったモノの、シオの意識はモウロウとしており、まともに動ける状態ではない。左足を引き摺り、踵を僅かに浮かし力を込める事すら出来ない。踏ん張る事が出来ないシオに出来る事。それは――。
「掛かって来い! オイラが、相手だ!」
全てを力を振り絞り、声を張り上げシオは走り出す。痛む体にムチを打ち、全力で。ここから、他の兵士を遠ざける為に。
その声は車内にも響いた。膝を抱え俯く冬華は、その声に顔を上げる。先程まで泣き出しそうだった冬華の眼差しはいつしか強い意思を宿し、その瞳に光が満ちその手を光が包み込む。覚悟を決めたのだ。あの力を使う。これ以上、自分の所為で誰かが傷付くのも、自分の友達を傷つけさせたくなかった。だから、冬華は瞼を閉じ息を吸う。静かに、ゆっくりと。
(お願い……力を貸して……)
念じる。あの時聞こえた声に。静かに祈るように。
その瞬間、光が満ちる。車内を包む眩い光が魔動車のガラスから外へと溢れた。その眩い光は全ての者の目を惹き付ける。剣を交える者達も、その手を止め見入る。それ程その光に皆は強大な力を感じたのだ。もちろん、シオやクリス、ジェス、ゼノアの四人を含めた全ての者が。
「クッ! 冬華の奴!」
声を上げるシオが、表情を強張らせる。
「冬華? 一体何を……」
眩い光を見据え、クリスは訝しげな表情を浮かべる。
「やはり、神の――」
驚くジェスはその光にかつての英雄が行ったと言う神の力に見入る。
「何だコレの力は……」
何が起ころうとしているのか分からず、渋い表情を浮かべるゼノア。皆の視線が集まる中で、魔動車へと一斉に兵士達が駆ける。その力が発揮される前に冬華を殺そうと。だが、異変はすでに起きていた。誰も気付かないその間に。
十字架を象った光の剣が、一つ、また一つとヒッソリと上空へと出現する。それは、夜空を彩る星の様に美しく輝き、切っ先を地上へと向けていた。
魔動車の扉が静かに開かれ、光が消える。そして、姿を見せる。淡い光を身に纏った冬華が。強い眼差しを向け、強い意思を胸に秘め、静かにゆっくりと。外へと足を踏み出した。