第55話 王都へ
森の中を疾走する一台の魔動車(四輪走行の乗り物)があった。
ハンドルを握るのはジェス。広い後部座席には血を吸い赤く染まったガーゼと包帯が散乱し、座席シートを赤く染めていた。その座席シートに横たわっているのは血にまみれたシオ。深く損傷した左膝からは未だ血が溢れ、ガーゼを当ててもすぐに赤く染まるだけ。止血を行う冬華は両手を赤く染め涙を浮かべガーゼをその傷へとあてがう。
「セルフィーユ!」
『す、すみません。全力で……』
額から僅かに汗を流すセルフィーユはシオの胸へと両手を当て治療を続けていた。輝く両手がシオの体の傷を徐々に癒していくが、それでも傷が酷すぎて止血が間に合わないのだ。それ程シオの体は酷い状態だった。特に左膝は深刻だった。
まるで銃口を押し当てられた状態で打ち抜かれたかの様に皮膚には焦げ痕が残り、関節部は粉砕骨折。痛々しく皮膚を貫き骨が突き出ていた。これ程酷い傷は幾らセルフィーユの力を持ってしても完治させる事は不可能かもしれない。それでも、セルフィーユは全力で回復に力を注いでいた。
力が失われるかもしれないと、言う事も忘れ今もてる自分の力の全てを注ぐ。
遡る事数十分前の事だった。
森で横たわる血まみれのシオを見つけたのは。地面に広がった血の池の中に横たわるシオの姿に、初め冬華もクリスも絶句していた。死んでいると思ったからだ。でも、すぐに生きていると分かった。シオの体が動き、静かな声で告げたからだ。
“逃げろ”
と、掠れた今にも消えてしまいそうな声で。自分の事よりも冬華やクリスの事を気にするシオの姿に、思わず泣き出しそうになったが、それでも今はシオを助けなくてはと、魔動車へと運び治療を始めたのだ。
何も出来ず、冬華の姿を見据えるクリスは拳を握り締めていた。シオがあんな状態になる程の相手が存在すると言う事に僅かながら恐怖を感じていた。正直、シオとクリスの実力は同じ位で、その強さはこの国内でも指折りだと自負している所があった。実際、クリスはイリーナ王国では軍の副隊長をする程の力を持っていたし、それだけの実績を残している。
故に、それ程強い者がこの国に居る事に違和感を感じていた。イリーナ王国は他の国に比べ非常に非力な国だと言われている。その国にそれ程まで強い者が居るのなら、すぐに噂になりそうなモノだが、その様な話を聞いた事は一切なかった。たまたまこの国に訪れた者なのか、それとも力を持ちながらそれを隠していた者なのか分からないが、分かる事はあえてシオを誘い出し襲ったと言う事だけ。何か目的があったのか、それとも他の誰かが狙いだったのかは定かではないにしろ、狙われていると言う事は間違いないと、クリスの表情は険しくなった。
魔法石を消費しながら、数時間程魔動車は走り続けた。
苦しそうに呻き声を挙げていたシオもようやく落ち着き、その体の傷も大半が塞がりつつある中で、セルフィーユが表情を強張らせる。左膝の状態が思わしくなかった。皮膚は完全に塞がり、損傷した血管も元通りに繋がった。だが、骨だけは完璧には修復出来ず、セルフィーユは悔しげに下唇を噛み締め首を左右に振った。
『ダメです……これ以上は、私の力でも……』
「えっ? それって……」
セルフィーユの言葉に戸惑う冬華。冬華には完璧に治っている様にしか見えなかったのだ。その為、セルフィーユが何を言っているのか理解出来ずに居た。そんな冬華に、セルフィーユは表情をしかめ答える。
『体の修復は完璧です。ですが……左膝の骨は粉砕骨折で……細かな粉骨は修復できず体内に残されたままに……』
「粉骨?」
『はい。細かい骨の欠片です。非常に微量でそこまで修復する事は出来ませんでした。
だから、きっとシオさんには辛いと思うのですが、左足を動かす度に痛みが走る事に……』
沈むセルフィーユのその表情、その言葉で冬華も辛そうに俯く。肉弾戦を得意とするシオにとって、それは致命的な事なのだと分かったのだ。力よりも素早く動き相手を翻弄する戦い方をするシオ。その足に掛かる負荷はおそらく常人よりも大きい。ましてや、獣魔族であるシオの身体能力は高く、その脚力から生み出される瞬発力・跳躍力もそれに耐える足があってこそのモノ。その為、セルフィーユの宣言はシオは二度と今まで通り戦えないと言うものだった。
俯く冬華はシオの顔を見据え、肩を震わせる。自分に係わった所為でシオはこうなってしまったんじゃないのかと、思えて仕方なかった。この世界に自分が現れなければ、帰りたいなんていわなければ、全ての考えがマイナスの方向へと向く。
考えれば考えるほど胸が苦しくなり、冬華は自然と右手で胸元を握り締めていた。怖かった。自分の所為で誰かが傷つくのが。自分の所為で誰かが死んでしまう事が。ゲートに来て自分は周りの人を不幸にしているだけなんじゃないかと考えると、一層胸が苦しくなり噛み締めた唇が切れ血が滲む。
そんな冬華の切なく悔しげな表情にセルフィーユもクリスも何も言えず、沈黙し、時だけが過ぎていった。
「王都が見えたぞ」
魔動車を操縦するジェスがそう告げ、後部座席の皆へと視線を向けた。ギルドを出て十時間ほど魔動車で走り続け、ようやくイリーナ城が見えてくる。
イリーナ城へと近付くに連れ、爆音や剣と剣がぶつかり合う澄んだ金属音なども聞こえてきた。その音に表情を引き締めるジェスは、後部座席の皆を気にしながらも、周囲の警戒も怠らない。もうすでに戦場へと入っていた為、警戒を強めていた。
反乱がおきたと言う情報以外に何の情報も無い為、ジェスは慎重に事を進めなければならないと思っていた。どっちの側に着くのか、それによって戦況は大きく変わっていく。どちらにせよ、状況を見てみないとなんとも言えない為、ジェスは真っ直ぐに戦火の真っ只中へと魔動車を走らせていた。
徐々に爆音は激しくなり、衝撃で魔動車が揺れる。表情をしかめるクリスは、運転席に座るジェスを睨むと怒声を響かせる。
「ジェス! 大丈夫なんだろうな!」
「今の所はな。だが、そろそろまずそうだ」
冷静に状況を分析するジェス。辺りは様々な技が往来していた。激しい炎が地面から噴き上げ、鋭い風が地上を切りつける。雷撃は大気を裂き、地面は鋭利に隆起し、水が全てを飲み込む。敵味方も分からぬ大技同士のぶつかり合い。その衝撃、その威力で地形はすっかり変わり果て、魔動車でこれ以上走行するのは不可能な状態だった。
前輪が割れた地面に取られ激しい衝撃が魔動車内を襲う。ハンドルに額を打ち付けたジェスは、僅かに額から血を流し小さく舌打ちをする。一方、後部座席では、その衝撃で冬華もクリスも前方へと倒れ込み、前の座席へと体を打ちつける。座席に寝かされていたシオもその衝撃により座席から落ち鈍い音が車内に響く。
「し、シオ!」
慌ててシオの体を持ち上げる冬華。その横では申し訳なさそうな表情を浮かべるセルフィーユが涙声で告げる。
『す、すみまぜん……う、受け止めようとしたんですが……』
半透明の自分の手を見据えるセルフィーユに、冬華は小さく頷き「大丈夫。傷は開いてないから」と告げ、シオの体を座席へと戻し、ジェスの方へと顔を向ける。
「今の衝撃は何?」
「ああ。どうやら、前輪が亀裂に取られた。これ以上は進めない」
「待て! ここは戦場の真ん中だぞ。こんな所でどうするつもりだ!」
クリスが慌てて叫ぶと、ジェスは懐から手の平サイズのオレンジの魔法石を取り出し、それを運転席の隣にある魔法石を装填する機器に装填されていた赤い魔法石と入れ替える。オレンジの魔法石が装填すると、ジェスは機材にあるボタンを慣れた手つきで押していく。
この状況下でマイペースに事を進めるジェスに対し苛立つクリスが口を挟む。
「こんな状況で何してるんだ? 機械弄りをしている場合じゃないだろ」
「魔動車はな、装填する魔法石で効果が変わるんだ」
「それが一体なんだって言うんだ?」
「今、装填したのは土属性の魔法石だ。この属性の効果は――」
ジェスがそう呟く最中、フロントガラスの向こうに数十センチ程の大きさの炎の弾が迫っているのが見えた。
「ジェス! 前!」
クリスが叫ぶと、ジェスは口元に笑みを浮かべ、
「今から実践してみせよう。この属性の効果を」
と、静かに呟き、赤いボタンを静かに押した。