第52話 過去の英雄
部屋の掃除を終え、冬華とクリスは椅子に腰掛け一休みしていた。
これからの事を暫く二人で話し合っていた。
冬華は元の世界に帰る手掛かりを得る為に、イリーナ城へ戻りたいと語っていたが、クリスはそれを反対していた。理由としてはあの国王が犯罪者のレッテルを貼った自分達に会うはずが無いと言う確信があった。
彼に仕えて彼是五年。ずっと国王であるザビットの姿を見てきた。とてもじゃないが国王の器といえる男ではなかった。ハッキリ言って、彼の行った政策はどれもただ国民を苦しめるだけの政策。彼の起こした争いは無駄に兵を失うだけの無意味なもの。時折現れるモンスターに対しては全く関心が無いくせに、それを騎士団が自発的に討伐すれば、それは自分が指示したと自らの手柄にする。
だが、兵士達は文句を言わない。いや、言えない。反抗しようモノなら、今のクリス同様に反逆者または犯罪者とされ投獄されてしまうからだ。
そんなイリーナ王国の現状を考えると、どうしても今の冬華の考えには賛同出来なかった。だから、クリスは複雑そうな表情を浮かべ冬華の顔をジッと見ていた。
「本当に戻る気ですか?」
「うん。とりあえず、召喚した方法を知らなきゃいけないから」
「他の方法を考えませんか? やはり、今戻るのは得策じゃ……」
「かも知れないけど、出来るなら今すぐ戻りたい。それが、元の世界に帰る為の近道になると思うし」
「そ、そうですか……」
笑顔で答える冬華の意思の堅さにクリスは複雑そうに俯く。きっと何を言っても冬華の気持ちは変わらないだろうと、クリスは諦めた様に小さく息を吐くと、僅かに肩を落とす。その様子に冬華は「ごめんね」と、呟いた。
「い、いえ。私の方こそ、すみません。冬華さ――いえ、冬華に協力すると言ったのに……」
「ううん。クリスの気持ちは分かってる。私の事を心配しているんだよね」
「はい……。正直、あの国王はおかしいですから……」
沈んだ声でそう告げると、冬華も「そうだね」と苦笑した。冬華も薄々おかしいとは思っていたのだ。ただ、この世界ではアレが普通なのだと思い何も言わなかっただけ。でも、クリスの言葉を聞きそれは普通ではないのだと理解した。
僅かな時間静けさが漂い、クリスは静かに口を開く。
「元の世界に戻る方法が見つかればいいですね」
「そうだね。でも、そう簡単には行かないんだろうなぁ……」
「どうして、そう思うのですか?」
落ち着いた様子の冬華の言葉に、クリスは不思議そうに問う。儀式の方法が分かれば、帰る方法が分かるかも知れないと言う冬華の考え方にしては、妙に違和感を感じていた。まるで儀式の方法が分かっても帰る方法は分からないんじゃないかと言う確信の様なモノを得ている、そう言う風に思えたのだ。
不思議そうな顔をするクリスに、冬華は椅子を前後に揺らしながら静かに答える。
「実はね。私、薄々感じてるんだ。まだ元の世界には帰れないって」
「どうして……ですか?」
「前の英雄の話を聞いた……からかな?」
椅子の動きを止めクリスへと真っ直ぐな瞳を向ける冬華。その瞳を見据えるクリスは、その奥にもの悲しげな感情を押し隠している気がした。
心配そうなクリスを尻目に、冬華はまた椅子を前後に揺らし、その視線を壁に飾られたジェスの自画像へと向け笑う。自分の本当の感情を押し殺す様に。
そんな彼女の顔を見据えクリスも静かに椅子を後ろへと僅かに倒し天井を見上げ、先程の冬華の答えに対し尋ねる。
「それで、英雄の話を聞いてどうして、まだ帰れないと?」
「んっ? だって、彼女も元々英雄って呼ばれてたわけじゃないんでしょ?」
「えっ? ……そうなんですか?」
「うん。私の聞いた話だと、そうらしいよ? 召喚された当初は失敗だって追い出されたって」
簡潔にそう答えるとクリスは腕を組む。
「そう言えば……イリーナ城にいた頃に、その様な噂を耳にした事も……」
「そっ。それで、思ったの。彼女は英雄になる為に世界を回ったんじゃなくて、自分の世界に戻る方法を探す為に世界を回ったんじゃないかって」
「なるほど……」
冬華の考えに深く頷く。確かにそう考えると、合点が入った。帰る方法を探し世界を回った結果、人々と信頼関係を築き、やがて英雄と呼ばれるまでになったのだと。一体、どう言う気持ちだったのだろうか。元の世界に帰る方法を探していたはずなのに、英雄と呼ばれる様になったのは。彼女が何を考え、どう思っていたのか。今はもう知る事は出来ない。だが、きっと今の冬華と同じ気持ちだったんじゃないかと、クリスは昔を思い出しそう思った。
クリスは幼い頃にその英雄に会った事がある。それは、英雄戦争が始まる一月程前の事。すでに彼女の周りには腕利きの仲間が集まっていた。それでも、彼女は一人の時何処かもの悲しげだったのが、クリスの頭のどこかで引っかかっていたのだ。
その理由が今になり分かり、クリスは申し訳なく思った。当時はそんな事知らず、色々言ってしまった。期待しているとか、私も大きくなったら一緒に戦いたいとか、色々と。
その事を考え軽く肩を落とすクリスに、冬華は軽く首を傾げる。
「どうかした?」
「いえ……。昔、英雄様に会った事を思い出して……」
「あっ、そっか。クリスは会った事あるんだよね? 前の英雄に」
「え、えぇ」
「どんな人だったの? 魔族のバロンって人の話だと凄い恐ろしい人だったって聞いてるけど?」
バロンから聞いた話を思い出し冬華がそう告げると、クリスは不快そうに目を細める。
「それは、魔族から見た英雄像でしょう。私は凄く優しい方だと認識してます」
「へぇーっ。そうなんだ。そう言えば、クリスは知ってる? その英雄がその後どうなったのかって?」
「えっ? それは……」
クリスは口ごもる。冬華はバロンから聞いた話を最後まで話していなかった。英雄が消えてしまったと言う所は伏せたのだ。どうしてそうしたのか自分でも不思議だったが、何故か言ってはいけない気がしたのだ。
暫く考えた後、クリスは小さく首を振る。
「実は、良く分からないんです。
……英雄戦争。あれだけ大きな争いだったのに、その事を記した記録が無いんです」
「えっ? そう……なの? でも、どうして? そう言うのって普通後世に伝えるモノでしょ?」
「えぇ……。私もそう思います。でも……」
クリスの表情は険しく変わる。
これでも、クリスは古い書物を読み漁った経験があった。それは、あの英雄戦争の事を、英雄の事を知る為に行った行動だった。だが、どの書物にも書かれているのは、英雄戦争は英雄の活躍により終結したと言うモノだ。
しかし、結果はどうだ。終結したと言ってもそれはただ単に互いに多くの犠牲者を出し何とか引き分けに持ち込んだに過ぎない。一体、あの時ルーガス大陸で何が起こり、どうして引き分けたのかなどは詳しく書かれてはいなかった。
ただ、その後英雄の消息を知る者は無く、英雄と共に旅をしていた最強と謳われた者達の消息もその後消えてしまったと言う。
一部の噂では、一人ずつ魔王に殺されていったと言う噂もあったが、それを魔王デュバルは否定した。だが、彼は語った。真実は何れ明らかになると。その本の著者である者が直接デュバルに聞いた言葉だった。だが、著者はその本を書き上げると同時に消息を絶ち、家は燃やされた。まるで、その本の存在を隠すかの様に。
その本をクリスが読んだのは、クリスが一人で旅立つ前日の事。著者の名はレイチェル・リバース。クリスの母親だった人だ。