第50話 冬華のワガママ
ジェスの豪勢で悪趣味な部屋には妙な緊張感が漂っていた。
静寂に包まれたその一室で、冬華は少々落ち着かない様子で、隣に座るクリスの顔をチラチラと横目で覗く。どう話を切り出そうかと、様子を窺っていたのだ。
(きっと怒るだろうなぁ……)
不安そうに俯く冬華は手を組み親指同士ををくるくると回していた。上手く切り出すタイミングを計っているのだが、どうもそう言う空気では無い様で、冬華は目を細め金色に輝く柱を見据えていた。
ジェスの部屋が悪趣味だと思ったのはコレが原因だ。部屋の柱と言う柱が金色に輝き、壁には何か分からない獣のはく製が飾られている。他にも妙な甲冑やら必要性の感じられない豪勢なデスク。おまけに大きなベッドに、ジェス自身の自画像が棚の上に飾られていた。
意外にナルシストだったんだと、冬華は二度頷きジェスの方へと視線を向ける。自慢の部屋だけに、悪趣味だと言われた事を気にしている様で、ジェスはテーブルへとひれ伏し動く気配がなかった。
クリスは腕を組みまだ頬を赤くしており、先程この村の入り口で起こった事件が尾を引いている感があり、シオはなれない部屋で落ち着かないのか頭の上の獣耳がピクッピクッと何度もはねる様に動く。
静かに流れる時の中で、冬華が小さく吐息を漏らすと、その瞬間にシオと視線が合う。背筋がゾワゾワっとし、何か嫌な予感がした冬華がジッとシオの顔を見ていると、唐突にシオは冬華から視線を外しクリスの方へと顔を向ける。
「そう言えば、冬華が元の世界に帰りたいって」
静かな一室に響き渡るシオの声に、恥ずかしそうにしていたクリスも、テーブルにひれ伏していたジェスも驚き席を立ち固まる。その視線は冬華へと向けられ、冬華は俯きテーブルへと突っ伏すと頭を抱え込んだ。どうしてこうも空気を読まないんだろうかと、冬華は上目遣いで目の前に座るシオを睨み小さく吐息を零した。
我に返ったクリスは、その表情を曇らせ冬華へと一歩歩み寄り尋ねる。
「ど、どうして、急にそんな事を……」
「そ、そうだ。第一、英雄としての使命はどうするつもりなんだ?」
ジェスが渋い表情で問うと、呆れた様にため息を吐いたシオが椅子から立ち、二人の顔を交互に見て答える。
「英雄の使命って何だ? 勝手に呼び出して英雄の使命も何も無いだろ?
冬華は冬華だ。オイラは冬華がそうしたいなら、そうできる様に手伝うだけだ」
「だが、彼女はこの世界に必要な――」
「ごめん。ワガママ言って! でも、私……」
ジェスの言葉を遮り冬華が椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。握った拳を震わせ、その小柄な体を僅かに震わせて。
こうなる事は分かっていた。だから、心が痛かった。英雄として呼ばれたのに、結局何も出来ず帰りたいと、皆に迷惑をかけているだけだと分かっていたから。痛む心に唇を噛み締め、硬く瞼を閉じ頭を下げ続ける。クリスもジェスも何かを言うわけではなく、ただ黙ってその姿を見据えていた。
そんな中でシオが拳を握り僅かに俯く。何故冬華が謝るのか、何故それがワガママになるのか、そう思うと怒りがこみ上げる。
そして、シオは奥歯を噛み締め力強くテーブルを叩いた。激しい衝撃音が部屋に響き、テーブルが真っ二つに割れる。砕けた破片が宙へと舞い、その突然のシオの行動にクリスとジェスの驚いた顔がシオへと向けられる。テーブルを叩いた拳は皮膚が裂け血を滴らせ、その足は割れたテーブルを踏みしめ冬華の前へと進み、その肩を力強く掴み自分の方へと体を向け怒鳴る。
「何で謝るんだ! 何でワガママになるんだ! 勝手に呼び出されて、英雄だって言われて……。
ワガママなのは呼び出した連中なんだ! お前には元の世界に帰る権利があるし、この世界での使命なんてお前には関係ない事なんだよ!
お前が帰ったからって誰もお前を責めたりしない。いや、オイラがそんな事させない!」
力強いシオの言葉に冬華は戸惑っていた。その強い意志の込められた眼差しに。どうして、シオがこんなにも怒っているのか冬華には分からなかった。クリスもジェスもそのシオの迫力に言葉を失っていた。だが、その思いは伝わる。
そして、シオの言葉は正しいとクリスも目を伏せ拳を握った。冬華は無理矢理この世界に呼び出され、無理矢理英雄とされた。帰りたいと思う事は決して彼女のワガママでは無く、当たり前の事なのだと。むしろ、ワガママを言っているのはこの世界の人間なのだと。
何があったか知らないが、冬華が帰りたいと願うのならクリスもそれを全力でサポートしたいと、そう思った。だから、クリスは冬華の傍へと駆け寄るとその手を握り潤んだ瞳で真っ直ぐに冬華を見据える。
「冬華! 私も、あなたが帰りたいなら、それに協力します。何があったのかは分かりませんが、あなたがそれを望むなら……」
「クリス……」
「あのな……熱血してる所悪いんだけど……とりあえず、詳しく説明してくんないか? このテーブルを叩き割った理由も、諸々」
冬華達三人を見据え、少々怒りを滲ませるジェスが、シオが踏みしめるテーブルの残骸を指差しながらそう告げた。その言葉でシオは自分の足元を見据え「あっ!」と、声をあげ、冬華は困り顔で引きつった笑みを浮かべた。
とりあえず、テーブルを壊した事を謝罪し、その後に事の次第を話した。魔族の集落を人間が襲撃した事、その時冬華が妙な力を使いケルベロスを撃退した事、その後冬華の身に起きた惨劇を。全て冬華自身の口から語った。
クリスもジェスも黙って冬華の話を聞き、全てを話し終えると同時にジェスは口を開く。
「で、氷河石はどうしたんだ?」
「えっ?」
「あっ……」
話の中で全くと言う程触れられなかった氷河石についての質問に、冬華は間の抜けた声をあげ、シオは今まさにその事を思い出したかの様に驚きの表情を浮かべる。完全に忘れていたのだ。氷河石の事を。呆然とする二人に、呆れた表情を向けるジェスは、右手で二人を交互に指差し、語尾を強調する様に力強く言い放つ。
「まさか、取引を忘れてないだろうな!」
「ちょ、ちょっと待て! オイラは確かに採ってきたぞ!
あの後、家が吹き飛ばされてたから、スッカリ忘れてたけど、一体どうなったんだ!」
と、シオが冬華の方へと視線を向けると、冬華は自分の右手へと目を向け、あははと、乾いた笑い声を上げ頬を掻いた。
「ご、ごめん。何か、あの騒動の時に氷河石が輝いて触れたら……良く分かんないけど、変な声が聞こえて、槍に変わっちゃった……」
茶目っ気を交えそう告げると、シオは「ぬあーっ!」と大声をあげる。
「じゃ、じゃあ、あの時振るってた槍が、氷河石だったのか!」
「そ、そうなの……かな? で、あの後、アレ、どうなったの?」
「消えたよ! 消滅したよ! そりゃ、綺麗に!」
あの時の光景を思い出しそう叫ぶシオは、頭を抱え「嘘だろ!」と叫ぶ。自分が苦労して採ってきたモノが実は槍に変わってて、それが消滅していたなどと聞かされ、困惑気味だった。状況を飲み込めずショックを受けるシオに、冬華は両手を合わせ謝る。
「ご、ごめん。わ、私もまさか消滅しちゃうとか思ってなかったから……」
「あーぁ……そ、そうだよなぁー。うん、うん。分かってる。そんな、消滅しちゃうとか、誰も思わないよな、普通……」
どれだけ苦労したのか分からないが、シオの受けたショックは相当のモノで、ブツブツと小声で言葉を紡いでいた。
一方で、腕を組むジェスは眉間にシワを寄せ複雑そうな表情を浮かべていた。
(声が聞こえ、槍に変わった……。
じゃあ、氷河石は冬華を選んだと言う事か? いや、でもまさか……そんな事……)
険しい表情を浮かべ、ジェスは冬華へと目を向ける。
氷河石。まだ多くの謎の残る希少な鉱物。その鉱物に意思があったのか、それとも別の何かの意思によってそれは冬華に与えられたのか、定かではないが、ジェスは確信していた。
冬華が氷河石から生み出された武器を手にした事を。そして、彼女自身気付いていないのだと。すでに英雄となるべき道を進み始めているのだと言う事を。