第47話 緑の化け物と謎の少女
空は夕焼けに染まり、夜の闇が空を飲み込もうとしていた。
落ち込み泣いていたセルフィーユもやっと落ち着いたのか、木の陰で大人しく膝を抱え座り込んでいた。だが、どこかボンヤリとしていて覇気が感じられず、冬華もシオも心配そうにその姿を見据えていた。
森を抜けたが暫くここを動けそうに無いと、冬華が静かに立ち上がるとシオが怪訝そうな目を向ける。澄んだ金色の瞳を向けるシオに、冬華は微笑む。
「今晩はここで過ごしそうだし、枯れ枝集めてくるね」
「それじゃあ、俺が――」
「いや、いいよ。シオ、疲れてるでしょ? 昼間全力疾走してたし」
「そうだけど……流石に、女のお前にそんな事――」
シオはそう言い立ち上がろうとしたが、膝が震えて立ち上がる事が出来なかった。やはり、全力疾走した疲れが体に残っていたのだ。震える膝に手を置き無理に立ち上がろうとするシオに対し、冬華は優しく笑みを浮かべる。
「ほら、無理しないの。大丈夫よ。枯れ枝集める位」
「い、いや、でも……」
シオが心配そうな顔を向ける。まだこの辺りにあの臭いの主が居るかもしれないと、思ったからだ。今の冬華は戦えないし、そんな状況でも敵にあったら。そう考え、無理にでも立ち上がろうとするシオに、冬華は慌てて声を上げ駆け出す。
「そ、それじゃあ、行ってきます!」
「あっ! ちょ、ちょっと待て! 冬華!」
シオは駆け出す冬華の背中に向かって声を上げたが、冬華はその言葉を聞かず走り去ってしまった。その場に呆然と座る込むシオは、静かに震える膝へと視線を向けると、悔しそうに下唇を噛み締めた。
森へと戻った冬華は枯れ枝を探し歩みを進める。夢中になり枯れ枝を探していた冬華は、不意に足を止め周囲を見回す。
「アレ……ここどこだっけ?」
枯れ枝を両腕に抱えた冬華は周囲を見回す。木以外何も無いその場所で呆然と立ち尽くす冬華は、自分の置かれた状況に目を細める。
「しまった……迷った……」
小さく吐息を吐いた冬華は、自分の犯したミスに両肩を落とす。どうしたものかと、周囲を見回すがやはり何処を見ても木ばかり。何処へ向かっていいものかと、考え込む。と、その時、茂みが動く。その物音に冬華の肩がビクッと跳ね上がり、素早い動きでその音の場所へと視線を向ける。激しく揺れる茂みに、息を呑むと、そこから一人の少女が姿を見せた。
「えっ?」
驚き声を上げた冬華に、その少女の視線が向く。青みがかった瞳が冬華を見据え、長い白髪についた緑の葉を右手で払い静かな面持ちを向ける。
漂う沈黙に、冬華は僅かに身を引く。自分の目の前に佇む少女の姿をマジマジと見据える冬華は、何か不思議な印象を抱いた。背丈は自分と同じくらいだし、胸の大きさもそんなに変わらない。見た目も殆ど変わらないはずなのに、何か妙な気配を感じていた。
息を呑む冬華に、彼女は目を細めると周囲を見回す。まるで冬華など眼中に無いと言わんばかりに、周囲を見回す少女は、静かな口調で呟く。
「居ない? でも、気配はする」
独り言の様に呟く彼女に、冬華が怪訝そうな表情を向けると、少女は冬華の表情に気付いたのかその視線を静かに冬華へと向ける。二人の視線が交錯する。敵意の無い真っ直ぐな視線に、冬華も敵意の無い優しい視線を向けた。二人が数秒の時、見詰め合った最中、突如森の木々がざわめき、衝撃が周囲へと広がる。二人の丁度間へと何かが落ちたのだ。
地面がその衝撃で陥没し、冬華の体は後方へと弾かれる。両手に持っていた枯れ枝が吹き飛ばされ、冬華の頬を掠め血が迸った。一方で、少女の方も衝撃に長い白髪をなびかせ、渋い表情を浮かべる。僅かに驚いた表情をうかがわせたが、すぐに視線は鋭く強く変わった。
「何?」
思わず声を上げた冬華。細めた目で落ちてきたモノを見据える。緑色の得体の知れない生物が、そこに居た。一瞬見ただけだと大きな岩の様にしか見えないが、間違いなくそれは生物だった。その証拠に呼吸している様に体が上下に動き、その岩の様な肌から僅かに緑色の液体が漏れ出ている。驚き息を呑む冬華に対し、少女が叫ぶ。
「逃げなさい! ここは危険よ!」
先程までとは違い鋭く強い声に、冬華は我に返る。だが、今の自分では何も出来ないと唇を噛み締める。
地面にめり込むその生物はゆっくりと動き出す。重々しく体を持ち上げ、赤く血走った眼差しを、少女へと向ける。その動きに少女は高らかに右手を掲げ、雄雄しく叫ぶ。
「来なさい。我が矛。テーゼ」
その声に大気が激しく振動し、草木が踊る。空間を裂き一本の長い棒がその裂け目から姿を見せる。それを握り締め、彼女は一気に引き抜く。彼女の背丈程の長さの棒の先に、銀色に輝く三日月状の刃が姿を見せた。美しく輝くその刃に、冬華は目を奪われる。そして、それを構える彼女の姿に、冬華の鼓動が速まった。何故か、その姿をずっと見ていたい。そんな気持ちにさせられる程、彼女の姿は輝いて見えた。
呆然と立ち尽くす冬華に彼女は渋い表情を見せ、それと同時にその手に取った矛を一直線に振り下ろす。空気を裂き、風を裂き、刃は緑の化け物の岩の様な体へと叩きつけられる。衝撃と金属音が響き、火花が散った。
「くっ!」
「うぐああああっ!」
悲鳴の様な声が轟き、それが衝撃となり周囲へと広がる。離れた位置に居た冬華でさえ吹き飛ばされそうになる程の衝撃だったが、彼女は平然とした態度でその場に立ち続け、激しく白髪だけを揺らしていた。
硬い皮膚で覆われた緑の化け物の声が止み、少女はすぐに動き出す。左足を踏み込み腰の位置に柄を当て腕で柄を確り押さえ、腰の回転を利用し一気に刃を振り抜く。だが、またも甲高い金属音が響き、弾かれる。火花が散り、彼女の表情が歪む。矛の刃が激しく振動し、柄を伝い彼女の腕を激しい衝撃が襲う。
「ぐっ!」
「ぐわっ!」
彼女が表情を歪めると同時に、その緑の化け物の岩の様な肌に亀裂が走り、大きく口が開かれる。その瞬間を彼女は狙っていた。矛を持ち替え大きく振りかぶる。刹那、矛先を光が包み込み、彼女の声が高らかに響く。
「極光! 螺旋!」
その声にあわせ、矛が変化する。突如発光すると、矛先は螺旋を描き、柄は細く長く伸びる。そして、彼女は踏み出した左足へと全体重を乗せると、その矛を大きく開かれた口に向かって叩きつける様に投げた。
彼女の手から放たれた矛は眩く発光すると、刹那に閃光が大気を駆ける。衝撃がその緑の化け物の体を貫き、更にその後ろに佇んでいた冬華の左頬を掠め、一直線に突き抜けた。頬に赤い筋が入り、やがてはじける様に鮮血が飛び散る。
「いっ!」
右手で頬を押さえた冬華は、その痛みに表情を歪めた。何が起こったのか全く分かっていなかった。全てが一瞬だった。ただ、分かるのは、目の前に立っているのはあの少女で、地面にひれ伏しているのは緑色の化け物だと言う事。
彼女の目を真っ直ぐに見据える冬華に、彼女は静かに息を吐くとその肩から力を抜く。まだ体が僅かに動く緑色の生物を見据える彼女の目は冷めていた。恐ろしいほどに。その眼差しに冬華の身は凍る。人が見せる様な眼差しではないと、冬華は息を呑んだ。