第46話 衰えた力
数時間掛け森を抜けた冬華達。
冬華を抱え走り続けたシオは、森を抜けてすぐにその場に仰向けに倒れ胸を大きく上下に揺らす。全力で走り続けた為、殆ど体力が残っていなかった。大口を開け大きく呼吸を繰り返すシオに、冬華は心配そうな表情を浮かべる。
「だ、大丈夫?」
「あぁー……ヘイキ……ヘイキ……」
片言で答えたシオに冬華は僅かに肩を揺らし笑った。その後に続きその場にふらふらと現れたセルフィーユは、青ざめた顔でその場にへたり込むと、苦しそうに呼吸を乱す。聖霊であるセルフィーユだが、浮遊して全速力を出すと人間や魔族同様に体力を使い疲れてしまうのだ。
声すら出せず座り込むセルフィーユに顔を向けた冬華は、静かな足取りで近付くとその顔を覗きこむ。
「大丈夫? 顔色悪いけど……」
『だ、だ、だ、だ……』
その後の言葉が出てこないセルフィーユに、冬華は苦笑し右手で頬を軽く掻いた。
とりあえず、二人が落ち着くまでそこで休もうと、冬華はその場に座り込み小さく吐息を漏らす。ボンヤリとしていた冬華は不意に空を見上げる。空には大分雲が掛かり、今にも雨が降り出しそうになっていた。
先程まであんなに晴れていたのに、と冬華は嫌そうな表情を見せると、静かに立ち上がりシオとセルフィーユの二人を見据える。
「シオ。疲れてる所、悪いと思うんだけど……雲行き怪しいし、雨宿り出来そうな場所に移動しない?」
冬華の申し出に、大口を開けていたシオは、その瞼を開き空を見据える。いつの間にか灰色の雲が空を覆っている事に、シオは眉間にシワを寄せた。何か嫌な空気を感じ、シオはゆっくりと体を起こすと、鼻をひく付かせる。
僅かに香る雨の匂い。その匂いにシオは違和感を感じる。人工的に生み出された。そんな気がした。その為、神妙な面持ちで腕を組み頭の耳をビクッと動かす。周囲の音へと意識を集中していた。だが、何の気配も感じず、シオは耳を折る。
「とりあえず、安全そうだな……」
ホッと息を吐いたシオは、膝に手を置くと静かに立ち上がり、冬華の方へと体を向けた。その行動に、その場に座り込んでいたセルフィーユも静かに体を起こすと、ふわふわと浮遊する。疲労から顔色が少々悪いセルフィーユは、よろめきながら冬華の前へと移動した。そんなセルフィーユの顔色の悪さに、冬華は眉を八の字に曲げると、心配そうに声を掛ける。
「本当に大丈夫? 顔色悪いよ?」
『えへ、えへへ……だ、大丈夫ですよ……はいっ』
強がっているのだと分かっているが、それでも冬華はそれ以上セルフィーユに掛ける言葉が見つからなかった。シオも何も言わず呼吸を整え、冬華へと視線を向ける。まだ体に疲労感が残っていたが、シオは平然とした態度で笑みを浮かべた。
「じゃあ、とりあえず、行くか」
「う、うん。あんまり無理しないでよ?」
「ああ。でも、後もう少しだろ? 確か、ジェス? とか言う奴のギルドがある村まで」
「そうだけど……セルフィーユ辛そうだし……」
チラッとセルフィーユに視線を向けた冬華に釣られ、シオもチラッとセルフィーユへと視線を向ける。確かに辛そうだった。と、言うより、この所セルフィーユの異変をシオは感じていた。以前は過敏に強い気配に反応したり、シオよりも先に危険を察知したりするが、ここの所その素振りが無い。
さっきもシオが奇妙な臭いを感じたのに対し、セルフィーユは何かを感じた素振りは無かった。セルフィーユが気付かない程気配を隠すのが上手い奴だった可能性もあるが、シオはその可能性は限りなく低いと考える。もし、そんな奴だったとしたら、シオが気付く程の臭いを漂わせるわけが無いからだ。
訝しげな表情を向けるシオに気付いたセルフィーユはジト目を向けると、不満そうに頬を僅かに膨らせる。
『何ですか? 人の顔をそんな疑り顔で見つめて?』
「いや。お前、ちょっと能力が衰えてないか?」
『えっ?』
シオの突然の言葉に驚くセルフィーユ。自覚は無かったがシオに言われて気付く。バロンが現れた時の事を。あの時、セルフィーユは何も感じなかった。アレ程の強さを秘めた人が近付いて来ていたのに。普段ならすぐに気付くはずなのに、全く何も感じなかった。
あまりの事にセルフィーユは呆然とし自分の透ける手の平を見据える。自分の能力が衰えているなど考えもしなかった。その手が僅かに震え静かに拳が握られる。
ショックを受けるセルフィーユに、冬華は不安そうな表情を見せ、シオもどこか心配そうな顔をしていた。
「お、おい。大丈夫か?」
『そ、そ、そんなはず……無い……です……』
声が震える。力が失われている。そう思うと、自然と体が震えた。自分の存在が消えてしまうんじゃないかと言う恐怖に、セルフィーユの瞳孔は開き動悸が激しくなる。一体、いつから力が衰えていたのか、セルフィーユはそれを思い出そうと過去を振り返った。そして、確信する。自分が力を使う度にその力が失われていると言う事に。
『そ、そんな……』
「ど、どうしたの? セルフィーユ」
思わず声を上げたセルフィーユに、冬華は心配そうな眼差しを向け尋ねる。だが、セルフィーユからの返答は無く、その顔色は一層悪くなる。
セルフィーユの様子がおかしい事に、冬華とシオは顔を見合わせ、シオは肩をすくめた。
二人の視線にも気付かないセルフィーユは、唇を噛み締めその目に涙を浮かべる。力を使えば力が失われる。これからは冬華を守る事が出来ない。そう思うと自分の存在価値が無くなってしまうんじゃないかと、不安になる。
「セルフィーユ? 聞いてる?」
冬華がもう一度問いかけると、目に涙を浮かべたセルフィーユが顔を向ける。その表情に冬華もシオも驚く。何故、涙を浮かべているのか、その理由が分からず困惑する二人に、セルフィーユは今にも泣き出しそうな表情で告げる。
『わ、私……力が……』
涙がセルフィーユの頬を伝う。声が震え、上手く言葉を紡ぐ事が出来ないセルフィーユに、冬華もシオも戸惑う。何を伝えたいのか、何故そんなに怯えているのか。全く分からなかった。セルフィーユを落ち着かせそうと、冬華はその手を彼女の頭へと伸ばすが、半透明な彼女の体をその手はすり抜ける。
彼女に触れる事が出来ず、震える彼女に何もしてやれない事が、冬華は辛かった。どうしていいのか分からず、ただその場で彼女を見据える事しか出来ない。歯痒さに奥歯を噛み締め拳を握る冬華の肩をシオが掴む。
「今はそっとしておいてやれ」
冬華が振り返ると同時にシオはそう告げる。その瞳が儚げに見えたのは、きっと気のせいではない。シオもどうしていいか分からないのだ。
「でも……」
「いいから。そっとしておけ。今、一番辛いのはセルフィーユだ。
俺達がとやかく言える事じゃないだろ」
静かにそう述べたシオに、冬華は強く拳を握り締める。何も出来ない自分に怒りを覚えて。
爪が手の平に食い込み、血が流れ出る程強く握られた拳から、地面に向かってポツリと静かに血の滴が一粒零れ落ちた。