第44話 群議
どの位歩いたか分からないが、冬華達は森の中にある大きな泉の前で一休みしていた。
泉に入り水浴びをするシオの姿を恨めしそうに見据える冬華は、膝を抱え小さくため息を吐く。冬華だって水浴びがしたいが、流石にこんな場所で着替えもなしに水浴びするわけにも行かなかった。恨めしそうな視線を送る冬華に対し、シオは不思議そうな表情を向ける。
「どうしたんだ? 入らないのか?」
「入るわけ無いでしょ」
引きつった笑みを向け返答した冬華に、シオは「そうか?」と首を傾げ、息を吸うと泉の中へと潜り込んだ。大量の水飛沫を上げシオの体が泉の中へと消えると、冬華は憮然とした顔で泉を見据えていた。その隣でセルフィーユは困った様に乾いた笑いを浮かべる。
暫く、水浴びを楽しんだシオは、金色の髪から滴を零し楽しげ笑う。
「いやーっ。久しぶりに水浴びして気持ちよかったな」
「あっそっ」
「冬華も入ればよかったのに!」
シオの一言に、冬華は穏やかに笑う。その額に青筋を浮き上がらせながら。
「ありがとう。でも、私、女だから」
「俺は気にしないけどな?」
「私が気にするの!」
怒鳴る冬華に、意味が分からんと言いたげな眼差しで首を傾げたシオは、服を着る。小さくため息を漏らす冬華は、額を右手で押さえ呆れた様な眼差しをシオへと向けた。空気の読めないシオに対し、セルフィーユも深々とため息を漏らすと、静かに呟く。
『シオさんって……デリカシーないですよね』
「でりかしー? 何それ? 食べ物?」
キョトンとした顔を見せるシオに、冬華は眉を僅かにぴくつかせ、目を伏せセルフィーユの方へと体を向ける。
「セルフィーユ。無駄よ。アイツの頭にそう言う言葉は無いから」
「な、何だよ? 人をバカみたいに……」
『実際バカですから』
「うおい!」
即答したセルフィーユに大声を上げるシオ。セルフィーユはそんな言葉を無視し、空へと浮遊していき、冬華は二人の様子に疲れた様に苦笑した。
焚き火の前に座るシオは、ジト目を冬華へと向ける。嬉しそうに鼻歌を交える冬華。シオにデリカシーと言う言葉の意味を説明し、その後冬華自身も水浴びがしたいからと懇願し、泉の向こうで水浴びをする事になったのだ。
体の汗を流せると言う事で浮かれる冬華に対し、シオは面倒臭そうに目を細める。
「入りたいなら素直に入りたいって言えばいいのにさぁ」
「そう言う事言うから、デリカシーが無いって言われるのよ?」
「はいはい。それじゃあ、向こうの茂みで入って来いよ」
「覗かないでよ?」
睨みを利かせる冬華に、シオは全く興味が無いと言ったそぶりで右手を軽く振ると、
「覗かねぇーよ。大体、見られる程のモノじゃないだろ?」
シオの言葉に冬華の笑顔に青筋が浮かぶ。そして、ゆっくりと自分の胸を見据え、拳を握り締める。確かに胸もそんなに大きくないし、自分でも魅力は無いと自覚はあるが、シオに言われると無性に苛立つ。
拳を震わせその場に留まる冬華の姿に、シオはジト目を向ける。
「んっ? 何だよ? 早く行けよ?」
「その前に、シオに渡したいモノがあるの」
「えっ? オイラに渡したいもの? 何だ?」
嬉しそうな笑みを浮かべるシオに、冬華も満面の笑みを浮かべ、
「はいっ」
と、握った拳を顔面に振り抜いた。
「うがっ!」
顔面を殴られ地面へと倒れ込む。真っ赤になった鼻を両手で覆い、その場でのたうち回るシオに、冬華はニコニコと笑顔を向け、「いってきます」と告げ歩き出す。
「な、何なんだよぉー」
不満げに叫ぶシオに、浮遊していたセルフィーユはため息を吐き頭を左右に振り、
『だから、デリカシーが無いって言われるんですよ』
と、呆れた様に呟いた。
時は一日程遡る――。
場所は、冬華達のいるシュールート山脈のふもとから、東北東に数百キロ離れた場所に位置する切り立った山脈地帯を背に作られたイリーナ王国の王都。その城では、群議が行われていた。
国王ザビットを始め、この国の主要都市を防衛する軍団長数名が集められ、場内には緊迫した空気が流れている。王都の騎士団団長で、最近まで討伐に出掛けていた元クリスの上官である男もその群議に参加していた。
三十代半ばの渋い顔立ちのその男は、国王ザビットの右斜め前の席に座り、静かに周囲を見回す。皆、深刻そうな表情を浮かべ、空気は重苦しかった。その中で、静かに挙手したその男は国王であるザビットに視線を向ける。
「よろしいですか? ザビット様」
静かな口調にザビットの視線がその男へと向けられる。シワの入ったその顔をしかめ顎にはやした白ヒゲを右手で触る。
「何じゃ? ゼノア」
「では」
ゼノアと呼ばれた男は立ち上がる。椅子の足が床を引きずり嫌な音が静かな室内に響く。その音に全ての者の視線がゼノアに向けられた。この国で最も優秀で最も国王からの信頼の厚いその男は、その場に集まった者達の顔を見る事無く、ザビットへと体を向け静かに問う。
「これはどう言う事ですか?」
ゼノアが一枚の紙を机へと叩きつける。それは手配書だった。以前自分の部下だった女の顔が乗った手配書。その手配書を出し、鼻筋にシワを寄せ怒りを滲ませる。
そのゼノアの視線に対し、ザビットは鼻で笑うとそのにごった瞳をゼノアへと向けた。
「見ての通りじゃ。そやつは、脱獄し兵士を切り捨て逃げた」
「そう言う事ではありません! 何故、クリスが牢に入れられていたかと言う事です!」
机を激しく叩き怒鳴り声を上げる。
静寂がその場を支配し、張り詰めた空気が流れる中、ザビットのせせら笑いが周囲にこだまする。その笑い声に訝しげな表情を向けるゼノアは、拳を握り押し殺した声で問う。
「何がおかしいのですか?」
「ふっ……あやつは、国王であるワシに逆らった」
「それだけの理由ですか!」
「何じゃ? 問題でもあるのか? ワシは国王だ。ワシがルールじゃ」
その言葉にゼノアが目を伏せ奥歯を噛み締める。何を言っても無駄だと分かったのだ。そして、静かに息を吐き、自らの心を静めると更に鋭い視線をザビットへと向ける。
「それでは、英雄の儀式を行ったと言うのは本当ですか?」
静かな問いかけに周囲もざわめく。皆、噂では聞いていたのだ。この国で英雄召喚の儀式を行った事を。だが、その噂の真偽が分からず、皆その事を口にしないでいた。そんな最中、ゼノアの口から放たれたその言葉に、ザビットは表情をしかめる。
「あやつは英雄などではない! ただの逆賊! このワシに刃向かって、生きていられると思うな」
その言葉にゼノアの表情が陰る。やはり噂は本当だったのだと。この国の逆賊となり、クリスと共に犯罪者として手配された英雄。同じ過ちを繰り返すこの国の王にゼノアは失望していた。
前回、英雄を呼び出したのも、この国だった。その時の王はザビットではなかったが、その王も役立たずの人間だと、呼び出した英雄である少女をこの国から追放したのだ。犯してはいけない禁忌の術を使用した事を隠滅する為に。だが、結果、その少女は英雄と呼ばれるまで成長し、この国は英雄を見捨てた国とし、ただ顔に泥を塗る形となった。この事が原因で、国王は王座を剥奪され、今のザビットの父が王座につく事になったのだ。
その現状を見てきたはずなのに、何故その様な過ちを犯すかと、ゼノアは唇を噛み締め怒りをその腹の中へと沈める。
そんな中、ザビットは静かに椅子から立ち上がると、静かにしゃがれた声で告げる。
「さて。本題に入ろうか」
「ザビット様! まだ、私の話は――」
「黙れゼノア! この者を牢へと閉じ込めておけ!」
「なっ! ザビット様!」
怒鳴るゼノアの両脇を強靭な肉体の兵士二人が取り押さえ、引きずる様にその部屋を後にする。その間も、ゼノアの声が響き渡るが、ザビットは気にせず静かに口を開く。
「今日、皆に集まってもらったのは、コレを配る為じゃ」
ザビットの手から一粒の薬物が机へと投げ出された。小さなカプセル状のその薬物に、皆の視線が集まり、ザビットは不適に笑みを浮かべる。
「ある魔術師が持ってきた薬じゃ。飲めば、あの獣魔族にも負けない強靭な肉体と力を手に入れる事の出来る薬……」
「そ、その様な薬が……」
一人の男がそう呟き、その薬物を手に取った。静かに肩を揺らすザビットは小さく頷き告げる。
「ワシはこの大陸の王となる。まずは、忌々しい魔族、獣王ロゼ! 次に最西端のミラージュ王国。そして、この大陸を統一した暁には、全ての大陸に侵攻する!」
大手を広げ高らかと宣言するザビットに、皆はただ息を呑み、静まり返ったその一室に響き渡る。ただ一人の笑い声だけが。