第36話 帰りたい
冬華が目を覚ましたのは翌朝の事だった。
レオナのおかげでもうすっかり痛みは無かったが、それでも体のダルさは残っていた。精神力と体力を消耗し過ぎた影響だ。それ故、ベッドから起き上がる事が出来ず、ベッドに座ったままボンヤリとしていた。
セルフィーユは周囲を見回りに行き、レオナはもう一人の重体者であるフリードの所へ行ってしまったのだ。その為、一人残された冬華は、自分なりに今の状況を整理する。
あの後、すぐに倒れた事は覚えていた。ケルベロスとの戦いで精神力を使い果たして。激痛が体を襲ったのはその時だ。まだ、体に覚えていたあの時の激痛を。
目を覚ましてすぐレオナに言われた。もう二度とあの力は使わない様にと。それ程、体を酷使する力だと冬華も理解した。
その時の冬華の苦しみ様は異常だった様で、森に居たレオナ達はその呻き声でこの集落に辿り着いたらしい。集落に入ってすぐシオとレオナ達のリーダーであるアオが軽く戦闘を繰り広げたが、すぐに誤解は解けレオナが冬華を診る事になった。当初、レオナが手を出せる様な状況ではなく、それはひどいモノだった。それを治療したのはセルフィーユだった。残り僅かとなった聖力を使い果たし。その所為で、セルフィーユはその後冬華の治療が出来ず、レオナが治療を続けたのだ。
多くの人に迷惑を掛けたのだと、冬華は実感する。アレが、神の力。そう考えると体が震える。この先、またあの力を使用しなければならない状況になるかもしれないと思うと、自然とそうなった。
怖かった。あの激痛を思い出すと。死を感じる程の痛み。苦しみ。死ぬかもしれない。そう思うと冬華の体は一層震え、膝を抱えその場に蹲る。二度とあんな苦しみを感じたくなかった。次は死ぬかもしれない、そう思ったからだ。
「ううっ……な、何でこんな事……」
膝を抱える冬華の頬を涙が伝う。そして、思い出す。自分の居た世界。地球を――。親の顔を――。友の顔を――。幼馴染の顔を――。その顔を思い出し、冬華は唇を噛み締め呟く。
「裕也……帰りたいよ……」
抱えた膝に顔を埋め、冬華は啜り泣いた。一人、部屋の中で。静かに人知れず。
そんな部屋の前に、シオは居た。握っていたドアノブから手を離し、ドアに背を預け天井を見据える。英雄だから大丈夫だ。どこかでそう思っていた。だから、ここで初めて実感する。冬華は英雄である前にただ一人の少女なのだと。か弱く、脆い存在。
こんな状況になり、初めて実感させられシオは唇を噛み締める。自分はこんなか弱い少女に頼ろうとしていたのだと思うと情けなく思い、拳を握り締め震わせる。
外では壁をすり抜け様としていたセルフィーユが俯いていた。冬華の心境を初めて知り、何も出来ない自分が不甲斐なく思う。半透明の自分の両手を見据えるセルフィーユは、その手を握り締めると静かに膝を抱え空を浮遊した。どうしていいか分からず、自分の無力さが悔しくて。ただ青い空へと舞い上がっていく。
冬華の寝ている部屋の反対側にあるフリードの寝ている部屋。そこにレオナは居た。開かれた窓縁に右膝を立て座るライは、真剣な眼差しを外へと向け、深く息を吐く。ベッドの横の椅子に座るレオナは、フリードの額のタオルを桶に入った水へと浸し、ライの方へと視線を向ける。
「多分、彼女……もう戦えないわ」
「そうか……。異世界から来た英雄……か。信じらんねぇーな」
「そうね。異世界なんて言われて、信じろって言う方が無理よ」
水に浸したタオルを絞り、フリードの額へと戻したレオナは小さく吐息を漏らす。だが、そんなレオナに、ライは軽く首を振り、
「ちげぇーよ。彼女が英雄だって事だよ」
「えっ? そっち?」
「ああ。俺らよりも年下だぜ。明らかに」
「そう……ね」
ライの言わんとしている事に、レオナも気付く。自分達よりも年下のか弱い少女が、自分には関係ないこの世界を救う為の英雄として呼び出されたと、言う現実に。まだ十代半ばの少女にこの世界の人々は何て重たい使命を背負わせたのかと思うと、心が痛む。それと同時に安堵する。彼女がこれ以上戦えなくなる事に。
一方で、ライは相変わらず険しい表情を外へと向け、立てた右膝へと顎を乗せ静かに言う。
「シオもセルフィーユも辛いだろうな」
「えぇ。そうね」
「もし、お前だったら、どうする?」
「私なら間違いなく彼女を戦わせない。あんな危険な力を使わせたくないし、何より彼女はこの世界の人間じゃない。巻き込んではいけない存在よ?」
落ち着いた口振りだが、何処か怒りにも似た感情の込められたレオナの言葉に、「そうだな」と、小さく呟いたライは、眉間にシワを寄せる。
「けど、リーダーは何て言うだろうな」
「えっ? アオ? そうね……。彼の場合……」
レオナは口ごもる。アオが言いそうな言葉を思い浮かべる。バカみたく笑みを浮かべ、何も考えていない様に「そりゃ、彼女自身が決める事だろ」と、能天気に言う様を。彼はそう言う奴だと思うと、おかしくなって思わず笑みを浮かべる。レオナが笑みを浮かべるのとほぼ同時に、ライも笑う。同じ様なアオの姿を想像したのだ。
静かに笑ったライは、鼻から静かに息を吐くと、レオナの方へと視線を向ける。レオナも同じくライに視線を向け、二人の視線が合った。
「アオなら、バカみたいに笑って言うでしょうね」
「そうだな。彼女の道は彼女のモノとか、な」
「言いそうね。カッコつけたがるもの、彼」
「カッコつけたがるけど、空回りするタイプだもんな」
二人して笑う。おかしかった。アオと言う存在が。そして、そんなおかしな存在であるアオが、自分達のリーダーなのだと改め実感すると、その存在が自分達を和ませているのだとよく分かった。それもリーダーとしての素質なのだと理解し、二人は同時に小さく息を吐いた。
「俺達、凄い支えられてたんだな」
「そうね。彼女も、支えを見つけられるかしら?」
「さぁな。でも、大丈夫だろ。シオも居るし、セルフィーユも居る。支えてくれる仲間は居るんだから」
「……ねぇ。私達はアオを支えられてると思う?」
「どうかな? アイツは自分の事となると、内に隠したがるからな。けど、俺は支えられているって、信じてるぜ。でなきゃ、あんなバカみたいな事してられないだろ?」
ニシシッと笑うライの顔に、レオナも「そうね」と呟き優しく笑った。その笑顔の下に不安を隠しながら。
そんなレオナの様子にもちろんライは気付いていた。二人の関係性はまだ日が浅いが、それでもライには分かった。レオナが何かを隠している事を。きっと冬華の使った力についてだろうと、ライは予測していた。レオナは“どんな力を使ったのか分からない”と、言っていたが、きっとすでに冬華から何かしらの情報は得ていると、言う核心がライにはあった。
それでも、ライはレオナにその事を聞こうとはしなかった。彼女がそれを隠したと言う事は、きっとまだ話せる内容では無い、確信の無い事なのだとライは判断したのだ。
窓の外へと目を移したライは、小さく吐息を漏らし呟く。
「リーダー、大丈夫かな?」
と、空を見上げながら。