第32話 殺さねばならない存在
突如発光する錆びれた剣。
その輝きにクリスは怪訝そうな表情を浮かべ、すぐにジェスの方へと視線を向ける。ジェスも驚きの表情を見せ、その背後に集まるギルドのメンバーも目を細め驚きの声を上げた。
「何だ! 何をした!」
驚きざわめくその集団の先頭に立つジェスと視線が合う。
「ジェス! 皆を下がらせろ!」
クリスがジェスに叫ぶと、ジェスは小さく頷く。
「分かった。クリス、気をつけろよ!」
ジェスが叫び、右手を上げる。その合図に従う様にギルドのメンバーはゾロゾロと後ろへ下がり、ローグスタウンの門を潜る。それを見届けたクリスは、静かに視線を魔族の少年の方へと向けると、腰をやや落とし、自らの剣に炎を灯す。
対峙する二人。その間に流れる異様な空気。静かに冷たい風が流れ、クリスの美しい白銀の髪を揺らす。その瞬間、突如として甲高い嫌な音が彼の持つ剣から放たれ、周囲を包み込む。僅かに表情を歪めるクリスだが、それでも視線は真っ直ぐに魔族の少年を見据える。
やがて、甲高い音が止み、静寂が周囲を支配する。その静寂の中で、少年が静かに深々と息を吐く。そして、クリスは目の前でおきた現象に驚き息を呑む。
彼の持っていた錆びれた剣は、その姿を変えていた。美しい漆黒の刃。その峰は銀色に輝き、鍔は金色の輝きを放つ。柄頭で銀色の下げ緒が揺れ、まるでそれは飾り物の様な剣に見えた。だが、その剣が放つ異様な空気に、クリスの手には汗が滲む。ピリピリと全身に感じる威圧感。それを感じ取ったのだ。
(な、何だ……あの剣は……)
眉間にシワを寄せ魔族の少年――いや、その少年の持つ剣を睨む。僅かにだが、少年と目が合うが、クリスの注意は完全にその剣へと向けられていた。
「ベル? わ、分かった。それじゃあ、力を借りるぞ。ベル!」
唐突に少年がそう叫び、力強く右足を踏み込む。
(来るっ!)
クリスがそう確信し身構えると、その横を疾風が駆け抜ける。何が起こったのか、全く目で追えなかった。ただ、対峙していたはずの少年の姿が消え、土煙が真っ直ぐに自分の横を抜け後方へと続いている事から、彼が後方に回ったのだとすぐに気付き体を反転させる。
「な、何だ……今の動きは……」
今までとまるで違うその動きに驚く。まるで別人と対峙している様だった。だが、それも束の間、彼は唐突に横転し激しく土煙を舞い上げる。先程見せた素早く力強い動きはなりを潜め、不恰好に転がるその姿に、クリスは右の眉をピクッと僅かに動かした。
コイツは一体なんなのだと、クリスは苛立つ。そんな感情を押し殺す様に小さく息を吐き、咳き込む少年を真っ直ぐに見据える。
「い、いきなり力抜くなよ……全く……」
少年が立ち上がり衣服に着いた土埃を払い呟き、その美しい剣を構え直す。その動きに合わせる様に、クリスも右足をすり足で前へと出すと、剣を静かに構えた。今度はその動きを見失わない様にと、意識を彼へと集中させて。
二人の視線が交錯し、時が刻々と刻まれる。緊迫した空気が漂い、互いに動き出すタイミングを計る様にゆっくりと足を少しずつ動かす。集中するクリスは、彼の右足に体重が乗ったのを確認し、自らも右足へと体重を乗せる。
そして、二人の間に僅かな風が吹き、土煙が舞い上がる。その瞬間、クリスは全体重を右足の指先へと乗せ、僅かに前傾姿勢を取った。やがて、風が止み土煙が土へと戻るその瞬間、二人の足がほぼ同時に地面を蹴った。
二人が地面を蹴った事により舞う土煙。僅かにクリスの方が早い動き出しだったが、それでも魔族の少年の方がクリスよりも僅かに力強い蹴り足で間合いを縮めていた。ほぼ互角のスピードで間合いを詰め、互いに刃を振り抜く。空気を裂き、風を斬り、二つの刃が交錯する。紅蓮の炎をまとう白刃と美しく輝く黒刃。二つの刃は激しく火花を散らせ、反発する様に互いに弾き合った。いや、正確には二人が同時に距離を取る為に飛び退いたのだ。
今の一太刀でクリスは悟った。コイツと同じ間合いで打ち合ってはいけないと。それは、魔族の少年も同じだったのだろう。だから、すぐに飛び退き距離を取ったのだ。
足元に激しく土煙を舞い上げる二人は、すぐに互いの姿を確認する様に視線を上げる。視線が交錯すると、二人は再び地を蹴り互いに刃を振り抜く。
何度も何度も衝突する二つの刃。その二人の間を彩る様に爆ぜる火花に、周囲を包む澄んだ金属音の音色。一定のリズムを刻み、美しく響くその音に周囲の皆はただ息を呑む。
そんな中で起きた大きな衝撃。それは二人の体を大きく弾き、二人の距離を大きく離した。完全に体勢を崩した二人の動きが止まり、静寂が生まれた。
「はぁ……はぁ……」
「くっ……ふぅ……」
二人の呼吸音だけがその場に聞こえ、二人の額から零れた汗が地面へと落ちる。疲労がクリスの体を襲っていた。これ程まで長く剣を交えたのは久しぶりだった。自分と対等いや、それ以上かも知れない力を秘めたこの少年の姿を見据え、クリスは確信する。この少年はここで殺さなければならない、と。
静かに息を吐き呼吸を整えるクリスは、腕を下ろす。その手から剣が消え、やがて二本の剣が手の中に現れた。それを静かに構え、クリスは少年を真っ直ぐに見据える。
クリスの変化に気付いたのか、少年は僅かに足を退くと怪訝そうな表情を浮かべながら剣をゆっくりと構えた。独り言の様になにやらブツブツと呟き何度か頷く少年の様子を窺いながら、クリスは意識を二本の剣へと集中させる。そして、叫ぶ。
「紅蓮二刀!」
高らかに声が響き、同時に二本の刃に紅蓮の炎が灯る。赤く透き通る様な鮮やかな炎を刃に灯したクリスは、二本の刃を持ったまま体を捻り、
「炎陣!」
と、声を上げると同時に腕を伸ばし自らの体を軸にして回転し始めた。回転は徐々に加速し、足元から風が土煙を巻き上げ、やがて二本の刃に灯った炎がその風へと引火しクリスの体を取り囲む。
紅蓮二刀・炎陣。元々、周囲の敵を一蹴する為の技で、一対一の戦いよりも多勢、しかも囲まれた時に効果的な威力を放つ技だった。それでも、クリスがこの技を使用したのは、彼に邪魔されない様にする為だ。今から、クリスは膨大な精神力を練らなければならない。クリス自身が彼を認めたのだ。全力で倒さねばならない存在なのだと。
炎の渦が完全にクリスの体を隠すと、クリスは回転を止め両手の剣を消す。
「はぁ…うくっ……っ」
大量の汗を滲ませ膝へと手を着く。炎陣の使用により、大分精神力を消耗してしまったのだ。魔族と違い人間には魔力が無い。その為、この様な技を使用する時、精神力を魔力に変換し消費する。更にクリスの扱う紅蓮流剣術は通常の剣術よりも体力を消費し、武器を出し入れする転送術も契約をしているとは言え、少なからずの精神力を消費する。その為、現在クリスは体力も精神力も大分消耗している事になる。
元々、常人よりも精神力が高めのクリスだが、魔族に対する怒りとこの場に来るまで走った事による体力の消耗により、いつもよりも精神力が失われていた。魔力と違って精神力は体力の影響を受ける。故に、失われた体力分、精神力も失われているのだ。
「これで……終わらせる……」
膝に着いた手を離し、ゆっくりと背筋を伸ばす。そして、大きく息を吸うと、その目に強い意志を宿し、その手の中に大刀を転送し、それを頭上へと構えた。