第3話 セルフィーユ
冬華は目の前に存在する半透明な不思議な少女を見据える。
先程、あの若い男が刃物を隠し持っていると気付かせたのも彼女の存在があったからだった。
霊体の様なその存在の少女の綺麗なサファイア色の瞳をジッと見ていると、少女が右手をスッと差し出し軽く頭を下げた。
金色の美しい長い髪が流れる様に彼女の頬を伝い、宙を舞う。その様が美しく女の冬華も思わず見惚れてしまった。
一礼した少女はゆっくりと顔を上げる。大人しげな幼さが残る顔に、優しく暖かな笑みを浮かべ、静かに口を開く。
「…………」
だが、冬華の耳に彼女の声は届かなかった。ただ、唇がパクパクと動くだけ。その様子に、冬華は小首をかしげ、
「ごめん……何か伝えたいのは分かるけど、何言ってるか分からないわ」
冬華がそう言うと、彼女は自分の声が出てない事に気付いたのか、ポンと胸の前で手を合わせ、
『ご、ごめんなさい。声、出てませんでしたね』
と、綺麗な声で冬華に告げた。自分の失敗に恥ずかしそうに顔を赤くする少女に、冬華は笑いを噴出した。
「ぷふふっ。何? あなたって、面白いのね」
『は、はぁ……そんな風に言われたのは初めてです』
照れた様に笑う少女に、冬華はまた笑いを噴出した。その笑い声に部屋の外から数人の人が顔を覗かせるが、皆不思議そうな表情を浮かべ去っていった。
やがて、冬華の笑いも納まり、少女は相変わらず恥ずかしそうに笑みを浮かべていた。
「えっと、それで、あなたは?」
『私は、セルフィーユです。あなたをずっと待っていました』
「私を?」
セルフィーユの言葉に驚く冬華に対し、セルフィーユはコクッと頷く。まるでそれが当たり前の様に。
わけが分からず、腕を組み考え込む冬華は、頭の後ろで束ねた黒髪を揺らしながらその場をウロウロと歩き出す。その様子を黙って見据えるセルフィーユは、軽く首をかしげた。
暫く歩き回った後、魔法陣らしきモノの中心で足を止めた冬華は、セルフィーユの方へと顔を向けた。
「あなたは、私がここに来る事を知ってたの?」
『いいえ。知っていたのは、異世界から導かれた者が現れると言う事だけ。今回はたまたまあなただっただけです』
「へぇー……でも、その言い方だと、前にも――って、そうか。前にも前例があるからあの儀式……」
冬華は自分の足の下に描かれた魔法陣を見据え小さくため息を吐く。そして、あの時パソコンの前に現れた穴が、この儀式によって開かれたこの世界への入り口だったのだと理解した。そんな迷惑な話にもう一度、今度は深いため息を落とし、不快そうに眉間にシワを寄せる。
「全く……迷惑な話ね……」
『す、すいません……』
セルフィーユは常人よりも人の感情の変化に敏感なのか、一瞬見せた冬華の嫌そうな顔に、困った様な表情を浮かべ俯く。そんなセルフィーユの顔をキョトンとした表情で冬華は見つめる。
「はぁ? 何であなたが謝るのよ? 別にあなたの所為じゃないんだから、謝る必要なんて無いのよ」
『で、でも……なんだか、怒ってるみたいでしたから……』
「だから、あんたに怒ってるわけじゃないわよ。何もしないで、誰かの力に頼ろうとするこの世界の人達に怒ってるのよ」
両手を肩まで上げ、ため息混じりに首を左右に振る。そんな冬華の様子を見据えるセルフィーユは、ふと思い出した様に口を開く。
『すみません。英雄様。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいですか?』
「えっ? 私? 私は、白雪冬華よ。白い雪の様な冬の華って意味よ」
冬華が自慢げにそう言うが、セルフィーユはキョトンとした表情を浮かべ、
『は、はぁ……。白い雪の様な冬の華ですか?』
そう聞き返され冬華は今自分の置かれた状況を思い出した。
「そっかぁ……この世界とじゃ文字が違うんだぁ……」
『す、すいません! 本当にすいません!』
落ち込む冬華に、必死に頭を下げるセルフィーユ。そんなセルフィーユを見ていると、不意に幼い頃の裕也を思い出し、少しだけ寂しくなった。冬華のそんな微妙な心境の変化に、セルフィーユは心配そうな表情を浮かべる。
『だ、大丈夫ですか? 冬華様?』
「ヘッ? あっ、だ、大丈夫よ。あはは……」
セルフィーユの声にその場を誤魔化す様に笑った。もちろん、それにセルフィーユはすぐに気付いたが何も言わずただニコッと微笑んだ。そんなセルフィーユの笑顔に癒され、冬華も「ふふっ」と静かに笑みをこぼした。
静かに流れる時の中、冬華はセルフィーユからこの世界の事を聞いた。
ここがゲートと呼ばれる世界で、現在人間と魔族が争っている事。五人の王と三人の魔王の存在。この世界の大陸図。色々な事をセルフィーユは語った。
そして、最後に告げた。出会って初めて見せた悲しげな表情で。
『この先、冬華様にはとても辛い事が待っているかも知れません……ですが、この戦いを終わらせるにはあなたの力が必要なんです。どうか……どうか、あなたの力を……』
頬を伝うセルフィーユの涙に、冬華は静かに拳を握った。彼女の涙に何とかしてあげたい。そう思い、ゆっくりと頭に手を伸ばしたが、その手は無情にも彼女の体をすり抜けた。
『えっ?』
「ありゃ……やっぱりダメ?」
『な、なんですか? 真面目な話をしていたのに……』
鼻を啜りながら鼻声でそう言うセルフィーユに、苦笑する冬華は、
「えっと、セルフィーユを元気付けようと思ったんだけど……やっぱ、霊体なのね。その体」
『はい……グスン。すいません……』
「イイのよ。でも、少し残念かな。私も一度やってみたかったから……」
少し寂しげな表情を浮かべる冬華に、セルフィーユは涙を拭いて聞く。
『やってみたかって、どう言う事ですか?』
「えっ? うん。ちょっとね。昔ね、私が泣いてる時によく元気付けられたおまじないみたいなモノをね。セルフィーユにもしたかったんだけど、失敗しちゃった」
あははは、と笑う冬華に、セルフィーユは少しだけ笑顔を取り戻した。冬華の優しさをその身に感じたのだろう。しかし、すぐにその表情も変化し、
『少しだけ残念です……』
「何が?」
『わ、私も、そのおまじないで、元気付けられたかったです……』
「でも、霊体じゃ、しょうが無いわよ。何か他の方法を次までに考えておくわ」
ニコッと笑うと、セルフィーユも笑顔で返した。
廊下から慌ただしい足音と、人の叫び声が聞こえたのは、その数秒後だった。女性の悲鳴の様な声が聞こえたかと思うと、誰かが人の名前を呼ぶ声が聞こえ、呻き声の様な声が最後に響いた。
「な、何? 急に?」
『分かりません。でも、何かあった様ですね』
妙に落ち着いた様子でそう返答したセルフィーユに、冬華は軽く首を傾げたが、それよりも先程の声が気になり部屋を飛び出した。広い廊下を行き交う人の波。その人達の行く場所から、その呻き声は響いてくる。
「まさか、魔族が攻めてきたとか?」
『そんなはずは……ここは、ゲート一の防壁を誇る城ですから……』
「じゃ、じゃあ、一体……」
『と、とりあえず行ってみましょう』
セルフィーユに促され冬華は走り出す。人々が向うその先に。
そして、目の当たりにする。血に塗れた戦士たちの姿を。
「な、何これ……」
冬華が先程まで居た部屋とは違う魔法陣の描かれた部屋の一室。
腕を切り落とされた者。
重度の火傷を負った者。
恐怖に震える者。
そこに居た人々が言葉に鳴らない声を発していた。
目の前の光景に驚愕し、ただ呆然とする冬華。その横を一人の男が通り過ぎた。侍風の格好をした男。僅かに血の匂いをセルフィーユは感じたが、それよりもその男の放つ異様な殺気に恐怖し体を震わせる。
「な、何? どうしたの? セルフィーユ?」
セルフィーユの異変に気付いた冬華がそう声を掛けるが、その声は届かずセルフィーユは震えながらその場に蹲ってしまった。