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ゲート ~白き英雄~  作者: 閃天
最終章 不透明な未来編
294/300

第294話 幸せでした

 立ちはだかるのは魔術師。

 放出される膨大な禍々しい魔力は、古城前広場を覆い尽くす。

 感知能力など関係なく背筋をゾッとさせるその魔力の波動に、空間転移でこの場に呼び出された面々も状況を理解し始めていた。

 イエロの丁度真後ろに転移されたアオとレッドの二人は、慣れたものでいち早く状況を理解し、周囲を見回し情報を得ていた。

 イエロから見て右側に近い方からティオ、レオナ、キース、ライの四人。左側には剛鎧、ウォーレン、ルーイット、シオの四人。各々、多少なりに困惑した様子を窺わせながらも、状況を確認する。

 レオナはライとキースの治療を優先させ、ティオは重々しい土の剣・黒天を地面へ突き立て、息を吐く。

 剛鎧は膝を着く天童の姿を見つけると、安堵したように息を吐いた。

 その一方でウォーレンは辺りを見回した後、落胆したように肩を落とす。これだけいるなら、もしかしたらパルもいるのではないか、そう思っていたのだ。

 そんな中、一人憮然とした表情のシオが、イエロの方へと体を向ける。


「おい! 今すぐ、オイラを元の場所に戻せ!」


 声を荒げるシオを、


「ちょ、ちょっと! シオ!」


と、ルーイットが困り顔で窘める。

 しかし、シオはそんなルーイットを押し退け、イエロの方へと足を進めた。


「おい! お前! 聞いてるのか! オイラを――」

「戻るのですか?」


 イエロの静かな声に、シオの足が止まる。その表情は不快そうだった。


「それは、あなたの父に対して失礼だと思うのですが?」


 知った風にそんな事を言うイエロに、シオは鼻筋へとシワを寄せると、全身の毛を逆立てる。


「てめぇに何が分かる!」


 ロゼの状態を、あの場所の状況を知らないで、何を言っているんだ。そう言うようなシオの言葉。


「いいから、とっとと戻せ!」


 それが理由なのか、シオの口調は荒々しい。

 シオの言葉に対し、呆れたように頭を振るイエロは、困ったように眉を曲げる。


「分からない人なのですよ。それは、あなたの父への侮辱なのですよ?」


 イエロは小さく首を傾げる。だが、すぐに真剣な表情を向けると、


「それとも、あなたはあの程度の相手に、あの獣王ロゼが負けてしまう。そう思っているのですか?」


と、告げ、微笑する。穏やかな笑顔に、シオは右の眉をピクリと動かす。

 二人の視線が交錯する。唇を噛み締めるシオは瞼を閉じ、拳を握った。イエロの言っている意味は分かる。

 父であるロゼを信じていないのか、そう言いたいのだと。だが、ロゼは魔力を大量に使用した。あの状態でまともに戦えるのか、とシオは不安だった。

 そんなシオの不安を払拭するように、デュバルが口を開く。


「大丈夫だ。仮にもあいつは魔王だ。獣王と言う名は伊達じゃないさ」


 デュバルの重々しい言葉に、シオは少々不満そうな表情を浮かべる。だが、渋々と納得したように頷く。父と同じ魔王であるデュバルの言葉には、それだけの説得力があった。

 不満気なシオに苦笑するイエロは、デュバルへと目を向け頭を下げる。しかし、デュバルは気にするなと言うように右手を挙げ、会釈する。

 ようやく、周囲が落ち着き、皆の視線が魔術師へと向けられた。

 槍を片手に握る冬華は、渋い表情を浮かべる。この魔術師の強さは重々知っていた。多分、ここにいる誰よりも知っているかも知れない。だからこそ、動くに動けなかった。

 そんな中、冬華の視線の先に佇むクロトが、右肩をやや落とし、


「さてさて、どうしたものか……」


と、呟いた。疲れたようなその声と共に吐息が漏れる。

 傍から見ればやる気のないように見えた。しかし、冬華にはクロトが何かを考えているように見えた。

 基本的にクロトは何かを考える時に、気怠い雰囲気を出している。それは、恐らく面倒な事に巻き込まれた、この状況をどうしようとか、いろいろと考えるからだろう。

 冬華も色々とは考えている。この魔術師を相手にどうするか。どう戦えばいいか。など、考えるのは目の前にいる魔術師との事と、クリスや他のメンバーの事。

 皆、満身創痍だ。それほど、疲弊している。果たして、このメンバーで勝てるのだろうか。そんな疑問が冬華を不安にさせた。

 そんな折だ。沈黙を破るように、イエロの明るい声が響く。


「ではでは、皆さん。ここは、ケルケルとシオシオに任せて先に行くのですよ!」


 イエロの発言に冬華は一瞬、誰の事だろうと、思う。

 一方で、当の本人達は自分の事とすぐに理解したのか、顔をしかめイエロを睨む。そして、お互いの事をチラリと確認した後、言い放つ。


「わりぃーけど、あいつとは組まねぇ! 第一、オイラが奴と戦う理由はねぇだろ!」


 そう声を荒げるシオは両手を肩口まで挙げ肩を竦めた。

 シオの発言に眉間にシワを寄せるケルベロスは、


「俺も貴様と組むのはごめんだ」


と、腕を組み言い放った。

 拒否する二人に、イエロは困ったように首を傾げた。そして、残念そうにため息を吐き、


「だったら、仕方ないのです。別の人に頼むのですよ」


と、告げ、もう一度吐息を漏らす。


「ああ。そうしてくれ」


 腕を組むケルベロスがそう言うと、


「そうしろそうしろ!」


と、シオも負けじとそう言い放つ。

 そんな二人に呆れたように頭を振るイエロは、意味深に吐息を漏らし二人の意識を自分へと集中させる。


「いやー。残念なのですよ。あなた方なら、進んで引き受けてもらえると思ったのですが、残念なのですよ。では、彼女の眼を取り返すのは別のどなたかにお願いするのですよ」


 イエロのその発言に、シオとケルベロスは目を見開くと、その眼を魔術師へと向けた。

 血走った魔術師の眼。その眼にシオとケルベロスの態度が一変する。


「いいだろう。あいつの相手は俺がする」

「いいや。オイラがあいつをぶっ殺す!」


 全身から魔力を滲ませるケルベロスと精神力を全身から迸らせるシオ。

 突然、態度を一変させた二人の言動に、魔術師は表情を引きつらせる。


「おいおいおい。舐めんなよ。テメェら全員、ここで死ぬんだよ!」


 魔術師が右腕を振り下ろす。すると、大地が激しく揺れる。


「な、何をする気だ!」


 クリスが声をあげ、険しい表情を浮かべる。


「気をつけろ! 何が起こる分からないぞ!」


 続けざまにアオは叫び身構えると、レッドと背中を合わせる。互いに信頼しているからこそ、背中を預け周囲を警戒していた。

 他の皆も周囲を警戒し、武器を構える。

 揺れは激しさを増し、やがて地面には亀裂が生じる。それは、魔術師からイエロへと真っ直ぐに伸びていた。

 その直線上には前からクロト、冬華、と並び、イエロを跨いでアオ、レッドと並んでいた。そんな彼らは足の裏に地面が崩れゆく感触を感じ取る。


「ヤバイ!」


 クロトはそう叫び、右へと飛ぶ。

 それを後ろから見ていた冬華は、


「クロト!」


と、叫び右足へと重心を乗せる。だが、そんな冬華の左腕をイエロが掴み、強引に左へと引っ張った。

 それと同時に、地面が割れる。大きな音を立て、皆を分断するように。

 地面は大きく開かれ、完全に二組に分断される。

 一方は、冬華、クリス、シオ、ルーイット、イエロ、アオ、剛鎧、ウォーレンの八人に加え、デュバルと意識を失っているセラを合わせ、計十人。

 その反対側にはクロトを含め計八人。バランスは悪いが、冬華とクロトが上手い具合に別れた。デュバルを除けば、戦力的にも五分五分と言っていいだろう。

 揺れはやがて収まる。イエロに腕を引かれた冬華は完全にバランスを崩し、尻もちを着いていた。


「うぅ……痛い……」


 お尻を打ち付けた冬華は、涙目で割れた地面へと目を向ける。

 そんな折だ。


「クロクロー」


と、イエロが向こう側にいるクロトへと呼びかける。

 ヒョコヒョコと飛び跳ねイエロは両翼をパタパタと振った。クロトの目がすぐにイエロへと向く。


「ここからは、二手に分かれて目的地に向かうのですよ!」

「目的地?」


 イエロの発言にクロトは怪訝そうに呟く。

 そして、冬華も疑念を抱く。


「イエロは、知ってるの? 目的地の事?」


 打ち付けたお尻を擦りながら立ち上がる冬華はイエロへとそう尋ねる。

 すると、イエロは右手で胸をポンと叩く。


「当然なのですよ。私は何でも知っているのですよ!」


 自信満々に答えるイエロに、冬華は目を細めた。どこからその自信が来るのだろうか、と。

 その一方で、アオとレッドは視線を逸らし肩を落とす。


(行くべき場所を知っているなら……)

(最初からそこに転送してくれ……)


 心の底からそう思う二人は深々とため息を吐いた。

 そんな二人の考えを悟ったのか、イエロは眉尻を下げ、


「ただ、様々に分岐しているので、正確な場所は分からないのです。ですので、手分けして探すのですよ!」


 これまた、自信満々に言い放つイエロは、その瞳を輝かせムフーンと鼻から息を吐いた。

 何故、そんなにも自信たっぷりなのか、と冬華は思い呆れた眼差しをイエロへと向ける。


「ではでは、私達は西館から入りるので、クロクロ達は東館からお願いするのですよ」


 イエロはクロトへと向かいそう声を張る。そんなイエロの声に、


「ああ。分かった。それじゃあ――」


と、冬華へと視線を向ける。クロトと一瞬だが目が合う。だが、クロトは何かを言うわけでもなく、その視線をセラの方へと向けた。


「セラ達は、どうする?」


 クロトのその発言に、冬華はデュバルとセラの方へと目を向ける。

 現状、二人は動く事が出来ない。他にも、キースやライも治療中で動く事は出来ない。

 何故、そんな二人までここに転送してきたのかは分からないが、イエロには何か意図があるのだろう。そう冬華は考え、イエロへと目を向けた。


「えぇ。大丈夫ですよ。セラっちはもうすぐ目を覚ましますし、あの二人ももう治療は終わっていますよ。ねっ? レオナっち」


 イエロの言葉にレオナは眉間にシワを寄せる。だが、すぐに金色の長い髪を揺らし、イエロの方へと体を向けた。


「えぇ。終わっているわよ。とっくに。でも、意識が戻るかどうかは、彼ら次第よ?」


 眉を顰め、肩を竦めるレオナは目を細めイエロを見据える。

 イエロの考えを読んでいたのだろう。とても嫌そうな表情を浮かべる。正直な所、怪我人をこれ以上戦わせたくはなかった。

 しかし、状況が状況だ。文句は言えなかった。


「さて、向こうはクロクロ達に任せて、こっちも動くのですよ」


 イエロはそう言うと冬華の方へと体を向ける。向こう側の事が気になる冬華だが、すぐに切り替えイエロを真っ直ぐに見据えた。


「こっちも動くって……具体的にどうするの?」


 冬華が首を傾げると、イエロは小さく頷く。


「とりあえず……セラっちの事、おぶってもらっていいのですか?」

「えっ? わ、私!」


 驚きの声を上げる冬華に、イエロは「はいっ」と明るく元気よく答える。

 目を細める冬華は、唇を尖らせる。不満はあった。だが、冬華は渋々と肩を落とし歩き出す。

 片膝を着くデュバルの横を通り過ぎ、横たわるセラの前で冬華は身をかがめる。


「もう……こう言うの普通、男の人がするべきなんじゃないかな?」


 不服そうにそう呟く。すると、デュバルが苦笑し、


「すまないね。お嬢さん」


と、深く頭を下げた。

 デュバルの言葉に慌てる冬華は、両手を体の前で振る。


「い、いえ! べ、別に、そ、そんな――」

「いやいや。気にしなくていいさ。ただ……娘の事を頼む」


 もう一度デュバルは深く頭を下げた。そんなデュバルの態度に冬華は思う。娘であるセラを本当に大切にしているのだと。

 だからこそ、冬華は息を呑み込み、真剣な表情で「はい」と答えた。

 そして、冬華はぎこちない動きでセラを担ぐ。

 と、そこに、アオが駆け足で近づくと、


「セラは、俺が担ごう」


と、冬華に手を差し伸べた。


「う、うん。ありがとう」


 冬華はそう答え、担いでいたセラをアオへと託した。


「さてさて、行くのですよー」


 イエロは冬華や他の面々へとそう促し、ぴょんぴょんと跳ねながら前へと進む。

 そんなイエロに呆れたように微笑する冬華は、肩を落とした後にクリスへと目を向ける。すると、クリスは小さく頷き、西館へと向かい走り出す。

 先陣を切ろうと言う事だった。ただ、冬華は心配だった。すでに、クリスはライオネットとの戦いで体力を消耗している。当然だが、この短時間で体力が急激に回復したと言う事はないだろう。

 そんな状況で先陣を切っても大丈夫なんだろうか、と。

 クリスに続き、冬華、イエロ、セラを背負ったアオ。そして、後方にウォーレンと剛鎧の二人が続いた。

 冬華は西館に向かう最中、シオへと目を向けた。鼻筋にシワを寄せ、魔術師を見据えるシオの姿に、冬華は何も言わず、ただ不安そうな眼を閉じた。


 ――大丈夫。――大丈夫。


 そう自分に言い聞かせ。

 冬華、クロト達が動き出すと、魔術師は口元を緩め笑う。


「おいおいおいおいおい……なんだ? 俺を馬鹿にしてんの? お前ら全員、逃がすわけねぇーだろ!」


 魔術師は両手に魔力を圧縮する。


「グラビテーション!」


 両腕を振り下ろす。それと同時に魔術師の前へと飛び出したのはシオとケルベロス。

 瞬功により俊敏性を強化したシオと、膨大な魔力を全身からほとばしらせるケルベロス。

 この二人の動きは魔術師にとって、想定内のことだった。故に焦りはなく、そのまま半径二〇〇メートル圏内へと超重力を広げた。

 強力な力が西館、東館へと向かおうとしていた皆の動きを止め、同時に迫っていたシオとケルベロスの動きも制する。

 冬華は思わず膝を地面に落としそうになった。それでも、奥歯を噛み締めそれを堪える。


「うぐっ……な、何……これ……」


 険しい表情を浮かべ、魔術師へと目を向ける。


「禁術なのですよ。とりあえず、ここは、彼女に任せるのですよ」


 冬華の疑問に答えたのはイエロ。そして、その眼は魔術師の上空へと向けられる。

 当然だが、この超重力は範囲魔法。上空だろうと、その範囲内に入れば、効果を受ける。

 しかし、彼女はそんな事など計算していたわけじゃない。それを、知っていたわけでもない。

 彼女は彼女にしか出来ない事を、彼女が唯一出来る戦い方をすべくため、跳躍した。そして――


「部分獣化!」


 超重力に引かれ――


「右腕!」


 降下するスピードを加速させ――


「獅子王!」


 膨れ上がったその右腕を地上へと叩きつける。

 衝撃が広がり、魔術師は弾かれる。石畳の地面は軽々と粉砕され、数十メートルも深く陥没する。


「っ! 何だ!」


 弾かれた魔術師は、陥没した地面の上を転げた後、体を起こしそう声を上げた。

 何が起こったのか、全くわからなかったが、すぐに理解する。

 陥没する地面の中心に片膝を着く少女、ルーイットの姿で。その華奢な体格とは不釣り合いな数十倍程に膨れ上がった右腕。それが、地面に減り込んでいた。

 膨れ上がった右腕には太い血管が浮き上がり、赤く染まったその肌からは蒸気が吹き上がる。


「私の事、忘れないで欲しいんだけど?」


 紺色の長い髪を揺らし、獣耳をピクリと動かすルーイットは、静かにそう告げ魔術師を睨んだ。

 赤い獣のような瞳を魔術師へと向けるルーイットは、不釣り合いな右腕を曲げ、その小節を顔の横で握り締める。


「シャルルは……私の親友だったんだから。私も一緒に戦う権利があるはずよね」


 胸を張り、深く息を吐くルーイットに、魔術師は鼻筋にシワを寄せた。


「獣風情が……調子に乗ってんじゃねぇぞ!」


 乱暴に怒鳴る魔術師の赤く血走った眼がルーイットを睨む。

 すでに、グラビテーションは解かれ、他の面々が動き出していた。当然だが、シオとケルベロスの二人も、駆け出していた。膝をつくルーイットを左右から追い抜くシオとケルベロスは、そのまま魔術師へと迫る。

 右から魔術師へと迫るケルベロスを置き去りにし、左から駆け抜けるシオが、一足先に魔術師へと右足を踏み込む。

 そんなシオへと魔術師の赤い瞳が向けられる。そして、シオへと右手がかざされる。


「おせぇよ」


 その発言とともに、シオが振り抜いた右拳が吸い込まれるように魔術師の魔導義手である右手に収まった。

 奥歯を噛むシオは、眉間に深いシワを刻み、魔術師を睨む。刹那だ。


「蒼炎拳!」


 ケルベロスの声が轟き、蒼い炎を揺らめかせる拳が魔術師の顔面を打ち抜いた。


「がっ!」


 鈍い打撃音と共に、魔術師がそんな声を漏らし、後方へと弾かれる。意識がシオに向いていた為、ケルベロスに接近を許してしまった。

 いや、それだけではない。本来、魔術師の予想では、ケルベロスが間合いに入るまでまだ時間がかかるはずだった。

 それだけ、獣魔族であるシオと魔人族であるケルベロスとでは、身体能力、瞬発力に差がある。しかも、シオは瞬発力を強化している為、更にケルベロスとは差がつく、そう考えていたのだ。

 鼻から血を流す魔術師は、体勢を整えると右手の甲で血を拭い奥歯を噛み締める。


「てめぇ……」

「悪いな……。全力で叩かせてもらうぞ」


 ケルベロスはそう言い放ち、真っ直ぐに魔術師を見据える。

 その体は薄っすらと発光していた。その光景をシオは一度、目にしていた。故に複雑そうに眉間にシワを寄せる。


「お前……」


 シオは絶句する。

 ここまで、ケルベロスが覚悟を決めていたとは思わなかった。そして、理解する。瞬発力を強化した自分にケルベロスが追いついた理由を。

 それは、諸刃の剣――魔人族のみが使える技。魔力開放を使用しているからだと。



 時は少しだけ遡り――丁度、ルーガス大陸を包んでいた眩い光が消えた直後――ルーガス南の戦場。その右翼に、水蓮、龍馬、秋雨の三人はいた。

 そして、三人の前に立ちはだかるのは――


「そろそろ、諦めて――死んでくれませんか?」


 純白の衣装に身を包んだ神々しい輝きを放つ大聖女――レベッカ。

 金色の長い髪を揺らし、冷めた瞳を三人に向けるレベッカは、右手を胸の高さまで上げる。


「レクイエム」


 レベッカの薄紅色の小さな唇がそう口にし、彼女を中心に足元に半径一〇〇メートル圏内に魔法陣が輝く。


「ッ!」


 龍馬が小さく舌打ちをし、


「来るぞ!」


 秋雨が刀と脇差しを構え、


「はいっ!」


と、水蓮が水の剣・水月を構え叫ぶ。

 それと同時に、彼女の足元に描かれた魔法陣を突き破り、地面より這い出る死者の亡骸。ある者は片目が抉られ、ある者は腕が引きちぎられ、ある者は両足を失い……

 腐った強烈な異臭を漂わせるその集団に、三人は険しい表情を浮かべる。

 これで、何度目になるだろう。すでに、三人の周りには腐った肉片が散らばっていた。

 長刀を両手で握り締める龍馬は、精神力を刃へと注ぐと、それを魔力に変換し、刃に炎を灯す。

 刀と脇差しを構える秋雨も。同じく精神力を刃へ集め、それを魔力へと変え、刃に水を纏う。

 そして、水蓮は、すり足で右足を前に出すと、水月を腰の位置へと構え、深く息を吐き出した。

 三人共、すでに限界が近い。精神力もだいぶ消耗し、体力的にも動きは鈍くなっていた。

 まるで両足を沼に引きずり込まれているような、そんな感覚を三人は感じていた。


「くっ!」


 這い出てきた屍が錆びれた武器を片手に襲い来る。それに対し、険しい表情を浮かべる龍馬は長刀を振るう。

 炎に包まれた刃が屍を切りつけ、炎がその肉体を焼き払う。腐った肉体の焼ける嫌な臭いに、龍馬は苦悶の表情を浮かべる。

 そして、秋雨も――。


「ッ!」


 左手に持った脇差しで一撃を防ぎ、右手に持った刀で確実に首を掻っ切る。彼らは屍。頭と体を切り離さなければ、いつまでも蠢き、襲い来る。故に、秋雨の狙いは首のみだった。

 素早く立ち回りながら、一撃一撃寸分違わず首を狙う。それだけ、秋雨は集中していた。

 そんな二人と共に戦う水蓮もまた、全神経を研ぎ澄ませていた。鉤爪状になった切っ先を首へと引っ掛け、そのまま首を掻っ切る。黒ずんだ血が弾け、異臭が漂う。

 そんな黒ずんだ血を浴び、水蓮は嫌そうな顔をする。それだけ、強烈な臭いだった。

 三人とも屍に囲まれ、彼らを一体一体倒していくので手一杯で、大聖女レベッカまで手が回らない。当然だが、この現象を引き起こしている張本人であるレベッカを倒さない限り、彼らは何度でも地面より這い出る。

 故に、三人はただ体力を消耗していく一方だった。


「くっそ! おい! 秋雨! どうにかなんねぇーのか!」


 龍馬が怒鳴る。

 当然だが、秋雨も自分の事で手一杯。考えているだけの余裕はなく、


「私にどうしろと言うんですか! この状況で、どうこう出来るわけないでしょーが!」


と、苛立ち怒鳴る。

 二人の怒声に、レベッカは微笑する。


「仲間割れですか? いっそ、殺し――ッ!」


 突如、レベッカの声が乱れ、同時にその場から飛び退く。彼女が動いたことにより、聖力の供給が途切れ、魔法陣が消える。

 それに遅れ、衝撃が地面を伝う。


「な、何だ!」


 龍馬が声をあげ、


「ッ!」


 秋雨が表情を歪め、


「わわわっ!」


 水蓮が慌てたように声を上げた。

 僅かな揺れに、龍馬と秋雨は両足を踏み締め、水蓮はバランスを崩し片膝を着いた。

 三人の視線は先程までレベッカがいた場所へと向けられる。そこには、一本の鋼鉄で出来た棍が突き刺さっていた。僅かに雷をまとうその棍に、その場を飛び退いたレベッカは眉間にシワを寄せる。


「まさか……あなたが、来ていたとは……」


 不快そうなレベッカの声の後、静かな足音がその場に響き、


「ああ……。つい最近、記憶を取り戻してな。お前を止めに来た」


と、黒い牧師風の服を来た青年――ロズヴェルがそこにはいた。

 穏やかな表情で黒髪を揺らし、細い眼の奥から覗く紫色の瞳が真っ直ぐにレベッカを見据える。

 二人の瞳が交錯し、やがてレベッカは瞼を閉じ、薄っすらとその口元へと笑みを浮かべた。


「記憶を取り戻した? 一体……なんのお話をしているんですか?」


 丁寧な口調でそう尋ねるレベッカに、ロズヴェルは細い目を一層細くし答える。


「あの日……私が、一つの村を消し去り――いえ。正確には、転生したばかりのあなたが、力を暴発させ村を消滅させたあの日の事ですよ」


 静かにそう述べるロズヴェルに、レベッカは鼻から息を吐きゆっくりと瞼を開く。


「そんな事もありましたね……。しかし、どうして、私が転生したと?」

「これでも、家は教会でしたので。まぁ、それも、今はありませんが……」


 肩を竦めるロズヴェルに、レベッカは「そうですか」と静かに答え頷く。

 この状況下、龍馬、秋雨、水蓮の三人は困惑していた。そもそも、ロズヴェルが敵なのか味方なのかも三人は理解していなかった。

 表情を強張らせる三人を無視し、二人は更に話を進める。


「通りで、その手の術を知っていたわけですか。しかし……奴隷上がりの兵士如きに、記憶を消されてしまうとは……私もまだまだですね」

「私としては、何故、大聖女と呼ばれたあなたが、そこまで闇に落ちてしまったのか、そう聞きたい所ですよ」


 ロズヴェルは静かにそう尋ね、微笑する。

 大聖女レベッカ。英雄のパーティーの一員で、慈愛に満ち溢れた聖女。ヒーラーとして群を抜き、神に愛されている。そう言われる程だった。

 そんな彼女が転生と言う禁忌を犯してまで、この世界へと――神へと仇なす事になったのか、その理由をロズヴェルは知りたかった。

 だが、レベッカは口を閉ざし、冷めた目をロズヴェルへと向ける。

 二人の視線が交錯し、数秒の時が流れた。流石の龍馬達もこの状況に声を上げる。


「何なんだ! お前らは! 一体、何の話をしてやがる!」


 怒声にも似た龍馬の声に、ロズヴェルはレベッカに目を向けたまま答える。


「君達には関係ない話だよ。とりあえず、ここは、私に任せてもらうよ」

「ふざけ――」

「よせ! 龍馬!」


 文句を言おうとした龍馬を制したのは、秋雨だった。状況を理解したわけではないが、ロズヴェルは敵ではないと判断した。

 そう判断するには十分過ぎる程、レベッカに彼が敵対心を向けていたのだ。

 穏やかな表情からは読み取れぬ程の闘争心に、秋雨は息を呑む。


「なんで止めるんだ!」

「ここは、彼に任せよう」

「敵か、味方かもわかんねー。誰なのかもわからねぇー奴に、任せるって言うのかよ!」


 不満気な龍馬に、秋雨は小さく頷くと、周囲へと目を向ける。

 周囲には未だにレベッカのレクイエムにより姿を見せた屍が多く存在していた。このまま放置しておけば、多くの兵に被害が及ぶと秋雨は考えたのだ。

 そんな秋雨の考えを悟った龍馬は、不服そうに眉間にシワを寄せ、


「わーった! わーったよ!」


と、ぶっきらぼうに答え、


「あいつに任せりゃいいんだろ!」


と、言い放ちロズヴェルを睨んだ。

 信用しているわけではない。ただ、確率の高い方を選んだだけ。精神力、体力、共に消耗している自分達よりも、今、ここに現れたばかりのロズヴェルが戦う方が勝算があるだろうと。

 それに水蓮も同意したのか、何も言わずただ水月で屍を倒していた。

 三人の考えがまとまった事を察知したロズヴェルは、レベッカへと一歩歩み寄る。


「さて、これで、ゆっくりと話が出来るわけだ」

「話? 私はあなたと話すつもりはありませんよ」


 レベッカはそう言い、金色の髪を揺らし、右手をロズヴェルへとかざす。その手の平には聖力が集められ、薄っすらと輝きを放っていた。

 しかし、ロズヴェルは変わらぬ穏やかな表情を向け、


「あなたではなく、もう一つのあなたとですよ」


と、意味深に呟く。

 理解不能。そう言いたげな目を向けるレベッカに、ロズヴェルは鼻から息を吐く。


「あなたの記憶が失われていたその間、芽生えた記憶、意識、心。それらは、偽りだった、そう思うか?」


 ロズヴェルのその言葉に、レベッカは不快そうに眉を顰める。


「何が言いたいんですか?」

「人の記憶・思い出と言うものは、簡単には消えない。と、言う事ですよ?」


 にこやかにそう言う地面に突き刺さった鋼鉄の棍を引き抜いた。


「……まさか、記憶を消されていた七年間が、記憶が戻ればなくなるとでも思っているのですか?」


 ロズヴェルはそう言い、鋼鉄の棍へと精神力を注ぐ。

 と、同時にレベッカはその手から聖力の塊をロズヴェルへと放つ。衝撃がロズヴェルの体を後方へと弾き、鮮血が飛び散る。

 一撃の威力は決して高いわけではない。それでも、ロズヴェルの額は裂け、血が滲んでいた。

 しかし、ロズヴェルは血を拭うことなくゆっくりと足を進める。


「私も、呪いを受け、約七年。記憶を封じていた。まさか、その呪いをかけてくれた友人が、裏切り者とは知らなかったが……」


 ロズヴェルは苦笑し、鋼鉄の棍に更に精神力を込める。

 そんなロズヴェルに、レベッカは更に手のひらに聖力を込めると、それを放つ。

 また、ロズヴェルの体が弾かれ、鮮血が飛び散る。


「うぐっ……」


 よろめくロズヴェルの膝が落ちる。

 だが、ロズヴェルは決して膝を地に着くことはなく、ゆっくりと足を進める。


「何もかも忘れて……君には幸せになって欲しかった……」


 そう言い、進むロズヴェルに、レベッカは不快そうな表情を浮かべた。


「うるさい! 黙れ!」


 荒々しく声を上げ、レベッカはその手の平から聖力を弾丸の様に放つ。

 衝撃がロズヴェルの体を撃ち抜き、鮮血が弾ける。体は前のめりになり、口から血を吐く。威力がそこまでないとは言え、そう何度も受ければダメージは蓄積される。

 幾らロズヴェルと言えど、膝が震えていた。それでも、ロズヴェルは退かず、一歩、また一歩とレベッカへと足を進める。


「くっ!」


 ロズヴェルのその姿にレベッカは激しい頭痛に襲われる。

 攻めているはずのレベッカの方が苦しそうな表情を浮かべ、聖力を放ち続ける。

 何度も何度もロズヴェルの体が弾かれ、鮮血が地面へと飛び散る。


「さぁ……終わりに……しよう……」


 血に染まったロズヴェルの左手が、レベッカの肩を掴んだ。レベッカの純白の衣装にロズヴェルの血が付着する。


「ッ!」

「さよ……なら……だ……」


 虚ろな眼差しを向けるロズヴェルは、右手に持った鋼鉄の棍を振り上げる。膨大に集められた精神力が魔力へと変換され、雷が弾ける。


「雷光!」


 ロズヴェルの声が高らかに響き、周囲一帯を眩い閃光が包み込んだ。後に轟音と共に凄まじい衝撃が大地を揺るがした。


「な、何だ……」


 屍を狩っていた龍馬は激しい大地の揺れに動きを止める。


「一体……何を……」


 怪訝そうに眉をひそめる秋雨は、下唇を噛む。


「な、なんて衝撃ですか……」


 広がる衝撃に両足で踏ん張る水蓮は、水の剣・水月を地面に突き立てる。何が起こったのか、全く分からない。

 しかし、その衝撃の凄まじさから、相当な破壊力の雷が地面へと落ちたのは理解出来た。

 衝撃が収まるまで、約一分程。眩い光が消え、周囲には黒煙と土煙だけが交じり合う。

 静まり返ったその中で、佇む三人の視線は、その交じり合う煙の向こうへと向く。そして、三人は息を呑み、目を見開いた。

 開かれた瞳孔が見据えるのは、薄っすらと発光する純白の衣装をまとう一人の少女レベッカ。金色の髪は僅かに黒焦げ、右肩にはベッタリと真っ赤な血が付着していた。

 熱のこもった吐息を漏らすレベッカの姿に、三人は武器を構える。

 そんなレベッカの足元には、ロズヴェルの姿があった。体は黒焦げ、黒煙があがっていた。まだ、息があるのか、肩が小さく揺れる。


「…………死ぬのは…………一人だけ…………ですよ…………」


 ボソリと呟くレベッカ。その瞳は真っ直ぐにロズヴェルを見据える。

 そして、ゆっくりと両膝を着くと――


「あなたは…………生きて…………ください…………」


 レベッカのその目から大粒の涙が零れ落ち、全身にまとった聖力の全てを手に集め、それをロズヴェルの胸へと押し付けた。

 レベッカは思い出した。ロズヴェルと過ごした七年間の記憶を――。

 いや、思い出したのではなく、元々あった。必死に押し殺し、自分がやろうとしている事が正しいと、言い聞かせ、ここまで頑張ってきた。

 だが、ロズヴェルと再会した。七年前の記憶は二度と取り戻すはずがなかったロズヴェルが――。この再会が、ロズヴェルの言葉が、レベッカの気持ちを動かした。

 下唇を噛み締め、全てを注ぐレベッカ。


「私は……結局……間違っていたのかもしれません……忘れて、いた方が……よかったのかもしれません……。あなたと……出会わなければ……よかったのかも……しれません……」


 レベッカはそう言いながらひたすら聖力をロズヴェルへと注ぐ。

 そんなレベッカを、三人はただ見据える事しか出来なかった。今までのような敵意はない。だから、見届けるしかない。

 彼女がする事を。


「それでも…………私は…………」


 光がロズヴェルの体を包み込み、


「し……あ……わせ……で、した……」


 レベッカの言葉が途切れると、その手からは光が失われ、体はゆっくりとロズヴェルの上へと倒れた。

 ロズヴェルを包んでいた光も、やがて消える。そして、ロズヴェルの瞼がゆっくりと開かれ、


「……レベッカ」


と、静かに呟き、涙をこぼした。 

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