第293話 今……あなたの後ろにいるの……
微笑するクロトに、冬華は呆然としていた。
目の前の光景が信じられずにいた。
だが、紛れも無く目の前にいるのは探し求めていたクロトだった。
セルフィーユが傷を治したのか、それとも、偽者なのか、冬華はそう考える。
記憶は戻っていた。曖昧だった、黒塗りに消されていたその顔も、今ではハッキリと思い出せる。
記憶の中の大切だったその人と同じ顔のその人物が目の前にいる事に、歓喜あまり涙で視界がぼやける。
そんな冬華に、クロトは静かに両手を広げる。意味不明なその行動に冬華は目を細めた。
そして、その手に持った槍を構えると、
「あだっ! 痛っ!」
切っ先でクロトの腹を軽く突いた。
「ちょ、ちょっと! と、冬華さん?」
悲鳴のようにそう声を上げるクロトに、
「あんた、本当に黒兎でしょうね!」
と、冬華は声を荒げる。
目の前にいるクロトを信じたい。自分の胸の奥から湧き上がる気持ちを信じたい。
でも、偽者かも知れないと言う疑念が拭えぬ以上、簡単に信じる事が出来なかった。槍の先で軽く腹を突くたびに、クロトは声をあげ両手を上げた。
やはり怪しい。これは夢か?
と、冬華は考える。
槍で突くのをやめた冬華がジト目を向ける。すると、クロトは困ったように右手で頬を掻いた。
そんなクロトを真っ直ぐに見据え、
「夢?」
と、口にし、もう一度クロトの腹を突いた。
「い、痛いって! てか、夢か確かめるなら、自分の頬をつねりゃいいだろ! なんで突くんだよ!」
クロトは不満そうに声を上げた。
しかし、そんなクロトに、一層不満そうな冬華は槍をおろし頬を膨らせる。
「死んだはずでしょ? なんでいるのよ?」
こんな事を言いたかったわけじゃない。だが、どうしてか、クロトを前にすると素直になれなかった。
だからだろう。冬華は腕を組むと顔をそむけた。正直、真っ正面からクロトを見るだけの余裕は冬華になかった。
クロトは静かに鼻から息を吐く。そして、一瞬、ほんの一瞬だけ儚げな目を見せる。横目でそれを見た冬華は悟った。もしかすると、セルフィーユは――
だが、それをクロトに問い正すことはせず、冬華は静かに「クロト?」と名前を呼んだ。
小さく首を傾げる冬華に、クロトは二度頭を振り、
「ああ。なんでもない。とりあえず、俺は死んでないよ。ここにいるのがその証拠だ!」
力強い言葉。心配かけまいと作った笑み。それが、冬華に確信させる。セルフィーユがもういないと言う事を。
それでも、必死にそれを隠すクロトは、
「まぁ、奇跡的に致命傷を免れたって事だ!」
と、強引にまとめていた。
腰に手を当て、胸を張り明るく振る舞うクロト。長い付き合いだ。クロトが嘘を言っているのはすぐに分かった。
それに、あの傷は間違いなく致命傷だった。間近で見たのだ。間違いない。
あれだけの血が流れ、あれだけの深手を負って、致命傷を免れたなんて信じられるわけがない。
無理矢理過ぎるクロトの言い分に思わず冬華は吐息を漏らした。
すると、クロトは慌てた様子で、
「まぁ、俺の日頃の行いがいいからだな!」
と、笑う。その瞬間、冬華は思わず、「何処がよ!」と槍でクロトの腹を軽く突いた。
「イダッ!」
声を上げるクロトは、両手を挙げ後方へと下がった。
戦場とは思えぬ穏やかな空気を放つ二人。
その空気に、周囲の者はただただ呆然としていた。
当然だろう。ここはついさっきまで激しい戦いが繰り広げられていた場所なのだから。
そんな中だ。唐突に高濃度の魔力が広がる。
魔力の波動に、クロトは瞬時に古城の方へと体を向けた。
そして、冬華もクロトの体越しに古城へと視線を向ける。何か嫌な空気感が漂っていた。
クリス・ケルベロス・天童、そして、魔王デュバルも古城の方へと視線を向けていた。皆、感じているのだ。強い魔力と何やら嫌な雰囲気を。
まだ、戦える状態ではないクリス・ケルベロス・天童の三人はゆっくりと立ち上がる。
「いやいやいや。まさか、ここまでやるとは思わなかったよ」
幼さの残る声と共に、高濃度の魔力が集まるその場所に空間の裂け目が生じる。
五つの空間の裂け目。その真ん中の空間の裂け目よりゆっくりと歩み出てきたのは、ボロボロの真紅のローブをまとう魔術師だった。
着ているローブはボロボロにもかかわらず、魔術師の方は殆ど外傷はなく、群青の髪を風に揺らす。ボロボロの袖口から魔導義手である右手を出す魔術師は、それを顔の横で握り締める。
その身にまとう魔力が迸り、不気味な程赤く血走った眼が冬華達へと向けられていた。
魔術師のその眼を見据え、冬華は険しい表情を浮かべる。
「あいつ……」
冬華が呟く。誰にも聞き取れない程の小さな声で。
クロトが手にしていた黒刀を構える。真っ直ぐに見据えるのは魔術師とその後ろに開かれた空間の裂け目。
そんな中、大手を広げる魔術師は、肩を揺らすと、ケルベロス、クリス、天童、クロト、冬華の順に目を向け、最後に魔王デュバル、セラへと顔を向けた。
すでに息も絶え絶えのメンツに魔術師は首を振った。
「しかし、随分とお疲れのようだな」
不敵な笑みを浮かべる魔術師に、クリスは僅かに目を細めた。現状、この魔術師とやりあうのは得策では内と考えていた。
それに、未だに開きぱなしの空間の裂け目から察するにまだ敵はいる。そう考えるのが妥当だった。
クリスを含め、ケルベロス、天童、デュバル、セラと戦える状態ではない者が半数以上を占めるこの状態で、少なく見積もっても五人もの敵と戦うなど不可能に近い状態だった。
魔術師の目は、険しい表情のケルベロスへと向けられる。
「そう険しい顔をするなよ。すぐに殺してやるから」
ケルベロスへと向けたその言葉に、クリスは即座に口を開く。
「だったら、その後ろのものは閉じて貰いたいものだがな」
皮肉交じりのその言葉に、当然ながら魔術師は肩を竦め、
「おいおい。馬鹿か?」
と、二度三度と頭を振る。
「死にかけのお前らを相手に、俺が自ら手を下すわけねぇーだろ!」
吐き捨てる様にそう言い放った魔術師は、大笑いする。
そんな魔術師へとクリスは不快そうに目を細めるが、おおよそそれは想定内の言葉だった。
魔術師の笑い声が響く中で、空間の裂け目より雄々しく静かな声が響く。
「何が面白いんだ?」
声と共に空間の裂け目より姿を見せるのは傷ついた漆黒の鎧をまとう、かつての“勇者”アルベルト。
その背には聖剣レーヴェスを背負い、物静かなその表情の奥に鋭い眼光がきらめいていた。
「今度は、もっと強い奴と戦いたいなぁー」
続けざまに響くのは無邪気な幼さの残る声。姿を見せるのは小柄な体にまだまだ幼さの残る顔立ちの少年、“怪童”ゼット。頭の後ろで手を組み、無垢な笑みを浮かべていた。
自分の身長を遥かに超える二本の槍を背中に背負い、薄紅色の短髪を揺らす。
「……相変わらずの戦闘狂だな」
静かな声が呆れたようにゼットへと向けられた。その言葉を発したのは、草履に和服姿の“剣豪”蒼玄。
結った長い銀髪を左右に揺らし、足を進める蒼玄は腰に差した刀と脇差しへと肘を置き、静かな面持ちでゼットを見据える。
蒼玄の眼差しに「えへへ」とゼットは照れ笑いを浮かべる。
「流石は元・英雄のパーティーの一員。余裕だな」
最後に空間の裂け目から出てきたのは白銀の騎士団団長ゼフ。白銀のマントに、真っ白な衣服に身を包んだゼフは、赤褐色の髪を右手で掻き上げた。
落ち着いた面持ちで息を吐くゼフは、周囲を見回す。その目に映るのはかつての同僚である白銀の騎士団の面々。すでに死した彼らの姿にゼフは聊か残念そうな目を向ける。
「まさか、私以外全滅とは……白銀の騎士団の名も地に落ちたものだ」
小さく首を振り、蔑むような眼差しをするゼフに、天童は奥歯を噛み締める。決して彼らが弱かったわけではない。
そんな風に蔑まれるような戦いをしたわけではない。彼らに対し敬意も払わぬその言い草が許せなかった。
だが、言い返すだけの余力はなく、天童はただ奥歯を噛み締める。
開いていた空間の裂け目は静かに閉じられ、五人が横に並ぶ。真ん中に魔術師、その右側にアルベルト・ゼフ。左側にはゼット・蒼玄と並ぶ。
圧倒的な空気感を漂わせる五人に対し、絶望的な状況の冬華達。この状況下、クリスは思考を働かせていた。
全快でないにしろ、クリスはケルベロスや天童に比べ、比較的戦える状況ではある。しかし、この五人を相手にまともに戦えるか、と聞かれると答えはノーだ。
相手は仮にも前英雄のパーティーだった者と、最強の騎士団の団長。そんな者達を相手にどうこうできるとは思えなかった。
「さて……どうしたものか?」
この状況下で、クロトは腕を組むと右手を口元へと当て呟いた。
あまりにも落ち着いたクロトの様子に、冬華は思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと! な、何、呑気に言ってんのよ!」
慌ただしい冬華の声にもかかわらず、クロトはあいも変わらず落ち着いた面持ちだった。
何故、クロトがこんなにも落ち着いているのか、冬華は不思議でならない。確かに、慌てた所でこの状況が良くなるとは思えないが、それでも、クロトのように落ち着くことは出来なかった。
不満気な冬華に対し、クロトは落ち着いた口調で、
「まぁ、焦ってもしょうがないだろ?」
と、脳天気に答えた。それに対し、冬華は、
「そんな事言ってる状況? 少しは慌てなさいよ!」
と、即座に言い放った。
困り顔のクロトは、肩を竦め、
「いやいや。こう言う時ほど、冷静にならなきゃダメだろ?」
と、小さく首を振った。
ムッとした表情を浮かべる冬華は、目を細めクロトの背を睨む。だが、すぐに深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
クロトの言い分はわかっているつもりだった。こんな状況だからこそ、落ち着かなければならない。だからこそ、冬華は冷静になる事を最優先する事にしたのだ。
深呼吸を終え、気持ちを落ち着かせた冬華は、真っ直ぐにクロトを見据える。
「それで、どうする気? 戦うの?」
冬華の問いかけに、クロトは「うーん……」と唸り声を上げる。
「戦うのは得策ではないと思うけど……」
冬華と同じ考えを口にするクロトに対し、唐突に、
「お前達に戦わないって選択肢があるわけねぇだろ!」
と、魔術師が荒々しく声を張り、右手を空へとかざす。
その手の平には魔力が圧縮され、炎が球体状に集まった。
禍々しい程の魔力の波動に、冬華は下唇を噛む。目を細めるクロトは、魔術師を見据えた後に、冬華へと目を向ける。
「だ、そうだ。戦うっきゃないっぽい」
「ないっぽいじゃない! もう! いっつもそうなんだから!」
あまりにもマイペースなクロトに、思わず冬華はそう声を上げた。
しかし、クロトはこんな状況にもかかわらず、笑みをこぼす。その笑みに冬華は不満気に頬を膨らし、
「真面目にやりなさいよ!」
と、その背にぶつけた。
「いやー。俺は至って真面目なんですけど……」
クロトは肩を落とし、小声で答え右手で頭を掻く。
そんな二人のやり取りに、魔術師は不愉快そうに鼻筋にシワを寄せる。
「なめてんじゃねぇぞ!」
声を荒げる魔術師は、その手に集めた炎をクロトと冬華に向けて放つ。
「クロト!」
ケルベロスの叫び声が響く。が、すでにクロトは右手を正面へと出していた。
「属性強化! 水!」
クロトの声と共に、右手を水の膜が覆う。薄い膜だが、クロトは構わずその手で炎を受け止めた。
衝撃がクロトの体を僅かに押した。だが、すぐにその動きは止まる。そして、広がるのは激しい蒸気と熱気。
その熱気はクロトの後ろにいた冬華にも届き、額には汗が滲む。
当然だが、受け止めているクロトはもっと熱い。水をまとっているとは言え、直接右手で炎を受けている。その影響もあり、水は沸騰し、クロトの右手は赤くなっていた。
それでも、クロトは奥歯を噛み締め、「ぬっちゃっ!」と、声をあげ炎の玉を空へと弾き飛ばした。
空へと弾かれた炎の玉は、そのまま空中で破裂し、周囲に火の粉を降り注ぐ。
「ぬあーっ! あっつ! 右手が熱っ!」
激しく右手を振り声を上げるクロトに、冬華は冷ややかな目を向ける。
「あんた……馬鹿でしょ?」
助けてくれた人に言う言葉ではないとは分かっているが、思わず口にしてしまった。
そのまま吐息を漏らす冬華は落胆する。正直、呆れていた。
しかし、それは冬華だけではなく、クリス、ケルベロスの二人も同じだった。安堵と同時に、二人のやり取りに呆れていた。
この状況で、よくあれ程までの落ち着いた対話が出来るものだと、ある意味関心していた。
だが、冬華とクロトのやり取りは、魔術師には不快でしかない。故に、奥歯を噛み、鼻筋に深いシワを寄せていた。
「さて……どうする?」
勇者アルベルトが隣のゼフへと目を向け尋ねる。
「やるしかあるまい。相手が誰であろうとな」
少々、不満気ではあるが、ゼフはそう答え、剣を抜く。
「だよねー」
頭の後ろで手を組むゼットは無邪気な笑みを浮かべ、背負っていた槍を手にとった。
「気は進まんがな……」
ゼットの隣でそう呟いた蒼玄は、鼻から息を吐くと、渋々腰に指していた刀、月下・夜桜を抜いた。
四人が完全に臨戦態勢へと入り、空気がピリつく。
そんな中だった。唐突に甲高いベルがなる。黒電話のような騒々しいベルが――。
「な、なんの音だ!」
突然のベルに、魔術師が声を上げる。
一方で、冬華はビクリと肩を跳ね上げた後、せわしなく両手で体を触る。
「な、なぁ、その音って……」
恐る恐る振り返るクロトが、ジト目を向ける。その目が冬華と合う。
「ど、どうしよう? これ……」
慌ただしく動いていた手がポケットに突っ込まれ、そこから冬華はスマホを取り出す。黒電話の音は間違いなくそのスマホから鳴り響いており、画面には非通知とデカデカと映っていた。
目を細めるクロトは、口角を僅かに引きつらせる。
「え、えっと……それ……お前の? 着信音……こえぇぞ」
「ち、違うわよ! ここに戻る時に渡されたの! てか、で、電話……で、出てよ」
即答し、涙目でクロトへ訴える。しかし、クロトは、
「いや……そこは、お前が出るべきだろ? お前が預かったんだから」
と、苦笑した。尤もなクロトの言い分に、冬華は渋々画面をスライドさせる。そして、恐る恐るスマホを耳へと当てた。
「も、もしもし?」
冬華がそう呼びかけると、
『ふふふっ……私……イエロちゃん。今……あなたの後ろにいるの……』
と、震えるような不気味な声が冬華の耳に届いた。
「キャアアアアアッ!」
悲鳴がこだまする。冬華は幽霊などの心霊現象が苦手だった。
投げ捨てられたスマホは宙を舞い地面へと落ちる。それと同時に、冬華の背後には空間の裂け目が生まれた。
恐怖に怯える冬華はそんな事には気付かず、思わずクロトに抱きついていた。そのため、クロトは、
「ちょ、ちょっと! と、冬華さん?」
と、狼狽していた。
しかし、クロトの眼差しは真っ直ぐに開かれた空間の裂け目を見据える。
一方、ガクガクと震える冬華は、クロトの胸に顔を埋めていた。固く瞼を閉じ、ギュッとシャツを握り締めただただ震える。
そんな中だった。
「じゃじゃーん! イエロちゃん登場なのですよ!」
緊迫した空気をぶち壊す明るい声と共に、空間の裂け目から飛び出したのはニワトリのきぐるみをまとったイエロだった。
真っ白な翼を羽ばたかせ、赤いトサカを揺らすイエロは、場の空気などお構いなしに満面の笑みを浮かべる。皆、呆気に取られていた。
だが、彼女の登場に魔術師だけが動揺する。
「ば、馬鹿な……お、お前は、し、死んだ……はず……」
瞳孔を広げ、驚愕する魔術師に、イエロは右翼をピーンと上げる。
「お久しぶりなのですよ」
「ふ、ふざけるな! 何故、お前が生きてる!」
ブンブンと右翼を振るイエロに、魔術師はそう声を荒げる。
すると、イエロは首を傾げた。
「何故……ですか? それは、私が生き残る為の最善の対策をしておいたからなのですよ? それでも、生き残る可能性は一割にも満たない未来だったのです」
「貴様には未来が視えている……そう言いたいのか?」
鼻筋にシワを寄せ、イエロを睨む。一方、イエロは「うーん……」と、唸り声をあげ、右の翼を口元へと当てる。
「未来は、刻々と変化しているのです。私に視えているのはあくまで可能性の世界の断片なのです。ハッキリと未来がこうなると言うのは分からないのですよ?」
微笑しそう説明するイエロに、魔術師はギリッと奥歯を噛んだ。今までの余裕が嘘のように失われ、魔術師の額からは汗が滲み出ていた。
しかし、アルベルト、ゼット、蒼玄、ゼフの四人は、魔術師が何故焦っているのか分からなかった。それほど、イエロに脅威を感じなかったからだ。
そんな緊張感高まる中、冬華は未だにクロトに抱きついたまま震えていた。流石のクロトもこの状況はよろしくないと、冬華へと声を掛ける。
「と、冬華。そ、そろそろ、離れてくれると助かるんだけど?」
「お、お化け……お化けはダメなの……」
「いや、お化けじゃなくて、イエロだから! 生きてるから!」
声を上げるクロトに、冬華は静かに胸から顔を離す。涙で滲んだ目でクロトの顔を見据える冬華は、鼻を啜った。
「ほ、ホント?」
上ずった声でそう尋ねると、クロトは顔を赤くし、視線を逸らした。
どうして、クロトが視線を逸らしたのか、冬華は分からなかった。だが、これ以上クロトに抱きついていると邪魔になると考え、ゆっくりと離れた。そして、その視線をイエロの方へと向ける。
足がある事をまず最初に確認し、冬華はジッとイエロを見据えた。その視線に気づいたイエロは、顔を冬華へと向け、にぱっと笑う。
「ラブラブなのですね」
イエロのその発言で、冬華はついさっきまでの出来事をフラッシュバックさせ、顔が一瞬にして真っ赤に染まる。頭から湯気が出ているんじゃないか、そう思う程顔が熱くなり、冬華はあわわわと唇を震わせた。
「そ、そそそ、そんなんじゃないんだから!」
声を上げると共に、冬華の右拳がクロトの腹へと突き刺さった。
「ふがっ!」
鈍い音と共にクロトが呻く。一発ノックアウトだった。腹を押さえクロトは膝から崩れ落ちた。
「ほ、ほほ、ほ、ホントに違うんだから! た、たた、ただ、い、い、イエロがまぎわ、わらしいで、で、電話するから!」
「まぁまぁ、落ち着いて欲しいのですよ」
顔を真っ赤にし、大慌てで弁明する冬華に、イエロは「えへへー」と無垢な笑みを浮かべ落ち着かせる。
しかし、冬華は頬を膨らし、両手を上下に激しく振っていた。
「ほ、ほ、ホントなんから! ち、違うんだから!」
まるで子供のように言い訳する冬華の姿は、見ていて面白いものだった。
だが、そんな和やかな雰囲気を壊すように、魔術師の後ろの四人が動く。
その動き出しにいち早く気付いたのはケルベロスだった。
「クロト!」
現状、対応しきれないと踏み、ケルベロスが叫び、クロトの方へと視線を向ける。
その声にクロトは顔を挙げ、冬華は視線をクロトの方へと向けた。
だが、すでにクロトの左側(冬華から見て)に、怪童ゼットの姿があった。
「もうそろそろ、僕の相手もしてほしいなぁ」
幼さ残る無邪気な声がそう告げ、その顔には笑みが浮かぶ。
「ッ!」
立ち上がったクロトが、冬華の背中を押した。前のめりに倒れた冬華は「キャッ!」と声をあげ、思わず瞼を閉じた。
その一瞬の最中、風を切る音と激しい金属音が響く。冬華が瞼を開いたその時には、そこにいたはずのクロトの姿はなく、槍を振り抜いたゼットが遠い目を古城の方へと向けていた。
冬華はすぐに立ち上がろうとしたが、それをゼットが制する。
「動くなよ。英雄さん」
槍の切っ先が、冬華の顔へと向けられる。視線は向けないが、ゼットはいつでも冬華を突き刺せる。そう言う意図の現れだった。
奥歯を噛み、息を呑む冬華は真っ直ぐにゼットの視線の先へと目を向けた。
刹那、衝撃が広がり、空中へとクロトの体が弾かれる。地上にいるのは勇者アルベルト。その手に持った聖剣レーヴェスが振り抜かれていた事から、クロトが打ち合い力負けしたと言う所だろう。
このままだと、クロトが危ない。そう考える冬華は、槍の柄を握る手に力を込め、どうにかしなければと、思考を巡らす。
だが、考えているだけの猶予を与えず、すでに跳躍していた蒼玄が、弾かれたクロトの上空で月下・夜桜を振り上げていた。
「全く……せっかちさんばっかりなのですよ」
静かにイエロの声が響く。と、同時に衝撃がゼットを弾いた。
「イッ!」
声をあげ、よろめくゼットは、視線をすぐに冬華の方へと向ける。だが、そこに冬華の姿はない。すでに、イエロが自らの傍へと移動させた後だった。
と、同時に魔力の込められた右手をかざす。その瞬間、空中に浮かぶクロトと蒼玄の間に空間の歪が生まれる。そして、それはすぐに空間の裂け目となり、クロトへと急降下する蒼玄を呑み込んだ。
空間の裂け目へと呑み込まれた蒼玄は、魔術師の背後へと投げ出された。
一方、空中に弾かれたクロトは、何事もなく地面へと落ち、腰をさすりながら立ち上がる。
「悪いのですが、ここで、クロクロを失うわけにはいかないのですよ」
イエロののんびりとした声が周囲に響く。現在、この場を支配するのは、間違いなくイエロだった。
全てがイエロのペース。故に、魔術師は全身から魔力を放出し、群青の髪を逆立てる。今にもイエロに喰らいつかんと、言わんばかりの迫力で、魔術師は睨み付けていた。
「邪魔してんじゃねぇよ!」
押し殺したような声でそう言う魔術師。イエロのペースに合わせては行けないと、一応理解はしている。すでに一度、イエロに敗北している。だからこそ、必死に怒りを抑えこもうとしていた。
だが、イエロは変わらずマイペースに続ける。
「邪魔だなんて人聞きが悪いのですよ? そもそも、邪魔も何も、いきなり仕掛けて来たのはそっちなのです。文句を言える立場じゃないのですよ?」
プンプンと腕を組み頬を膨らすイエロに、魔術師はギリッと奥歯を噛んだ。怒りに滲む血走った目を向ける魔術師だが、イエロには全く意味はなく、あくまでマイペースにクルンと回転し、
「あなた方の相手はちゃんと連れて来ているのです。慌てないでほしいのですよ」
と、宣言し、先程からイエロの背後で開きっぱなしの空間の裂け目へと体を向けた。
そんな宣言と共に、空間の裂け目より複数人が投げ出される。非常に乱暴な形で。
「イテッ! な、何しやがんだ!」
乱暴な声を上げる小柄な体格の少年。金色の髪に獣耳のその少年は、獣王ロゼの息子、シオだった。
「もう……な、何よ……」
そんなシオの横に投げ出されたのは、同じく獣耳に紺色の髪を肩口で揺らす獣魔族の少女、ルーイット。打ち付けたお尻を擦り、薄っすらと涙を浮かべていた。
「こ、ここは?」
突然の事に訝しげな表情を浮かべるのは、竜王プルートの息子、ティオ。わけも分からずこの場所に転移されたため、状況を理解するのに少し時間がかかっていた。
「死んだわけじゃねぇーよな……」
「ああ。全員一応、生きてるっぽいぞ」
自分の体をまじまじと確認するウォーレンに、近くに転移された剛鎧が鋭い眼光で周囲を確認しながら答える。
皆、突然、空間の裂け目に引きこまれ、気づけば投げ出されていた。その為、状況がイマイチ理解出来ていなかった。
「どうやら、イエロの仕業のようだな……」
「そう、みたいですね」
そんな中で、状況をすぐに理解したのは、アオとレッドだった。同じ、ギルド連盟で働いている為、イエロが首謀者だとすぐに分かったのだ。
それ故、二人は呆れた眼差しをイエロへと向けていた。
「ちょ、ちょっと! 空間転移するなら、もう少し丁寧にしてよ。こっちの二人は重傷なんだから!」
乱暴な空間転移にそう抗議するのはレオナだ。その足元にはキースとライが寝かされ、その胸にレオナは手をかざしていた。
すでに傷だらけの満身創痍。そんな面々の姿に、魔術師は思わず笑いを吹き出す。
「ふっ……おいおい。その中の何人かはすでに敗北者だろ」
呆れたように首を振る魔術師。だが、イエロは空間の裂け目を閉じると静かに告げる。
「確かに、一対一では、元・英雄のパーティーだった彼らには敵わないのですよ」
にぱっと笑みを浮かべ、愛らしく頭を右へ傾ける。この状況でも変わらぬイエロの態度に、その仕草に、流石の魔術師も切れた。
我慢していたものが全て腹の底から湧き上がり、俯く魔術師はブツブツと呟く。やがて、ゆっくりと顔を上げた魔術師は、怒りに血走った眼をイエロへと向け叫ぶ。
「お前ら……全員! 俺がぶっ殺してやる!」
憎悪が渦巻き、魔術師の体から膨大な魔力が溢れる。
その瞬間、アルベルト・ゼット・蒼玄・ゼフの四人は不快そうな表情を浮かべた後、
「俺達は下がるぞ」
「巻き込まれちゃ、かなわないもんね」
「ああ……」
「行きますか」
と、口々に呟き、その場から逃げるように立ち去った。
しかし、その後を追う者はいない。何故なら、皆の前に立ちはだかる。鬼のような形相を浮かべ、膨大な魔力を放つ魔術師が――。