第290話 無限の可能性
ルーガス大陸南激化する戦場の中央。
多くの兵が倒れ、鉄の嫌な臭いが漂う。
地面に散乱する黒ずみは血痕。すでに凝血し、液状ではないもののその臭いは強烈だった。
そんな嫌な臭いと共に冷気も漂い、地面の所々に氷や霜が張っていた。
すり足で右足を前に出すアオは、体温を保つ為に体を僅かに震わせる。青ざめた唇を震わせ、薄っすらと開いた口からは真っ白な吐息が漏れた。
体が震える所為か、その手に握る剣の切っ先が激しく揺れる。使用していた雷火の効力は切れ、アオの行動力は大幅に落ちていた。
恐らく、この寒さもその要因の一つとなっていた。
膝に手を着き、呼吸を乱すアオは、顔を上げる。
視線の先に映るのは一人の男。赤褐色の髪を揺らし涼やかな表情を向ける白銀の騎士団団長ゼフ。
彼は純白のマントを風にたなびかせ、美しい剣を構える。重量感のある両刃の大剣。それを携えるゼフは静かに笑みを浮かべる。
「どうしました? その程度ですか? 連盟の犬の実力は?」
肩を揺らしクスクスと笑うゼフに、アオは眉間にシワを寄せる。
“完全無欠”
その異名は伊達ではない。
雷火を使用したアオの動きにも難なく対応し、すべての攻撃を防いだ。スピードは圧倒的に雷火を使用したアオに分があった。なのに、ゼフを攻め落とす事はできなかった。
「雷火の効力も切れたようだな」
「ッ!」
表情を歪めるアオは奥歯を噛み、剣を構える。膝が震える。寒さからではない。雷火を使用した影響で体の節々に痛みが走っていた。
決着を急いだ結果だ。長期戦よりも短期戦を臨んだのだ。
長引けば長引く程、アオは不利になると考えたからだ。
だが、結果はこのザマ。結局、ゼフにいいようにやられてしまった。
険しい表情を浮かべるアオは、体に走る激痛に耐えながらゆっくりと動く。
「ふーん……まだやるつもりなのか?」
首を傾げるゼフに、アオは「当然だ」と答え、剣を構える。
二人の視線が交錯し、暫しの時が流れる。呼吸を荒げるアオは右目を軽く閉じ、目を凝らす。
腕が重い。足が重い。それでも、アオは意識を保ち、ゆっくりと右足へと重心を移動する。
アオのその動きにゼフは左手に魔力を込める。刹那、地面が凍り付き、それが一瞬にしてゼフの周囲へと広がった。
「ッ!」
これが、アオの雷火を防いだ方法だった。
雷火は肉体強化。直線上を瞬間的に移動しているわけではなく、ただ光速で駆け抜けているだけ。故に、蹴る地面を凍らされれば、足が滑りその動きは大幅に減速させられる。
うまくスピードに乗れたとしても、足を踏ん張る事が出来ず、ブレーキが掛けられない。
完璧に雷火は効力を失った。
奥歯を噛むアオは、険しい表情を浮かべる。雷火の効果も無くなった今、地面を凍らせる意味はない。
この辺りに、ゼフが“完全無欠”と呼ばれる由来がある。どんな相手に対しても、徹底する。油断はない。完全な勝利こそ、彼が目指すものだった。
「さぁ、完璧なる勝利を我が手に」
胸の前に右手をかざし、剣を顔の前に縦に構える。穏やかな表情なのに、寒気を感じる程の殺気。
これが、ケリオスがいなくなってすぐに白銀の騎士団の団長へと上り詰めた男の実力。
そう考えると恐怖が胸をざわめかせる。
額から滲む汗が頬を伝い静かに零れた。
寒いはずなのに、汗は止めどなく溢れ出す。
静かに足を肩幅に開くゼフは、剣を地面に平行になるようにし肩口で構える。
ゼフの姿勢からアオは瞬時に突きが来ると判断した。しかし、突きが来ると分かっていても、防げるかどうかは正直わからない。
今のアオは立っているのもやっと。この状況でどう防げと言うのか……。
頭を働かせるアオだが、いい案は出ない。逆に悪いイメージばかりが頭をよぎる。
重心を落とし、右足を前へと出すゼフは、全身に魔力を張り巡らせた。
「非常に有意義な時間でしたよ」
囁くようにゼフはそう口にした。足元に広がる氷が、更にレーンを創りだすようにゼフからアオの方へと一本の道を形成した。
恐らく氷を滑り加速をつけるつもりなのだろう。アオにとっては最悪な氷も、生み出したゼフにとっては最大の武器となる。
地面に張った氷を蹴った。足の裏を滑らせるように氷の上を駆けるゼフは、剣に冷気を集める。
「アイスニードル!」
ゼフが声を上げると、剣の刃に巨大な円錐状の氷が形成される。
「青雷――」
アオは斜に構えるとその手に持った剣に精神力を注ぎ、それを魔力へと変換し、青い雷を刃にまとわせる。
だが、確実に精神力を消耗している今のアオでは、精神力を魔力に変換するのに多少時間がかかった。
その為、完全に刃が雷をまとう前に、ゼフの剣が一気に突き出される。
冷気を周囲へと広げる氷の刃が、鋭い先端をアオへと向け直進。体を右に傾けるなり、左に傾けるなりすれば、きっとかわせる。もちろん、アオも一瞬かわす事を脳裏に描く。
しかし、それが出来ない事に今更になり気付かされた。
(くっ……足が……)
アオの足はゼフが地面へと張った氷で固められていた。冷気が漂い寒さで感覚が鈍っていた故に、足が凍っている事に気付けなかった。
奥歯を噛むアオは、腰の位置に剣を構える。もう足は動かせない。これ以上退くことも前に行く事も出来ない。
この場でどうにかするしかなかった。
雷火を使用するには時間が足りない。そもそも、雷火を使用し肉体を強化した所で、両足が凍らされている時点で意味がない。なら、アイスニードルと同等の威力を持つ技をぶつけ、相殺。それが、最も有効な手段だ。
しかし、今となってはその手も使えない。すでに、十分に加速したゼフの突き出した氷の槍が、アオの目の前に迫っていたからだ。
すべてがスローモーションに映る。当然、自分自身の動きもすべてが――。
「何をしている! しっかりしろ!」
凛とした女性の声が響き、疾風がアオの横を通り抜ける。遅れて、風をまとった細い刃が冷気を割き、氷のランスと化した剣と衝突する。
「エルド!」
思わずアオはそう声を上げる。直接対面するのは恐らく初めてだ。だが、アオは彼女――エルドの事をよく知っていた。
東の大陸クレリンスの八会団の一人で、龍魔族が統治する島の領主だ。
エルドの一撃で、氷が僅かに欠ける。だが、勢いは止まらない。
「その程度で止まるわけがないだろ!」
ゼフが声を上げ、鋭い視線をエルドの方へと向ける。
肩口で揺れる淡い蒼の髪。その合間から覗く耳の付け根には小さな角が見え隠れする。
「これなら……どうだ!」
華奢な体つきで細腕のエルドは、両手で握っていた剣の柄から左手を放した。当然、右手一本でゼフの氷の槍を受け止めるなど出来るわけがなく、その体は弾かれる。
弾かれたエルドは素早く左手で腰にぶら下げたもう一本の剣を抜き、左回りに体を回転させ、その刃を氷の槍へと突き立てた。
僅かに氷が砕ける音が響き、女性が突き立てた刃が深く氷の槍へと突き刺さる。氷片が飛び散り、僅かにだがゼフの勢いが弱まった。
「くっ! 私の邪魔をするな!」
強引に力を込め、氷の槍に剣を突き立てたエルドを押しのけ、ゼフは突っ込む。
弾かれたエルドは、氷の上を転げる。しかし、すぐに体勢を整え、エルドは叫ぶ。
「これなら、なんとかなるだろ!」
左手に握った根本から折れた剣を地面へと落とし、エルドは右手の剣を両手で握った。
「何をしても無駄だ!」
突き進むゼフはそう叫ぶ。だが、アオは不敵な笑みを浮かべる。
両足は凍らされ、地面に固定されているのに――。
集めた精神力の半分も魔力に変換する事もできていないのに――。
アオはふてぶてしく微笑し、剣を構えた。
僅かな蒼い稲妻が刃で弾ける。風前の灯火とも言える程、それは弱々しくとても何かできるとは思えなかった。
両足が固定されている為、腰を極限まで捻り、アオは剣を振りかぶる。
「雷鳴剣!」
叫ぶと同時にアオは腰を回し、一気に剣を振りぬいた。真一文字に振り抜かれる剣は、迫るゼフの氷の槍と衝突する。
僅かな衝撃が氷の槍の表面に小さな傷を付け、同時に刃にまとっていた雷が表面を駆けた。
「その程度で止められると――」
「……止める? その必要はないだろ」
静かにそう言うアオの言葉に、ゼフの表情が曇る。振り抜いた剣はすでに弾かれ、アオの胸へと氷の槍の切っ先は一直線に進む。
しかし、次の瞬間、唐突に氷の槍に亀裂が生じ、澄んだ音を広げ砕け散った。何が起こったのか理解出来ていないゼフは、足を止めると瞬時にその場を飛び退く。
何が起こったのかを解明しなければならないと、直感が働いたのだ。
氷の上を滑り距離を取るゼフは、動きを止める。足元には冷たい風が吹き抜け、顔をあげるゼフは怪訝そうに眉を顰めた。
「何をした」
静かに問うゼフに、アオは剣で足元の氷を砕きながら答える。
「俺は何もしてない。ただ、今持てる全力をぶつけたに過ぎない」
「ふざけるな! あの程度の雷で、あれが――」
その時、地面に張った氷の上に根本から折れた刃が落ちた。カランカランと澄んだ音を響かせ、氷の上を滑るその刃に、ゼフは目を見張る。
思い出した。その刃は――
「そうか……これを避雷針代わりにし、氷の内部に直接雷を流し込んだのか……」
険しい表情で奥歯を噛むゼフに、完全に氷から抜け出したアオは、肩を竦めてみせる。
「さぁな? それに答える理由はないな」
アオの発言に、ゼフは一瞬不快そうな表情を浮かべる。だが、すぐに冷静になった。
熱くなった所でなんの意味もないとわかっているのだ。
「まぁいい。すべての事を考慮し、次は対策を講じる」
ゼフはそう言い、魔力を込めた。
冷静な判断にアオは冷ややかに笑む。挑発し、少しでも自分のペースにしたかった。幾らエルドが来たとは言え、正直二人がかりでもどうこう出来そうにない。
それに、実際、ゼフの導き出した答えは正解だ。アオはエルドが突き刺した刃へと雷を流しこんだ。氷の表面を雷は伝い、刃を経由し氷の槍の内部に流れ込む。そして、内部から氷を破壊したのだ。
深く息を吐き、足首を回すアオは、ゼフを見据える。
エルドもジリジリと足を動かしながらゼフの動きを見据えていた。
二人の視線にゼフは脱力すると静かに息を吐く。
「時間だな。悪いが、ここらで下がらせてもらう。お前に止めをさせなかったのは残念だ」
ゼフは微笑すると、右手に持った剣で空間を裂く。
「ま、待て! 何処に行く気だ!」
剣を構えるエルドが叫ぶと、ゼフは小さく頭を振った。
「また、すぐに会うことになるさ。……君たちが生きていればね」
後半は小声だった為、アオには聞こえなかった。だが、龍魔族であるエルドにはハッキリと聞こえた。
どう言う意味なのか、考えるエルドだが、その答えが出る間も無くゼフは空間の裂け目へと消えていった。
一瞬安堵するアオは、すぐに渋い表情を浮かべる。幾ら二対一になり、数で不利になったとは言え、実力的には圧倒的に優位だったゼフが退くだろうか、と考えたのだ。
何かがある。そう考えるアオだが、それが何なのかはわからなかった。
アオ達のいる場所から少しだけ南へと移る。
大きく抉れた地面。その中でティオとグラドの二人は激闘を続けていた。
リーチの長い槍から放たれる鋭く素早い突きを、ティオは土の剣・黒天で防いでいた。
黒天は大刀である故、重量はかなりある。それ故に、ティオの動きは少しだけ遅れていた。右へ、左へ、と黒天を揺らし、その平で槍の側面を叩き、軌道をそらす。
突き出される槍はティオの体を避けるように、右へ左へとそれていた。
「どうした! 私を倒して、王になるんじゃないのか! それとも、口だけか!」
挑発するようにグラドは叫び、赤黒い髪を揺らす。槍が黒天の刃をぶつかる度に火花が散る。
髪を槍の刃が何度か掠め、オレンジブラウンの毛が飛ぶ。遅れて、グラドは左手を振り抜く。
龍爪だ。龍化した状態のグラドには、槍だけではない戦い方が出来るのだ。
黒天が右へと弾かれ、大きく傾く。
「くっ!」
表情を険しくするティオに、グラドは不敵に笑い右手の槍を突き出す。大気を貫く槍は、ティオの左脇腹に突き刺さった。
「っ!」
奥歯を噛み表情を歪めるティオ。鮮血が迸り、衣服に血が染み出す。刃は背中まで突き出す程深く刺さっていた。
それを、左手で握りしめるティオは、それ以上刃が深く刺さらないように力を込める。だが、龍化したグラドの腕力は凄まじく、グリグリと槍が傷口を抉り、激痛が体を駆け巡る。
「うぐっ……」
「どうした! この程度か!」
グラドは更に力を込める。ジリジリとティオの体が押し込まれ、傷口から血が溢れ出す。だが、ティオは奥歯を噛むと右手に持った黒天を横一線に振り抜いた。
黒い閃光が瞬く。瞬時に槍を引き抜き、バックステップで距離を取るグラドは、足元に土煙を巻き上げる。
槍の先から赤い血が滴れ、地面で弾けた。
左手で左脇腹を押さえるティオの膝が僅かに落ちる。手はすぐに赤く染まり、指の合間から血が溢れる。
これは、致命的なダメージだった。それでも、ティオは堪える。
「さぁ、どうする? その体はボロボロだ。もう意識ももうろうとしているだろ? それに――」
グラドの眼差しがティオの手に持つ黒天へと向けられた。
「その鈍らでは私は斬れん」
蔑むように微笑し、グラドは肩を竦める。
切っ先の平たい漆黒の刃。とても刃が鋭いと言うわけではない。大刀――故に、刃は鈍い。もともと、重量を活かし叩き切ると言うものだった。
スパッと綺麗に斬るわけではなく、骨を砕き強引に引き裂く。だが、グラドにそれは通じない。何故なら、龍化した彼を守るのは強固な龍の鱗。それを引き裂くのは至難の業だった。
渋い表情を浮かべるティオは、黒天の平たい切っ先を地面へと突き立て、苦しそうに呼吸を繰り返す。
考える。どうすれば、あの龍の鱗を突破できるか。どうすれば、グラドをこの鈍い刃で斬りつける事ができるのか。
「くっ……くくくっ……」
向かい合うティオとグラドの耳に届く静かな笑い声。その声に二人の視線は自然と動く。笑い声の主である彼らの父、プルートへと。
腕を組み肩を揺らし笑うプルートは小さく頭を振った。
不快そうに眉間にシワを寄せるグラドは、唇を噛むとプルートへと叫ぶ。
「何がおかしい!」
グラドの声に、プルートはクスリともう一度小さく笑うと、肩を竦める。
「その剣が鈍ら……か。随分と過小評価をされているんだな、そう思ってな。いやいや。お前達の戦いに口を挟んで悪かった。しかし……鈍らか。くくくっ」
また肩を揺らしプルートは笑う。それが、やはり不快なのか、グラドは奥歯を噛み、こめかみに青筋を浮かべた。
一方、ティオは左脇腹の痛みに耐えながら、プルートの言葉の意味を考える。過小評価しているわけではないが、ティオも黒天はどちらかと言えば切れ味の鈍い方だと考えていた。
そもそも、黒天は魔剣の一部だ。それが、鈍らなわけがない。
なら、なぜ、こんなにも黒天の切れ味が悪いのか? 意図して行ったのか? だとしたら、何故?
思考をフルで働かせる。意図を考える。
そんな時、脳裏に浮かんだのは、雷の剣・轟雷だ。
轟雷もどちらかと言えば不完全な形だ。タメが大きく連発が出来ない雷属性にとって、短刀は致命的。リーチが短いと言う事はそれだけ攻撃をするのに接近しなければいけない。
もし、これも、意図的にそうしたとしたら――。
そう考えた時、ティオは一つの――いや、一人の男の姿を思い出す。
(そうか……適合者……。だとすると、轟雷は――アオ! 彼なら轟雷が短刀だろうが関係ない……)
雷火を使用し、全身に雷を纏うアオなら、それが短刀だろうと関係ない。いや、寧ろ、振りも小さく軽い短刀の方が良い。
雷火を使用していれば、一々タメる必要もないし、雷火ならば一瞬で間合いに入る事もできる。
(だとしたら、黒天は?)
と、ティオは右手に握った黒天に目を向ける。轟雷が短刀だと言う事に意味があるなら、黒天の刃が鈍い事にもちゃんと意味がある。
一体、どんな意味が――と、考えていると、その視界にグラドが入り込んだ。
「ッ!」
「速攻で終わらせる!」
左手を引き、脇の下へと握りこむ。その手に鱗模様が浮かび上がり、魔力が溢れ出す。
鋭い爪が指先から飛び出し、ティオの心臓へと目掛け突き出された。
「くっ!」
身を引き、黒天を体の前へと出す。
「龍爪!」
鋭い龍の爪が漆黒の黒天の刃を叩く。火花が散り、ティオの体が後方へと弾かれる。
大きく背を仰け反らせるティオは、険しい表情を浮かべグラドへ目を向ける。考えるだけの余裕は与えてくれそうになかった。
(くっ……。考える暇が――)
そう思うティオの目に、不意に飛び込む黒天。火花を散らせながらも、全くもって傷一つつかないその漆黒の刃。
強度は確かに高い。なら、なぜ、刃を鋭くしなかったのか――。その答えが唐突に頭に閃く。
(そうか……だから、刃を――)
肩幅に足を開き、勢いを殺す。体を前のめりにし、黒天を構える。
強い眼差しを向けるティオに、グラドはピクリと右の眉尻を動かし、
「何だ? その目は……。その鈍らで何ができるって言うんだ!」
と、声を荒げ、突っ込む。そんなグラドに対し、ティオは黒天を振り上げる。
「何度やっても、その鈍らで私に傷はつけられん!」
龍化した左手を振りかぶる。
「イメージしろ……どんなものでも切り裂く硬い刃を――」
ブツブツと小声で呟くティオは、振り上げた黒天に魔力を注ぐ。
「死ねっ!」
グラドが左手を突き出す。と、同時にティオも黒天を振り下ろした。
すでに何度も黒天での一撃を受けてきているグラドは、今までと同じく全身に龍の鱗を広げる。しかし、黒天はそんな事お構いなしにまっすぐに振り切られた。
金属音の後、火花が散る。そして――
「うぐっ!」
呻き声と共に、鮮血が噴き上がる。
「ガハッ……」
吐血するグラドの膝が落ちた。左肩口の龍の鱗が真っ二つに裂け、漆黒の刃が肉を裂き、骨をも切り裂き深々とその体に食い込んでいた。
黒天の柄を握りしめるティオは、肩を上下に揺らしグラドを見据える。
「な……何を……げふっ」
グラドは血を吐き、倒れた。
ゆっくりと肩口から抜かれた黒天の刃は僅かに煌めいていた。
「龍の鱗が硬いなら……それよりも硬いもので叩けばいい……」
ティオはそう言い、その場に腰を落とした。
横倒しになった黒天の鈍い刃を鋭く硬く構築するのは、最も硬い鉱物――金剛石。ティオはそれを刃にしたのだ。
流石に龍の鱗でも、ダイヤで創りだした刃を防ぐ事が出来なかった。
肩を落とし呼吸を乱すティオの姿に、プルートは静かに息を吐く。
(土属性は、無限の可能性を秘めた属性。使用者の発想力次第で、強くもなるし、弱くもなる)
薄っすらと口元に笑みを浮かべたプルートは、その視線を静かに北へと向けた。
(デュバル……どうした? お前が苦戦する程の相手なのか?)
不安そうな眼差しを向けるプルートは、眉間にシワを寄せる。
その時だ。北の方角で強く禍々しい魔力が放出され、
「っ! 皆の者! 伏せろ!」
と、プルートは叫び、全身から魔力を放つ。
(守り切れるか……この一帯の者達を……)
プルートは険しい表情を浮かべ、自分が持てる全ての魔力を一気に戦場一帯へと広げた。
時は少々遡り――、ルーガス大陸奥地古城内部。
壁は崩れ、天井は砕かれ、地面には瓦礫が散乱していた。破れた絵画に、割られた花瓶、潰された甲冑。瓦礫の中にはガラス片も混じり、煌めいていた。
ゆっくりとその中を歩む覇王・デュバルは、踵を静かに鳴らす。
呼吸を乱すクロウは顔を上げる。着ていた漆黒のローブは破け、すでにローブとしての役割を果たしていない。
右手の指先から点々と血が滴れる。壁を幾つぶち破ったのか分からない。分からないが、クロウの体はボロボロだった。
魔力を使っていないデュバル相手に、このザマだ。流石は覇王と言うだけの事はあった。
すでに虫の息のクロウを見据え、足を止めるデュバルは黒髪を揺らし、怪訝そうに眉を顰める。
「何を企んでいる? 一体、何が目的だ?」
静かに問いかける。
すると、クロウは顔を伏せ、「ふっ」と笑った。
右の眉尻をピクリと動かすデュバルは、妙な寒気を感じる。何か嫌な感じ――いや、何か大切な事を忘れている気がした。
一体、何を忘れている?
デュバルは思考を働かせる。そして、気づく。
「まさか――」
「さぁ、お前に守れるかな? 最強の魔王」
不敵に笑うクロウは親指と人差し指を擦り合わせ、パチンと指を鳴らす。
乾いた音は壁に反響し、やがて静まる。と、同時に禍々しい魔力が城内へと広がった。
それは、とても冷たく、とても重々しい魔力。
ドクンとデュバルの心臓が跳ねるように脈を打つ。瞳孔を開き、振り返るデュバル。
その視線の先に映るのは――一人の少女。褐色の肌に尖った耳。茶色の髪を肩口で揺らし、虚ろな眼をデュバルへと向けるその少女に、
「セラ……」
と、デュバルは呟く。
それと同時に、セラの体は金色の光を放つ。
「くっ!」
「それでは、ゆっくりと親子の対面を楽しんでください」
静かに笑うクロウは、そう告げると空間を裂き、静かに姿を消した。
セラの体の輝きは強さを増し、全てを呑み込む。音も――、空気も――、魔力も――。