第29話 人斬り事件
宿でクリスは休んでいた。
三日間の情報収集で得たのは、オークションがあると言う事と、最近この辺りで妙な事件が起きていると言う事だった。何でも、裏路地。いわゆるスラム街と呼ばれるその場所で、人が切り刻まれると言う。詳しい話は分からずじまいだった。
表立った騒ぎになっていないのは、それがスラム街で起こった事件だったからだ。この街は貧富の差が激しく、街の裏手にはスラム街と呼ばれる吹き溜まりがあるが、この街の人達はそのスラムで起きた事に興味が無い。その為、その人斬り事件の情報も詳しい事は分からなかったのだ。
流石に、スラム街にまで行って情報を集めるのは危険だと、ジェスの判断だった。スラム街は基本的に吹き溜まり。人殺し、強盗、人攫いと悪人の溜まり場でもある。幾ら腕の立つクリスやジェスでも、不慣れな土地で悪党を何人も相手にするのは厳しいと言う結論から出た判断だ。
それに、今回の目的は星屑の欠片。その殺人鬼がスラム街にしか出ないのならば、ジェス達には何の関係無い事だった。だから、スラムに入ってまで情報を集める事は無かった。
部屋の窓から外を眺める。大分、陽が傾き始めていた。静かに吐息を吐いたクリスは、腕を組むと壁へともたれかかった。その頭の中には昼間見かけた魔族の事を思い出していた。
と、その時、突然扉が乱暴に開かれ、一人の若い男が部屋へと飛び込んできた。
「く、クリスさん!」
「部屋に入る時はノックするのが礼儀じゃないのか?」
壁から背を離し、鼻から静かに息を吐き歩き出す。入って来たのはジェスのギルドのメンバーで、今回配属されたメンバーで最年少のリットと呼ばれる少年だった。歳はクリスよりも二つ年下で、主に雑用などを負かされている。一応、それなりの力はあるらしいのだが、それでもこの作戦に必要な力があるかといわれるとそうではない。どうもジェスはリットを特別視している様だった。
その為、この様に雑務を押し付けられているのだ。
「あ、あのっ、す、すみません。それより! 大変なんです!」
胸の前で両拳を握り力強い言葉を吐くリットに、クリスは小さく息を吐く。
「分かった……分かったから落ち着け」
「は、はいっ!」
元気よく返事をし、二・三度深呼吸をしたリットは、澄んだ瞳でクリスを見据え告げる。
「先程、クライアスさんとオーデンさんが……あ、あの……その……」
リットは口ごもり、視線をクリスから逸らす。そして、堅く瞼を閉じ拳を震わせる。その態度で何かあったと言う事は分かり、クリスは眉間にシワを寄せた。
「何があった? ジェスはどうした?」
「そ、それが……」
リットは静かに声を震わせながら告げた。クライアスとオーデンが殺されたと。スラム街へと続く裏道の途中で真っ二つにされて発見された。その体に刻まれた傷はただの一刀のみで、他に傷は無かったらしい。故に、その二人を斬った人物が相当の腕前である事が分かった。
クライアスとオーデン。この二人は今回集められたメンバーの中で唯一コンビを組んで戦う二人で、組んだ時の強さはギルド一と噂されている。クリス自身がそれを確認したわけではないが、その噂が本当ならば、二人で組んで戦ってただの一太刀で真っ二つ。それは、その相手が圧倒的に強かったと言う事だろう。
クリスは嫌な汗を掻きながらリットと共にその現場へと急いだ。
現場に辿り着くと、そこには無残な残骸が残されていた。そして、その場に片膝を着き座り込むジェスの姿。拳を地面に突き立て、その拳に血を滲ませる。唇を噛み締め、怒りを体から滲ませるジェスは、クリスの足音に気付くと、静かに口を開く。
「遅かったな……」
「ああ。それより、クライアスとオーデンが殺されたって……」
クリスの言葉にジェスは小さく頷く。その目の前に残された残骸を見据え、クリスは表情をしかめ口と鼻を右手で覆った。漂う異臭に堪え切れなかったのだ。
そんなクリスの斜め後ろに立つリットは、その光景に口を右手で押さえると走り出す。人の死を見るのが初めてで気持ちが悪くなったのだ。
裏道を抜けたリットはその場で蹲ると、その道の端で嘔吐していた。そこへ静かな足音が近付く。和服を着た腰に刀をぶら下げた一人の男の静かな足音が――。
片膝を着いていたジェスが静かに立ち上がり、小さく息を吐く。先程まで溢れていた怒りはいつしか静まり、ジェスはクリスの方へと顔を向けるといつもの様に笑みを浮かべた。
「悪かった……呼び出して」
「いや。いい……それより……」
クリスがそう言い掛けた時、二人の横を一人の男が通り過ぎる。裏道の入り口の方からスラム街へと向かって。通り過ぎるその瞬間漂う鮮血の臭い。そして、その男の放つ異様な空気に、クリスとジェスの二人の間だけ時が止まる。
体を絡める様な嫌な空気に、二人は息を呑む。やがて、ジェスが叫ぶ。
「リット!」
その声にクリスも我に返り、その男の方へと目を向ける。その男はスラム街へと続く曲がり角を曲がった為、見えたのはその男が着ていた和服の裾だけ。だが、それだけで十分だった。この国で和服を着ている者などそうはいないからだ。
周囲を見回すジェス。そのジェスの耳に届く、弱々しい声。それは、間違いなくリットの声。その声は今にも途切れてしまいそうな程の弱々しい声で、クリスも耳を澄ませてやっと聞こえるほどの声だった。
「じぇ……す……ゴフッ……」
そんな弱々しいリットの声のする方へ、ジェスは慌てて走り出す。クリスもそれに続き走り出す。
裏道への入り口。そこにリットは居た。石畳の街道を赤く染め、無残に腹部を裂かれたリットが、青ざめた顔を向けて。
「リット! ど、どうした! な、何が……」
リットの傍へと座り込むとジェスはその体を抱き上げる。腹部から溢れる血が衣服を真っ赤に染め、抱き上げたジェスの手をすぐに真っ赤に染めた。それ程傷は深かった。
「じぇ、ごふっ……ス……す、み……ごほっ……」
何度も吐血し、リットの口元は血で赤く染まる。クリスはすぐに分かった。リットはもう助からないと。城に居た時、何度も戦闘に出た事があり、その時何十、何百と言う人の死を見てきた経験があったからだ。それは、ジェスも同じだった。だが、それでもジェスは声を荒げ、リットの名を呼びその意識が途切れぬ様に言葉を掛け続ける。
「だ、大丈夫だ。す、すぐ、医者が来る! だから、もう喋るな!」
ジェスはリットの右手を強く握り締める。その手が冷たくなっていき、リットの唇も青ざめ、やがてその目はうつろになり、静かに息を引き取った。冷たくなったリットの手がスルリとジェスの手から滑り落ちた。
拳を震わせるジェス。そこに、ジェスのギルドのメンバーである男が通りかかる。
「なっ! じぇ、ジェスの兄貴! こ、これは……」
「……めろ……」
「一体、何があったんですかっ!」
「全員集めろ! ヤツを……リットを斬ったあの男を殺す!」
ジェスが叫び立ち上がる。その声に男は慌てて走り出し、クリスは訝しげにジェスの背を見据えた。先程とは明らかに違う反応。リットとジェスの間に何があるのかと、クリスは疑問を抱いたのだ。
そんなクリスへと、ジェスが顔を向ける。怒りに染まったその目を向けられ、クリスは何も言わず頷く。
「アイツを追う。絶対逃がすな」
「異国の服は目立つ。すぐに追いつくさ」
クリスが静かにそう答えると、ジェスは走り出す。その後を追う様にクリスも走り出した。