第289話 “怪童”と“剣豪”
ルーガス大陸南の戦場。
その中央付近にて怪童・ゼットと戦闘を繰り広げるラルとルピーの二人。
タイトなスカートにブラウス姿のラルは、何処からともなくその手にナイフを取り出す。ポニーテールにした長い黒髪を右へ左へと揺らし、膝を折り、前屈みになるラルは、左手を地に着き深く息を吐く。
ブラウスの袖は千切れ、肘から血を流すラルは、顔色一つ変えない。だが、正直焦りはあった。
怪童・ゼット。書物とは印象が大分違うが、その実力は桁違いだ。やはり、残された記録でイメージするのと、実際に目にし対峙するのとでは大きく異なる。
貴重な体験をしているのだが、伝説的な人物を敵に回すのは厄介だと、痛感していた。
眼鏡のレンズ越しにゼットを見据えるラルは、福与かな胸を弾ませると、ルピーの方へと視線を向ける。
ラルとは対照的な小柄でこじんまりとした体型のルピーは、漆黒に染まった髪を肩口で揺らし、口角から流れる血を右手の親指で拭う。
ホットパンツから伸びる健康的な脚を肩幅に開いたルピーは、息を吐き出し重心を落とす。
ゼットと交戦を始めて大分時間が経つが、分かった事がある。小柄で腕力のあるゼットだが、スピードでは獣魔族であるルピーの方に分があった。
故にこのアドバンテージを活かして戦う事を考えていた。
だが、一つ腑に落ちない点もあった。
それは、ゼットの身体能力の高さだ。伝説的な人物で、身体能力が高いと言うのは何となく理解出来るが、それでも、身体能力が高すぎる。獣魔族であるルピーよりも高い腕力に、若干劣るがスピードもある。
普通の人間にしてはその身体能力は異常なものだった。
怪訝そうな目を向けるルピーは、淡い青色の瞳をゼットへと向ける。
二人を相手に、楽しげに無邪気な笑みを浮かべる。この戦いを楽しんでいた。
右手には槍を握り、もう一本の槍は地面に突き刺したまま。未だに二本の槍を使用して戦ってはいない。まだ、余裕があると言う事だった。
短い薄紅色の髪を揺らすゼットは、右足を前へと出すと重心を落とし、槍を腰の後ろに構えた。
「さぁ、続きを始めよう! 僕をもっと楽しませてくれよな!」
弾んだ声でそう述べるゼットは、瞳を輝かせる。
戦闘狂と言う言葉がピッタリな人種だった。
ゆっくりと膝を起こし、立ち上がるラルは、手に持ったナイフを逆手に持つ。そして、それに合わせた様にルピーも拳を構える。
二人の動きにゼットはニシシと笑い、ゆっくりと足を動かす。
呼吸を合わせるようにラルとルピーは目配せをし、同時に動く。ラルは跳躍し、ナイフを投げ、ルピーは地を蹴りゼットへと迫る。
ゼットは跳躍したラルを一瞥し、飛んでくるナイフをかわす。それから、瞬時に反転し、ルピーへと目を向ける。
すでにルピーはゼットの間合いに踏み込んでいた。そんなルピーへと先程ゼットがかわしたナイフが迫る。だが、そのナイフの柄をルピーは右手で握る。そして、そのままの勢いで右回りに回転し、ゼットへとナイフを突き出した。
「ぬおっ!」
驚き声を上げるゼット。だが、その声と裏腹に、ゼットは容易く背を仰け反らせそれをかわした。
「チッ!」
小さく舌打ちをするルピーは、更に足を踏み込むと、突き出したナイフの刃を返し、そのまま外に払う様にゼットに向かって振り抜く。
しかし、その刃をゼットは右手に持った槍の柄で受け止め、弾き返した。
僅かに火花が散り、ルピーは体勢を崩す。
(これでもダメか!)
速度のある連撃だった。だが、攻撃は通らない。
半歩下がるゼットは、次に視線を跳躍したラルの方へと向けた。
跳躍していたラルはすでに地上に降り立ち、駆け出していた。その手には再びナイフを取り出し、眼鏡越しに切れ長の鋭い眼差しをゼットに向けていた。
スピードはルピーとゼットには劣るが、それでも、常人に比べれば速い動きで間合いを詰める。
体を反転させるゼットはラルの姿を正面に捉えた。だが、その瞬間に背後から殺気を感じる。
(これは……)
一瞬、ゼットは険しい表情を浮かべた。背を向けてはいけないものに、背を向けてしまった。隙を見せてしまった。
獣の様な目を、ゼットの背に向けるルピーは、手にしたナイフに精神力を注ぐ。
不意打ちが卑怯だなんていわない。二対一をしているのだから、これくらいゼットには想定内だった。
故に焦りはなく、正面から来るラルへと目を向け、重心を落とす。
「いいよ! いいよ!」
弾んだ声でそう叫ぶゼットは、右手に握った槍を振るう。風を切る鈍い音の後、長い柄がしなりラルへと直撃する。
「ぐっ!」
表情を歪めるラルだが、ギリギリでその柄をナイフで防いでいた。それでも、軽々とラルの足を地面から引き剥がし、弾き飛ばす。
地面を激しく横転するラルを見向きもせず、ゼットはそのままの勢いで振り返り、槍を振るう。
風を切るその轟々しい音が広がり、動き出そうとしたルピーをけん制する。
動き出そうと前のめりになっていたルピーは身を引く。その目の前を鋭い切っ先が通過し、風がルピーの顔を撫でる。
「ッ!」
眉間にシワを寄せるルピーは、奥歯を噛み、後方へと下がった。
足元に土煙を巻き上げ、動きを止めるルピーは、キッとゼットを睨んだ。完全に不意を突けると思っていたが、まさかの反応速度だった。
いや、それ以上に、ラルをなぎ払い、同時にけん制までしてくるとは思っていなかった。重量のある槍の割りに、小回りが利く。これも、ゼットの身体能力のなせる業だろう。
横たわるラルは、ゆっくりと体を起こすと、ずれた眼鏡を左手で直し、片膝を立てる。
「さ……すがに……強い……」
ナイフで防いだはずなのに、右脇腹がズキズキと痛んでいた。
「ったく……どんな身体能力だ……」
険しい表情を浮かべるルピーは、背筋を伸ばすと口を大きく開き、肩の力を抜いた。勝てるイメージなんて全くない。どうすれば、勝てるんだ、そう思ってしまう。
ラルも同じだ。全くもって勝てるイメージが湧かない。それほど、ゼットは圧倒的だった。
「今のは、ちょっと驚いた。けど、ちょっと殺気が強すぎたね。君のミスだよ」
ゼットは声を弾ませ、ルピーへと笑顔を向ける。
「殺気は殺さないと。それがさ、自分よりも弱い奴なら恐怖を与え、肉体を硬直させるって効果があるかもしれないけど、力量が同等、または格上相手には効果は薄いよ。だから、僕に対策を練られ、けん制された」
左手を腰にあて、右足に重心を掛けそう説明するゼットは残念そうに首を左右に振った。
不快そうな表情を浮かべるルピーだったが、反論の余地はない。ゼットの指摘は的を得ていた。
あの時、ルピーが殺気を抑えていれば、ゼットに気付かれる事なく攻撃出来たかもしれない。もしかすると、致命傷を与えられたかもしれない。
たらればなのだが、そう考えると悔しくなり、ルピーは唇を噛み締める。
「終わった事を悔いるな。次に活かせばいい!」
悔しがるルピーを、ラルは一喝する。正直、今のはルピーだけが悪いわけじゃない。ラルにも非がある。
もしラルがあの一撃を防いでいれば、数秒でも堪えていれたなら、ゼットはルピーにけん制を入れる暇などなかった。
その事を、ゼットも理解しているのか、ラルの方へと顔を向ける。
「そうそう。何も、彼女だけが悪いわけじゃない。キミにもミスがあったんだから」
無邪気な笑顔でキツイ事を言ってのけるゼットに、ラルは悔しげに目を細めた。
沈黙する二人に、ゼットは鼻から息を吐く。
「まぁ、経験の差かな? 潜ってきた修羅場が違うんだから、それは仕方ないけどね」
明らかにラルとルピーよりも幼く見えるゼットのその一言は、重い。確かに修羅場が違いすぎる。かつて、英雄と共に多くの戦いに奔走したゼットと、平和な世の中で暮らしていたラルとルピーとでは、それだけ経験の差があったのだ。
ラルとルピーの二人は、ナイフを構えすり足で足を動かす。
「…………大丈夫? 闘争心が失われてる気がするけど?」
残念そうに眉を曲げるゼットのその言葉に、ラルとルピーはビクリと肩を跳ね上げる。
図星だった。完全に気持ちが折れていた。いや、折れかかっていた。唇を噛む二人は、僅かに目を伏せる。
戦意を失いつつある二人に、ゼットは槍の石突を地面に突き立てると、不満そうに唇を尖らせた。
「何だよー。やる気なし? 気分削がれるなぁー」
ゼットはそう言うとため息を一つ。だが、その時、ゼットの背後に光が溢れ、一人の少女が姿を見せる。
純白の衣装に身を包むヒーラーらしき少女は、金色の髪を揺らすと、物静かな顔をゼットへと向ける。
「時間ですよ。一時撤退です」
静かな声でそう告げる少女に、ゆっくりと振り返るゼットは、無邪気な笑みを向ける。
「うん。丁度、コッチも終わった所だから」
軽く手を振りそう言うゼットに、ルピーは怒声を響かせる。
「ちょ、ちょっと待て! まだ、終わって――」
「終わってるよ。完全に」
ルピーが言い終える前に、ゼットはそう言い放ち、冷めた目を向ける。
さっきまでの無邪気な笑顔は何処に行ったのか、と言いたくなる程の冷たい表情にルピーもラルも寒気を感じる。
息を呑む二人に、少女は小さく頭を下げ、
「申し訳ありません。彼に悪気はないんです。では、私達はここで」
と、告げると光を放出し、ゼットと少女は姿を消した。
残されたラルとルピーは悔しげに俯き、肩を落とした。
ラル・ルピーがゼットと戦っていた場所からやや西側。
ミラージュ王国、現・国王ウォーレンと“剣豪”蒼玄の戦いは白熱していた。
ウォーレンの重々しいハンマーによる打撃に対し、剣豪・蒼玄は鋭い斬撃。いわば、剛のウォーレンと柔の蒼玄。そんな戦いだった。
鈍い風音を響かせ、ウォーレンのハンマーは右へ左へと振り抜かれる。強引な攻めだが、その一撃一撃が全力。故に、どの一撃も当たれば致命傷を与える破壊力を持ち合わせていた。
流石の蒼玄も、その一撃一撃を月下夜桜で防ごうとはせず、逃げの一手だ。幾ら、あの桜一門が打ちし刀と言えど、ウォーレンの全力の一撃一撃を防ごうものなら、刃が砕けてしまう恐れがあった。
右から迫るハンマーを身を屈めかわし、左から迫るハンマーをバックステップでかわす。
無駄のない軽快な動きの蒼玄は、結った銀髪を揺らし、鋭い切れ長の眼光でウォーレンを見据える。
当然なのだが、常に全力と言う事は、それだけ体力を消耗する。これは当たり前の摂理で、それはウォーレンにも当てはまる。
幾ら体力があったとしても、これだけ振り続ければ、腕に疲労が溜まり、動きが鈍くなる。それを、蒼玄は待っていたのだ。
額から大粒の汗を流すウォーレンの右足が踏み込まれる。と、同時に蒼玄は結った銀髪を揺らし、身を低くし前進した。
二人の間合いが重なり、視線が交錯する。
「くっ!」
奥歯を噛み締め、重い腕に力を込めるウォーレンに対し、蒼玄は右足を滑らせるように踏み込み、左腰の位置に構えた月下夜桜を振り抜く。
鋭い風の音と鈍い風の音が重なり、火花が弾けた。ウォーレンはハンマーを完全に振り切り、蒼玄も月下夜桜を完璧に振り切っていた。
二人の間に流れるのは静かな風。足元には土煙が僅かに吹き上がり、静寂が周囲を包み込んだ。
刹那、ウォーレンの漆黒の胸当てが割れる。いや、割れると言うよりも、スッパリと切れた。
一方、ハンマーは蒼玄の前髪だけを掠めただけだった。それは、蒼玄が紙一重の所で身を屈めたのだ。
静かにタンタンと地を蹴り下がった蒼玄は、表情を変えず落ち着いた面持ちでウォーレンを見据える。
「はぁ……はぁ……」
口を大きく開き、呼吸を乱すウォーレンは、ハンマーを地面へと下ろすと、苦しそうに右目を閉じた。
無謀だとは思ったが、やはり、常に全力で振り続けるというのは無理があった。
ハンマーの柄頭に両手を乗せ、俯き息を切らせるウォーレンは、灰色の髪の毛先から汗を滴らせる。
「…………筋はいいのに、勿体無いな」
ボソリと蒼玄は呟き、目を細めた。
ウォーレンの動きは非常によかった。足運びも、攻撃の仕掛け方も上手かった。ただ、直線的で、強引過ぎたのだ。
戦いにおいて、駆け引きは重要な要素。その点で、ウォーレンは直線的過ぎて、読み易く、その上強引だった為、蒼玄も対応は楽だった。
大きく開いた口を閉じ、歯を噛み締めるウォーレンは、前屈みだった体を起こし、背筋を伸ばす。力強い眼で、真っ直ぐに蒼玄を見据える。
二人の視線が交錯し、暫しの時が流れた。
「まだ……やる気なのか?」
少々、困ったような表情を見せる蒼玄。
「当たり……前だろ?」
息を切らせ、口元に薄らと笑みを浮かべるウォーレン。
ここで、引くわけには行かない。相手が、“剣豪”と呼ばれる元・英雄のパーティーの一員だったとしても、ウォーレンは立ち止まるわけには行かない。
ゆっくりと地面に置いたハンマーを持ち上げ、すり足で右足を前へと出す。策などない。ただ、本能に従うだけ。
深く息を吐き、また息を吸う。二人の間には静寂が漂い、とても静かな時が流れる。
月下夜桜を右下に構える蒼玄は、切れ長の鋭い目をウォーレンへと真っ直ぐに向け、和服の裾を揺らす。
緊迫した空気が――、張り詰めた空気が――、弾けたように、二人はほぼ同時(若干ウォーレンの方が遅れ)に地を蹴る。
ハンマーの柄の高い位置(付け根)を右手で握り、左手は丁度真ん中付近を握り締めていた。これでは、正直威力は落ちる。
ハンマーは柄を長く持ち、振るう方が遠心力がかかり威力が増大する。しかし、今のウォーレンの持ち方は柄を短く持っている為、威力は出ない。
ただ、これだと狙いは定めやすかった。
左足を滑らせるように前へと踏み込むウォーレンは、一気にハンマーを横へと振るう。まだ、間合いには程遠い。血迷ったか、と疑念を抱く蒼玄だが、すぐにその真意に気付いた。
(くっ! コイツ!)
瞬時に蒼玄は足を踏み込むと、月下夜桜を振り抜いた。
ハンマーを振り抜くウォーレンは、その最中、右手と左手の力を抜き、柄を滑らせる。遠心力により、ハンマーは外へと流れ、ウォーレンの右手が柄の一番低い位置を握り、更にリーチを伸ばした。
右腕が遠心力の掛かったハンマーを引き、軋む。骨が――、筋が――、伸びる感覚と共に、痛みがウォーレンの右腕を伝う。
だが、ウォーレンは奥歯を噛み締め、
「インパクトスマッシュ!」
と、ハンマーへと精神力を注ぎ、更に力を加える。
初めて、険しい表情を浮かべる蒼玄。ウォーレンの振り抜いたハンマーは的確に、蒼玄の腹部、脇腹へと向かう。
月下夜桜を右手で振り抜くが、恐らくハンマーの直撃は免れない。そう悟り、蒼玄は左手を腰に差した脇差の柄へと伸ばした。
凄まじい衝撃音が響き渡り、突風が吹き抜ける。ハンマーの柄を握る手に伝わる手応えは完璧だった。
弾かれた蒼玄は、両足を地面に踏み締めたまま、横に滑り、土煙を巻き上げる。その為、状態は分からない。
だが、確実にダメージは与えられたと、ウォーレンは確信していた。
ゆっくりとハンマーを地面へと下ろすウォーレンは、腰を曲げ両手を膝に着いた。
「はぁ……はぁ……」
額から汗を零すウォーレンは、ゆっくり顔を上げる。視線の先に見据えるのは土煙。その向こうに薄らと浮かぶ蒼玄の姿。
静かな風がその土煙を吹き飛ばし、徐々に徐々に蒼玄の姿を露にする。
「今のは……いい攻撃だ。驚いた」
蒼玄の姿に、ウォーレンは驚愕する。
左手には薄紅がかった脇差、桜嵐が抜かれていた。吹き飛ばしはしたものの、ウォーレン渾身の一撃は、その脇差で完璧に防いだ。
それでも、衝撃は防げず、蒼玄の口角からは薄らと血が流れていた。
奥歯を噛むウォーレンは、眉間にシワを寄せる。まさか、防がれていたとは思ってもみなかった。
手応えは確かだっただけに、ウォーレンのショックは大きい。落胆するウォーレンに、蒼玄は月下夜桜と桜嵐を下ろし、静かに告げる。
「どうやら、ここまでのようだ」
蒼玄は月下夜桜と桜嵐を鞘へと納めた。
と、同時に、蒼玄の背後に光が溢れ、金色の長い髪を揺らす一人の少女が姿を見せる。
純白の衣装に身を包んだその少女は、大人びた顔を蒼玄へと向けた。
「迎えに来ましたよ」
「ああ。悪いな。レベッカ」
「いえ。それより……」
レベッカと呼ばれた少女は静かにウォーレンへと顔を向ける。奥歯を噛み、悔しげなウォーレンに、蒼玄も顔を向けると、
「悪いな。青年よ。決着はまた次の機会にな」
「くっ……」
蒼玄の言葉に、ウォーレンはそう声を漏らし、眉間にシワを寄せた。決着もなにも、圧倒的過ぎた。今のウォーレンで、蒼玄には勝てない。どう足掻いても。
力の差は歴然だった。それを知った為、ウォーレンに返す言葉はなかった。
「…………随分と苦戦したようですね」
「ああ……彼は強かった……」
「手当ては後ほど、と言う事で」
そう言い、レベッカは光を放つ。その光は蒼玄とレベッカを包み込むと、やがてその光は消えた。蒼玄とレベッカの二人と共に。