第282話 消え行く光
間合いを詰めたキースは左から右へと払うように剣を振り抜いた。
だが、その刃をグラドは曲げた左腕で受け止める。
金属音が響き、火花が散った。硬い手応えと同時にキースの右腕は衝撃を受け痺れる。
奥歯を噛み締め、表情を歪めるキースは、バックステップで距離を取った。
流石は、現役の竜王。その戦いっぷりには貫禄があった。
折り曲げた左腕に浮かび上がる強固な龍の鱗。それにより、キースの剣は弾かれた。
ビリビリと痺れる右手に力を込めるキースは、呆れたように鼻から息を吐き、目を細める。
「コイツは……骨が折れそうだな……」
薄らと口元に笑みを浮かべ、キースは脱力した。恐らく、グラドは今後も攻めに転じるだろう。守りなど捨てた怒涛の攻撃を仕掛けてくるだろう。
何故なら、守りなど不要だからだ。守らなくても、グラドには部分龍化と言う鉄壁の守りが存在しているからだ。
この鉄壁の守りをどう崩すのか、それをキースは考えていた。
ルーガス大陸南の海域。
そこに霧と共に現れた巨大な海賊船。その甲板には二つの影があった。
一つはボロボロの衣服に不衛生に伸ばした汚らしい黒髪を揺らすデューク。揺れる前髪の合間から見える冷めた眼差しが、対峙する一人の男を見据える。
頭に被った海賊ハットから伸びる長い群青の髪を揺らすのは、かつての英雄に仕えた“大海賊”エドヴァス。
彼は深く被った海賊ハットを右手で押さえ、左腕をデュークの方へと伸ばしその手に持ったリボルバー式のハンドガンを向ける。
沈黙する二人。その眼が交錯する。
淡い青色の瞳を向けるエドヴァスは、濁ったデュークの瞳を見据えると、引き金を引いた。
一発の銃声が轟き、ハンドガンのリボルバーが一つ回転する。
螺旋を描き直進する弾丸は、デュークの右肩へと直撃。だが、響いたのは水の弾ける音。故にエドヴァスは眉間にシワを寄せた。
デュークの右肩は大きく後方に傾く。しかし、弾丸は放射線状に弾けた泥が、完全に受け止めていた。
ボトボトと泥が滴れ落ち、弾丸がゴトリと甲板の上へと落ちた。
「泥人形……と、言うわけではないようだな。でなきゃ、その泥が体の前に広がるわけがないな」
瞬時に分析するエドヴァスにデュークの表情は変わらない。
デュークにとって、そんな事を知られたからと言って何の問題もなかった。
表情一つ変えないデュークに、エドヴァスは不快そうに眉を顰める。
「どうにも手応えがない……やる気が感じられないな」
「あの……話はもう良いですか?」
無気力な声でそう言うデュークは、左手で頭を掻くと、不衛生に伸ばした黒髪を揺らす。
その行動にも、エドヴァスは不快そうな表情を浮かべる。
「やる気がないのなら、何故、俺の前に立つ」
「それが、僕のすべき事……だから?」
なぜか疑問詞で返すデュークに、エドヴァスは額に青筋を浮かべる。
だが、すぐに深々と息を吐き出し、心を静めると、右手で海賊ハットを押さえた。
「コイツは……どうにもつかみ所のない奴を相手にしなければならねぇとは……」
「…………? ねぇ。もういい?」
デュークはエドヴァスにそう確認すると、甲板を音もなく蹴った。
一瞬にして間合いを詰めるデュークに、エドヴァスは焦った様子もなくリボルバー式のハンドガンの引き金を引く。
銃声が轟き、デュークの体を撃ち抜く。だが、響くのはやはり水音だけ。そして、弾けるのは泥。
泥は甲板に散り、デュークの足は止まらない。
六発の弾丸を撃ち終えたエドヴァスはシリンダーから薬きょうを甲板へと落とすと、弾丸を装填する。
当然だが、デュークがそれを待つわけがなく、右足を踏み込むと右拳を握り締めた。
不衛生な黒髪が揺れ、その合間から黒い瞳がエドヴァスを見据える。二人の眼差しが交錯し、デュークの右拳が振り抜かれた。
弾丸を詰めたシリンダーを回転させ、撃鉄を引き起こし、エドヴァスは引き金を引いた。
轟々しい銃声と共に放たれた弾丸はデュークの右拳を撃ち抜く。
衝撃が広がり、デュークの右腕は大きく弾かれ、その体は後方へと弾き飛ばされた。
一方で、エドヴァスの方も衝撃で後方に僅かに弾かれ、深く被っていた海賊ハットは宙へと舞い上がった。
ボトボトと拳から血を零すデュークは、相変わらず表情を変えず、
「…………んっ」
と、呟き弾丸を受け弾けた右手を見据えていた。
痛々しい右手に、エドヴァスは目を細める。
「あなたは、痛みを感じないのか?」
「…………感じるよ。でも……師匠を失った時の痛みに比べたら、こんなのどうって事ない」
静かに答えたデュークはグチャグチャになった右手に魔力を込める。すると、その手を泥が覆いこみ、それがデュークの手を形成した。
「これで、問題ない」
指の動きを確認するように胸の前でその手を握ったり開いたりして見せるデュークは、冷めた眼差しをエドヴァスへと向けた。
「やはり……厄介な相手だ……」
と、エドヴァスは深くため息を吐いた。
ルーガス大陸奥地。古城広場前。
クリスは眼前で変貌したライオネットと剣を交える。
漆黒の肌に赤い眼をギラつかせるライオネットは、右手に持った大剣を振り抜く。
刃が一振りされ、風が逆巻く。土煙が激しく舞い、その太刀風でクリスの体は弾かれる。
直撃したわけでもないのに、大きく後方まで弾かれたクリスは、眉間にシワを寄せた。
(何だ……この力は……)
険しい表情を浮かべるクリスの長い銀髪が激しく揺れる。
大手を広げるライオネットは、
「ふははははっ!」
と、笑いクリスを見据える。
「どうした! 紅蓮の剣! 俺は、剣を振るっただけだぞ!」
大声でそう言い放つライオネットに、クリスは不快そうに眉間にシワを寄せる。
フッと息を吐き、クリスは右手に持った朱色の刃の剣・焔狐を下段に構え魔力を込めた。魔力を帯び赤く輝く刃からは白煙が静かに上がる。
その刃は高熱を帯び、空気を歪ませていた。
「全く……その名は嫌いだと言っているだろ!」
クリスはそう呟き、地を蹴った。白煙を上げる焔狐の切っ先は地面を抉り、左手に持った赤い刃の剣は炎をまとった。
突っ込むクリスに不敵な笑みを浮かべるライオネットは、大剣を振り上げる。
「砕け散れ! 小娘が!」
ライオネットはそう叫び大剣を振り下ろし、クリスはそれを交差させた二本の剣で受け止めた。
火の粉が舞い衝撃が広がる。地面が砕け、クリスの両足が僅かに地面へと減り込んだ。
血を流し横たわるクロトの傍に蹲る冬華。
未だにミゾオチを蹴られた影響が大きく、動く事がままならない。
それでも、ギュッと両手でクロトの右手を握り締め、祈り続ける。
(お願い……死なないで……)
と。
クロトの体から溢れる光の粒子。そして、その体は徐々に透け始める。
この世界から消えようとしているクロト。その呼吸は弱々しく、手も冷たくなっていた。
冬華も心の何処かで思っていた。
“もう助からないんじゃないか”
と。脈も徐々に弱まり、全く回復の兆しが見えない。
本当にセルフィーユは治療をしてくれているのか、そう疑念を抱く。
そんな時だった。冬華が強く握っていたクロトの右手の感覚が消える。
「えっ……」
思わずそう声をあげ、冬華は顔を上げる。
その冬華の目に映るのは、弾けた光の粒子だけだった。
そして、その場に響くのは冬華の悲痛の叫びだった。