第279話 致命傷
空へと飛んだ魔剣・魔桜は五本の剣へと分離し、弾けた。
フードを深く被ったクロウは、それをただ見上げていた。
そんな中だった。クマと対峙していたケルベロスに異変が起こる。
平伏すクロトに、瞳孔を広げ、同時に、その鼻筋にシワが寄った。
いち早くその異変に気付いたのはクマ。そして、クマはコクリと頷いた後に、その視線をウェンリルに呑み向けた。
直後、ケルベロスは走り出す。
クマの横を通り過ぎ、漆黒のローブに身をまとうクロウへと向かって。
その行動にウェンリルは訝しげな目を向け、
「お、おい! ケルベロス! 何処に――」
と、声を上げるが、それを遮るようにクマはウェンリルの視界へと入った。
突然の事に何がなんだか分からないウェンリルだが、その耳に届く。
「クロオオオオオッ!」
ケルベロスの雄々しい声。
直後にウェンリルは直感し、表情を険しくするとクマへと大鎌を振り抜いた。
だが、クマはそれを硬化した右足で受け止めると、そのまま三日月型の刃を地面へと叩きつける。
「くっ! 邪魔をしないでくれませんか!」
「それは、クマの台詞クマ」
クマはそう言い、ウェンリルの顎を左手でかち上げた。
蒼い炎が散る。
振り抜いたケルベロスの拳は、クロウの顔を殴りつけた。
鈍い打撃音が響き、蒼い炎はクロウのローブを燃やす。
二度、三度と地面の上をクロウは転げ、土煙を巻き上げる。
大きく肩を上下に揺らすケルベロスは振り抜いた拳を下した。
そんなケルベロスの姿を、腹部を押さえ眺める冬華は奥歯を噛み、ゆっくりと動く。
ケルベロスのすぐ傍に血を流し倒れるクロト。彼の下へと這ってでも行こうと。
まだ、クロウに蹴られたミゾオチが痛む。呼吸もまだ苦しい。
それでも、右手に持った槍の切っ先を地面に突き立て、ゆっくりとゆっくりと移動する。
冬華の目には見えていた。薄れ行くクロトの姿が。
その体から溢れる光の粒子が。
クロトが消えていしまう。いなくなってしまう。
そう思うと、冬華の視界は涙で滲む。
クロウがいつの間にか立ち上がり、血を吐き捨てケルベロスへと何かを言った。だが、冬華にはそんな言葉どうでもよかった。
今、冬華が最優先すべきことは――
「お願い! セルフィーユ! 黒兎を――裕也を助けて!」
と、懇願する事だった。
冬華の目には映らない。それでも、そこにいるはずのセルフィーユに、頼むしかなかった。
今、頼れるのは聖霊であり、聖力を使えるセルフィーユだけ。ただ、それは聖霊であるセルフィーユの寿命を縮める事にも繋がる。
それをわかっているのにこんな願いをするのは、きっと酷い事なのかもしれない。それでも、冬華はクロトを助けたかった。
無様でもいい。冬華は地を這い進む。
そして、呟き続ける。
「お願い……セルフィーユ……裕也を……」
唇を噛み締め、その目に涙を溜める。セルフィーユは本当にいるのだろうか。
クロトは助かるんだろうか、色々と冬華の頭を巡る。
そんな中に轟く銃声。
クロウが右手に銃を抜き、弾丸を放ったのだ。
頬から血を流し、片膝を着くケルベロスは、クロウを睨みつけていた。
ホワイトスネークのマスター、ライオネットと剣を交えるクリスは、大きく弾かれた。
圧倒的に腕力で優位に立つライオネットは、ガンガン力押しでクリスを押していく。
一撃一撃が重く、柄を握るクリスの両手は衝撃で痺れていた。攻撃チャンスは何度もあったが、その隙を突かせては、手甲とスネ当てで攻撃を防ぐ。
これの繰り返しだ。
だが、クリスも分かっている。このままではいけないと。故に、攻撃を防ぎながらも考えていた。どう戦えばいいのか、どう魔力を扱えば良いのかを。
動きを止めたクリスは肩を僅かに上下に揺らす。
「どうした? さっきから、防戦一方だな。それに、英雄はあの様だぞ」
クリスを挑発するように、ライオネットはそう口にする。
だが、クリスは冬華を振り返る事なく、ただ呼吸を整え真っ直ぐにライオネットを見据えていた。
赤い刃の剣を構えるクリスは、不意に気付く。
(焔狐が戻ってる? そうか、さっき弾けた魔剣の――)
クリスのこの時、ようやく理解する。自分が預かった剣が、魔剣の一部だと。
しかし、何故、空で弾けたその剣が、クリスが武器を管理する空間の中に存在しているのか、どう言う原理で、そこに移動したのか、疑念を抱く。
だが、すぐに頭を振り考えるのをやめた。考えるよりも先に――
「来い。火の剣――焔狐!」
と、その手に焔狐を呼び出した。
朱色の美しい刃を煌かせる焔狐を左手に握るクリスは、深々と息を吐き出すとスッと右足を踏み出す。
「ふっ……今更、二本剣を使った所で何が変わるって言うんだ!」
大きく振り被った大剣を、ライオネットは右から左へと振り抜く。
クリスはそれを左手で握った焔狐を逆手に握り返し、切っ先を下にして大剣を受け止める。
鈍い金属音が響き、衝撃がクリスの左腕を襲う。柄を確りと握りこんだ左手には筋が浮き上がり、手の甲に血管が僅かに浮かび上がった。
「うぐぐっ!」
奥歯を噛み締め、両足に力を込める。
足は地面の上を滑り、土がクリスの足の側面に盛り上がっていた。
交錯する大剣と朱色の刃の剣、焔狐が僅かに震える。
噛み締めた歯の合間から息を吐くクリスは、ライオネットの顔を見上げた。
二人の視線が交錯し、次の瞬間、クリスは右手の赤い刃の剣をライオネットへと突き出した。
「ッ!」
ライオネットは身を引きその場を飛び退く。だが、クリスは逃がさない。
「紅蓮一刀!」
「クッ!」
逆手に持っていた焔狐を握りなおし、振り上げる。
朱色の刃からは白煙が噴き上がり、周りの空気をゆがめた。
瞬時に防御姿勢に入るライオネットだが、クリスはそんな事お構いなしに、
「――火斬!」
と、焔狐を振り下ろした。赤い閃光が真っ直ぐに地面へと落ちる。
体の前へと横に構えられた大剣の平には真っ赤な線が引かれ、次の瞬間、地面を突き破った火柱がライオネットの体を弾き飛ばした。
「くっ!」
大剣ごと両腕を上へと弾かれたライオネットは、表情を歪める。
火柱の所為で、視界は遮られていた。故に、完全にクリスの姿を見失っていた。
「クッソが!」
声を上げるライオネットは体勢を整えると、目の前の火柱へと大剣を振り下ろす。大剣は火柱を楽々一刀両断する。火柱は一撃で消え去り、視界は開けた。
しかし、そこにクリスの姿は無い。
「くっ! 何処だ!」
「ここだ!」
ライオネットの声に、上空からクリスの声が響く。
そして、次の瞬間、上空から落下する勢いそのままに、クリスはライオネットの両肩を二本の剣で切りつけた。
「うがあああっ!」
鮮血が両肩から噴出す。刃は深くライオネットの肩に入った。これは、致命傷と言ってもいい。
完璧なまでの一撃にクリスは地面に片膝を着いたまま深く息を吐き出した後に、その場をバックステップで離れた。
致命傷は与えた。手応えもあった。だが、クリスは直感していた。
これで終わるわけがないと。