第270話 三体の翼竜
無事に地下牢獄を抜けた冬華達は、現在ヴェルモット王国王都の東に位置する密林にいた。
地下牢獄の出口が丁度この辺りだったのだ。
雪が深々と降る中で、コートの類を持っていない冬華達は、身を震わせていた。
流石に奪われたコートの類を取り返す程余裕はなかったのだ。
唇を真っ青にさせるライは、下唇を震わせる。
「くぅうっ! 寒い! 寒すぎだろ!」
大声を上げるライに、和服姿の水蓮も身をちぢこませ声を上げる。
「ほ、ほ、ほほ、ホントに、さむ、寒すぎます……」
虚ろな目で、今にも瞼が落ちてしまいそうな水蓮。今にもコクリと夢の中へと落ちてしまいそうだった。
冬華も、クリスも、寒さは限界だった。二人共薄らと開いた口から、真っ白な吐息だけを漏らし、ただ時を待っていた。
その時とは――
「――来たゴン」
リューの声と共に、突風が吹き荒れる。大きな羽ばたきが三つ。それが、大きな風のうねりを作り出し、地上を襲ったのだ。
突風にあおられながら、冬華は顔を上げる。右腕で顔を突風から守りつつ、その目で見据える。
灰色の空より舞い降りた三体の翼竜の姿を。
一体は真っ黒な鋼の様な肢体の翼竜。赤い瞳を輝かせ、銀色の二本の角が額から突き出ていた。
二体目は燃える様な真っ赤な肢体の翼竜。翼の内側はやや薄紅っぽく、火の粉を舞わせていた。
三体目は透き通るような瑠璃色の肢体の翼竜。琥珀色の美しい瞳に、角ばった硬い鱗を輝かせていた。
全く見た目の違う三体の翼竜は、太く強靭な足を雪原へと下ろし、重量感のある地響きを起こした。
大きく広げた三体の翼が、ゆっくりと羽ばたきを止め、突風は止む。
雪煙が舞う中に、美しい三体の翼竜。その姿に、冬華は「ほへぇー」と間の抜けた声を上げた。
それ程、威圧感があり、勇ましい姿をしていたのだ。
「す、凄い……コレが……ドラゴンですか」
目を見開く水蓮は息を呑む。龍を見るのは初めてだった。ここまで、大きく威風堂々としているものだとは、思わなかった。
「ああ……全くだな……」
余りの驚きに呆れてしまい、ライは目を細めた。寒さすら忘れてしまう程、三体の存在感は凄かった。
いまだに魔力酔いをしているクリスですら、それを忘れてしまう程、三体の翼竜に見入っていた。
「これが……龍……」
「凄いね……。私も、龍は――」
冬華はそう口にして思い出したようにリューへと目を向けた。
今に思えば、リューも龍だった。そう冬華は思ったのだ。その為、龍なんて見るの初めてだよ、と言いかけたのを呑み込んだ。
冬華の視線に気付いたリューは頭を右へと傾けると、微笑する。
「いいゴンよ。私に気を使わなくても」
「そうだニャ。この姿で、龍なんて無いニャ。カバだニャ。どっちかってと」
リューを小バカにするようにオンはそう言い、腹を抱え笑う。金色のタテガミを揺らすオンに、不快そうにジト目を向けるリューは腕を組むと鼻を鳴らし、背を向けた。
何処と無く、二人はギスギスしている所がある。
一方で、クマはそんな二人の間へと割って入り、
「やめるクマ。そんな風にバカにするのは悪い癖クマ」
と、間を取り持つ。とても、いい関係性だと冬華は感じた。
三体の翼竜は、自分達を呼び出したリューへと顔を向け、
“キュピィィィッ!”
と、甲高い声を発した。
超音波の様なその声に、冬華も、クリスも、ライも、水蓮も耳を両手で塞いだ。
「す、凄い声……」
思わず冬華は顔をしかめた。
そんな中で、リューは右手を挙げ軽く振り、
「ご苦労さんゴン。よく、来てくれたゴン」
と、翼竜達へと答えた。
リューの声に嬉しそうに三体の翼竜は頭を縦に振る。随分と良い信頼関係が築けているのだろう、と冬華は感心していた。
「それじゃあ、三つに分かれて、乗り込むクマ」
クマは両手を振り上げ、そう言うと、オンはライを見据える。
その眼差しに、ライも気付いたのか、首を傾げた。
「じゃあ、俺は、アイツと一緒に行くニャ! この黒い奴で!」
オンがそう言うと、ライは眉間にシワを寄せ、目を細める。
「勝手に決めるなよな」
「じゃあ、私は彼とデュークと一緒に、コイツで行くゴン」
ライの言葉を無視し、リューが水蓮とデュークを丸っこい手で指差し、瑠璃色の翼竜の頭を撫でる。
「えっ? 私ですか?」
水蓮は驚きの声を上げる。一方、デュークは静かに頭を下げた。
「じゃあ、クマはこの赤い翼竜で、冬華とクリスと一緒に行くクマ」
勝手に割り当てを決めたクマ、オン、リューの三人は、半ば強引に他のメンバーを翼竜の背に乗せ、飛び立った。
問答無用で。
三体の翼竜は大きな翼で空を掻く。突風を荒々しく巻き上げ、その大きな体を空へと浮かべる。轟々しい風の音が広がり、翼竜は空高くまで舞い上がった。
「それじゃあ、ルーガスに向かって!」
冬華がそう声を上げると、三体の翼竜は、
“キュピィィィィッ!”
と、声をあげ、ゆっくりと動き出した。
一週間程が過ぎ――。
場所は、雲に覆われた天空の大陸。その中心に佇む古城の広場に移る。
そこには、数十万の兵が集まっていた。
人間から、魔人族、獣魔族、龍魔族と千差万別の兵達。そこに、現・獣王シオ。番犬ケルベロス。現・竜王グラドと早々たるメンバーが集まっていた。
そして、あのかつて英雄と共に旅をした勇者・大海賊・大聖霊・怪童・剣豪の五人も揃っていた。
これから、一体何が始まろうとしているのか、と思わせるほどの面子だった。
左翼に集まった獣魔族。その先頭に佇むのは現・獣王シオ。
両手には銀色のガントレットをし、深紅のマントを揺らしていた。
幼さの残るその顔に凛とした表情を作るシオは、腕を組むと鼻から息を吐いた。
「どうかしましたか? シオ様」
シオへとそう声を掛けたのは、獣王の右腕バロンだった。
瑠璃色の長髪を頭の後ろで束ねた無精ヒゲを生やしたのバロンに、シオは静かに鼻から息を吐くと、
「一体、ここで何があると言うんだ? お前の願いでここまで赴いたが……」
と、不機嫌そうに呟く。イリーナ城前で冬華と交戦してから、シオは苛立っていた。
改変された意識の中に、何かが蠢いていた。
それが、何なのか分からず、苛立ちに繋がっていたのだ。
そんな折だった。銅鑼の音が響き、古城の屋上に五つの人影が浮かぶ。
金色の髪を揺らすシオは、獣耳をピクリと動かし、その視線をゆっくりと上げた。
屋上に佇む五人のうち、真ん中に佇む黒髪の若い男が前へと出た。
「あれが……」
「黒き破壊者です」
バロンがそう答えた。
眉間にシワを寄せるシオは、フンッと鼻で笑い、瞼を閉じた。
その直後、黒き破壊者は宣言する。
「我は、かつて最悪の魔王と呼ばれた者。汝らは何だ? 何の為にここにいる?」
その男の問いかけに、周囲はざわめいた。何の為にここにいるのか、それを聞かれても、シオには分からない。
その為、険しい表情を浮かべる。
「我は、かつて、この世界を滅ぼそうとした。だが、結果は、三大魔王と人間たちの手により、封じられた。我は間違った事をしたとは思っていない。あの時、我の行動は真っ当だった。腐りきったこの世界を正すには、それが正しいと思っていた」
淡々と述べるその男の声に、更に周囲はざわめく。
一体、何の話をしているのか、理解出来ていない。
「我は、この者目を通し、世界を見た。さまざまな光景を。人間も魔族も、同じように過ちを犯し、同じように傷ついていると知った。今はもう、あの時とは違う。人間と魔族が――ぐふっ!」
唐突に、黒き破壊者が血を吐いた。いや、唐突にではない。その前触れとして、漆黒のローブをまとう男が、剣を片手にし、誰の意識にも止まる事無く、黒き破壊者に迫った。
そして、その剣を背中に突き立てたのだ。
腹部から突き出した切っ先から鮮血が零れ落ちる。
周囲は一層ざわめきに包まれ、一体、何が起きているのかと疑念の声が上がる。
直後だった。
“グアアアアアアッ!”
呻き声が大気を震わせると同時に、膨大な魔力が広がった。
地上が揺れ、大陸を覆っていた雲が弾けて消えた。
「な、何だ……アイツは……」
驚きの声を上げるシオは、古城の屋上に佇む禍々しいオーラを放つ黒き破壊者に、恐怖を感じた。