第269話 デューク
「ルーガスへ行こう!」
そう冬華が宣言して、一時間が過ぎようとしていた。
しかし、いまだに冬華達は地下の牢獄内に居た。
複雑に入り組んだ地下牢獄内。
正確な見取り図や、位置関係を知る由もない冬華達にとって、その構造は何処も同じように見えていた。
それゆえに、現在、同じ所をぐるぐると回っているような感覚に陥っていた。
これが、迷子と言う事なのだろうと、思った冬華は不意に足を止め皆へと振り返った。
「ごめん。迷ったっぽい」
右手で頭を掻き、えへへと笑う冬華に、ライは目を細め、水蓮は苦笑する。そんな事だろうとは思っていたからだ。
一方、クマとリューとオンの三体は、気にした様子は無い。正直、この複雑な通路だと迷っても仕方ないと思っていた。
そもそも、皆が合流出来たのは、皆の精神力・魔力を辿った結果だ。
合流するのは簡単でも、抜け出すのは難しいというわけだった。
「困り……ましたね」
気分の悪そうなクリスが、そう弱々しく呟く。
すると、冬華も、困ったように微笑し、
「そだね」
と、首を傾げた。
目を細めるライは、腕を組むと深いため息を吐く。
「そだね、じゃねぇーぞ。急いでいるんじゃないのか?」
「それはそうだけど……こう複雑だと、迷っちゃうでしょ?」
冬華は当然だと言いたげに、ライへと目を向け唇を尖らせる。
ブーブーと言う冬華に、ライは右手で頭を抱えた。こんなんで大丈夫なんだろうか、と不安になった。
和服姿の水蓮は、袖口に両手を突っ込むと困ったように辺りを見回す。こう同じような景色だと、本当にここが以前通った場所なのか、通っていない場所なのか分からない。
それに、本当に出入口に向かっているのかすら分からない。もしかすると、ドンドン奥に進んでいるんじゃないか、そう思えてしまう。
「どうしますか? このままだと――」
「それよりさ、その子……」
水蓮の言葉を遮り、冬華がライと水蓮の後ろにヒソヒソとついてくる小柄な少年を指差す。
長く不衛生な黒髪で目を覆う少年は、汚れた衣服をまとっていた。
その少年には見覚えがあった。それは、初めてこの大陸に渡った時、出会った――
「デューク?」
「…………」
無言のまま、デュークは頭を下げる。
そして、頭を上げると、髪の下から見える赤い瞳を冬華へと向け、
「お久しぶりです」
と、静かに口にした。
その言葉に、ライと水蓮は聊か驚く。
「なっ! お知り合いだったんですか!」
「てか、喋れたのか!」
ライがそう口にすると、デュークはコクリと頷いた。
そして、デュークはクマの方へと顔を向ける。
クマもその視線に気付いたのか、デュークへと顔を向けた。それと同時に右手を口元へと持っていき、何か合図を送る。
クマの合図にデュークは小さく頭を下げた。
このやり取りはほんの僅かな出来事で、誰にも分からない。
ただ、デュークが頭を下げただけ。そんな風に映っていた。
そんな折、オンが声を上げる。
「ニャァァァァッ! もう面倒にゃっ! 天井をぶち破って外に出るニャッ!」
オンが丸っこい手を腋の下に握りこむと、それをクマとリューが止める。
「や、止めるクマ!」
「この体力バカゴン!」
クマは後ろからオンを押さえ、リューがスパンとその頭を叩いた。
「ニャにするニャ!」
ジタバタと暴れ、怒鳴るオンに対し、
「天井なんてぶっ壊したら、生き埋めにされるクマ!」
と、クマが声を上げる。
リューは腰に手を当てると、うな垂れ、
「脳筋野郎はこれだから困るゴン!」
と、頭を左右に振った。
コントのようなやり取りに苦笑する冬華は、右肩を落とし深く息を吐き出した。
そして、ライも右手を腰にあて、大きなため息を吐く。
「おいおい。こんな事してていいのか? 急がないといけないんだろ?」
「そうクマ! じゃあ……」
クマの視線がデュークへと向く。
その視線に冬華、ライ、水蓮の三人もデュークへと目を向ける。
暫しの間が空き、デュークは小さく首を傾げた。だが、すぐに何かを閃いたのか、ピクッと肩を跳ね上げ、両手に魔力を込めた。
無言のまま突然動き出すデュークに、冬華とライと水蓮の三人は顔を見合わせる。
「な、何? どうしたの?」
「よからぬ事でも考えてるんじゃないだろうな!」
声を上げるライに対し、クマは静かに告げる。
「大丈夫クマ。ここはデュークに任せるクマ」
クマがそう言うと、デュークは魔力を込めた両手を壁へと押し付けた。
「ロード……」
ボソリとデュークがそう呟くと、両手を押し付けられた壁が開く。
まるで道を作るようにゆっくりと。
ゴゴゴゴッと地響きを広げ、土煙を巻き上げながら広がる壁に、冬華たちは目を丸くしていた。
数分後。地響きは収まり、何事もなかったように、そこには道が作られる。
そして、デュークはさも当たり前のように冬華の方へと体を向けると、左手を道へとサッと出し、
「ここから、出られます」
と、静かに告げた。
苦笑するのはライ。流石に、ここまでの事を当たり前のようにやってのけるデュークに、驚いていた。
どれだけ魔力があっても、こんな芸当普通の奴になら出来ない。やはり、この少年はヤバイ奴なのだと、ライは理解した。
呆気にとられるのは水蓮。助けてもらった時から凄い人だとは思っていたが、まさかこんな事まで出来るとは予想だにしていなかった。
一方、冬華は、目を輝かせていた。
「す、凄い! 凄いよ! こんな事が出来るなんて!」
両手でデュークの右手を握り、ブンブンと上下に激しく振る冬華はやけに興奮していた。
しかし、デュークは困ったように左手で頬を掻き、
「コレくらい……修行すれば誰でも出来ます」
と、呟いた。謙遜ではなく、デューク自身、そう思っていた。
何故なら、デュークの傍にはこれを当たり前のようにこなし、何でも出来る師の存在があった。
そして、彼女自身もデュークによく言っていた。
“努力は自分を裏切らない。何事も、努力すれば、出来るようになる”
と。
実際、この芸当もデューク自身努力し、得た力だった。
「さぁ、行くクマ! 急がないとクマ!」
クマがそう呟き、先陣を切る。
それに続くようにオンが走り出し、リューは道の入り口の横に佇み、冬華たちを見据える。
「しんがりは私がするゴン。冬華達は先に行くゴン」
リューの言葉に、冬華は小さく頷くと、
「それじゃあ、お願いね。行こう」
と、クリスに肩を貸すライと水蓮へと目を向け、走り出した。
冬華達の姿が見えなくなり、その場にはリューとデュークの二人だけが残った。
俯くデュークに、リューは小さく頭を下げた。
「すまなかったゴン。あの人の事は……」
頭を下げたリューに、デュークは激しく首を振り、やがて静かに告げる。
「師匠は……自分の死を悟ってました。それに……かつての愛弟子達の為になるなら、この最期もいいものだと……」
デュークは微笑する。
前髪で目が覆われている為、彼の表情は読み取れない。
だが、その笑みは何処か悲しげにリューの目には映った。