第268話 ルーガスに行こう!
息を吐くクマは、トボトボと冬華とクリスの下へと歩み寄る。
奇妙な足音を響かせるクマはピタリと足を止め、ゆっくりと振り返った。
体内を焼かれながらも、床に這い蹲り意識を保つウィルヴィスは、血反吐を撒き散らせ壁へと右手を着いた。
「あの状況でまだ動けるのか……」
右手で口を押さえるクリスは怪訝そうにウィルヴィスを見据える。
とても、見ていられるような状態では無いウィルヴィスに、冬華は目を背けていた。
それ程、痛々しかった。
そんな状態になりながらも、ゆっくりと立ち上がるウィルヴィスは、口から血を滴らせ虚ろな眼差しをクマへと向ける。
純白だったその衣服は血で真っ赤に染まり、すでに彼が白銀の騎士団だったと言う印象は殆どなかった。
苦痛に歪んだウィルヴィスの表情にクマは眉を顰める。
「そうまでして自らの地位を守りたいクマ?」
今までと違い、静かな口調のクマに、冬華は寒気を感じる。
何故か、妙な雰囲気を感じていた。
そんな矢先、ウィルヴィスは不敵に笑みを浮かべると、
「くっ……くくっ! お前には分からないさ! お前にはな!」
と、血を吐き出しながら声をあげ、義手の右手を胸へと突き刺した。
刹那、クマは叫ぶ。
「二人はここから離れるクマ!」
「もう遅い!」
ウィルヴィスの声が響き、その体が輝きを放つ。
体内に何かを打ち込んだのだろう。それにより、魔力が増幅し、ウィルヴィスの体が膨れ上がる。
「な、何? ど、どうしたの?」
「冬華……ここは、下がっていた方がよさそうです……」
肩を借り立つクリスにそう言われ、冬華は小さく頷き歩き出す。
流石に移動速度は遅いが、着実に距離を取っていた。
遠ざかる冬華とクリスへとチラリと目を向けたクマは、小さく頷く。
だが、その刹那、
「余所見をするとは余裕だな!」
と、膨れ上がり異形な形となった腕がクマの体を壁へと叩きつけた。
乾いた衝撃音が響き、壁が崩れ落ちる。
瓦礫が散乱し、土煙が舞い上がり、かび臭いニオイが通路内に広がった。
壁に空いた穴から通路内へと土が僅かに流れ込んだ。
瓦礫と土の中に埋もれるクマは、土から顔を出すと頭を振り、ゆっくりと体を起こし土を払った。
無言のまま鼻から息を吐き出す。場の空気は張り詰め、クマは異形となったウィルヴィスを見据える。
もうそこに人だった姿は無い。ムチのようにしなやかに動く触手は、恐らく以前は腕だったものだと思われる。
足は完全に消え、ドロドロのスライム状に変わっていた。
不気味なその姿にクマは冷めた眼差しを向ける。
「気色悪いクマ。お前が望んだのは、そんな姿になってまでも手にしたいものだったのかクマ」
クマの問いかけに、ウィルヴィスはしなやかな触手を振り抜く。
それを、クマは身を屈めかわすと、丸っこい両手に魔力を込める。
クマの言葉が分からないのか、それともあえて答えないのか分からない。
だが、もうコイツは人間ではない。ただの化物だ、とクマは判断し、両手に集めた魔力を圧縮する。
「人を辞めたお前に……加減をする必要は無いクマね」
赤黒い炎がクマの丸っこい両手を包む。
それは、地獄の炎。全てを焼き尽くす業火だった。
深々と息を吐き出すクマは、斜に構えると右足へと力を込める。
せめて、苦しまないよう、一撃でウィルヴィスを葬り去るつもりだった。
ツギハギだらけのクマは、その拳を握り締めると駆ける。
奇妙な足音を響かせ、振り抜かれる触手をかわす。
触手は床を叩き割り、天井をぶち抜き、壁を打ち砕く。
最小限の動きだけでそれをかわして見せたクマは、遂に人を捨て化物となったウィルヴィスの間合いへと入った。
「残念クマ。才能ある若者クマ。クマの一撃で、今、楽にするクマ」
クマは跳躍する。
そして、右拳を大きく振り被った。
一瞬、激しく燃え上がった赤黒い炎が、クマの手の中へと凝縮される。
「地獄の鉄槌!」
そう口にした瞬間、クマの右手は放たれる。
速度は高速。初速すら目で追えぬ一撃。
一瞬の後に、打撃音だけを残し、化物と化したウィルヴィスの肉体が窪む。
骨が砕ける音。
砕けた骨が肉を裂く音。
そして、鮮血が勢いよく噴出す音。
全てが一瞬に纏り、やがてそれら全てを喰らうように、赤黒い炎が鮮血と共に噴き上がり、体を包みこんだ。
弾むように距離を取ったクマは、二度三度と床を転げる。
受身は取ったものの、確りと着地する余力はなかった。
赤黒い炎に包まれたウィルヴィスは、呻く事も蠢く事もせず、ただ燃え上がっていた。
まだ意識はあるはず、まだ動くだけの力はあるはずなのに。ただ自分の人生の終幕を炎の中で静かに迎える。
僅かに呼吸を乱すクマには、分からない。
ウィルヴィスが、一体、何を望み、何故、あのような力に手を染めたのか。まだ若く、才能あるあの者が、どうしてこのような最後を迎えようとしたのか。
理解出来ない事ばかりだった。
丸い手を握り締めるクマは、ただ燃え尽きる化物を見据える。
何も言わず無言のままで。
彼の最期を見届け、クマはようやく動き出す。
赤黒い炎は鎮火し、その場に残されたのは消し炭と、魔導義手だけだった。
冬華とクリスが移動した先に居たのは――
「ライ! 水蓮!」
ライと水蓮の二人と、もう一人暗い雰囲気を漂わせる一人の少年だった。
「二人とも無事だったの!」
安堵したように冬華は笑みを浮かべ、その瞳には涙を浮かべる。
白銀の髪を乱すクリスも、二人の無事に少々安心したのか、その瞬間に嘔吐した。
「お、おい! だ、大丈夫かよ! いきなり、吐くなんて……」
「よっぽど、気持ち悪いものでも見たんですかね?」
冗談混じりに水蓮はチラリと横に佇むライを見た。
茶色の髪を爽やかに揺らすライは、腰に手を当てると鼻で笑い水蓮を見た。
「おいおい。自虐にも程があるぞ!」
「いえ。あなたの事ですけど?」
「はぁ? 誰が気持ち悪いだ!」
「あなたですけど?」
「ふざけんな!」
いつ、こんなに二人が仲良くなったのか、と苦笑する冬華は、クリスの背中を擦りながら状況を説明した。
「そうですか……魔力酔い……経験は無いですね」
右手で頭を掻く水蓮は、困ったように眉を曲げる。
黒い短髪の合間を何度も水蓮の手が往来し、髪がさわさわと揺れる。
「まぁ、普通に生きてて、魔力酔いなんてする事無いからな。てか、魔力を魔族から受け継ぐ人間なんて、滅多にいないもんな」
腕を組むライはそう言うと「あははは」と爽やかに笑った。
非常に和やかに時が流れる中で、奇妙な足音が三つ通路内に響く。
その足音に真っ先に気付いたのは、ライ――ではなく、暗い雰囲気の少年だった。
ひょこっと顔を挙げ、周囲を見回す。その少年の様子で、ようやくライも足音に気付き、唇へと右手の人差し指を当てた。
静寂が場を包み、その三つの足音が他の皆の耳にもハッキリと届く。
その足音に、冬華はパッと笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ! この足音は、クマとオンちゃんとリューくんのものだから!」
聞き間違えるわけの無い、独特の足音に冬華はそう断言する。その答えに、呆れた目を向けるのはライ。
そして、水蓮も苦笑いする。
「何ですか? クマにオンにリューって?」
「クマはクマだよ! オンはライオンで、リューは龍だよ!」
冬華の説明は全く的を得ず、ライも水蓮も更に困惑する。
一瞬、冬華がおかしくなったのか、そう思ったが、次の瞬間薄暗い通路の奥から現れる。
三つの奇奇怪怪な不気味なぬいぐるみ三体が。
「な、何ですか! アレ!」
「冗談だろ……」
驚愕する水蓮に、呆れるライ。
当然だ。
動くぬいぐるみなど、初めて目にすれば、驚くのは無理は無い。
「無事に皆合流出来たゴン?」
龍のぬいぐるみリューが、頭を上下に揺らす。
「とりあえず、ここでの目的は達したニャ」
獅子のぬいぐるみオンは、腕を組みヒョコヒョコと獣耳を動かす。
「選別が開始されるのも時間の問題クマ! 急いでルーガスへ向かうクマ!」
と、クマは丸っこい拳を突き上げ、冬華に真っ直ぐな目を向けた。
正直、現状を把握出来ていないライと水蓮は話について行けない。
もちろん、冬華とクリスもその話にはついていけていない。
そもそも、選別とは何なのか、何故ルーガスに向かうのか、疑問は多々あった。
だが、クマ達三人の様子から、事は急を要するのだと言う事だけは分かり、
「分かった。ルーガスに行こう!」
と、冬華は即決した。