第267話 異形の化物
突き出されたオンの両拳は、上下に平行に並ぶ。
拳からは湯気上がり、魔力と精神力で生み出された白虎の姿は静かに消えていった。
あとに残ったのは大量の血痕と肉片。そして、クラトフの噛み砕かれたその肉体だけだった。
丸っこい手をゆっくりと下ろすオンは、深く息を吐き出す。それから、虚ろな眼差しを、横たわる無残な姿のクラトフへと向けた。
居た堪れない。
このクラトフと言う男が何処で生まれ、どんな生活をし、どう成長してきたかなど知る由も無い。
それでも、彼の力ではない何か強力な力により、醜い姿へと変えられ戦わされ死を迎えるなど、許せるものではなかった。
俯き肩を落とすオンに、腕を組むリューは小さく息を吐いた。
「そろそろ、行くゴン」
冷ややかな言葉に、オンは唇を噛む。
だが、小さく頭を縦に振ると、オンは振り返る。
「分かってるニャ。俺達は立ち止まっては居られないニャ」
「そうゴン。私達にはなさねばならぬ事があるゴン」
リューはそう言い組んでいた腕を下ろした。
「他のメンバーが心配ゴン。急ぐゴン」
「分かってるニャ」
リューは反転し走り出す。
オンは少し遅れ、その背を追った。
二人の奇妙な足音だけが、その場には響き渡った。
場所はライ・水蓮サイドへと移る。
「で、どうだ?」
腕を組むライが、眉間にシワを寄せ水蓮を見据える。
視線の先に佇む水蓮は、先程から右手を握り締め精神力を集中していた。
突然、自らの手から消えた水の剣・水月を呼び出そうと何度も試みていた。
だが、何度やっても、返答は無く、虚しく精神力だけを消耗していた。
「ダメ……みたいです」
「そうか……。あれが、正統な持ち主に戻ったって考える方が妥当なんだろうけど……なんで急に?」
右手を口元へと持っていき考え込むライは、小さく息を吐いた。
「分かりません。私は、正統な持ち主の事を知りませんから……」
疲れたように肩で息をしながら、水蓮は答える。
ただ、秋雨からは、
“この剣は大事な友人から預かっているモノ”
と、聞かされていた。
秋雨が信頼する程の大切な友人ならば、持ち主はよほど信頼出来る人物なのだろう、と考え、安心はしていた。
たとえ、水月が持ち主に戻っても悪用される事は無いと。
安堵し肩の力を抜いた水蓮は、ふと周囲を見回し気付く。
「アレ? ライ殿。あの人の遺体がなくなっているんですが?」
「んっ?」
水蓮の言葉にライも周囲を見回す。
狭い通路だ。見逃すはずはないのだが、何処にもあの男の姿はなかった。
「何処に行った? てか、あれで生きてたのか?」
怪訝そうに眉を顰めるライは鼻から息を吐く。
嫌な予感が脳裏を過ぎった。
と、同時だった。
背筋も凍る殺気がその場を包み込む。
ライと水蓮の肩はビクッと跳ね、同時に二人は戦闘体勢に入った。
本能が告げたのだ。戦う準備をしろ。今すぐ、自分を守る準備をしろと。
身構える二人は背を預けあう。
刹那、蠢く影が曲がり角の壁に浮かぶ。
それを発見したのはライだった。
「な、何だ……ありゃ」
ライの声に振り返った水蓮もその影を目視する。
その時、蠢く影が不気味に動き出す。
「な、何ですか? あの影……人じゃないですよね?」
水蓮がそう口にする。
そう。それはもう人と言う形の影ではなく、異形の生物の影だった。
「おいおいおい! なんかヤベェぞ!」
ライがそう口にするのも無理は無い。
角から出てきたのは、不気味なスライム状の化物。
その体から複数の銃身を生やし、その銃口はライと水蓮へと向けられていた。
「ライ殿! あの銃身は、あの男が持っていたライフルの銃身では?」
向けられた銃口の一つに、水蓮は見覚えがありそう口にした。
間違いなく、その銃はあの男が持っていたライフルだった。
そのことから、ライと水蓮は一つの推測をする。
「冗談だろ……」
「目の前の事実から目を反らすのはどうかと思いますけどね」
苦笑するライに、水蓮は真剣な表情でそう答えた。
確かに目の前の事実から目を反らすわけには行かないと、ライはふっと息を吐いた。
「とりあえず……逃げるか?」
「逃げ切れると思いますか?」
ライの言葉に、水蓮はそう即答し表情を引きつらせる。
スライム状の化物に素早い動きが出来るとは思えない。
だが、その体から出た銃身を見る限り、遠距離攻撃が可能だ。
そんな奴を相手に逃げ切る事が出来るのか、と言うと恐らく逃げ切れないだろう。
銃で足を撃たれたらおしまいだ。
奥歯を噛むライは、鼻から息を吐く。
「どうする? 戦うにも武器がねぇぞ?」
「ですね……。逃げるにしても、遠距離から撃たれたら終わり」
「見た目からして、打撃は効きそうになさそうしな」
ライは肩を竦め、お手上げと言わんばかりに両手を肩口まで挙げる。
水蓮もライと考えは一緒だ。
見た目から、打撃・斬撃などは効果が薄そうで、恐らく魔術などによる攻撃が有効的なタイプだと推測する。
ライも水蓮も基本接近戦タイプで、魔術などとは無縁だった。
ゆえに、相性は最悪だった。
「武器があれば、属性変化も使えんだけどな……」
「そうですね……」
二人が渋い表情を浮かべていると、スライム状の生物は一斉に引き金を引く。
複数の銃声が轟き、弾丸が一斉に発射される。
「ッ!」
「ぬあっ!」
二人は瞬時に左右に跳ぶ。
その先には牢屋があり、二人はバラバラにそこに逃げ込んだのだ。
「おいおい! 冗談じゃねぇーぞ! あんなのどうすりゃいいんだ!」
ライは両手で耳を塞ぎながら声を上げる。
何度も何度も轟く銃声に、耳がいかれそうだった。
「どうするんですか! この状況!」
水蓮も同じく両手で耳を塞ぎ大声を上げる。
とてもじゃないが、今の二人では手も足も出ない状況だった。
そんな時だった。
鳴り響く銃声の中で、一つの静かな足音が混じる。
銃声の所為でその足音は誰にも気付かれない。
それは、スライム状の生物もそうだ。全くその気配にも気付けずに居た。
足を引きずるその人物は静かにスライム状の生物の背後で足を止めると、右手をかざす。
無言のままその手の平に魔力を集めたその人物は、息を静かに吐き出すと、その手に炎を宿す。
「焔」
静かにそう口にしたその人物は右手をスライム状の生物の中へと突っ込んだ。
ズボッと言う嫌な音が聞こえた後、ボコッボコボコッと液体が煮立つ音が響き渡る。
スライム状のその生物の体に泡が沸きあがり、その表皮で弾けた。
次の瞬間、スライム状の生物の体は燃え上がる。
「うおおおおおっ!」
野太い呻き声が通路内に響き渡り、耳を塞いでいたライと水蓮はその声に牢屋から顔を覗かせる。
二人の視界に入ったのは、轟々と紅蓮の炎に包まれたスライム状の生物と、その背後に佇む一人の少年。
小柄で古びたボロボロの衣服をまとう少年だった。
長く伸びた黒髪は目を覆い、その表情までは読み取れない。
だが、一つ分かる事は、ライと水蓮はこの少年に助けられたと言う事だった。




