第260話 熊・獅子・龍
静まり返った牢屋の中、水蓮は目を覚ました。
傷は完全とまでは行かないが、癒えていた。
多少痛みは残るが、それでも支障はない程だった。
体を起こした水蓮は、自分の両腕を拘束する枷に目を向ける。
すぐにそれが精神力・魔力の類を封じるものだと理解した。
眉間にシワを寄せる水蓮は、やがて大きなため息を吐き、
「慢心した。私は弱い。もっと強く強くならねば!」
下唇を噛み締め、瞼を閉じる水蓮は不甲斐ない自分自身が情けなく悔しい。
強くなったと思い上がっていた。
井の中の蛙とはよく言ったモノだ。
クレリンスと最強集団と言われる白銀の騎士団の一兵とではこれほどまでの実力の差があるものなのかと、まざまざと痛感させられた。
しかし、こうなってしまっては、何もする事も出来ず、水蓮は胡座を掻くと、深々と息を吐き出し時を待つ。
きっとチャンスはあるそう想いながら、水蓮は精神統一を行っていた。
場所は移る。
薄暗く長く続く通路。
壁、床、天井には深い斬り跡を残しながら、次々と火花が散る。
激しく濁った風を切る鋭い刃は、太刀風を吹かせる。
バックステップで距離を取るのはライ。
手元に武器が無い為、防戦一方だった。
それでも、ライは息一つ乱さず、落ち着いた面持ちで周囲を見回し、対峙するキエンへと目を向ける。
純白のローブを揺らすキエンは、振り抜いたばかりの長剣を左肩の位置に構えると、
「逃げ回ってんじゃねぇ!」
と、左足を踏み込むと同時に、長剣を突き出す。
長い刃を生かした鋭い突き。
だが、ライはそれを左手の平で外へと払い、その勢いのまま右回転しながらステップを踏み、キエンの間合いへと入り込んだ。
「ッ!」
一瞬にして間合いに入ったライに、キエンは表情を歪める。
素早い足運びに加え、なれた小回りの利いた動き。
その動きは雪原での時とは明らかに違い、軽やかだった。
これが本来のライの動きだった。
「調子にのんなよ!」
ライはそう口にする。
その声が耳に届くと同時に、ライの右肘がキエンのミゾオチへと打ち込まれた。
「ぐっ!」
奥歯を噛むキエンの口から唾液が飛ぶ。
背を丸め、体をくの時に曲げたキエンに、ライは距離を取ると拳を構える。
「お前、言ってたな。所詮、俺は正面から迎え撃てば、一般兵以下だって。どうだ? その一般兵以下の俺の一撃は?」
腕力があるわけじゃない。
力が強いわけじゃない。
ただ、ハンターの嗅覚で的確に相手の急所を狙い撃ちしているのだ。
左手で胸を押さえよろめくキエンは、唾液を滴らせながらライを睨みつける。
完全にキエンの顔から余裕が消えた。
一方、ライも真剣な表情でキエンを見据える。
油断はしない。ここは敵地なのだ。
油断などあってはならないのだ。
「ぐっ……一発……当てたくらいで、頭に乗るな!」
キエンが床を蹴り、跳躍する。
その瞬間、ライは両足を肩幅に広げ、重心を落とす。
そして、腰の位置に握り締めた右拳を構え、精神力を全身に広げる。
「悪いが、手加減はしねぇ」
そう言い、ライは左足を踏み込むと、顔を上げ、視線を跳躍したキエンへと向けた。
「一撃突貫! 穿孔!」
踏み込んだ左足に全体重を乗せ、右腰の位置に構えた拳をキエンへと向けて突き上げた。
拳は落下速度を加え、勢いよく振り下ろされた刃の横を通過し、刃が届くより先にキエンの顎を捉えた。
骨の軋む音が僅かに響き、遅れて衝撃がキエンの頭蓋骨を突き抜ける。
弾かれた様に後方へと一回転したキエンの体はその後、通路を二度三度と転がり動きを止めた。
突き出した拳を引きつつ、ライは踏み込んだ左足を戻す。
そして、腰の位置に両拳を構え、深々と頭を下げた。
今のライの一撃で、キエンの頭蓋骨は完全に砕かれた。それ程の一撃だった。
的確に急所を狙い、確実に致命傷を与える。それが、ハンターとしてのライの戦い方だった。
「さて……。もう少し苦戦すると思ったけど、想いの外キエンの奴が油断してて助かったな……」
肩から力を抜き、脱力したライはそう呟き右手で頭を掻いた。
だが、すぐに気を引き締めると、周辺の音に聞き耳をたてる。
正直、これ以上の戦闘は避けたい。
無駄に体力を消耗したくないし、何よりも優先すべきは冬華達と合流する事だった。
その為、ライは足音が聞こえない事を確認すると、その場を足早に去った。
思ったよりも広いこの地下牢獄でどうやって冬華達を探すべきかを考えながら。
場所は移り変わり、牢屋に大人しく囚われる冬華サイド。
無言のままただボーッと手枷を見据えていた。
他の皆の安否を考えていた。
ただ、考えた所で、今の状況では何も出来ない事に変わりはなく、冬華は深く息を吐いた。
自分が今、何をすべきなのかを考えていた。
そんな折だった。
ピョコピョコと言う奇妙な音が鉄格子の向こうから聞こえたのは。
まるで、ピコピコハンマーでも振り回しているんじゃないか、そう思いたくなる程しつこく、ピョコピョコと音は響く。
考え事をしていた冬華にとって、その音はとても鬱陶しく、イラッとした。
しかし、牢屋の中ではどうする事も出来ない為、冬華は黙ってその音がしなくなるのを待つ。
数分が過ぎる。
未だに通路の向こうからピョコピョコと音が聞こえていた。
しかも、ドンドン近付いている様だった。
「な、何?」
思わずそう口にする冬華は顔を上げると怪訝そうに眉を顰めた。
そんな時だった。
ヒョコンと擬音がつくんじゃないかと言う程の勢いで、大柄のクマのぬいぐるみが鉄格子の向こうに顔を覗かせた。
「あっ! いたクマ!」
「く、クマ!」
見覚えのあるそのぬいぐるみの姿に、冬華は思わず声を上げる。
すると、クマは丸っこい手をブンブンと大きく振り、ツギハギだらけの顔に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
クリクリの丸い目がパチクリと動く。
驚く冬華も、同じく目をパチクリとする。
「な、何でクマが? あの時にバラバラに……」
訝しげにそう言う冬華。
そう、クマは以前フィンクで起こった戦いの最中にバラバラにされた。
それに、クマを作った人もあの戦いで亡くなった為、魔力供給が出来ずに、消滅したはずだった。
なのに、どうしてそのクマが目の前に、と、驚く冬華に反し、クマは通路の向こうへと顔を向けると、ヒョコヒョコとジャンプする。
「コッチクマー。こっちにいたクマー!」
クマの声が通路内に反響し、遅れて、トテトテと言う足音と、ポフポフと言う二つの足音が響く。
そして、鉄格子の向こうに不気味な三つの影が揃う。
「彼女が英雄なのかニャ?」
金色のタテガミを揺らす右目に傷の刻まれた獅子のぬいぐるみが、愛くるしい眼差しを鉄格子の向こうの冬華に向ける。
「案外、華奢だゴン」
愛くるしくデフォルメされたずんぐりむっくりのドラゴンのぬいぐるみが、ヒョコヒョコと前に出た鼻先を動かし頷く。
全く持って緊張感の無いこの三体のぬいぐるみに、冬華はただただ目を丸くし、表情を引きつらせていた。