第26話 聖女に与えられた神の力
淡い蒼の炎が木々を焼き、その炎をまとう一人の男ケルベロス。異様な雰囲気を漂わせ、不気味な炎を揺らすケルベロスが、口から白い息を吐くと殺気の篭った視線を冬華へと向けた。その殺気にいち早く気付いたのはセルフィーユだった。
すぐさま冬華の前へと飛び出すと、両手を前へとかざす。いつでも冬華を守れる様にと。だが、その行動に、ケルベロスはスゥーッと息を吸うと、
“ウガアアアアアアッ!”
と、咆哮を轟かせた。その衝撃が家を吹き飛ばし、氷を砕く。破片が勢いよく冬華の方へと飛び、セルフィーユは咄嗟に叫ぶ。
『絶対障壁!』
前に出した両手から透明の壁が生み出され、衝撃と飛んでくる氷の破片を受け止める。その衝撃にセルフィーユは表情を歪め、奥歯を噛み締めた。どんな攻撃でも防ぐ最強の盾だが、それでも、衝撃だけは術者に伝わる。壁を伝って。
『うぐぐっ……』
「セルフィーユ」
片目を閉じそう呟いた冬華の視界に僅かにだが蒼い炎の光が見える。その光から、炎の火力の強さを感じとり、冬華は叫ぶ。
「セルフィーユ! 避け――」
だが、冬華の言葉は間に合わない。衝撃が透明の壁を大きく窪ませ、その向こう側に蒼い炎に包まれた拳が僅かに見えた。
『きゃっ!』
セルフィーユが悲鳴を上げ、両腕が大きく弾かれ、後方へと吹き飛ばされた。両腕が弾かれた事により、透明の壁は消え、同時に無防備になった冬華の目の前へと蒼い炎をまとう男が、その拳を大きく振り被った状況で姿を見せる。
(やられる!)
冬華は瞼を堅く閉じ、咄嗟に手に持った槍を体の前へと出す。刹那、炎が揺らめき、ケルベロスが左足を踏み込んだ。
だが、いつまでたっても衝撃は襲ってこず、冬華は恐る恐る瞼を開く。その目の前で燃えるケルベロスの拳がピタリと止まり、ケルベロスの苦悶に歪む表情が冬華をジッと見据える。
「うぐっ……うぅっ……にげ、ろ……死に……たく、ない……なら……」
声を振り絞る様にそう告げたケルベロスに、冬華は驚き目を丸くする。先程までと全く雰囲気が違って見えたからだ。まるで、何かに苦しんでいる様に見えるケルベロスに、冬華は唾を呑み込みゆっくりと口を開く。
「あ、あなた、もしかして……」
「黙れ……人間。お、れは……にん、げんは、嫌い……だ。早く……しないと、殺すぞ」
強い視線を向けるケルベロスに、冬華は後退り眉間にシワを寄せた。やはり何かがおかしいと、下唇を噛み締め、その手に持った槍を構えた。
「な、んの……つもり、だ……」
「私は貴方を救いたい。だから、逃げない」
「くっ……もう……俺は、押さえ……切れない……」
ケルベロスの声が途切れ、その目の色が赤く充血すると殺気が漂い喉を鳴らす。
「ぐううううっ!」
『冬華様! 下がって!』
セルフィーユが叫びながら冬華とケルベロスの間へと割ってはいり両手をかざし叫ぶ。
『絶対障壁!』
「うがあああっ!」
セルフィーユの前に透明の壁が出来るとほぼ同時に、ケルベロスの蒼い炎をまとった拳が突き出される。轟々しい衝撃音が響き、セルフィーユの出した壁が衝撃でグニャリと曲がり、セルフィーユもその衝撃で後方へと弾かれた。
「セルフィーユ!」
冬華の視線は弾かれたセルフィーユの方へと向く。だが、それが失敗だった。その僅かな隙をケルベロスが逃すわけが無く、右足を踏み出し左拳に蒼い炎を灯し大振りで振り下ろす。
「がああああっ!」
「――!」
その声で気付き、視線をケルベロスの方へと向けるが、その拳が冬華の額を射抜いた。鈍い音が響き、冬華の頭が後方へと弾かれる。額から僅かに血を吹き、冬華の上半身は大きく後方へと仰け反り、最後に両足が地面から離れ、地面を何度もバウンドし茂みの向こうへと姿を消した。
茂みの向こうで仰向けに倒れる冬華。額を殴られ意識はもうろうとし、その額からも僅かに血が流れていた。普通ならばあの一撃で頭部を破壊されているかも知れないが、光鱗で自動的に体が守られ、何とか死なずに済んだ。
それでも、頭部に受けた衝撃で、冬華は軽い脳震盪を起こし、思考が全く働いていなかった。
「…………」
沈黙し、空を見据える。瞼が重く徐々にその視界が狭まっていく。意識が遠退いていくのだと、冬華自身分かったが、もう自分ではどうにも出来ず、ゆっくりと瞼が閉じられた。
深い闇の中にいざなわれた冬華は、その闇の中で一筋の光を見つめる。僅かにだが声が聞こえ、その声のする方へと自然と手を伸ばしていた。ゆっくりと伸びた手の指先が光に触れると、その声が鮮明に冬華の頭の中に響く。
(さぁ、解放せよ。我が力を。英雄となりし、聖女たる汝に与えん。神の力を――)
声が途切れると同時に、指先に触れていた小さな光が闇をかき消す様に眩く光り輝いた。その瞬間に冬華の体を何か暖かなモノが包み込むと、冬華は意識を取り戻す。
「な、何……今の……」
わけも分からず空を見上げていた冬華は、静かに右腕を持ち上げると、その手を見据える。僅かにだが光が体を包んでいるのが分かり、あれが夢ではなかったのだと理解した。額から流れていた血も止まり、体中から何故だか力が湧き出ていた。
そんな不思議な感覚を感じながら、冬華はゆっくりと立ち上がりその手に持っていた槍を見据え、小さく息を吐く。これなら戦えると、ギュッと柄を握り締めた冬華が視線を上げると、視界に入り込む蒼い炎。
「くっ!」
咄嗟に右足を退き、体を捻る。それと同時に槍の柄で向かってくる蒼い炎をまとった拳を右へと払う。それにより、ケルベロスの体が横へと流れバランスを崩した。
「な、何、今の? はっきりと動きが見えた……」
驚く冬華。今、ケルベロスの動きが鮮明に冬華には見えた。だから、容易にかわす事が出来た。これも、体を包む光のおかげなのかと、冬華は疑問に思いながらも、目の前のケルベロスに意識を集中する。そうしなければ、自分の身が危ないと分かっていたからだ。
「ぐうううっ……」
喉を鳴らすケルベロスから距離を取った冬華は、その手に持った槍の切っ先をケルベロスの方へと向けた。と、同時に遠くの方でセルフィーユの声が聞こえた。
『冬華様!』
「うがああああっ!」
その声と同時に放たれるケルベロスの蒼い炎。セルフィーユも必死になって冬華の元へと急ぐ。だが、どう頑張ってもセルフィーユが絶対障壁を張るより先に、ケルベロスの攻撃が冬華を襲う事は分かっていた。それでも、セルフィーユは自分が出せる最大級の速度で冬華の元へと向かった。
そのセルフィーユの頑張りに、冬華は静かに息を吐き意識を集中する。精神力を練りその槍へと意識を集中した。冷気が漂い始め、湯気が上がる。迫るケルベロスの姿をその目で確りと見据える冬華は静かに腰を落とすと、槍を引く。
「雪花……一輪咲き!」
冬華は一気に槍を突き出す。ケルベロスに向かって。魔力をおびた槍はその刃に冷気を伴い、空気中の水分を凍りつかせ粉雪を舞わせる。その刃に向かって、ケルベロスはその拳を突き出す。蒼い炎の火力を最大限まで上げて。
両者の放った一撃が衝突し、眩い光が二人の視界を遮り、その瞬間大きな爆発を生んだ。蒼い炎が空へと広がり、白い粉雪がその場を覆った。