第25話 ケルベロス
シオは駆ける。
生い茂る木々を避けながら、その腕に傷ついたフリードを抱き上げて。風が頬を撫で、金色の髪ははためく。半開きになった口で荒々しく呼吸を繰り返す。口の中は乾き、喉の奥が張り付くそんな感覚を感じる。
シオの通ったその道筋に、フリードの血液が滴れ跡が残されていた。
「フリード……はぁ、はぁ……も、もう少しだからな……」
弱々しい呼吸のフリードに何度も声を掛ける。大きく肩を揺らしながら。木々の向こうが開ける。ようやく、森を抜けた。と、同時にその視界に入る異様な光景。その光景にシオは足を止め、静かに息を吐く。
「はぁ…はぁ……な、何があった……」
驚愕するシオ。足元から漂う僅かな冷気。呼吸をすれば息は白くなり、地面は一面凍りついてた。そして、そこには美しい氷の花が無数咲き誇っていた。だが、それはただの氷の花ではなかった。その透き通る氷の中に存在するのは武装した人間の姿。
一体、誰がこんな事をしたのか分からず、シオは周囲の氷の花を見回す。冬華の姿がその中に無い事を祈りながら。凍り付いた地面を踏み締める足音が静かに響き、ひび割れた氷の上へとフリードの血が流れる。
ゆっくりと歩みを進め、地面に張った氷を割りながら、一つ、また一つと氷の花の横を通過する。やがて、フリードの家があった場所に辿り着く。そこに、もう家と呼べるモノは無く、黒焦げた木片の残骸と炎の形で凍り付いた結晶が残っていた。
「冬華は何処だ? あの幽霊は……ここで、一体何があったって言うんだ……」
驚愕し息を呑むシオ。その耳に僅かな爆音が聞こえた。それは、先ほどまでシオ達が居た場所から起きた爆音。バロンが魔術師と激しく戦っているのだろう。その爆音は時折地響きを起こし、木々はその激しさにざわめきたった。
その時だった。バロンと魔術師の戦っている場所とは正反対の場所で突如として爆音が響き、木々が蒼い炎に包まれる。そして、森の中から吹き飛んできた一つの陰。その影にシオは叫ぶ。
「冬華!」
地面を転がった冬華。その声が聞こえなかったのか、体を起こすとすぐに自分だ飛んで来た場所を睨む。その手に握られた一本の槍。見た事の無い真っ白の柄に透き通る蒼い刃の槍。冬華がそれを何処で手に入れ、今誰とやりあっているのかわからず、困惑するシオの視界にセルフィーユの姿が映る。蒼い炎に包まれながらも、冬華を守ろうとその手を前方にかざすセルフィーユの姿が。
「セルフィー――」
「うがあああああっ!」
シオの声を遮る遠吠えが大気を揺らす。その激しい衝撃に木々がなぎ倒され、森の中から冬華へ向かって蒼い炎を両手にまとった男が飛び出す。雄々しく猛々しいその男の名をシオは知っていた。そして、その男がどう言う人物なのかも。だから、表情を曇らせると、大声叫ぶ。
「ケルベロォォォォス!」
シオの言葉にケルベロスと呼ばれた男の動きが止まる。そして、冬華とセルフィーユもここでようやくシオの存在に気付いた。
時は遡る。
まだシオとフリードが魔術師と戦っている数十分前へと。
フリードの家を囲む武装した人間達の激しい攻撃を受け、家は吹き飛び炎が燃え上がる。空から降り注ぐ木片。静まり返るその一帯に、その木片の落ちる音だけが鳴り響く。燃え上がる炎がその降り注ぐ木片を飲み込み火力を増していた。
「や、やったか……」
一人の男が呟くと、漂う黒煙の向こうに薄い光が浮かぶ。
『……絶対障壁。間に合いました……』
「ありがとう。セルフィーユ」
冬華の目の前で両手をかざすセルフィーユ。光の壁が全てを防いでいた。セルフィーユが使える最強の呪文。それは、どんな攻撃をも防ぐ最強の盾だが、その消費エネルギーは相当のモノだった。それゆえ、多用できる呪文では無く、セルフィーユも薄らと汗を滲ませていた。
息を呑む武装した人間。その視線はセルフィーユをすり抜け冬華へと真っ直ぐに向けられる。
「……酷い。人間、こんな事してるなんて……」
立ち尽くす冬華は周囲を見回す。黒煙を上げる家。血を流し動かない魔族。鳴り止まない悲鳴。こんな光景を目の当たりにし、冬華は思う。
――私は誰と戦えば良いのか
と。人間の手によって英雄として呼び出され、今、その人間が行っている残虐を目の当たりにしている。本当に、魔族が悪なのか。本当に魔族とは分かり合えないのか。そんな事を考え、冬華は静かに俯いた。
「どうして……貴方達はどうしてこんな事が出来るの?」
静かに問う。すると、剣を持った若い男が、その問いに答える。
「奴らが魔族だからだ!」
と、冬華へ向かって駆けながら。立ち尽くす冬華は、その答えに唇を噛み締めた。冬華へと向かって駆け出した男は跳躍するとその手に持った剣を頭上へと振り上げる。
「死ねぇぇぇっ!」
『冬華様!』
男の叫び声とセルフィーユの声が重なる。そして、冬華の顔がゆっくりと上を向くと、右手が輝きその手の中に冬華の背丈程の長さの白く細い棒が現れ、冬華は左足を踏み込むと跳躍した男に向かってその棒を突き出した。
「ぐがっ!」
突き出した棒の先が上ずった男の顎へと直撃し、上体が後方へと傾いた男の体は、その剣の重さで背中から地面へと落下した。
「ぐあっ……」
背中を打ちつけ、男の呼吸が僅かに止まる。そこで、ようやく周囲に居た武装した者達は冬華が敵なのだと判断し、怒涛の様な雄たけびが響き渡った。
「女だからって容赦するな!」
誰だか分からないが誰かがそう叫び、それに対し他の皆が声を上げる。剣、槍、斧などの武器を持った者達が冬華へと突っ込み、杖を持った魔術師の様な者達は後方で魔力を練る。そんな光景を冷静に見据える冬華は、突如その棒を空へとかざす。
すると、かざした棒の先から蒼く透き通る刃がいつしか生まれ、それが光を反射させ美しく輝いた。
「くっ!」
「な、何だ!」
突っ込んで来た者達はその眩い輝きに足を止め、魔力を練る者達はその輝きの美しさに目を奪われる。そんな折、冬華は自然を口を開く。頭に浮かぶその言葉を。
「……氷月花」
静かな口調と共に空へと向けられた矛先を柄を回転させ地面へと向け、一気に地面へと突き立てる。その技を知っていた様に、体は自然とそうした。
刃が地面に突き刺さり、地面は一瞬にして凍りつき、やがて一つの花が咲く。冬花に向かって剣を振り上げた若い男を包み込む一輪の氷の花が。それを皮切りに、また一人と、冬花に距離が近い者が次々と氷の花にその身を包まれていった。
悲鳴を上げる間も無く、逃げる事すら出来ぬ間に、その場に居た人間は凍りつく。剣を振り上げたまま、魔力を練ったまま、各々氷の中で勇ましい姿のまま。
俯く冬華は静かに槍を抜き、ゆっくりと息を吐く。その吐息は白く染まり、冬華は僅かに胸を上下に揺らし、苦しそうに空を見上げる。当然だった。周囲一帯を凍らせる程の技を初めて行った為、余分な力が入り、冬華は必要以上に精神力を消耗していた。
魔族と違い、人間に魔力は備わっていない。それゆえ、人間が魔術を使う時に消費するのは精神力。精神力を魔力へと変換し、それをエネルギーとし術を発するのだ。
冬華が行ったモノも魔力を消費するタイプの技。故に、精神力を必要な分の魔力に上手く変換できず、これほどまで疲弊する形になったのだ。
『冬華様、大丈夫ですか?』
「だ、だい……じょうぶ……」
呼吸を乱す冬華にセルフィーユは心配そうに指を弄る。
そんな折。突然訪れる。激しい爆音が――。蒼い炎が――。衝撃と一緒にケルベロスと言う男と共に――。木々を焼き払いながら。