第245話 レッドの嘘
一週間ほどが過ぎた。
今回、冬華には何の副作用もなく目を覚ました。
体の調子は良かった。あの時、あの力が発動したにも関わらず、ここまで調子がいいのは、冬華も不思議だった。
代わりに、冬華が右手にしていた対魔のリングには亀裂が走っていた。
恐らく、コレが冬華の代わりにダメージを負ったのだろう。
深々と息を吐く冬華は、身支度を済ませる。
一週間。ずっと寝ていたわけじゃない。
体を少しずつ動かし、鍛錬を続けた。
今回も、冬華は結局何も出来なかった。
その事を悔いているのだ。
屋敷の中庭で、今日も一人汗を流していた。
もっと強くならなければならない。
皆を守れるだけの力を手に入れなければならない。
その為に、冬華は一人、鍛錬を続ける。
槍を振り続ける。
そんな冬華の姿を、クリスはただ見ていた。
必死に足掻く冬華の姿に、クリスはどう言葉を掛ければいいのか、分からなかった。
「どうしたんですか?」
影から冬華を見ていたクリスの背後からレッドの声が響いた。
驚く素振りも見せず、クリスは息を吐くと、振り返る。
「私は……何のために、冬華の傍にいるんだろうか?」
「んっ? えっと……何の話かな?」
突然のクリスの言葉に、レッドはそう答え苦笑した。
唐突過ぎたのだ。
そんなレッドの答えに、クリスは小さく頭を振る。
「いや……すまん」
「いや……急に謝られても……」
レッドは苦笑し、首を傾げる。
一体、何の話をしてて、何故、謝られたのかも、レッドには分かっていなかった。
困惑するレッドに、クリスは目を細める。
「私は、冬華に何がしてやれるんだろうか?」
「それは、沢山あるんじゃないかな?」
困り顔でレッドがそう言うと、クリスは瞼を閉じ俯く。
「まぁ、気に病む事はありませんよ。それより、そろそろ、出航の準備が出来ているみたいですよ?」
「そう……だな」
レッドの言葉に、クリスは深く息を吐き出し瞼を開いた。
今日、この日に、冬華達は出航する。
次の大陸フィンクに向かうのだ。
「冬華は……今日も鍛錬ですか?」
「ああ」
クリスの言葉に、レッドは中庭で槍を振るう冬華を見据える。
「ガムシャラにやってますね」
「そうだな……オーバーワークだろうな」
「止めないんですか?」
レッドがそう尋ねると、クリスは俯く。
「いや……私にどうやって冬華を止めろって……」
「関係ないでしょ。相手の事を思うなら止めるべきですよ。休む事も、大切な事ですから」
レッドはそう言い、クリスの背中を押した。
背中を押され、クリスはトントンと足を進め、冬華の前へと姿を見せる。
クリスの姿に、冬華は手を止めると、槍を消した。
「アレ? クリス?」
肩口で揺れる髪の毛先から汗を零す冬華は、肩を僅かに上下に揺らす。
息は上がっていた。
それだけ、冬華は長く鍛錬を続けていたのだ。
呼吸を乱しながら、冬華はニコッと笑う。
「どうしたの?」
冬華はそう口にした後に、空を見上げる。
陽は大分高い位置に上がっており、冬華はハッとする。
「えっ! も、もしかして、もう就航時間?」
「え、ええ……」
冬華の慌てた声に、クリスはそう答える。
返答を聞いた冬華は、一層慌てて、
「ご、ごめん! 荷物持ってくるから、先に行ってて!」
「あっ、いや! 冬華……」
「んっ? 何?」
クリスの呼びかけに、部屋へと戻りかけていた冬華は振り返る。
すると、クリスは俯き、申し訳なさそうに、
「申し訳ありません」
と、頭をさげた。
クリスのその言葉、その行動に、冬華は一瞬驚いたような表情を浮かべるが、すぐに微笑する。
「謝らないでよ。クリスは何も悪くないんだから」
冬華は困った様に微笑する。
そして、俯き、
「私の方が……ごめん。何も出来なくて……。足ばっかり引っ張って……」
と、深々と頭を下げ、冬華は部屋へと戻った。
英雄としての重圧を、冬華は感じていた。
弱いままではいけない。
誰もを守れるだけの強さを、身につけなければいけない。
その強い思いをクリスは感じた。
それから、冬華とクリスは港へと移動した。
そこには中型の軍艦が停泊しており、それで、冬華とクリスをフィンクへと送り届けようとの事だった。
「凄いね……。でも、いいの? こんなの使って……」
申し訳なさそうに冬華はそう言い、見送りに来た天童と剛鎧へと目を向けた。
和服の胸元へと右手を入れ腹を掻く剛鎧は、鼻から息を吐き出すと、肩を竦める。
「俺達の方こそ、コレだけの事しか出来ずに、申し訳ないな」
「そうですよ。我々は、二度も助けてもらったんですから」
剛鎧に続き、天童はそう答え、微笑する。
でも、冬華の表情は浮かない。
それには理由があった。
実は、先日の事だ。リックバード以外のクレリンスのすべての島が、ホワイトスネークに襲撃され、その手に落ちた。
魔族の三人が治めていた島も、すべて。
エルド・ガウル・レオルの三人の当主の不在が祟った。
だが、エルドもガウルもレオルも気にした様子はなく、こうなる事は分かっていた風だった。
だから、港に見送りに来ていたエルドは、淡い蒼い髪を揺らし、静かに告げる。
「我々の事なら心配は要りませんよ? 私も、ガウルも、レオルもそうなる事は分かっていましたし、島の住民達にはその事は告げてきてます」
「でも……」
「それに、これは償いです。我々が、この島でした事は、それだけでは返せない程の事なので」
エルドは俯き加減にそう言う。
エルドの言う償いとは、例の魔族によるリックバード襲撃事件の事だ。
操られていたとは言え、そうなる経緯となったのは、やはり、人間と魔族の間にある深い溝。
それを埋めずにいた結果が、あの事件だと、三人の考えだった。
故に、三人はリックバード奪還作戦に参加したのだ。
これ以上、人間と魔族の間に溝があっては行けない。それが、三人の出した答えだ。
「まぁ、今は、無理でも、必ず奪還するチャンスはあります。ですので、気にしないでください」
「そう……」
申し訳なさそうに冬華はそう呟いた。
それから、冬華は不意に思い出す。
「アレ? そう言えば……イエロは?」
冬華の視線がレッドへと向いた。
その視線に、レッドは苦笑する。
「彼女は大丈夫ですよ。恐らく、連盟本部に戻ったんですよ。そう言う人ですから」
と、レッドは答えた。
この時、レッドは嘘をついた。
本当は知っていた。
イエロがどうなっているのか。
ここに来る前にレッドはイエロに告げられていた。
“もしも、私がリックバードを奪還しても戻らなかった際は、死んだと思ってください”
と。
その為、レッドには分かっていた。
イエロがもう、死んでしまっていると。
それでも、周りの者には悟られるように微笑する。
「そっか……。色々とお礼とか言いたかったんだけど……」
残念そうに冬華はそう言い、息を吐いた。
それから、冬華達は出航する。
その船を見送るレッドにエルドは静かに、
「いいのか? 一緒に行かなくて?」
と、尋ねる。
すると、レッドは真剣な表情で告げる。
「ああ。実は、僕も行かなきゃ行けない所があるんだ……」
「行かなきゃ行けない所?」
「えぇ……新たな聖剣を、彼に創ってもらわないと……」
レッドのその眼差しは、覚悟を決めた眼だった。
仲間であるイエロの為にも、この先の戦いの為にも、それは、手に入れなければ行けない重要なものだと、レッドは核心したのだ。