第24話 獣王の片鱗
男達が放った攻撃で、家は吹き飛ぶ。激しい炎が降り注ぐ瓦礫を焼き払い、広がる衝撃は近隣の家と木々をなぎ払う。
轟々と炎は燃え上がり、黒煙が空へと昇る。
森の奥地からも、その黒煙は目に入った。
「くっ……」
血と混ざった汗を拭うシオは、その黒煙が立ち上る方角に立ちふさがる真紅のローブをまとう魔術師を睨んだ。急いで集落に戻らないといけないと、シオは完全に冷静さを失っていた。フリードも同じだった。目の前にいる未だに底知れぬ魔力を隠す魔術師に完全に呑まれていた。
呼吸を乱すシオは、両肩を大きく揺らす。一方、魔術師は呼吸一つ乱さず右手をシオへとむける。
「まずは……次なる獣王。貴様から消してやろう」
「くっ!」
息を呑むシオは、拳を握り魔術師を見据える。フードから覗く群青の髪の合間から見えた右目に、奇妙な模様が浮かび上がり赤く輝く。身構えるシオは深く息を吐くと腰をやや落とす。シオの動きにフリードも身構える。シオなら魔術師の攻撃を防ぐと信じ、攻撃後の無防備となるその瞬間に反撃できる様にと。
だが、そんなフリードの思考は魔術師に容易く読まれ、不適な笑みが口元へと浮かぶ。
「ふふっ……よっぽど彼を信じている様だけど……」
魔術師の右手に眩い雷撃が迸る。
「死ぬよ……この一撃で……」
更に魔術師の口元が緩み、手の平に集まった雷撃が一層大きく膨れ上がり、周囲にあった木々へと被弾する。
「なっ……」
驚くフリード。魔力抵抗の無いシオにこれ程の魔力を防げるわけが無い。あんな雷撃を受けたら間違いなくシオは死んでしまう。
焦るフリードは奥歯を噛み締めシオへと視線を向けた。シオ自身も覚悟が出来ていたのだろう。その魔力の大きさを見ても臆す事無く身構え、その視線は真っ直ぐに魔術師へと向けられていた。
そのシオの姿にフリードは駆け出す。シオへと向かって。ここで失うわけにはいかなかった。シオと言う存在を。だからこそ、フリードは駆けた。自らの身を盾にするために。
「ふっ。遅いよ。ライトニング!」
魔術師の手の平へと集まった雷撃が分裂し格子状にシオへと襲い掛かる。
「くっ!」
(間に合わない!)
必死に走るフリードの目の前で眩く輝き轟音が周囲を包む。その轟音の中、シオの声が響く。
「双拳! 獅子爪激!」
シオは踏み込むと左右の拳を交互に突き出す。刹那、激しい咆哮が向かい来る雷撃を相殺し、弾けた雷撃の中から青白い獅子の残像が姿を見せ、鋭い爪を魔術師へと振り下ろす。激しい衝撃が広がり、地面へと六本の爪痕が深々と交差状に残されていた。
揺らめく土煙の中、大きく肩を揺らすシオは、ゆっくりと視線を上げる。その視線の先で薄らと漂う土煙の向こうに、不気味な光りが見えた。
「――っ!」
「シオ様!」
閃光が土煙を貫き、鮮血が弾ける様に散った。
「フリード!」
シオの前に立ち尽くすフリード。その胸には風穴が開いていた。血が止め処なく溢れ、「こふっ」と小さく咳き込むと同時にその体は力なく膝から崩れ落ちた。うつ伏せに倒れこんだフリードの体の下に真っ赤な血が広がる。
「流石だな。次代の王を守る為に自らを犠牲にするとは……。ふっ……馬鹿な奴だ」
「……」
俯くシオの拳が硬く握られる。指と指の合間から零れ落ちる血。震える拳。そして、突如として周囲を包む殺気。
空気の変化に魔術師は左足を退き、その口元を僅かに引きつらせた。魔術師の赤く輝くその瞳に映るシオから溢れる赤い煙。それか、おぞましい獅子の姿を象り、その牙を、その爪を、今にも魔術師へと向けようとしていた。
シオが見せる獣王としての片鱗に、魔術師は更に後退する。それは、体が自然と行った行動だった。だが、それでも魔術師は口元に不適な笑みを浮かべる。シオが獣王としての力を目覚めさせようが、現状では魔術師は負ける気はしなかった。それ程まで、シオと魔術師の間には力の差が存在していた。
シオの口から静かに息が吐き出されると、その体に稲妻が走る。金色の髪は迸る稲妻により逆立つ。すり足で右足を前へと出す。
「怒りで得た力は容易に受け流せる。故に、常に冷静であれ。そう教えたはずだが……」
「誰だ!」
突如としてシオの背後から聞こえた穏やかな男の声に、魔術師が叫ぶとその視界に渦巻いていた赤い霧が一気に晴れる。
「くっ!」
小さく息を吐いた魔術師は眉間にシワを寄せると更に足を退く。そのシオの背後から漂う不気味な気配に。
一方で、冷静さを取り戻したシオは、その場に直立不動に立ち僅かに体を震わせる。
「落ち着いた様だな。では、現状報告!」
「は、はいっ! げ、げ、現在、得体の知れないま、魔術師とフリードと共に交戦中。その最中、フリードが負傷! 近くの集落地辺りから黒煙が立ち上っている事から、そ、その集落がしゅ、襲撃を受けている可能性有り!」
「うむ」
シオの説明に静かにそう声を吐くと、静かな足音と共に木々の合間からその男は姿を見せた。瑠璃色の長髪を頭の後ろで束ねた無精ひげを生やした男。歳は三十から四十代程に見えるその男は、口に咥えたパイプタバコを左手で取ると、口から煙を吹く。
穏やかな表情でシオの隣へと並ぶと、横たわるフリードへと目を向ける。弱々しいがまだ息があった。
「シオ……フリードはまだ生きてる」
「えっ!」
「冷静になって見れば分かるはずだろ」
その男の声にシオはすぐフリードの元へ駆け寄り耳を口元へと近付ける。確かに息はあった。だが、傷は深く出血も多い。今にも息が途切れてしまいそうだった。
「くっ……」
もっと早く気付いていればと後悔するシオに、穏やかな表情を浮かべる男は静かに告げる。
「行け。シオ。フリードを連れて」
「け、けど、何処に……」
「いるのだろ。お前の知り合いに治癒の術を使える者が」
「――!」
男の言葉でシオは思い出す。セルフィーユの存在を。
「けど、バロン」
「いいから行け!」
バロンと呼んだ男の怒鳴り声にシオはフリードの体を抱き上げる。
「おいおい。この俺の事を忘れてないか?」
シオがフリードを抱き上げ集落の方へと体を向けると同時に、その視線の先に魔術師が現れる。しかし、その刹那、シオの横を疾風が駆け衝撃が魔術師を弾き飛ばし、それと同時にバロンの姿がそこへと現れた。
「貴様の相手は私だ」
「くっ!」
横転した魔術師はローブの袖で口角から零れた血を拭い立ち上がり、バロンを睨んだ。
「てめぇ……」
「後は任せる!」
「ああ。フリードを頼んだぞ」
「はい!」
シオがバロンの背後を駆け抜け、集落へと向かう。足音だけを残して。
静まり返ったその場に響くシオの足音が、徐々に聞こえなくなり、バロンはゆっくりと息を吐き、魔術師へと視線を向ける。鋭く恐ろしい眼差しで。
「その赤い眼……懐かしいな……」
「懐かしい? 悪いが、あんたに会った覚えはねぇな」
魔術師は眉間にシワを寄せバロンの顔を睨む。その眼を真っ直ぐに見据えるバロンはゆっくりと左拳を握ると、静かに息を吐いた。冷ややかな視線を魔術師へと向けたバロンは淡々とした口調で言い放つ。
「お前と会うのは初めてだが、十年前、その眼は見ている」
「十年前……そうか、テメェ、あの大戦に参加していたのか」
「あの時に殲滅したと思っていたんだが……。まぁいい。生き残っていたなら、あの日の決着を私の手でつけよう」
バロンの放つ殺気に魔術師は額から汗を一筋零した。