第225話 負傷者
部屋は眩い光に包まれた。
パソコンのモニターには漆黒のゲートが開かれ、風が吹き荒れる。
肩口で黒髪を揺らす冬華は息を呑み、そのゲート真っ直ぐに見据える。
「行って来い。そして、無事に戻って来い」
背中を押す陣の言葉に、冬華はコクリと頷きゲートへと手を伸ばした。
直後だった。
冬華の体はそのゲートに簡単に吸い込まれ、瞬く間に消えてしまった。
眩い光は消え、何もなかったかのようにパソコンの電源は切れる。
残された陣は、小さく息を吐き、天井を見上げた。
真っ暗な時がどれ程続いたのか、冬華は体に重力を感じ、瞼を開いた。
光は無く薄暗い中、揺らめくのはロウソクの炎。
足元には魔法陣が描かれていた。
そして、埃っぽい空気感に、冬華は思う。ゲートに戻ったのだと。
ただ、ここが何処なのかさっぱり分からなかった。
見たことが無い部屋だった。
ロウソクの明かりに照らされ、一つの影が動く。
長い髪が揺れ、鉄の擦れ合う音が僅かに響いた。
(誰?)
一瞬、冬華はそう考え、目を凝らす。
(私を召喚した……人?)
すぐにその答えに行き着く。
やがて、影はゆっくりと歩き出し、ロウソクの明かりに照らされる。
赤い鎧に白銀の髪を揺らす女性だった。
見覚えのあるその姿形に、冬華は驚愕する。
「く、クリス!」
思わず声を上げる冬華は、目を見開く。
そこにいたのは、間違いなくクリスだった。
だが、その右目には眼帯がされ、痛々しい姿だった。
冬華が帰還している間に、一体何があったのか、クリス以外にも、その場に居る皆、負傷していた。
「な、何で……」
「すみません……冬華。折角、元の世界に戻ったと言うのに……」
申し訳なさそうにクリスは頭を下げる。
そんなクリスの両肩が震えているのに、冬華は気付き唇を噛む。
自分が帰還さえしなければ、こんな事にはならなかったんじゃないか、そう思ってしまったのだ。
拳を握る冬華に、更に薄暗い影から一人の男が姿を見せる。
真紅の短髪に黒のロングコートを羽織るジェスだった。そして、冬華はその姿に違和感を感じる。
明らかに右肩が大きく削がれて見えた。
「じぇ、ジェス……そ、その――」
そう口にしようとした冬華へと、ジェスは申し訳なさそうに眉を曲げ、苦笑する。
「悪いな。帰って早々に呼び戻して」
まるで、自分達の事は気にするなと言わんばかりに、そうジェスは口にした。
だが、冬華は声を上げる。
「な、何で! 一体、何があったのよ! 私がいなくなった後に……」
冬華の悲痛の叫びに、部屋は静まり返る。他にどれ程のメンバーがここにいるのかはわからない。
その為、冬華は不安に駆られる。
重苦しい空気が漂う中、ジェスは左手を挙げる。
「悪いな。お前ら。少し、俺とクリス、冬華の三人だけにしてくれ」
ジェスが静かな口調でそう述べる。その声に威圧感など無く、とても喪失感が漂っていた。
弱っていると言う言葉が正しいのかもしれない。
ジェスの言葉に、ゾロゾロと部屋にいた者達は外へと出て行き、その場に残ったのは三人だけとなった。
揺らめくロウソクの炎を左目で見据えるクリスは、深く息を吐く。
「まず、ここが何処かをお話する必要があるかもしれませんね」
クリスはそう口にした。
クリス達がいるのは、ゼバーリック大陸の北西部にある山岳地帯。
その山岳地帯にある発掘現場が、この場所だった。
第二次英雄戦争の後、クリス達はこの地に戻ってきた。そして、イリーナ王国と獣魔族との争いに巻き込まれたのだ。
クリスが右目を失ったのは、第二次英雄戦争の最中だった。冬華が元の世界へと戻った後も、交戦は暫く続いた。
撤退する連合軍のしんがりを務めたクリスは激しい攻撃を防ぎながらの後退だった。そして、魔族の攻撃を防いだ後に、走り出そうと振り返ったその瞬間に右目に激痛が走った。
何処から飛んできたのか、その目にナイフが突き刺さったのだ。
それにより、右目はつぶれ、光を失った。
それだけならば、偶然だと言える。逃げ惑っている中で、たまたま投げたナイフがクリスに直撃しただけだと。
だが、これは作為的であるとジェスは言った。
何故なら、ジェスが右腕を失ったのは、逃げる最中の洞窟の中でだった。
そこはもう連合軍しかおらず、武器など振るう必要の無い場所だった。
しかし、そこでジェスは右腕を奪われた。背後からの一撃だった。
致命傷は避けたものの、ジェスは片腕を失った。しかも、利き腕を。
「まぁ、あの後に起こった大きな出来事と言えば、これ位だ。アース達留守番組みには、被害は無い」
肩を竦めそう言うジェスに、冬華は瞳を潤ませた。
明るく振舞おうとしているが、どうしてもその表情は暗かった。
よっぽどの事があったのだろうとはすぐに分かったが、それがなんなのか、冬華には想像もつかなかった。
静寂の中、ゆっくりと息を吐いたクリスは、悔しげに唇を噛み締める。
「私達が冬華、あなたを呼び戻したのには理由があります」
「私を呼び戻した理由? それって……」
不安げに冬華がそう尋ねると、クリスは目を伏せる。
「ここイリーナ王国は現在、獣魔族の侵攻を受けています」
「う、うん……それは、さっき聞いたけど……」
小さく頷き冬華がそう言うと、クリスは目を細める。
「そして、今、イリーナ王国は壊滅寸前です」
「えっ! そ、そんな……」
「ちなみに、俺のギルドは壊滅した。俺達が、英雄戦争をしている最中に」
ジェスが静かにそう言うと、冬華は驚き目を見開く。
まさかの答えだった。
だが、今に思えばすぐに気付くべきだった。獣魔族がイリーナ王国に侵攻して来たと言った時、ジェスのこれまでの反応から。
ジェスのギルドがイリーナ王国領土にあった事を考えれば、魔族が侵攻してきた時点で戦闘になったはずなのだ。
唇を噛む冬華は目を伏せた。
「話を戻しますよ」
冷静な口調でクリスはそう口にする。
その言葉に冬華は少々冷酷さも感じたが、何も言わずに小さく頷いた。
「先日。我々は、その獣魔族の軍隊と交戦しました。そこにいたのは獣王の名を受け継いだシオ」
「えっ! し、シオが獣王の名を? で、でも、何で?」
「理由として言えるのは父が死に、跡を継いだと言う事でしょう。ただ、そのシオの様子が明らかにおかしかった」
クリスは僅かに眉を顰める。
「一体、何があったの?」
「俺達はシオと話をしようとしたが、聞く耳を持たず。兵の大半を失う結果となった。まるで、何かに操られたような、そんな空気だった」
ジェスはそう言い肩を竦める。
シオに何があったのかは分からない。今、どう言う状態なのかも、分からない。
その為、冬華は答えに迷っていた。
「とりあえず、私とジェスは瀕死の重傷を負いながらもここまで逃げてきたんです」
「でも、何でシオが? そもそも、シオがイリーナ王国を攻め落とす理由なんてないじゃない」
冬華が声を荒げると、ジェスは眉間にシワを寄せる。
「言ったろ。操られているようだった、と。お前も、何度も見てきたはずだろ?」
「えっ? そ、それって……」
冬華は思い出していた。
過去に、イリーナ王国で起きた抗争。クレリンスで起きた魔族の襲撃。
どれも、裏に妙な連中が絡んでいた。
そして、彼らが操り、騒動を起こしていた。
それを考えると、現在のシオの状態も――。
「それじゃあ、シオは……」
「ああ。操られている可能性が高い。だからこそ、冬華の力が必要だと思ってな」
ジェスの言葉から、冬華は理解する。
彼らの望むのは、冬華の使うあの力なのだ、と。