第223話 記憶の中の彼
アレから、二日が過ぎた。
冬華はいつも通りの学園生活を送っていた。
何も変わらない、いつもと同じ学園生活。
クラスメートが居て、友達が居て、家族が居て……。
そこには、戦う事など必要ない平和な日常があった。
なのに……やはり、冬華の胸にはポッカリと穴が開いた感覚の残っていた。
それが、黒兎と言う生徒の影響なんだろうか、と冬華は悩んでいた。
何気なく、昼休みに屋上へと出る。
本来、生徒の立ち入りは禁止されているが、別に施錠されているわけでもない為、時々生徒達が屋上でたむろしている事がある。
しかし、今日は静かだった。
ただ緩やかな風だけが吹き抜け、冬華のミニスカートを揺らした。
肩口で揺れる髪を耳へと掛け、冬華は大きなため息を吐いた。
「何やってんだろう……」
ボソッと呟き、肩を落とす。
何故か、この場所に何かあるような気がしたのだが、気のせいだった。
冬華はそう思い屋上を出ようとする。
その時、不意に頭の中に妙な光景がフラッシュバックした。
そこにはいつも誰かがいた。そして、冬華はいつもその誰かを呼びに来ていた。
親しげだったのかは分からない。
ただ、冬華はその誰かに対しては厳しかった気がする。気を許していたからなのか、それとも単に嫌っていたからなのかは、今となっては分からない。
でも、何となく分かっていた気がする。その人が自分と距離を置いていた事、妙に壁があった事を。
だから、冬華はその人に厳しかったのかもしれない。
複雑そうな表情を浮かべる冬華は、目を細め小さく息を漏らした。
そんな時だった。
「あっ! 冬華! こんな所に居た!」
と、長い黒髪をお下げにした一人の女子生徒が屋上へと出てきた。
彼女は冬華のクラスメートの樫本由紀だ。
由紀は、膝に手をつくと呼吸を乱していた。
「もう……探したんだよ?」
「ご、ごめん。由紀」
「別にいいけど……」
由紀は謝る冬華に、そう呟き背筋を伸ばした。
それから、屋上を見回し、首を傾げる。
「こんな所で何してたの?」
「えっ? あぁ……うん。ちょっと、ね」
「ふーん。屋上は立ち入り禁止だよ?」
由紀はそう言い訝しげな目を向ける。
そんな由紀に冬華は苦笑した。
すると、由紀は思い出したように、
「そう言えば、彼もよく屋上に来てたよね?」
と、頬に右手をあて呟いた。
「彼?」
由紀の言葉に、冬華は思わずそう口にする。
「うん。ほら、黒兎クン。よく、屋上に居るって言ってたじゃない」
「えっ? わ、私が?」
由紀の言葉に、冬華は驚く。
「うん。だって、黒兎クンをよく連れ戻しに行ってたじゃない?」
「そ、そうなんだ……」
冬華は小さく頷いた。
話を聞く限り、相当親しい間柄だったように思え、思わず冬華は尋ねる。
「あのさぁ……私と、その……黒兎って、仲良かったのかな?」
「えっ? うーん……どうだろ? 仲が良かったって感じではなかったかな? 一応、幼馴染だって言ってたよね?」
「えっ? そ、そうなの?」
「そうなの? って、もう、自分達の事でしょ?」
笑いながら由紀は冬華の肩を叩いた。
何かの冗談だと思っているのだろう。
もちろん、冬華は冗談のつもりではないが、彼女に合わせ苦笑する。
すると、由紀は唐突に、
「そう言えば、不思議だよね」
と、切り出す。
その切り出し方に、冬華は困り顔で、
「な、何が?」
と、尋ねた。
「だって、冬華はさ、成績も良いし、交換留学って言うの分かるけど……黒兎クンって、そこまでじゃない? 何か特別に良いってわけじゃないし……どうして、交換留学に選ばれたんだろうって」
無垢な笑みを浮かべる由紀。
彼女には悪気はないのだろう。ただ単に思った疑問を口にしただけ。
それを分かっているからこそ、冬華は苦笑し首を傾げる。
「ホント……なんでだろうね?」
「教室でもいつもボンヤリしてるし、何考えているのか分かんないし……あんまり、誰かと話してる所も見たこと無いよね」
由紀の言葉に、冬華の頭の中にその光景がフラッシュバックする。
確かに常に自分の席に座る一人の少年の姿が浮かぶ。
顔はハッキリとは思い出せない。けど、間違いなく冬華は知っている。
その人を――。
「大丈夫?」
記憶を辿っていた冬華へと、由紀は不安そうに尋ねた。
その言葉に冬華は我に返ると、首を振り微笑する。
「う、うん。大丈夫だよ」
と、冬華は答えた。
それから、冬華は自分と同じ中学だった人に会いに行った。
色々と情報を知りたかった。自分と黒兎と言う人の関係をもっと詳しく知りたかった。
話を聞くたびに、冬華の中で何かが蘇る。
色々な光景だった。
高校に入ってからの事、中学の時の事、小学校――。
確かに、蘇ったその時々の光景の端に、必ず彼が居た。顔の消された男の子。
いつも一緒に居たわけじゃない。ずっと傍に居てくれたわけじゃない。
でも、必ず彼が蘇った記憶の中にはいた。
思い出すうちに、冬華の胸は締め付けられる。
そして、段々思い出すのが辛くなる。
どうして、忘れてしまっていたんだろう。
何でこんな大切な事を――。
涙が思わず出そうになった。でも、冬華はそれを我慢し、ただ話を聞いて回った。
それでも――どうしても、思い出せない事がある。
「何で……どうして! 思い出せないの!」
放課後の教室。
一人きりの冬華はそう怒鳴り、机を叩いた。
確かにその席に彼は座っていた。
確かにその席には彼の名前が刻まれていた。
それでも、そんな彼の顔が思い出せない。
出てこない。
それが、とても苦しくて、悲しくなった。
奥歯を噛み締め、拳を握り締める。
これが、あの力の副作用だと思うと自分自身が憎らしく思う。
皆を助ける為に使用した神の力だと信じてた力で、大事な記憶を失ったと言う事が、悔しかった。
あの状態であの力に頼るなと言うのも酷な話だった。それは、多くの人を見殺しにすると言う事だったからだ。
自分がしてきた選択は間違っていないはずなのに、その選択が自分自身を苦しめていた。
そんな時だった。
教室の戸が開き、
「ようやく、自分が失ったものの大きさが分かったか?」
と、陣の冷めた声が響いた。
その言葉に冬華は顔を挙げ、戸の方へと体を向けた。
開いた戸の前に陣は佇んでいた。
黒いスーツを着込み、妙に整った容姿の陣に、冬華は目を細める。
どうして、彼がここにいるのか、そう思ったのだ。
訝しげな目を向けていると、陣は腰に手をあて深く息を吐いた。
「どうして、あなたがここにいるんですか?」
当然の冬華の疑問に陣は目を細めた。
「そろそろ、後悔している頃だと思ってな」
「こうなる事が分かってたって事ですか?」
「まぁ……何れはそうなるだろうとは思ってたさ」
そう言う陣に冬華は唇を噛み締める。
「どうする? ここでいくら考えても、お前の探す答えには辿り着けないぞ」
「それって……また、ゲートに戻れって事ですか?」
冬華が複雑そうな表情で陣へと尋ねる。
すると、陣は腕を組み息を吐く。
「別に強制はしない。あの場所が危険な事は知っているし、実際に危険な目に会うのはキミだからな」
「でも、ここで私の記憶は戻らない……なら、もう行くしかないじゃない」
「かもしれないな。本当に記憶を取り戻したいならな。もう一度、彼に会うべきだろう」
陣はそう言い放った。
そんな陣の言葉に冬華は俯くと、覚悟を決める。
「分かった……もう一度、ゲートに行く……」
「本当にいいのか?」
「いいもなにも……私に選択肢なんてないもの」
陣に対し、冬華はそう呟き唇を噛んだ。
「そうか……悪かった……」
と、陣は冬華へと小さく頭を下げた。