第22話 魔術師
森の中を駆ける二人。
シオとフリード。シャツのボタンを全開で裾をはためかせるシオの金色の髪を風が激しく撫でてゆく。その隣りを駆けるフリード。腰には金の装飾を施された漆黒の鞘に収めた一本の剣をぶら下げ、シオの動きに遅れる事無くついていく。目を覆うほど長く伸ばされた黒髪が、その風により後方へと流れ、フリードの真っ赤な瞳があらわとなっていた。その目付きは鋭く、先程までの穏やかさは無かった。
木々が生い茂るその場所を何ともいとも容易く駆ける二人は、唐突にブレーキをかけると後方へと跳び木の陰へと身を隠した。一瞬にして気配を消し、息を殺す。僅かに乱れた呼吸を整え、ゆっくりと木の陰から向こう側を覗き込んだ。
怪しい一つの影。真紅のローブに身を包み、深くフードを被った者。男なのか女なのかの判別は付けられず、二人は眉間にシワを寄せたまま顔を見合わせる。ローブの裾に描かれた奇妙な模様。それを見て、フリードは奴が魔術師である理解し、それをシオに目で伝える。同じ師の下で育ったシオは、その視線でフリードが何を伝えたいのか理解し、二度頷いた。
(……魔術師か)
小さく息を吐く。シオにとって最も相性の悪い相手だった。魔術の心得が無いわけではないが、シオには魔術の才が無く、それを補う為に体術を磨いたのだ。ゆえに、魔術抵抗が低く、魔術の攻撃に対しては最も無防備になってしまうのだ。
「シオ様」
フリードの小さな声が聞こえ、シオはフリードの方へと視線を向けた。その視線に、フリードは軽く首を振り、シオは視線をその魔術師の方へと向けた。フードの下から群青の髪が僅かに見え、それと同時にゆっくりとその体を二人の方へと向ける。
両手を胸の前で袖の中へと入れたまま僅かに俯くその魔術師は、何かを警戒する様に周囲を見回すと、その口元に薄らと笑みを浮かべた。
「……どうやら、お前達だけの様だな」
「――!」
「――ッ!」
魔術師の冷ややかな声に、二人は驚き息を呑んだ。これでも、完璧に気配を消し、ちょっとやそっとじゃ気付かれない自信があった。その為、こんな短時間で存在を察知され、二人は内心穏やかではなかった。
「よく分かりましたね」
静かな口調でそう返答し、フリードはシオに対し小さく頷くと、一人木陰から姿を見せる。腰にぶら下げた鞘から剣を抜いて。
一方、シオはフリードの指示で、跳躍すると木の枝へと登ると、そのまま枝を伝い魔術師の背後へと回りこんだ。息を潜め、気配を消したままで。だが、それでも、魔術師はそれに気付いたのか、ゆっくりと体を横に動かし、シオの居る方へと視線を向ける。
「コソコソと何をしてるかと思えば……挟み撃ちか? まぁ、無駄だだがな?」
フードの下に浮かぶ冷ややかな笑み。シオとフリードをバカにする様なそんな笑みだった。
仕方なく木から飛び降り姿を見せたシオは、小さく息を吐き拳を構える。フリードもその剣を構え、右足を僅かに前へと出す。
二人の動きにゆっくりと腕を下ろした魔術師は、小さく肩を揺らし笑う。
「何がおかしい?」
シオが訝しげに尋ねると、魔術師はゆっくりと両腕を持ち上げると、二人の方へと手の平を向ける。
「たった二人で、俺とやりあえると思っているのか?」
魔術師がそう告げると同時に、その手の平に小さな炎の塊が生まれ、次の瞬間、その炎の塊が二人へと襲い掛かる。
「ファイヤーボール!」
「くっ!」
魔術師の手から放たれた炎の塊を、シオは右拳で上空へと打ち上げ、フリードは剣の平でそれを受け止めた。
「アッチッ!」
素手で炎を殴ったシオは、その手を振りながらその場でのたうち周り、受け止めたフリードはその威力で後方へと僅かに押しのけられていた。
受けただけでフリードは魔術師の実力を理解した。ファイヤーボールは火属性の魔術の基本となる術で、下級の術だ。その下級の術で受け止めた腕を痺れさせる程の威力を持っていた。
表情をしかめるフリードは、ジッと魔術師を見据える。すぐに理解する。コイツは危険だと。このまま戦えば、間違いなくシオが命を落とす事になると。覚悟を決め、柄を握る手に力を込めたフリードに対し、魔術師は不敵に笑みを浮かべる。
「お前、今、こう考えたろ? 『刺し違えてでもコイツを止める』って。無駄だ。分かってるはずだろ? 刺し違える覚悟ってのは、五分の力を持ってる相手にする事だ。圧倒的力の差の前で刺し違える事なんてねぇ」
魔術師の言葉にフリードは息を呑む。その言葉に対し、先程までのた打ち回っていたシオが、小さく息を吐き魔術師の背中を見据える。
「ふざけるな。刺し違える? そんな事、オイラが許すわけねぇーっつの!」
「シオ様……」
「ふっ……なら、どうする? この場で二人まとめて死ぬか?」
魔術師はまた二人へと手の平を向ける。刹那、魔術師は膝を曲げると、腕を勢いよく振り下ろした。
「アクアスラッシュ!」
腕が振り下ろされると同時に地面を裂く水の刃が二人へと直進する。ファイヤーボールが来るかと身構えていたシオとフリードの対応が僅かに遅れる。ギリギリで右へと跳ぶシオだが、その鋭い刃はシオの左のふくらはぎを掠めた。鮮血が舞うと同時にシオの表情が苦悶に歪む。
一方、フリードは構えた剣を振り抜き、水の刃を相殺するとシオの方へと顔を向けた。
「シオ様!」
「フリード! 気を抜くな!」
シオの叱咤にフリードは身構える。だが、既に遅かった。顔の前へとかざされた魔術師の手。その手に光りが弾ける。
「サンダーボルト!」
「ぐっ!」
稲妻が迸るのとほぼ同時だった。フリードの剣の平が魔術師の腕を叩き、その直後に雷鳴と共に雷撃が空へと登る。
息を切らせるフリード。その髪の先が僅かに黒焦げ、嫌な臭いが漂う。雷鳴が止み、暫しの静寂。制止するフリードと魔術師。その二人の視線が交錯し、フリードが唇を噛み締めると、右手に持った剣を外から内に入れる様に振り切った。
後方へと跳躍しそれをかわした魔術師だったが、そのローブの端に切れ目が入る。
「ふーん。凄いね。あの状況で俺の攻撃を逸らせ、打ち込んでくるなんて。流石獣魔族って所かな?」
「てめぇ……」
魔術師の後ろでゆっくりと立ち上がるシオが、拳を握り鼻筋にシワを寄せる。力を込めると右のふくらはぎが痛み血が溢れ出す。それでも、表情を変えず、その背を見据える。フリードも呼吸を整えながら立ち上がると、右手に握った剣を構え直す。
鋭い眼で魔術師を睨む二人。その視線に、魔術師はフードの奥で呆れた様に笑みを浮かべる。
「でも、いいのか? 二人のナイトがこんな所に居て?」
「どう言う事ですか?」
「姫を一人にしていいのか、そう言ってるんだが? 結構、鈍いね。キミ」
「なっ! どう言う――」
「くっそっ! てめぇっ!」
フリードの声を遮る様にシオの怒声が響く。その声に驚くフリードが、シオの方へと視線を向けると、シオは今までに無い怒りの篭った眼を魔術師へと向けていた。思わずフリード自身が後退りしてしまう程、その眼には怒りが込められていた。
そんなシオの声を聞き、魔術師はゆっくりとシオの方へと体を向け、大手を広げ静かに肩を揺らす。
「今頃、あの娘はどうなってるかな? ほら、聞こえるだろ? キミらの耳なら。臭うだろ? キミらの鼻なら」
「くっ! フリード! 戻――」
シオが集落の方へと引き返そうを身を翻すと、ほぼ同時に顔の横を風が駆ける。鋭い音を奏でて。
「ウィングカッター……」
「くっ!」
「行かせるわけないだろ? キミらの相手は俺だよ」
不適に笑みを浮かべ、右手の人差し指と中指を立てシオに向ける魔術師。シオの頬には薄らと赤い線が浮かび上がり、そこから滲み出す様に血が流れ出した。




