第212話 静かな船上
アレから、一週間が過ぎ――冬華達の乗った大型船はルーガス大陸の南西近郊の海域を進んでいた。
航海は順調だった。
だが、舵を握るジェスは妙な違和感を感じていた。
それは、度々すれ違う軍艦だった。
様々な国旗を掲げた軍艦が、何度も船の横を通り過ぎて行ったり、前方を横切ったりするのを見ていた。
この辺りは特に戦闘が盛んな場所ではなく、海賊も多く出没するような場所でもない。
なのに、どうしてこんなにも軍艦がウロウロとしているのか、そう思ったのだ。
もちろん、疑問はそれだけではない。
軍艦なのだから、兵が乗っているのは当然だが、皆、妙に殺気立ち、とても物々しい雰囲気だった。
それに、全くこの大型船には目もくれない。
こんな正体不明の大型船があれば、何か問題でも生じそうなものだ。
何か、嫌な予感を頭に過ぎらせるジェスは舵を切る。
軍艦についていくような航路をとるジェスは、眉間にシワを寄せた。
甲板ではクリスが素振りをしていた。
体が鈍らない様に、常にクリスは体を鍛えていた。
そんなクリスを胡坐を掻き、頬杖をつきながら見据えるのはライだった。
こちらは、全くやる気が無いのか、ここ最近はずっとこうして胡坐を掻き、頬杖をつき一日を過ごす。
未だに、アオとの仲は修繕されておらず、相変わらず言葉は交わしていない。
その所為もあってか、ライは常に不機嫌そうな表情だった。いつも笑顔を絶やさないライにしては、珍しい事だった。
不貞腐れた様子のライに、素振りをしていたクリスは手を休め、息を吐く。
長い白銀の髪を頭の後ろで留めたクリスは、左手で前髪を掻き揚げると、腰に手を当てる。
「何、不貞腐れてるんだ? やる事ないなら、手合わせでもしてくれないか?」
タオルで汗を拭きながら、クリスがそう言うと、ライは右手をヒラヒラと振った。
「俺はパスだよー」
適当な受け答えをするライに、クリスは目を細める。
だが、すぐに息を吐き、気持ちを切り替えると、木刀を持ち直し、
「まぁ、別にいいが……」
と、静かに呟いた。
正直、素振りだけだと、どうにも消化不良だった。
鍛錬の後はいつも冬華と手合わせをしていたが、ここ最近はずっと手合わせをしていない。
今の冬華の状態を考えれば、当然と言えば当然だ。
手合わせ所か、鍛錬をする事すら出来ないだろう。
そう思うと、複雑な心境だった。冬華に戦う術――人を殺す術を教えていたのだから……。
瞼を閉じ、心を静める様に深く息を吐いたクリスへと、真っ赤な長い髪を揺らしハーネスが歩み寄った。
「何なら、私が相手をしてやろうか?」
右手で木刀を放りながらそう言うハーネスに、クリスは見訝しげな眼差しを向ける。
「相手をしてくれるのか?」
少々、ぎこちなくそう答えたクリスに、ハーネスは放っていた木刀の柄を握り、構える。
「ああ。私も体を動かしたいからね」
「そ、そうか……なら、頼む」
小さく会釈するクリスは、静かに木刀を構えた。
大型船の一室では、両腕を失った状態のディーマットが不満そうな顔をし、ベッドに腰掛けていた。
右腕は肩口からゴッソリと失われ、左腕は肘から先が失われた状態のディーマットは、何をするのも不便で仕方が無く、もう何度もアースに対し抗議をしていた。
「いつになったら、私の腕は直る?」
と。
今日も、コレで五度目となるその言葉に、作業をしていたアースは手を止めた。
そして、深い青色の髪を両手で掻き毟ると、丸椅子を回しディーマットの方へと体を向けた。
「何度も説明してるだろ! この船には工具が無いんだ! 直すのは無理だ!」
最初は敬語だったアースも、今ではタメ口で話せる程、ディーマットと打ち解けていた。
元々、二人の年齢が近いと言う事も打ち解ける要因となっていた。
だがしかし、そんな説明では納得できないと、ディーマットは目を細め、口を開く。
「なら、何故、わが国の軍艦とすれ違った時に、私を明け渡さなかった! チャンスだっただろ?」
そう。
つい先日だ。
この大型船は、北の大陸フィンクにあるヴェルモット王国の軍艦とすれ違った。
だが、ジェスはディーマットを彼らに渡さなかった。と、言うより、彼らの方が気付かなかったのだ。
何か別の目的の為に、この海域を航海しているそんな風に、ジェスは思い、ワザワザ軍艦を停止させてまでディーマットを渡す意味は無いと考えたのだ。
アースはその事をジェスから聞いていた為、何度もディーマットにそう説明したのだが、本人は「意味が分からない」と不満そうだった。
「だから、何度もその件も説明しただろ?」
「納得出来るか! 大体、それはそっちの都合ではないか!」
「いや、この船、自分達のだから……そりゃ、コッチの都合が優先されるに決まってるだろ?」
ディーマットへとジト目を向け、アースが反論する。
すると、ディーマットは不貞腐れた様に頬を膨らすと視線をそらした。
都合が悪くなると、すぐにディーマットは視線を逸らす。その為、アースは疲れたように右手で頭を抱えた。
甲板ではクリスとハーネスの激しい手合わせが行われていた。
互いに譲らず、カンカンと木刀がぶつかり合う音だけが幾度と無く響き渡る。
そんな音に耳を傾けるライは、頬杖をついたまま目を細めた。
「どうしたの? ブスーっとしちゃって?」
そう声を掛けたのはレオナだった。
後ろ手に手を組み、ライの隣りに佇むレオナは、潮風に金色の長い髪をなびかせ、空を見上げる。
空は清々しい程どこまでも青く広がっていた。
「リーダーには謝ったの?」
さり気無くレオナがそう尋ねると、ライは不満そうに顔を上げる。
「何で、俺が謝るんだ? 第一、謝るようなことしてねぇーよ」
憮然とした表情でそう言うライに、レオナは呆れた様に苦笑する。
こう言う時、ライは頑固だ。それを知っている為、レオナは息を吐き、目の前で激しく打ち合うクリスとハーネスへと目を向けた。
これは、仲直りをするのはまだまだ時間が掛かるだろう、そう考えるレオナは、瞼を閉じ鼻から息を吐く。
いつもなら、コーガイが何とかしてくれるが、今はもう居ない。そう思うと切なくなった。
瞳を僅かに潤ませるレオナへと、ライは静かに尋ねる。
「なぁ、冬華はどうしたんだ?」
と。
ライの言葉に、レオナは顔を背け、右手の甲で目を擦ると、ライへと笑顔を向け答える。
「冬華? うん。だいぶ、調子は戻ってきてるみたいよ? ただ……」
表情を曇らせるレオナを見上げるライは、眉を潜める。
「ただ、なんだよ?」
「うん。心の傷は……簡単には癒せないわ。結局、本人の気持ち次第だし……それに、人を殺めたって言う罪悪感は、そう簡単には無くならないから」
「……まぁ、分からなくもねぇーけど……」
不服そうにそう言うライに対し、レオナは小さく首を振った。
「この世界とは違うのよ。彼女が生きてきた世界は。人間と魔族が対立し、人を殺す事を割り切っているこの世界とは、その重さが」
レオナの言葉に、ライは目を細める。
確かにその通りだ。ましてや、冬華は女の子だ。
その傷はかなり深いだろう。恐らく、自分が考えているよりももっともっと深いだろうと、ライは考え、眉間にシワを寄せた。