第211話 ルーガスへ
一週間が過ぎた。
穏やかな波、穏やかな風、穏やかな空気。
全てが穏やかな中、航海は続く。
冬華もようやく、少しずつ笑顔が戻っていた。
だが、その笑顔には常に陰があり、妙に儚く感じる。
ジェスのギルドが所有する大型船での航海だった。
船に乗っているのは、冬華・クリス・ジェス・ハーネス・アオ・ライ・レオナ・ティオの八名と数十人の船員。そして、アースと元・白銀の騎士団ディーマットだけだった。
イエロは、色々と力を使った為、疲れたとギルド連盟の本部へと戻り、キースとルピーはバレリアに残った。
まだ、するべき事がある、と、言って。
結局、ルーイットは何処に空間転移されたのか分からず、今の所その場には戻ってきていない。
そして、エリオは――自分の犯した罪に耐え切れず、いつの間にか居なくなっていた。
だが、クリスは彼を探そうとはしなかった。それは、今、不安定な精神状態の冬華の傍を離れたくないと言う理由があった。
それに、今、エリオを探した所で、果たして本当に救えるのだろうか、と言う不安があった。
だから、今は彼を一人きりにしてやるべきだと、考えたのだ。
そんなクリスは船室の窓から遠い目で水平線の向こうを眺めていた。
窓縁に頬杖をつき、時折深く息を吐き瞼を閉じる。
結局、エリオには何もしてやれず、冬華には心の傷を負わせてしまった。
あの時、冬華を行かせなければ、こんな事にはならなかったんではないか、そんな事を考えていた。
冬華と一緒に旅をして、自分は何をしてやれたのだろうか、とクリスは思い返す。
だが、幾ら思い出しても、答えは――何もしてやれなかった、と言う事に行き着く。
毎回、冬華は神の力を使用し、苦しんだ。
冬華を守らなければならない立場なのに、毎回自分の方が守られていた。
何度も同じ後悔をしてきた。セルフィーユが居なくなり、シオが居なくなり……残されたのは……。
深々と息を吐き出し、クリスは瞼を開いた。
「私は……どうすれば……」
意味深にそんな事を呟き、クリスは唇を噛み締めた。
操舵室には、ジェスとアオの二人が居た。
地図を広げた机の前に腰を据えるアオは、頬杖を突き息を漏らす。
一方のジェスは舵を取りながら海を見据えていた。
波は非常に穏やかで、風は殆ど無い。
それでも、大型船は波を裂きながら進んでいく。
この大型船は魔法石を燃料としている為、風が殆ど無くても進む事が出来た。
船は殆ど揺れず、安定していた。
真紅の逆立った髪を揺らすジェスは、舵を安定させるとアオの方へと振り返る。
「それで、本当に行くのか?」
唐突にジェスがそう切り出す。
すると、頬杖を吐いていたアオが、ゆっくりと姿勢を正し、背筋を伸ばす。
背骨がパキッと小さな音を立てた。
渋い表情を浮かべるジェスは、アオの対面へと座ると、地図へと目を向ける。
「お前、大丈夫か?」
「あ? あぁ……。大丈夫だ」
「コーガイの事……本当にすまなかった」
改めて、ジェスはそう言うと深々と頭を下げた。
額を机に触れさせる程深く深く。
そんなジェスに、アオは弱々しく笑う。
「もういいさ。気にするな。それに……俺にも非がある。お前だって、ギルドを率いるマスターなら、分かるはずだ。仲間を守れなかったのは、リーダーである俺の力が足りなかったからだ」
アオの儚げなその表情にジェスも思い出す。大商業都市ローグスタウンで失った最愛の人、リットの事を。
そう、彼女が死んだのも、仲間が死んだのも、全てジェスに力がなかったから。
だから、アオの言う事は良く分かった。
それでも、この結果はジェスなら防げたはずだった。
だからこそ、ジェスは小さく首を振り答える。
「いや……俺が、もっと早くに奇襲に気付いていれば、防げた事だった……」
「タラレバの話だ。それに、それを言うなら、俺ももっと早くにコーガイが一人で出て行った事に気付いていれば、パーティー全員で挑めていたら……なんて、溢れるくらい出てくる」
肩を竦め、そう言うアオに、ジェスは「そうか」と静かに呟く。
お互いに組織は違うが、同じリーダーと言う立場だからこそ、通ずる所があった。
辛気臭くなったその場の空気を変える様に、アオはフッと息を吐き出し、口を開く。
「とりあえず、話を戻そうか?」
「そうだな……。それで、本気で行くのか?」
ジェスもアオの意図を汲み取り、話を本筋へと戻した。
ジェスの言葉に対し、アオは深く頷くと息を吐きながら、「ああ」と答えた。
行くのか、と言うのは、次の目的地の話だった。
今度の目的地は――
「だが、ルーガスに行ってどうするんだ?」
ここゲートの中心にして、最も大きな大陸ルーガスだった。
ルーガスは周囲が全て切り立った崖で、船での上陸は不可能な大陸。
そして、空は常に分厚い雲に覆われ、突風が吹き荒れている。その為、飛行艇での上陸も不可能な大陸だ。
しかし、その大陸の南には、年に数回程波が引き現れる砂浜があり、そこが唯一の上陸経路だった。
正し、その経路も現在は魔王デュバルが管理しており、そこに行けば、間違いなく魔族との戦闘になるだろう。
いや、ならないわけが無い。コッチには、英雄・冬華と言う存在がある。かつて、英雄戦争を起こした英雄と言う名を持つ、冬華と言う存在が。
その為、心配だった。本当にルーガスへ行って大丈夫なのか、と。
ジェスの不安そうな表情に、アオも複雑そうな表情を浮かべる。
「確かに……危険かも知れない。けど、イエロからの伝言でな」
「伝言?」
アオの発言にジェスは訝しげに首を傾げる。
「ああ。知り合いが、向こうで待っているんだと」
「……知り合い。罠……じゃないだろうな?」
真剣な表情でジェスが問いただすと、アオは瞼を閉じ首を振った。
「大丈夫だ。アイツは信頼出来る奴だ。罠と言う心配は無い」
アオのその言葉に、ジェスは不満そうな表情を浮かべる。
相手を信頼することは悪い事ではないが、信じすぎるのはどうだろうか、とジェスは考えていた。
そんなジェスの考えを読んだのか、アオは苦笑する。
「別に、信じすぎているわけじゃないから安心しろ。それに、今回の件は、今後の冬華についての事だからな、行って損はないだろ?」
「冬華について? 何の話だ?」
「さぁ? 詳しくは聞いていない。だが、イエロが言うには回避する事が不可能な必然的な未来らしい」
「必然的な未来……信じがたいな。それは」
腕を組むジェスが、アオの言葉を否定するようにそう口にした。
未来など様々な要素で変化していくもの。それが、必然などありえないと、ジェスは思ったのだ。
そんなジェスの言葉に、アオも苦笑し頭を掻き、
「そうだな。俺も、必然的って言うのは大袈裟だと思ってる」
と、呟いた。
だが、すぐに真剣な表情でジェスを真っ直ぐに見据え、
「けどな、信じたい事だってある。それが、必然だろうが、偶然だろうが、そうなる未来があるって言うなら……」
と、意味深に告げた。
その言葉に違和感を覚えたジェスは、怪訝そうに首を傾げる。
「お前、本当に詳しく聞いてないのか?」
「…………いや。本当は聞いてる。でも……正直、言うべきかは迷ってる」
俯くアオがそう呟くと、ジェスは小さく息を吐いた。
「そうか……なら、言う必要はねぇさ。俺だって、秘密は一つ二つある。それに、言って何かが変るわけじゃないんだろ?」
「ああ。恐らく、何も変わらない……はずだ」
アオがそう言い目を細めると、ジェスは右手をヒラヒラと振った。
「なら、言うな。俺だって、変なもんを背負い込みたくないからな」
「そうか……悪いな」
明るく振舞うジェスへと、そう答え、アオは静かに息を吐いた。