第210話 奴隷だった過去
その日、一人の男が処刑された。
彼は、抵抗する事無く囚われ、首都の中心にある王宮の処刑台へと立たされた。
そして――この日の正午。大勢の民衆の見守る中、彼の首は落とされた。
直後、歓声と悲鳴がこだまし、大きな花火が数発、空へとあがった。
処刑されたのは、六傑会第一席にして、魔族の里の長だった男、グレイだ。
彼の切断された頭だけが王宮の前に晒された。
この王都を混乱させた首謀者として。
そして、六傑会のロズヴェル・リアスの二人は、地下牢へと投獄された。
魔族の長であるグレイに協力した重罪人として。
王都でそんな事が行われていると、知らぬアオ達の場所でも、事件は起きていた。
鈍い打撃音が響き、アオは壁に激しく背をぶつけた。
「何で! 何であんたが居て、こんな事になってんだよ!」
声を荒げるライ。それを、ティオが後ろから必死に押さえていた。
物凄い形相だった。今まで長い付き合いだが、アオもライがそんな怖い顔をするのは、まだ数回しか見たことが無い。
それ程、ライは激昂し、拳から血を滴らせていた。
よろめきながら、ゆっくり腰を上げたアオの切れた唇と鼻から血が流れる。
この痛みは、すぐには消えない。だが、数日たてば忘れてしまうだろう。
だが、冬華の負ったその傷は――……。
唇を噛み締めるアオは、俯き静かに頭を下げた。
「すまない……」
と。
そんなアオの姿に、奥歯を噛み締めるライは、更に表情を怒りに歪め、押さえるティオの腕を振り払おうを体を揺らす。
「すまない、じゃねぇよ! テメェ、何してたんだよ!」
「やめるんだ! ライ!」
必死にライを押さえるティオは、そう何度も言い聞かせる。
だが、ライの怒りは治まらない。
その怒りの理由は――当然、冬華だ。
つい先程、目を覚ました。アレから、一週間ほどが過ぎていた。
アオの空間転移で、冬華達は西の岬にあるキースが担当する砦にいた。
そこでは、現在、兵達がテンヤワンヤの状態になっていた。
当然だ。首都を襲撃したのはレジスタンスなのに、それがまるで英雄の様に扱われていたからだ。
この砦に居るのは、元々キースの部隊のメンバーだ。その為、ケイトの手は届いていない。
故に、首都での民の反応に違和感を感じていた。
そして、アオがライに殴られるキッカケとなった冬華は、部屋の隅で膝を抱え震えていた。
その瞳からは光が失われ、ただ絶望感だけが漂っていた。
当然、ライもレオナも他のメンバーも冬華の状態に疑問を抱き、アオは包み隠さずあった事を伝えた。
結果、ライは激昂し、アオを殴り飛ばしたのだ。
「あんたはいっつもそうだ! 何で、何で肝心な所で――」
ライがそう口にした時、その頬をレオナが叩いた。
その音だけが響き、部屋は静まり返る。
皆の視線がレオナへと集まり、ライもその顔を真っ直ぐに見据えた。
「何すんだよ」
ライが低い声でそう言うと、レオナは金色の長い髪を揺らし頭を左右に振った。
「私達に、リーダーを責める資格なんてないはずよ?」
「何だと……」
眉間にシワを寄せるライを、レオナは真っ直ぐに見据える。
「彼を送り出したのは、私達よ。リーダーなら、何とか出来るって」
レオナのその言葉に、ライは唇を噛み締める。
確かに、アオを送り出したのはライとレオナだ。
それは、アオなら何とかできると二人が判断した結果だった。
だから、二人にアオを責める事は出来ない。何故なら、二人も同罪だからだ。
そんな二人に、アオは静かに頭を下げた。
「すまない……お前達の想いに応えられなくて……」
アオのその言葉にライはもう何も言えなかった。
「とりあえず、時が解決するのを待つのか?」
何も言わないライとレオナに、包帯を体に巻いたジェスが静かに口を開いた。
その言葉に、アオは表情を歪め、ライは目を伏せた。
とてもじゃないが、時間が解決してくれそうにはなかった。
それ程、冬華の状態は最悪だった。
それから、半日が過ぎた。
夕刻、水平線の向こうに陽が沈み行く中、岬には冬華が居た。
まだ心は癒えていない。
今にも、岬の先から飛び降りてしまいそうなそんな雰囲気すら漂わせていた。
波の静かな音だけが響き、消えていく。
そんな静かな場所に一つの足音が聞こえた。
しかし、冬華は振り返ること無く、膝を抱えたまま水平線を見据える。
「隣り、いいかしら?」
静かで大人びたレオナの声だった。
夕陽を浴び、金色の髪は赤色に染まり、美しく潮風に揺れる。
そんなレオナの声にも、冬華は応える事無く、ただ水平線の向こうをくすんだ瞳を向けていた。
応答は無いものの、レオナはゆっくりと冬華の隣りに腰をすえると、愛らしく女の子座りをする。
「ねぇ、冬華」
水平線へと沈む夕陽を眺め、レオナがそう呟く。
もちろん、冬華の反応は無い。
だが、きっと声は、言葉は届いているはずと、レオナは話を続ける。
「実は、私、この国の出身なのよ」
「…………」
「そして、この国の奴隷だった……」
遠い目をしながら、レオナはそう言った。
それは、随分も昔の話だ。英雄戦争以前の――。
まだ、バレリアの奴隷が解放される前の話だ。
アオと同じく、レオナもこの国で奴隷として働かされていた。
「女性の奴隷はね、一定の歳を越えると、兵達の性奴隷として……働かされる」
その当時の事を思い出したのか、とても苦しげな表情でレオナはそう告げた。
だが、やはり冬華の反応は無い。
それでも尚、レオナは言葉を続ける。それが、レオナが冬華にしてやれる事だった。
「それから、私はその歳を迎え、性奴隷になる事になった……けど、私はそれが嫌で、逃げ出した。数人の兵をこの手で……殺して……」
震えるレオナの声に、初めて冬華の表情が変わった。
拳を握り、震わせるレオナは、唇を噛み締め、俯いた。
当時の事を思い出したのだ。
「そして、私は……ここまで逃げてきて……」
「逃げてきて?」
冬華が聞き返す。すると、レオナは、ポツリと涙を零した。
「ここから、身を投げた」
「えっ……」
驚く冬華に、レオナは左手で涙を拭う。
「うん。私は、死を選んだの。人の命を奪った重圧に耐えられなくて……でも、私はこうして生きてる」
レオナは右手を胸にあて、そう呟いた。
「何で……」
思わず冬華が呟くと、レオナは寂しげに微笑する。
「生かされた……そう言うべきかしら? あの時、たまたま、この辺りを教会の船が航海していたの。新しい、聖力を持った子供を探して。そして、私がたまたま漂流していた」
「それじゃあ……」
「そう。私はその時、教会に拾われて、聖力があることが分かって、ヒーラーになったの。まぁ、その間、奴隷だった時の記憶を欠落してたけど……」
苦笑するレオナの悲しげな瞳に、冬華は静かに尋ねる。
「どうして……そんな話を? それに、辛くないですか?」
冬華の問いに、レオナは、眉を八の字に曲げた。
「そうだね……辛いね……。でも、生きていく以上、楽な事ばかりってわけには行かない。必ず、辛い時、辛い事があって、嬉しい事もあるものよ」
「分かってるけど……人を……」
「仕方ない事だってあるわ。確かに、人を殺めると言うのは、罪深い行為よ。でも、あなたはアオを助ける為に仕方なくそうした」
レオナがそう言うと、冬華は表情を曇らせる。
「でも、人を守る為でも、人を殺めるのは……」
「そうね。確かに、いけない事。それでも、守らなきゃいけない事だってあるのよ。今は、まだ分からなくてもいい。けど、きっといつか分かる日が来るわ」
レオナはそう言って、冬華に微笑した。
そんな時、ジェスの声が響く。
「おい! そろそろ出発するぞ」
「はーい。分かった」
レオナがジェスの声に答え、立ち上がる。
「さぁ、行きましょう」
「えっ? ……は、はい」
レオナが差し出した手を取り、冬華も立ち上がった。