第209話 満身創痍
夜が……明けた。
騒然としていた夜とは違い、一部を除けば、とても静かな朝だった。
皆、傷つき、疲弊していた。誰もが重く口を閉ざし、何も語らない。
響くのは、冬華の呻き声だけだった。
大木の幹に背を預け、右膝を立て座るアオは、俯き大きく開いた口から何度も荒々しい呼吸を繰り返す。
大分体力は戻ったものの、まだ動ける様な状態ではない。
クリス・ジェス・エリオ・ハーネス・キース・ルピーの六人は傷が酷く、いまだに意識は無い。
治療自体はすでに完了しているが、それも、ただ単に傷口を塞いだに過ぎなく、後は自然治癒するのを待つだけだった。
この治療を行ったのは、もちろん、レオナではない。
すでにアオに全聖力を受け渡している為、回復に使う聖力は残っていない。
そんなレオナに代わり、この場に居る者を治療したのは、ギルド連盟の雉こと、イエロだった。
そして、今も尚、冬華の治療を続けていた。
疲労はあるだろう。今日は何度も空間転移をしている。それに加え、この人数の治療。聖力も殆ど残っていないはずだが、イエロは一切休む事はなかった。
暫し、近くを警戒するライとティオの二人は、陽が昇った為警戒を解き、皆の下へと戻ってきた。
この場に居ないのは、ロズヴェルとグレイの二人。
他の六傑会のメンバーもどうなったのか定かではない。それを確認しているだけの余裕がなかった。
ライとティオの二人が戻ってくると、アオはゆっくりと顔を上げた。
顔色はまだよくない。疲れがまだ抜けていないのだ。
そんなアオの顔を見据え、ライは深く息を吐いた。
「大丈夫か? 無理すんなよ」
「あ、ああ……」
ライの言葉に、アオは静かに顔を伏せた。
正直、アオは殴られると思っていた。冬華をあんな目にあわせてしまって。
冬華に、あの力を使わせないはずだったのに、こんな苦しむ姿をまた見ない為に、戦ってきたはずなのに――。
唇を噛み締めるアオは、肩を震わせ、拳を握り締めた。
悔しげなアオの姿を横目で見据えるライは、鼻から息を吐くと右手で茶色の髪を揺らし頭を掻いた。
それから、どれ程の時が流れただろうか。
陽はすでに傾き始めていた。
つい今しがた陽が昇ったかと思えば、もう――。
だが、未だに負傷者は目を覚まさない。皆、死力を尽くし戦ったのだろう。精神力も、体力も、底をついていたのだ。
アオも、何度も瞼を閉じそうになるのを堪え、必死に意識を保っていた。
そして、イエロも、未だに全力で冬華の治療を続ける。時折、苦しむ冬華が暴れ、イエロの顔に拳が、肘が、入る事があるが、それでも、イエロは怯まず、治療を続ける。
鼻から血を流し、呼吸を乱すイエロの額から大粒の汗が零れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
イエロの大きく開いた口から漏れる熱気の篭った吐息。
苦しくても、冬華の苦しみに比べれば、まだましだと自分に言い聞かせる。
そんなイエロの姿に、アオはゆっくりと立ち上がった。
急に立ち上がったアオに対し、ライは訝しげな眼差しを向ける。
「どうした? リーダー」
「いや……俺も、少し位……」
「止めておけって、今のリーダーに何が出来るって言うんだよ」
肩を竦めるライに、アオは眉間にシワを寄せた。
確かに、今のアオに出来る事は無い。その為、アオは深く息を吐き空を見上げた。
そんな折だった。静かにティオは口を開く。
「そう言えば、首都はどうなったでしょう?」
至極当然の疑問に、アオは眉をひそめる。
それは、最も気になる事だった。未だに、グレイが戻っていない事を考えると、嫌な予感がしてならない。
腰に手を当てるライも同じように嫌な予感を脳裏に過ぎらせたのか、渋い表情を浮かべる。
それから、ティオの方へと目を向け、静かに尋ねた。
「それより、どうなってるんだ? 町の連中もレジスタンスも? 急に豹変して……」
ライの疑問に、ティオも小さく頭を捻る。
「それについては、私も詳しくは分かりません。ただ、何らかの術に掛かっていた、そう思うのがただしいかもしれません」
ティオの答えに、アオは眉をひそめる。
「術? でも、町の人全員にそんな事――」
「そもそも、町の人達は全てが魔族に対して心を許していたわけではありません」
「そこをついたって言うのか?」
ティオの考えに、ライが肩を竦める。
すると、ティオは小さく首を振る。
「いえ。元々、旧王国体制が、まだ浸透していなかった」
「いや……そもそも、あの首都に残っていた連中が、魔族を許すわけないだろうな……奴隷が居なくなるわけだし」
アオが複雑そうにそう言うと、ライは右手で頭を掻く。
「だとしたら、今の状況も納得か……」
「恐らく、ケイトはコレも全て計算していたんだろうな。それに、彼が町の皆に、今は魔族に制圧されてしまった、時期にレジスタンスが助けに来るとでも言っておけば、魔族は完全に悪。首都を襲ったレジスタンスも、王国を救いに来た正義の味方になるわけだしな」
アオがそう言うと、ライとティオは複雑そうな表情を浮かべる。
確かに、その説明だと全てが繋がるが、納得できない所もあった。
「だとすれば、兵達はどうなる? キースだって、ルピーだってやられてるんだぞ?」
ライが身振り手振りを加えそう声を荒げると、アオは静かに息を吐いた。
「恐らく、危険分子を消したかったんだろうな。だから、キースは最も首都から離れた西地区の担当を任され、戦力をそぐ為にルピーを別の隊へと移動。そして、自分は首都である中央を担当する」
「色々と画策するには時間はたっぷりあると言うわけですか……」
腕を組むティオが、その右手を額にあて深々と息を吐いた。
アオの説明は何の根拠も無い想像に過ぎないが、とても理に適った仮説だった。
そう考えれば、全てが線で繋がるのだ。
全て、ケイトの思惑通りに進んだことが、アオにとってはとても悔しいことだった。
もっと早く気付いていれば、結果は変わったかもしれない。
そんなタラレバを今更言っても仕方ないが、そう思わずにはいられなかった。
「どうなるんでしょうね……この国は?」
遠い目をしながらティオが呟く。
「恐らく、暴君のいた時よりも、事態は悪化するだろうな」
「どうして、そう思うんだよ?」
アオの発言に、ライが訝しげに尋ねる。
すると、アオは目を伏せ、右手で髪を掻き揚げた。
「今回の首都襲撃に、あの男が居たとすれば……」
「あの男?」
「誰の事ですか?」
ライとティオが不思議そうにそう口にすると、アオは深刻そうに俯き――ふと思い出す。
「待て! 待て待て待て! ルーイットはどうした!」
「んっ? …………なっ! そう言えば!」
慌てて立ち上がるアオに続き、ライも声を上げる。
この場に、ルーイットの姿は無い。そもそも、ルーイットは部屋に待機させていた。戦闘できるような状態ではないし、そもそもあの獣魔族を操る男が繰るかも知れないと言う事で待機を余儀なくされたのだ。
「ちょっと待てよ! じゃあ、ルーイットはまだ首都にいるってのか!」
「かもしれないですね……ここに居ないと言う事は――」
「大丈夫なのですよ……ルーイットは、ちゃんと別の場所に連れて行ったのです」
慌てる三人に対し、冬華の治療を続けるイエロが静かにそう告げた。
だが、詳しい説明をしているだけの余裕など無く、イエロはすぐに黙り込んだ。
そんなイエロに、アオは感服する。常に先を考えるイエロの行動に。