第206話 純粋なる悪
「はぁ……はぁ……」
冬華の呼吸は乱れていた。
激しい頭痛に襲われ、吐き気をもようす。
まるで大地が揺れているかの様に、冬華の視界はグラグラと揺れる。
今にも倒れてしまいそうだが、冬華はそれを耐え、奥歯を噛み締める。
節々が軋み、激痛が体を駆け巡る。
それでも、冬華は意識を保ち、真っ直ぐに倒れるケイトを見据えていた。
そこよりさらに南では、ジェスとハーネスが戦いを繰り広げていた。
左肩から大量の出血をするジェスは、うな垂れた指先からシトシトと血が滴れる。
一方のハーネスも腹部からの出血が酷かった。
互いに満身創痍だった。
腹部を押さえる左手は血で赤く染まり、ハーネスはゆらリと体を揺らす。
二人共最初の一撃をモロに体に受けた。その為、二人は大量の血を流したまま剣を交えあっていた。
すでにどれ程の血が失われただろう。辺りには二人の血が散乱していた。
モウロウとする意識の中で互いの姿だけはしっかりと捉えていた。
ジェスの左手の感覚はすでに失われ、冷たくなっていた。
大きく口を開き、ハーネスを見据えるジェスは、地を蹴ると剣を振り抜く。
深手を負っても尚、衰える事の無い鋭い斬撃に対し、ハーネスも迎え撃つ様に剣を振り抜いた。
両者の鋭い一撃が交錯し、火花を散らすと互いの剣を大きく弾き返す。
足を滑らせ身を回転させる勢いを止めるジェスは、僅かに体を前へと倒し、苦しそうに呼吸を繰り返した。
動くたびに左肩に激痛が走る。それでも、ジェスは退けない。
ハーネスを助ける為、止める為には、自分がここで戦うしかなかった。
一方のハーネスは表情こそ変えないが、明らかに動きは鈍くなっていた。
「どうした……動きが……鈍いぞ……」
表情を苦痛に歪めながら、ジェスはそう口にする。
すると、ハーネスは静かな口調で答える。
「貴様こそ……随分と、苦しそう……だな」
平静を装ってはいるが、やはりハーネスも苦しいのか、その声は途切れ途切れだった。
二人の技量はほぼ互角だった。力こそ、男であるジェスに分があるが、スピードではハーネスの方に分があり、それにより二人は五分の戦い力関係となっていた。
拮抗した状態をどうにか打開しなければならないとジェスは考えていた。
だが、すぐに考えるのはやめた。いや、考える事が出来なかった。意識がもうろうとし、考えるのが困難となった。
それは、恐らくハーネスも一緒だろう。
互いに血を流しすぎた為、頭が働かなかった。
その為、二人は直感で動き出す。長く一緒に居た為、互いの動き、行動パターンは分かっている。
だからこそ、反応できる。
速く鋭い斬撃も、突きも、弾き、防ぎあう。
これ以上のダメージを受けるのは危険だと二人共分かっているのだ。
「くっ!」
「ッ!」
何十度目かの刃の衝突。激しい火花が散り、互いの刃が擦れ合う。
片手で剣を操るジェスは、その一撃に奥歯を噛み締め、力いっぱいにハーネスの体を弾いた。
後方へと弾かれたハーネスの体は、よろめいた。
その時だった。
それは、意図して行ったモノなのか、それとも偶然の産物だったのか、定かではない。
闇から一瞬にして姿を見せた光り輝く槍は、そのままハーネスの背へと突き刺さった。
どれ程の距離を飛んできたのかは不明だが、光の槍は光の粒子をばら撒きながら小さくなっており、ハーネスの背に突き刺さったと同時に弾けて消えてしまった。
衝撃を受け、倒れこむハーネスに、ジェスはただ驚く。何が起こったのか、ジェスの位置からは死角になり見えていなかった。
(な、何だ? 何で急に?)
訝しげな表情を浮かべるジェスは、辺りを警戒する。
他にも敵が居るのか、と考えたのだ。
だが、気配は無い。当然だ。ハーネスが倒れたのは冬華が放った光の槍が直撃した為だ。他に誰かが周囲にいる事は無い。
気配が無い事を確認したジェスは、深く息を吐いた。
その時、倒れるハーネスの体から黒い霧状の煙が噴き上がりやがて消滅する。
それを目にしたジェスは、目を凝らす。それが、見間違いだと思ったのだ。
「な、何だったんだ……アレは……」
ボソリとジェスが呟くと、ハーネスの体がピクリと動いた。
同時にジェスは反射的に剣を構え、距離を取った。しかし、ジェスはすぐにその剣を下ろす。
体を起こしたハーネスの表情が、先程までとは違い、ジェスの知るいつものハーネスの表情だったのだ。
「イッ……な、何だ……なんでこんな……」
腹部を押さえていた左手を上げ、その手が血で赤く染まっている事にハーネスは疑問を抱く。
何があったのか、覚えていない。ただ、自分が深手を負い体がだるい。血を流しすぎているのだと、すぐに理解する。
「くっ……一体、どうしてこんなことに……」
ボソリと呟いたハーネスは顔を上げ、その視界にジェスを見つける。
一瞬、目を疑うハーネスだが、すぐに目を凝らす。真紅の髪を逆立てたジェスの顔を真っ直ぐに見据えるハーネスは、ポンと手を叩いた。
「お前、ジェスか! 何でここに?」
「……戻ったのか?」
「はぁ?」
驚き目を丸くするジェスの言葉に、ハーネスは不快そうな表情を浮かべる。
「何言ってるんだ? お前、頭でも打ったか?」
「い、いや……何でも無い。とりあえず、よかった……」
「何だ? お前、気持ち悪いぞ」
ハーネスはそう言いジェスへとジト目を向けた。
場所は戻り――倒れるケイトを見据える冬華。
辺りは静まり返っていた。額から大粒の汗を零す冬華は、動かないケイトに疑問を抱く。
何故、動かないのか、と。
死んでいる――わけではないだろう。だが、全く微動だにしない。
今にも瞼を閉じてしまいそうな冬華は、膝に手をついた。
そんな時だ。ゆっくりとケイトの体が起き上がる。
ようやく、動き出したケイトに、冬華は安堵する。
やっぱり、死んではいなかった、と。だが、様子がおかしかった。
体を起こすなり、自らの体を両手で触り確認すると、肩を小刻みに揺らし笑う。
「ふっ……ふふふっ……ふふふふっ!」
ケイトの様子にアオは唇を噛む。
そして、冬華は愕然としていた。
冬華に突きつけられた現実は、それ程ショックなものだった。
「残念でしたね。英雄さん。僕は何も変っていない」
「そ、そんな……」
落胆し、膝を落とす冬華に、ケイトは肩を竦め立ち上がる。
「色々、調べてますよ。あなたの力の事。何でも、闇を払う力のようですね。けど、その力には欠点がある」
静かに歩みを進めながら、ケイトはそう語る。そして、右手を軽く挙げ、クスリと笑った。
「あなたのその力は、純粋な悪を浄化する事は出来ない」
ケイトの言葉に、アオは眉間にシワを寄せた。
薄々だが、アオも気付いていた。それは、仲間であるイエロからの情報で、感じた事だった。
冬華が今まで救ってきた人々。
ケルベロスや、イリーナ王国の兵士達、リックバード島での魔族達。
すべての者達がある力により操られ、冬華はそれを神の力で浄化した。しかし、リックバード島では、その主犯ともいえる魔術師と対峙し、彼女に対して放たれた光の剣は、彼女の邪悪な力を浄化する事はなかった。
この事から、アオは冬華のあの力は、浄化出来る邪悪な力と、浄化出来ない邪悪な力がある事を仮定していた。
そして、まさか、その浄化出来ない邪悪な力――純粋なる悪の心をケイトが持っていた事を、ここでようやく理解する。
「お前……自分の意志で、ここまでの事件を起こしたって言うのか……」
険しい表情でアオが尋ねると、ケイトは呆れた様に肩を竦める。
「当然でしょ。この大陸に生まれ、生きてきたんですよ。あの暴君を間近で見てきたんですよ? 悪が芽生えるのも当然の事ですよ」
穏やかな笑みを浮かべるケイトは、やがて静かに剣を構える。
「では、ショックを受けているあなたに、今すぐトドメを刺して差し上げましょう」
と、冬華へと切っ先を向けた。