第196話 生存者
ようやく、体も動かせるようになった冬華は、ベッドから立ち上がり身支度を済ませていた。
ずっと部屋に篭りっぱなしだったため、少しでも外の空気が吸いたかったのだ。
着替えをしていると、部屋のドアがノックされる。
そして、ドアの向こうから静かな声が聞こえた。
「冬華。ちょっといいですか?」
丁寧なクリスの声だった。
その言葉に冬華はブラウスのボタンを急いで留める。
「う、うん。だ、大丈夫だよ」
冬華がドアに向かいそう返答すると、留め金を軋ませゆっくりとドアが開かれた。
ドアが開かれるなり、クリスは深々と頭を下げる。長い白銀の髪がゆらりと揺られ、彼女の顔を覆う。
「すみませんでした」
頭をさげたままクリスはそう口にした。
しかし、冬華は何故謝られているのか分からず、困惑しアタフタとしていた。
どうしていいのか分からず、冬華はとりあえず微笑し答える。
「だ、大丈夫……だよ。うん。私は全然平気だよ」
冬華の言葉にクリスは唇を噛み締める。
そして、顔を上げると、潤んだ瞳を冬華へと向けた。
「私は、いつも、自分の事ばかり……同じ事を繰り返し、毎度毎度冬華を……」
「大丈夫だよ。それに、今回のことは、クリスのせいじゃなくて私の不注意だよ。横から急に出てきたとはいえ、その気配を察知できなかった私の……」
自分を責めるクリスを慰める様に冬華はそう口にした。
実際、そうだ。ルーイットを助けたい。その気持ちが先走り、周りのことが見えていなかった。
もっと周囲に注意を配っていれば、こんな事にはならなかった。クリスだって、ルーイットだって怪我をする事はなかった。
そう考えると全ては自分の責任なんじゃないか、そう思え、冬華は俯き呟く。
「私の方こそ、ごめん……」
小さな小さな冬華の声はクリスには聞こえなかった。
ただ、冬華が何かをボソッと言ったのはクリスにも分かった。だから、怪訝そうに眉をひそめ、首をかしげる。
「今、何か……」
「う、ううん! な、何でもない!」
慌ててそう言う冬華は引きつった笑みを浮かべ、両手を振った。
それから、冬華はふと思う。
「あれ? そう言えば、ルーイットは?」
冬華がそう言ったのには理由があった。
あれ以来、冬華はルーイットの姿を見ていなかった。無事なのは、人伝に聞いているが、その姿を見ていない為、今どうなっているのか分からないのだ。
それは、クリスも同じだった。暫く部屋に閉じこもっていたし、南方からの逃げる際も別々だった為、ルーイットの姿は見ていない。
恐らく、顔を合わせ辛いのだろうと、クリスは考える。クリスだって冬華とこうして顔をあわせるのは、とても辛かった。
申し訳なく、心が痛むほどに。
ルーイットに非がない事は重々分かっているが、本人はそうは思わないだろう。
自分が皆を傷つけた。その思いがある故に、姿を見せないのだ。
クリスもその気持ちが分かるため、複雑そうな表情を浮かべる。
「とりあえず、今は待ちましょう。彼女の気持ちが整うまでは、無理に会おうとしないのが、懸命ですよ」
「そ、そう言う……ものなの?」
不思議そうに冬華が尋ねると、
「そう言うモノですよ」
と、クリスはもの悲しげな笑みを浮かべた。
アオはロズヴェル、ケイトの二人と共に、南方防衛砦へと来ていた。
陥落して数日。そこは酷い有様だった。
多くの人の遺体がそこら辺に転がり、砦は完全に崩れ落ちていた。
兵だろうが、なかろうが、無残に殺された者達の姿に、皆絶句する。その中には、まだ生まれて間もない赤子も居た。恐らく、砦に逃げる最中に抱きかかえていた母親が殺されたのだろう。その赤子は守られるように女の体に抱き締められていた。
この光景を目の当たりにし、アオは一層胸を苦しく締め付けられる。しかし、目をそむけるわけには行かない。それを、アオは確りと目に焼きつけ、心に刻む。
全てを忘れない様に、二度とこんな事を起こさせないようにと。
そんな中、三人の足が止まる。
丁度、町の中心辺りだろう。
そこに、木で出来た十字架が立てられ、グライデンの遺体が縛り付けにされていた。
グライデンの体にはこれでもかと言うように何本も何本も剣が突き立てられ、無残な姿となっていた。
その足元の土は溢れた血を吸ったのか、僅かに赤黒くなっており、異臭を漂わせる。
グライデンの姿を見据え、アオは目を伏せ、ロズヴェルとケイトは複雑そうに眉をひそめる。
「酷いですね」
ケイトが右手で鼻と口を覆いそう呟いた。
隣りに並ぶロズヴェルは鋭い眼差しで周囲を見回す。辺りには人の気配はないし、罠の類がある様子はなかった。
しかし、ロズヴェルもケイトも決して縛り付けられたグライデンへと近づこうとはしなかった。
何かあるのではないか、と疑っているのだ。
「どうする?」
「このままにしておくのは正直、心が痛いですね」
ロズヴェルの静かな声に、ケイトはそう答え瞼を閉じる。
「放置するのか?」
二人にアオは静かにそう尋ねた。
その声に振り返ったロズヴェルは、右手で首を擦る。
「とりあえず、暫く様子を見るべきだろ」
「だが、腐敗が進めば、二度と……」
アオがそう呟いた時、一緒に来ていた調査兵の一人が声を上げた。
「生存者です! 生存者がいました!」
こだまする若い調査兵の声に、アオはハッとし顔を向ける。
そして、すぐに駆け出す。もしかするとコーガイが――。
その想いが胸の鼓動を速め、アオの中に僅かな希望が芽生えていた。
クリスと別れた冬華は一人、城内を散策していた。
鈍った体の調子を戻すために、冬華は止まっては屈伸し、止まっては腰を回し、と軽い運動を交え廊下を歩みを進める。
まだ激しい動きをすると激痛が走るため、こうして体を徐々に徐々に動かしていた。
広々とした廊下には絵画が飾られたり、壷などの骨董品なども飾られていた。
きっとどれも高価なモノなのだろうな、と冬華は眺めるだけで近づこうとはしない。何かの拍子に落としてしまったら大変だ、と考えたのだ。
そんな折、廊下を慌ただしく複数の兵が駆け足で通り過ぎる。何か、あったのだろうか、と冬華はその兵士達の姿を目で追う。
しかし、すぐに角を曲がってしまい、その姿は見えなくなった。
その為、冬華は不思議そうに首を傾げ、
「何かあったのかな?」
と、小声で呟いた。
だが、呟いただけでその後を追おうとはしない。
追いかけて行った所で自分には何も出来ないだろう、と判断したのだ。
「さっ! もう少し散策してみよっかな」
と、冬華は声を発すると背筋を伸ばし、歩き出した。
体を解すように太股を高く上げ、腰を捻りながら。
他から見れば、おかしな行動だが、冬華本人はいたって真面目な行動だった。
暫くそんな動きを繰り返しながら城内を散策し、冬華は部屋へと戻った。
その頃、医務室では――レベッカが治療を行っていた。
「助かりそうか?」
ロズヴェルが静かに尋ねると、聖力を纏った両手をかざすレベッカが静かに答える。
「はい。大丈夫です。傷自体はそれ程酷くないです。ただ、強い衝撃を受けたんだと思います。心肺機能が低下しています」
「そうか……」
腕を組むロズヴェルは静かにそう答え、ベッドに寝かされたその者の姿を真っ直ぐに見据えていた。




