第19話 シュールート山脈
白雪冬華とシオの二人は山を登っていた。
ここシュールート山脈にある、とある鉱石を入手する事がジェスからの取引の一つだった。
シュールート山脈は、特殊な鉱石の採れる鉱山だが、人間は滅多に近付かない。別に険しい山と言うわけでも無く、道なりに進めば頂上まで行ける登山するには比較的楽な山脈だった。
それでも人間が近付かない。それは、ここが魔族の領域になっているからだ。魔族はその鉱石を必要としない為発掘はせず、人間は魔族の領域の為近付かない。故にこのシュールート山脈には多くの鉱石が眠っているのだ。
山を登るのは初めての冬華は、呼吸を荒げながらも休まず足を進め、その後ろをセルフィーユは心配そうに浮遊していた。シオは少しでも冬華が歩き安い様にと先頭を歩き、道を踏み固め木々を払い足を進める。荷物の殆どもシオが持ち、冬華よりもシオの方が苦しいはずなのに、シオはただ額から汗を流すだけで平然とした表情を浮かべていた。
息を切らせる冬華が膝に手を置くと、セルフィーユが隣りに並び静かに声を掛ける。
『だ、大丈夫ですか?』
「え、えぇ……大丈夫。はぁ…はぁ……」
弱々しい口調でそう返答する冬華に、『そ、そうですか』と呟いたセルフィーユはゆらゆらと先頭を歩くシオの方へと近付く。木の枝を折りながら歩みを進めるシオは、セルフィーユの姿を確認すると、足を止め振り返る。
「何だ? アイツと一緒じゃなくていいのか?」
『いえ。少し休憩を――』
「うーん。そうだな……」
腕を組み唸り声を上げるシオは冬華の方に軽く視線を向けた。辛そうに肩を揺らし歩みを進める冬華の姿に、シオは小さく吐息を漏らす。
「分かった。じゃあ、とりあえず休むか」
渋々そう告げたシオに、セルフィーユは『冬華様に伝えてきます!』と笑顔で返答し冬華の方へと飛んでいった。
本当は休みたくなど無かったが、冬華の表情を見れば辛そうなのはすぐに分かった。無理をさせて倒れられても困ると、シオは判断したのだ。
冬華とセルフィーユの方へと視線を向けたシオは、小さく息を吐き、登ってきた道のりに視線を向ける。ここまで緩い山道。この先もずっとこの緩い山道が続く。
ここシュールート山脈は決して険しい山ではない。だが、標高は結構高く、四分の一程登った所ですら酸素は大分薄くなっていた。
この環境は登山の経験の無い冬華の体力を確実に蝕み、その体には明らかな異変が起き始めていた。
「はぁ…はぁ……」
『大丈夫ですか? 冬華様?』
セルフィーユの呼びかけに、冬華の返事は無く、視点が僅かに揺らぐ。意識が朦朧としていた。体は鉛の様に重く、頭が痛い。激しい耳鳴りに、冬華はふと足を止めた。両足を確りと地に着いているはずなのに、体が宙を舞っている様なそんな感覚に襲われ、地面がグニャリと曲がった。空と陸が回転し、冬華の意識はゆっくりと闇へと消えていった。
『冬華様!』
力なく崩れ落ちた冬華にセルフィーユが叫ぶ。
その叫び声にシオも冬華が倒れた事に気付く。
「冬華!」
急いで冬華へと駆け寄り、その体を抱き上げる。そして、慌てるセルフィーユへと目を向けた。
「な、何があった?」
『い、いきなり倒れたんです!』
「くっ! 高山病かもしれない。一旦、下山するぞ!」
『えっ? で、でも』
「大丈夫だ。フモトに知ってる村がある。あそこなら休める。それに、これ以上無理させるわけにも行かないだろ」
シオは冬華の体を抱え来た道を引き返し、セルフィーユはその後に静かに続く。
一番近くにいたのに、冬華の異変に気付けなかった事をセルフィーユは悔い、シオも冬華を止めなかった事を後悔し唇を噛み締めた。
暫く沈黙が続くが、シオは静かに口を開く。
「悪い……本来なら、コイツにこんな山を登らせるべきじゃなかった」
『と、突然な、なんですか?』
突然のシオの謝罪に慌てるセルフィーユ。最初、セルフィーユは冬華がこの山に登る事を反対していた。もちろん、魔族の領域だからと言うのもあったが、それ以上に今の冬華の体力で登れるわけが無いと思っていたからだ。
だが、ジェスの出した取引は、冬華一人でここに登り鉱石を手に入れる事。クリスも最後まで反対したが、結局シオが一緒に行くと言う事で無理矢理納得させたのだった。もちろん、シオも冬華には無理だと思っていたが、それでも冬華が「行く」と言い出し、それが取引ならばと渋々了承した所があった。
「オイラがあの時ちゃんと無理だって判断してれば、この取引も――」
『それでも、冬華様はこの取引を受けてたと思います』
俯くシオに、セルフィーユは後ろからそう呟いた。まだ短い付き合いだが、冬華がどう言う人なのか、セルフィーユは少なからず分かっているつもりだった。だから、分かる。冬華が何故この取引に応じたのか。
一方、セルフィーユの言葉に訝しげな表情を浮かべるシオは、不思議そうに問う。
「どう言う事だ? この取引に応じて何の得も無いだろ?」
最もな言い分だった。こんな危険な事をしてまであの牢から出て得する事など無い。そもそも、出ようと思えばすぐに脱獄出来るわけだから。
意味が分からないと首を傾げるシオに、セルフィーユは静かに笑う。
『きっと、冬華様はシオ様の為に取引を受けたんですよ』
「…………なんでそうなるんだ?」
『多分、冬華様がその取引を断れば、あの場でシオ様は殺されていたと思います』
「…………」
セルフィーユの言葉にシオは眉間にシワを寄せた。自分はそんな簡単に殺される様なヘマはしないと言いたげなその視線を受け、セルフィーユは困った様に頬を掻き苦笑する。
『以前にもあったじゃないですか? あの城の牢から逃げ出す時に』
「あぁ……だから」
シオも少しだけその言葉の意味を理解した。
脱獄しようとすれば、またシオが自分を犠牲にする事になる。そして、あの場でもし取引を断っていたら、間違いなくあのギルドの連中は三人を殺しに来る。そうなった時、シオ自身は二人を逃がす為に自らを犠牲にするだろうと。
セルフィーユの言いたい事を理解したシオは、小さく吐息を漏らすと、その腕に抱えた冬華の顔に目を落とす。
「そっか。コイツ。結構、考えてるんだな」
『そうですよ。冬華様はちゃんと考えてるんです。だから、あんまり心配させないでください!』
「まぁ、オイラはそうなっても死なない自信はあるけどな」
『そう言われても説得力無いですよ』
笑顔を浮かべるシオに対し、ジト目を向けるセルフィーユ。実際、あの城では死に掛けていた為、シオがそう言う事を自信満々で言っても全く持って説得力が無かった。呆れた様な表情を浮かべた後、セルフィーユは心配そうに冬華の方へを顔を向け、胸の前で手を組み祈った。
『何事もありませんように』
と。