第189話 背中の傷痕
揺れる荷馬車の中でルーイットは目を覚ました。
ぶかぶかのコートのみを着た状態のルーイットは胸元を右手で押さえ、静かに体を起こした。
道が舗装されていない所為か、荷台は激しく揺れルーイットの体は何度も跳ねる。
現状を把握出来ていないルーイットは表情を強張らせ、辺りを見回す。
すると、床に寝かされる冬華とクリスの姿を発見する。
傷の治療は完了し、体に包帯を巻かれた二人の姿に、ルーイットは目を伏せた。
まだ記憶が混濁していたが、きっと自分が二人をこんな目にあわせたのだ。そう思ったのだ。
その理由は、ルーイット自身が獣化したと言う認識があり、その時の記憶が多少欠落している事から暴走したのだと思ったからだ。
唇を噛み締め、ルーイットは俯いた。
力のコントロールは出来ているはずだった。獣化に関しても今までこんな事一度もなかった。
まさか、暴走するなんて、思ってもいなかった。
悔しげなルーイットに、不意に声が掛けられる。
「アレは、あんたの所為じゃないよ」
静かな女性の声に、ルーイットは瞼を開き顔を上げた。
冬華とクリスの他にも何人もの人が居る事に、ここで初めてルーイットは気付く。
その中で、ゆっくりと立ち上がる小柄な女性が、静かにルーイットの前まで移動すると、肩口で揺れるオレンジの髪を耳へと掛け、腰を下ろす。
「私はルピー。あんたと同じ獣魔族よ」
「じゅ、獣魔族? で、でも……」
ルピーの言葉に、ルーイットの視線は頭の上へと向く。
獣魔族と言うルピーだが、その頭に獣耳が無い。獣魔族は基本的に獣耳があるのが通常だ。その為、獣耳を持たないルピーが獣魔族だと言う事をルーイットは信用出来なかった。
明らかな疑いの目を向けるルーイットに、ルピーはふっと鼻から息を吐くと腕を組んだ。
「はぁ……全く。獣耳がなきゃ獣魔族じゃないわけ?」
不満そうにそう言うルピーに、ルーイットは小さく頷く。
「ふ、普通でしょ?」
「あのね……はぁ……」
右手で頭を抱え、ルピーは深々とため息を吐いた。
それから、ジト目をルーイットへと向ける。
「私は鳥獣系の獣魔族なの! だから、獣耳は無いの!」
「えっ? で、でも……鳥獣なら、翼は?」
訝しげにルーイットがそう聞く。そう、ルーイットが、ルピーを獣魔族ではないと思った理由の一つが、翼だった。
獣魔族の系統として、獣類、鳥獣類、海獣類の三つがあり、それぞれ見た目の特徴が変わっている。
獣類に、シオやルーイットは区分されており、見た目の特徴として獣耳がある。聴覚と嗅覚が優れており、身体能力は他の系統よりも高い。
鳥獣類は獣類と違い、獣耳が無く、背中――肩甲骨付近から生える翼が特徴となっている。視覚が優れ空を舞う事が出来るが、身体能力の高さでは獣類に劣る。
海獣類も獣耳が無く、代わりにヒレの様な形の耳が顔の横に生えている。このヒレも特徴的だが、最も特徴的なのは鎖骨の辺りにあるエラだ。これにより、海獣類は水の中で呼吸が出来、会話する事も可能なのだ。
そんな鳥獣類の特徴である翼が無い為、ルピーが獣魔族だと言う事を完全にルーイットは疑っていた。
ルーイットの反応を大方予想していたのか、ルピーは深く息を吐くと、ルーイットへと背を向け、その服を捲った。
「――ッ!」
捲った服の下から覗くルピーの背に、ルーイットは絶句する。
その背に刻まれた傷は痛々しく、肩甲骨の辺りには骨がへし折られ毟り取られた様になっていた。
何があったのか想像すらつかない程の傷に、ルーイットは両手で口を覆い、瞳孔をただ広げる。
ルーイットの表情を伺いつつ、ルピーは服を下ろし深く息を吐いた。
「これで、私が獣魔族だって理解出来たか?」
体をルーイットの方へと向け、ルピーは胡坐を掻いた。
何事もなかったように笑みを浮かべるルピーに、ルーイットは今にも泣き出しそうにその瞳を潤ませる。
そんなルーイットの表情に、ルピーはジト目を向けると右手で乱暴に頭を掻いた。
「あぁーっ! もう! そんな顔するなよ! 別に、悲しんで欲しいとか思ってないから!」
「け、けど……」
涙を浮かべ、鼻声でそう言うルーイットに、ルピーは眉間にシワを寄せる。
何となくこうなる気がしていた。だから、本当は見せたくなかった。
複雑そうな表情を浮かべるルピーは、腕を組み考える。どう説明すればいいのか、色々と考えた。
だが、結局ルピーにいい説明の仕方など思いつかず、肩を落とすと静かに語り出した。
「知ってるか? この国じゃ、つい最近まで暴君って呼ばれた王様が君臨してたのを?」
「えっ? あっ……う、うん」
小さく頷くルーイットに、ルピーも小さく頷く。
「その暴君は、人間だろうが、魔族だろうが関係なく、幼い子供を奴隷として働かせていた。私も、その奴隷の一人だった」
「ど、奴隷……」
「そっ。その時、飛んで逃げられない様にって、その暴君に翼を毟り取られた。まるで、虫の羽を千切る様に……」
ルピーは平然とそう語る。だが、翼を毟り取られるなど、相当の激痛が伴っただろう。骨も神経も全てを千切られたのだ、きっと今も思い出すだけでその時の痛みが蘇るはずだった。
でも、ルピーは何の苦も見せず、ニコッとルーイットに笑いかける。
「酷い話だろ? けど、この事があったから、私はキース様に出会えた」
「キース様? 誰?」
不安そうな眼差しを向けるルーイットに、ルピーは目を輝かせる。よくぞ、聞いてくれた。そう言う様な眼差しに、思わずルーイットは引いてしまった。
「キース様はねっ! 私の恩人でねっ! 翼を失い絶望の淵に居た私に、手を差し伸べてくれた希望の光なんだよっ!」
弾むルピーの声に、ルーイットは「そ、そうなんだ……」と小声で相槌を打った。
すると、ルピーは顔の前で手を組み、祈りを捧げるように上の方に視線を向け、
「私はねっ。その時誓ったの。この人に一生ついて行く。この人に一生尽くして行くって!」
と、ルピーはそこまで言った後、その表情が一瞬にして落ち込む。
「なのに……どうして、私はここにいるんだろう……」
唐突にテンションが落ち込み、一気に不のオーラを放つルピー。
わけが分らず目を白黒させるルーイットは、どうしていいのか分からず「え、えっと、えっと……」と声を漏らしていた。
「ってわけで、私は全然凹んでないし、不幸だとか思ってないから!」
数十分後、ようやく気持ちを切り替えたルピーが、顔の横で人差し指を立てそう宣言した。
しかし、数分前の落ち込み様を覚えている所為か、ルーイットはその言葉にあまり説得力を感じなかった。
ルーイットがジト目を向けていると、ルピーは不満そうに頬を膨らせる。
「何? 何か言いたそうだけど?」
「えっ? あっ……ううん。別に……」
ルーイットはそう言い苦笑する。
どうしてだろうか、彼女には逆らわない方がいい、そうルーイットは直感したのだ。