第188話 奴隷ナンバー
冬華とクリスの治療は滞る事無く進んでいた。
同時進行で行われる二人の治療。それを可能としたのは、アオが空間転移で連れて来たつい最近この大陸で出会ったレベッカと言う少女のおかげだった。
ヒーラーとしての知識は乏しいが、自己流で覚えた回復術と溢れんばかりの聖力を持った少女で、ヒーラーとしての素質は十分すぎる物がある。
その為、以前会った時にレオナがヒーラーとしての基礎を教えたが、アレから二・三ヶ月で一層レベッカのヒーラーとしての技術は向上していた。
クリスの傷は見る間に塞がり、血色も大分よくなっていた。
一方で、レオナが治療を担当する冬華は傷自体は軽いが、その傷口が中々塞がらず出血が未だに留まっていなかった。
問題が何なのか、レオナにも分からないが、それでも今は全力を――最善を尽くすしかなかった。
レオナとレベッカが治療をする中、アオは仰向けに倒れ大口を開け呼吸を繰り返す。
急いで空間転移を行った為、大量に精神力を消費し疲れ切っていた。胸を大きく上下に揺らし、空を見上げるアオは、瞼を閉じる。
アオの様子を窺うライは心配そうに、
「大丈夫か?」
と尋ねるが、アオの反応は薄い。いや、薄いと言うよりも殆ど反応がなかった。
そんなアオに、呆れた様子で黒衣をまとう男が大きなため息を吐いた。
「緊急事態と言うから、何事かと思えば……。一体、何の騒ぎだ? これは?」
切れ長の眼の奥から覗く紫の瞳が、寝そべるアオへと向けられる。
彼は、この大陸の六傑会の一人で、レベッカの保護者に当たる男、ロズヴェル。元々、王国軍だったが、色々あり八年程王国軍を離れ、牧師として教会を運営していた為、“撲殺牧師”と言う異名で呼ばれていた。
今はもう牧師ではない為、牧師が取れ“撲殺”の異名で恐れられている。
ロズヴェルも力で暴君バルバスに従っていた口で、バルバス亡き今はこの国を良くしようと働きかけていた。
呆れた様に深々と息を吐き出すロズヴェルは、右手で黒髪を掻き揚げると眉間にシワを寄せる。
「それで、誰なんだ。あの二人は? まぁ、お前の知り合いだ。悪い奴ではないだろうが……」
「ああ。心配するなよ。あの二人は大丈夫だ」
まだ息の整わないアオに代わって、ライがそう答えた。
ライの答えにロズヴェルは腕を組むと不服そうに目を細める。
「大丈夫だじゃないだろ? 一体誰なんだ?」
ロズヴェルが押し殺したような声でそう尋ねると、アオがゆっくりと体を起こし答える。
「レオナが治療しているのが、英雄冬華。レベッカが治療している方が紅蓮の剣クリスだ」
「英雄に、紅蓮の剣……。何でその二人が重傷を負っているんだ?」
ロズヴェルがそう尋ねると、アオは小さく肩を竦めた。
すると、二人の間にグライデンが割ってはいる。
「今、この場所では妙な連中が活動しているようでな」
グライデンの発言に、ロズヴェルは目を細め首をかしげた。
「誰だ? お前」
「なっ! お、俺だ! グライデ――」
「あっ! ロズヴェルさん! おひさぁー!」
グライデンの声を遮り、その後ろからルピーがオレンジの髪を揺らし跳ねる。
ルピーの姿にロズヴェルは鼻から息を吐き出す。
「ああ。ルピーか。久しいな」
少々面倒臭そうにそう答えたロズヴェルに、ルピーは歩み寄りピョンピョンと跳ね嬉しそうに告げる。
「それでそれで、そろそろ、私とアイツ、入れ替え時じゃないかな?」
無邪気に笑うルピーにロズヴェルは眉間にシワを寄せる。彼女が何言っているのかイマイチ理解出来ていなかった。
そんなロズヴェルの表情と裏腹に、ルピーは期待に満ち溢れた眼差しを向ける。
しかし、ロズヴェルは至って冷ややかな表情で深々と息を吐いた。
「何の話だ?」
「いやいやいや。そろそろ、キース様の所に戻ってもいい時期でしょ?」
こじんまりとした胸を張りそう声を上げるルピーに、ロズヴェルはジト目を向ける。
「お前、事務仕事できるのか?」
「それは、無理」
「なら、無理だ」
即答したルピーに対し、ロズヴェルはそう断言した。
ルピーは元々キースの部隊の副隊長の一人だった。戦闘能力が高く、切り込み隊長の様な役割を果たしていた。
しかし、現在、キースの部隊はバレリア大陸の西で、首都の港へと続く海路の関所を担当している。その為、武力よりも知力が必要になっていた。
逆にグライデンの部隊は現在、大幅に戦闘力が低い。元々、隊長であるグライデン本人の戦闘能力が乏しい為だ。それもあり、ルピーがこのグライデンの下につくことになったのだ。
ロズヴェルの言葉に不服そうに頬を膨らせるルピーは、唇を尖らせる。
「何でだよ! 理不尽だ!」
「お前がな」
「うがーっ!」
両拳を突き上げ、声を上げるルピーの頭を、ロズヴェルは右手で抑えた。
そして、呆れた様子で息を吐きアオへと目を向ける。呼吸も落ち着いたアオは、二人のやり取りに苦笑していた。
「それで、お前はまた何しに来たんだ?」
鋭い眼差しを向けるロズヴェルに、アオは静かに立ち上がる。
「まぁ、色々と事情があって――」
「二二七番と知り合いなのか?」
アオの声を遮り、ルピーがそう言い放つ。
その言葉にアオの表情は凍り付き、ライとロズヴェルは不思議そうに首を傾げる。
一方、空気が微妙に変わった事に気付いたルピーは眉をひそめた。
「な、何だ? ヘンな事言ったか?」
「いや、その二二七番って?」
ライが静かにそう尋ねると、アオが引きつった笑みを浮かべたままライの額を右手で掴む。
「いだだだっ! いだ、いだい! いだいから!」
ギリギリとその手に力を込め、額を締め上げるアオに、ライはそんな悲痛の声を上げる。
そんな中、ロズヴェルはルピーへと目を向け、静かに尋ねた。
「何だ? その番号は?」
「えっ? あぁ……奴隷ナンバーだよ」
「奴隷……そうか。お前も奴隷上がりだったか……」
ロズヴェルはそう言うと表情を曇らせた。
明るく前向きなルピーだが、彼女は以前、奴隷だった。いや、この国のバルバスに仕えていた者の多くが、過去に奴隷だった経験がある。
かく言うロズヴェルも幼い頃、奴隷だった。だが、その期間は短くすぐに兵に昇格した。その為、奴隷だった者達の事など殆ど覚えていない。
ルピーが奴隷だったことも後々に知ったくらいだった。
眉間にシワを寄せるロズヴェルは、首を傾げアオへと目を向け、またルピーに視線を戻した。
「それで、何でアイツに奴隷ナンバーがあるんだ?」
「えっ? そりゃ、アイツが奴隷だったからに決まってるじゃん?」
ロズヴェルの問いに対し、当たり前の事を聞くなよ、と言いたげな眼差しを向けるルピーは小さく肩を竦めた。
その態度に不快そうな表情を一瞬浮かべたロズヴェルだが、その怒りを呑み込み静かに尋ねる。
「アイツは奴隷だったのか?」
「うん。私、二二八だったから。同室? ってのかな?」
「そうか……アイツが……」
ロズヴェルは眉間にシワを寄せアオを真っ直ぐに見据える。
まさか、連盟の犬と呼ばれる男が、この国の奴隷だったとは思わなかった。
「まさか、こんな所で会うとは思わなかったけど」
「んっ? どう言う事だ?」
「えっ? いや、だって、私アイツは死んだと思ってたから」
頭の後ろで手を組むルピーが笑いながらそう言い放った。
一体、その当時何があったのか、ロズヴェルには分らない。何故、ルピーがそう思ったのかも謎のままだった。
 




