第186話 人ならざるもの?
素早い動きで小柄な男との間合いを詰め、ナイフを一閃。
閃光が走り、刃が男の頬を掠めた。
鮮血が散り、男は小さく舌打ちをするとバックステップで距離を取り、ルピーを見据える。
流石に獣魔族と言うだけあり、身体能力の高さを見せ付けるルピーは、消極的な男の行動に疑念を抱いていた。
その為、逆手に持ったナイフを持ち直し、ゆっくりと距離を取る。
二人の視線が交錯し、男は両手を顔の横まで上げると、静かに息を吐き出す。
「何のまねだ?」
鋭い眼差しを向け、ルピーがそう尋ねる。
すると、男は左手を開くとその中から手の平サイズのクリスタルを地面へと落とす。
ルピーはそれが何なのか知らなかった。だが、クリスタルを落とした瞬間の男の不適な笑みからルピーは何か危険なものだと判断し、その場を飛び退く。
しかし、その判断は間違っていた。
周囲は一瞬にして眩い光に包まれ、光が収まった頃にはそこに男の姿はなかった。
一瞬の出来事だったが、すでにこの一帯に男が居ない事をその目で確認し、ルピーはナイフをしまい静かに先ほど男の立っていた場所へと歩みを進めた。
足を止めたルピーはその場に片膝を着くと、地面へと目を向ける。
「これは……」
地面に散乱するガラス片の様なモノに、ルピーは眉間にシワを寄せた。黒く変色していた髪は元のオレンジ色へと戻り、赤く染まっていた瞳も元の淡い青色へと戻っていた。
ガラス片の一つを右手で摘み上げるルピーはそれを見据え、鼻から息を吐く。
それが何なのか全く理解出来ない。そして、あの男は一体何処へ行ってしまったのか、そう考えていた。
男が撤退した事により、紅蓮流剣術道場前に残されたグライデン側にも変化が起きていた。
ナイフを突き立てられ、拘束されていた化物の様な姿になったルーイットの体はみるみると縮み、元の姿へと戻っていた。
一糸纏わぬ姿のルーイットは、紺色の長い髪を揺らし静かに崩れ落ちる。それにより、光の鎖も音を立て地面へと落ち、そのまま消滅。残されたのは、ルーイットの肩に突き刺さったナイフだけだった。
何が起こったのか、理解出来ないのはグライデン。突然、化物の姿が少女になったのだ、驚き戸惑っても仕方ない事だった。
困惑し、うろたえるグライデンは、どうするべきかを考えながらも、少年の斬撃をその盾で防ぎ、金属音と火花だけを広げていた。
「邪魔だな……その盾……」
不快そうに眉間にシワを寄せる少年は、自らの背丈を悠に越える剣を振り上げその手に力を込める。
その瞬間、腕の筋肉が僅かに膨張し、太い血管が浮き上がった。それに連動するように剣の刃が薄らと輝きを放つ。
(ヤバイ!)
グライデンがそう思ったのは、刃の輝きを見たからではない。その少年の眼に明らかな殺意を、その少年の全身から滲み出る憎悪を目の当たりにしたからだ。
ガーディアンとしての経験上、色々な攻撃をその盾で防いできたグライデンだが、この一撃は防げない。そう直感していた。
そして、その直感どおり、少年の振り下ろした剣は、鉄壁で硬化した盾をも引き裂き、グライデンの鎧を砕いた。
「ぐっ!」
僅かに血が迸り、グライデンの体が弾かれる。
表情を歪めるグライデンが尻餅を着くと、追撃とばかりに少年は振り下ろした剣を下段に構え、それをグライデンへと向け走らせる。
地を抉り土煙を巻き上げグライデンへと迫る刃。だが、その刃は唐突に金属音を響かせ、動きを止めた。
グライデンの目の前で僅かな火花が散り、その目には交錯する二つの刃が映る。
一本は少年が振り抜こうとした切っ先を地面へと潜らせた刃。そして、もう一本は――。
「そこまでだ」
雄々しい男の声が響き、続いて幼さの残る男の声が高らかに響く。
「冬華! クリス!」
茶色の髪を揺らし、小柄な男が少年の横を抜ける。うつ伏せに倒れる冬華へと駆け寄ると、その脈を測り声を上げる。
「レオナ!」
「えぇ。分かってるわ!」
小柄な男の声に、そう返答したのは、ヒーラーの正装をしたレオナと呼ばれた女性だった。十字架を象った杖をその手に持ち、純白の真っ白な服装のレオナは、小柄な男の方へと駆ける。
自分の背丈を越える剣を握る少年は、横を通り抜けた小柄な男やレオナには全く反応せず、目の前の男へと真っ直ぐに視線を向ける。
「お、おまえは……連盟の――」
思わずグライデンがそう口にすると、男は静かに剣を構え、少々長く伸びた黒髪を揺らし少年へと声を張る。
「俺はギルド連盟の命によりここに来た。アオ。お前が、冬華やクリスをあんな目にあわせたのか!」
凛々しくも猛々しい声を上げる男、アオに対し、少年は何も答えない。
その為、アオと名乗った男は剣を構えると真剣な表情で少年を見据える。
二人の視線が交錯し、暫しの時が流れ、アオの視線が少年の後ろの冬華とクリスへと向いた。
一目見ただけで分かる程の重傷で、アオの表情は自然と強張り、鼻筋にシワを寄せ怒声を轟かせる。
「お前が、あの二人を――」
怒鳴るアオの右肩へと静かに手が置かれる。
光沢良く黒光りする鎧を纏った大柄の男の手だった。ガーディアンなのだろう。背中には大きな盾を背負い、とても存在感の溢れる男だった。
その男と視線を交錯させたアオは、
「コーガイ……」
と、呟いた後に深呼吸を二度、三度と繰り返し小さく頷いた。
落ち着きを取り戻したのか、アオのまとう空気が先程とは変り、少々穏やかになっていた。
そして、コーガイと呼ばれた男は静かにグライデンの方へと向き直り、その手を差し出した。グライデンはその手を取り、ゆっくりと立ち上がると小さく頭を下げた。
グライデンも彼らの事は知っていた。
ギルド連盟に属し、連盟の犬と呼ばれるアオを中心に、元・ハンターのライに、ヒーラーのレオナ、そして、このガーディアンのコーガイの四人一組のパーティー。
常に四人一組で行動しており、個々の実力よりもチームワークを重視した者達だ。
息を呑むグライデンは、思わず後退りする。何故だか、自分一人だけ場違いな気がしたのだ。
「邪魔をしないでもらえるかな? 僕が用があるのはその王国軍の男だけだ」
「悪いがそうもいかないな」
穏やかな口調で答えるアオに対し、少年は鼻から息を吐き出した。呆れているようにアオには映る。
だが、アオは決して油断などせず、警戒を怠らなかった。
緊迫した空気の中、少年の背後で僅かな音が響く。それは、ライが腰のナイフを抜く音だった。
すでに気配を押し殺し、戦闘態勢へと入ったライは、低い姿勢でナイフを構える。
アオとライに挟まれた少年は流石に分が悪いと思ったのか、深々と息を吐き出すと静かに口を開いた。
「どうやら、この人数では流石に不利だな……」
「逃げる気か?」
アオが尋ねると、少年は肩を竦めた。
「当然だろ?」
「逃がすと思ってんのか?」
続いて背後からライがそういい放つ。
すると、少年はクスリと笑い、走り出す。
だが、ライはその動きを予期していたのか、瞬時に少年の前へと立ち塞がった。
二人の視線が交錯した後、少年は構わずその手に持った剣を振り抜く。
一方のライは、その一撃をナイフで受け止めた。しかし、凄まじい金属音を轟かせると同時にライの小柄な体は後方へと弾き飛ばされた。
ライよりも幾分か小さいはずのその少年の一撃は、とても小柄な体とは思えぬ程の一撃で、土煙を巻き上げ横転するライは、表情をしかめる。ナイフを握っていた手はビリビリと痺れ、僅かに震えていた。
走り去る少年の背をたた見据えるアオは、複雑そうな表情を浮かべていた。とてもアレが人間とは思えなかったのだ。